イールの書〜神々の⻩昏、⼈類の夜明け〜

なぎ

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第1部 5章:宇宙規模の陰謀

第23話:次元の裂け目

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月面要塞の衝撃的な映像を見てから数日後、新たな協力者が現れた。



「初めまして、香川と申します」



隠れ家を訪れたのは、42歳の女性物理学者だった。知的な眼差しの奥に、強い好奇心が輝いている。ショートカットの黒髪に、機能的な服装。いかにも研究者という雰囲気を醸し出していた。



「東京大学で素粒子物理学を研究しています」



香川教授は名刺を差し出した。



「専門は超弦理論と多次元宇宙論です」

「どうして私たちを」



賢吾が警戒しながら尋ねた。



「リンドバーグ教授からご連絡をいただきました」



香川教授は微笑んだ。



「量子物理学の観点から、イールの書を検証したいと思いまして」



リンドバーグ教授が頷いた。



「香川教授は、学会でも信頼できる研究者です。そして、既存の物理学の枠にとらわれない柔軟な思考の持ち主でもある」



賢吾は慎重にイールの書の一部を見せた。特に、九つの世界とビフレストに関する記述を。

香川教授は食い入るように読み始めた。その表情が、驚きから興奮へと変化していく。



「信じられない」



彼女は顔を上げた。



「でも、理論的には可能です」



香川教授は立ち上がり、部屋にあったホワイトボードに向かった。



「九つの世界が別次元という解釈、これは現代物理学でも説明できます」



彼女は素早く数式を書き始めた。複雑な記号と数字が、ボード上に展開されていく。



「11次元理論では、我々が認識できる3次元空間と1次元時間の他に、7つの余剰次元が存在するとされています」



香川教授は図を描きながら説明を続けた。



「これらの余剰次元は、極めて小さく巻き込まれているため、通常は観測できません。しかし、理論上は存在する。そして、特定の条件下では」



彼女は新たな数式を追加した。



「次元の壁を越えることが可能になります」



美咲が質問した。



「ビフレストが次元間転送装置だとしたら」

「はい」



香川教授は頷いた。



「特定のエネルギーを使って次元振動を同調させ、一時的に通路を開く。理論的には完全に可能です」



教授は続けた。



「実際、CERNの大型ハドロン衝突型加速器で、説明できない現象が観測されています」

「どんな現象?」



山田が身を乗り出した。

香川教授は慎重に言葉を選んだ。



「粒子が一瞬消えて、別の場所に現れる。検出器のエラーかと思われていましたが、パターンがあまりにも規則的で。まるでテレポーテーションのように」

「公式には?」

「測定誤差とされていますが」



香川教授は苦笑した。



「内部では、別の可能性も検討されています。次元を越えた移動の可能性が」



賢吾はイールの書の該当箇所を開いた。



「ここに、ビフレストの動作原理が記されています」



香川教授は記述を読み、顔色を変えた。



「『次元振動を同調させ、一時的に通路を開く。エネルギー源は、真空のゆらぎから抽出』」



彼女は震え声で読み上げた。



「これは、私たちが理論化している真空エネルギーの利用法と一致します」



教授は再び数式を書き始めた。今度は、イールの書の記述を現代物理学の言葉に翻訳するかのように。



「見てください」



彼女は完成した数式を指差した。



「イールの書の記述を数式化すると、最新の量子重力理論と驚くほど一致する」



斎藤博士が重要な指摘をした。



「もし次元間移動が可能なら、なぜ地球外生命体は大々的に侵攻してこないのでしょうか」



香川教授は考え込んだ。



「おそらく、エネルギー消費が膨大なのでしょう。または、次元間移動には何らかの制約がある。イールの書には何か書かれていませんか」



賢吾は該当箇所を探した。



「ありました。『ビフレストの使用は、宇宙の均衡を乱す。故に、緊急時のみ使用される』」

「なるほど」



香川教授は納得した。



「次元間移動は、時空そのものに影響を与える可能性がある。多用すれば、予測不能な結果を招くかもしれません」



その時だった。

香川教授が持参していた検出器が、突然激しく反応し始めた。



「これは」



教授の顔が青ざめた。



「次元の歪みを検出しています!」



検出器の数値は急激に上昇していた。針が振り切れそうになる。



「何かが来る!」



部屋の中央の空間が、わずかに歪み始めた。まるで、透明な水の中に熱い空気が混ざったような、奇妙な揺らぎ。

全員が息を呑んで見守る中、歪みはさらに大きくなっていく。

そして、突然―

閃光が走った。



全員が目を閉じた。まぶしさが収まって目を開けると、部屋の中央に小さな物体が浮かんでいた。

金属製の立方体。一辺が10センチほどの、完璧な正六面体。表面には、見たことのない文字が刻まれている。



「これは」



リンドバーグ教授が息を呑んだ。



「ルーン文字の原型だ」



物体は静かに回転しながら、淡い光を放っていた。

香川教授は震える手で検出器を確認した。



「次元の歪みは収束しました。しかし、この物体から微弱な次元振動が」



賢吾は慎重に物体に近づいた。熱は感じない。むしろ、ひんやりとした感触が伝わってくる。



「メッセージかもしれない」



美咲が推測した。



「誰かが、私たちに送ってきた」



山田がカメラで撮影を始めた。



「記録しておかないと」



その時、立方体の表面の文字が、ゆっくりと変化し始めた。ルーン文字から、現代の文字へ。

そして、日本語でメッセージが浮かび上がった。



『時は近い。準備せよ』



一同は顔を見合わせた。



「誰からのメッセージだろう」



斎藤博士が呟いた。



「イールかもしれない」



賢吾は推測した。



「まだ、どこかで生きているのかも」



香川教授は興奮を抑えきれない様子だった。



「これで確実になりました。地球外生命体は、我々の物理法則を超越した移動手段を持っている。いつでも、どこからでも現れることが可能です」



彼女の顔に、恐怖と同時に科学者としての興奮が浮かんでいた。



「でも、同時に希望でもあります。もし我々がこの技術を理解できれば」



立方体は静かに光り続けていた。3000年の時を超えて届いたメッセージ。それは警告なのか、それとも救いの手なのか。

確実なのは、もはや地球は孤立した惑星ではないということ。次元の壁を越えて、何かが近づいている。そして、人類はその準備をしなければならない。
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