イールの書〜神々の⻩昏、⼈類の夜明け〜

なぎ

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第2部 8章:英雄の時代

第66話:ヴォルスング王家

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新たな時代の幕開けは、ヴォルスング王家から始まった。ドヴァリンは、地下の記録庫の奥深くから、これまでとは異なる材質の記録板を取り出した。それは金属と有機物が融合したような、不思議な質感を持っていた。



「オーディンの血を最も濃く引く一族」



エイリークが詳細な系譜図を空中に投影した。



「しかし、より人間に近い。これは偶然ではなく、意図的な配合の結果でした」



賢吾はイールの書の新しい章を開いた。そこには、これまでとは異なる筆致で記されていた。



「神々の時代は終わりに向かう。次は、神と人の中間の存在が必要。その実験が、ヴォルスング家。純粋な神々は強すぎ、純粋な人間は弱すぎる。最適なバランスを探る時が来た」



山田がデータ解析を進めた。



「遺伝子配列を見ると、確かに計画的な交配の痕跡があります。まるで品種改良のような...」

「初代ヴォルスングは」



ドヴァリンが古い映像記録を再生しながら説明した。



「オーディンの息子だが、母は普通の人間。シグニーという名の、ミッドガルドの族長の娘だった。その配合が絶妙だった」



映像には、ヴォルスング王の姿が鮮明に映し出されていた。彼は王座に座り、臣下たちと談笑していた。その姿は、確かに神々とは異なっていた。



「見てください」



斎藤博士が医学的な観点から指摘した。



「神々より小柄ですが、より敏捷。筋肉の付き方も違います。そして何より、表情が豊かです」



美咲が詳細な遺伝子分析結果を提示した。



「神の力の30%を保持しながら、人間の適応力を維持。代謝効率も神々より優れています。まさに理想的なハイブリッドと言えるでしょう」



香川教授が物理学的な測定データを加えた。



「エネルギー効率が格段に向上しています。神々のような膨大なカロリー摂取も不要。日常生活により適応した形態です」



しかし、エイリークの表情が曇った。



「一族には呪いもありました」



エイリークは重い口調で続けた。



「力への渇望。オーディンの知識欲が、別の形で発現したのです。それが、後の悲劇を生むことになる」



新たな記録が表示された。それは、ヴォルスング王家の歴代当主たちの記録だった。

初代ヴォルスングは賢明な王として記録されていた。しかし、その息子シグムンドの代になると、変化が現れ始めた。



「シグムンドは父より強い力を求めました」



ドヴァリンが説明した。



「神々の血が薄まることを恐れ、より純粋な血統を求めた。それが近親婚につながり...」



リンドバーグ教授が神話学的な観点から補足した。



「北欧神話でも、ヴォルスング家には数多くの悲劇が記されています。兄妹の確執、裏切り、復讐...すべてが血の濃さゆえの悲劇でした」



田中が重要な発見をした。



「この記録を見てください。イールが直接、ヴォルスング家を観察していた形跡があります」



確かに、記録の端々にイールの筆跡と思われる注釈が残されていた。



『興味深い。人間性を保ちながら力を持つ。しかし、その力が人間性を蝕み始めている。バランスの維持は、想像以上に困難だ』



マグナスが素朴な疑問を口にした。



「でも、なぜオーディンは息子にこんな実験を?」



エイリークが苦い表情で答えた。



「推測ですが、オーディン自身、純粋な神々の限界を感じていたのでしょう。次の時代を生き延びるには、新しい形態が必要だと」



ヘルガ博士が心理学的な分析を加えた。



「親が子に託す期待と実験。それは愛情なのか、それとも冷酷な計算なのか。おそらく、両方が混在していたのでしょう」



映像は、ヴォルスング王が巨大なリンゴの木を王宮に植える場面を映し出した。その木は、明らかに普通の植物ではなかった。



「バルンストック」



ドヴァリンが説明した。



「イグドラシルの苗木。ヴォルスング家の象徴となった」



そして、その木に一本の剣が突き刺さる場面が続いた。オーディンと思われる人物が、誰も気づかぬうちに剣を木に刺して去っていく。



「グラム」



エイリークが剣の名を口にした。



「神々の技術で作られた、最高の武器の一つ。これもまた、実験の一部だった」



賢吾がイールの書の続きを読み上げた。



「ヴォルスング家は、成功であり失敗でもあった。力と人間性の両立は可能だと証明したが、その維持の困難さも露呈した。だが、この経験は無駄ではない。シグルズへと続く道が、ここから始まる」



美咲が現代との関連を指摘した。



「現在の覚醒者たちも、同じ問題に直面しています。力を得た後、いかに人間性を保つか」



斎藤博士が医学的な警告を発した。



「ヴォルスング家の記録は、現代にとっても重要な教訓です。遺伝子の覚醒は祝福であると同時に、慎重に扱わねばならない諸刃の剣でもある」



映像は最後に、若きシグムンドが父の剣を抜こうとする場面を映し出した。多くの戦士たちが失敗する中、彼だけが易々と剣を抜いた。その瞬間、彼の運命は決定づけられた。



「新たな実験の始まり」



ドヴァリンが締めくくった。



「そして、その行き着く先にシグルズがいた。英雄の誕生は、長い準備の末の必然だったのです」



一同は、神と人の間で揺れ動く存在の記録を、複雑な思いで見つめていた。力と人間性、その永遠の課題は、現代にも続いている。
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