イールの書〜神々の⻩昏、⼈類の夜明け〜

なぎ

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第2部 9章:終末の予兆

第75話:火星からの信号

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ついに、決定的な瞬間が訪れた。地下施設の中央管制室に、けたたましい警報音が鳴り響いた。無数のモニターが赤く点滅し、世界中からの観測データが次々と流れ込んでくる。



「火星から強力な信号です!」



山田が震え声で緊急報告した。彼の顔は青ざめ、額には冷や汗が浮かんでいた。



「ムスペルヘイムが完全に起動しました。これは...これは想定を超えています」



メインスクリーンに、火星の最新映像が映し出された。通常は赤茶けた惑星の表面に、異常な変化が起きていた。オリンポス山を中心に、巨大な構造物が地表から隆起し始めていた。それは、山そのものが変形しているかのようだった。



香川教授が、NASAから極秘ルートで入手したデータを解析した。彼の手は震え、顔からは血の気が引いていた。



「これは...」



教授の声は掠れていた。



「大規模なエネルギー充填。出力は...計測不能です。地球の全発電量の一万倍以上。攻撃準備としか考えられません」



詳細な分析データが次々と表示された。火星の磁場が異常に強まり、表面温度が急上昇している。大気中には、未知のエネルギー粒子が充満し始めていた。



斎藤博士が医学的な観点から警告を発した。



「このエネルギーレベルは、生物の細胞を瞬時に破壊します。もし地球に向けて発射されたら...」

「全生命体の絶滅です」



美咲が絶望的な結論を口にした。

賢吾は震える手でイールの書を開いた。最終章、最後の警告が記されているページだった。



「スルトが動く時、それは審判の時。火の剣は、すべてを焼き尽くす。大地は炎に包まれ、海は蒸発し、大気は燃え上がる。それは、この星の完全な浄化...」



しかし、文章はそこで途切れていた。いや、続きがあった。



「しかし...」

「しかし?」



賢吾が必死に続きを求めた。

ドヴァリンが、慎重にページをめくった。そこには、かすれた文字で、最後のメッセージが記されていた。



「『人類が一つになれば、あるいは...』ここで記述が途切れています」



ドヴァリンの声には、深い後悔が滲んでいた。



「イールは、最後まで書き切ることができなかった。束縛の苦痛の中で、意識を失ったのでしょう」



山田が新たなデータを報告した。



「火星の活動が加速しています。このペースだと、24時間以内に臨界点に達します」



映像は、火星の変化をリアルタイムで映し出していた。惑星全体が、巨大な兵器と化していく様子が、はっきりと観測できた。



「スルトの正体が判明しました」



香川教授が震え声で説明した。



「火星基地の最高司令官。地球外生命体の中でも、最も好戦的な派閥のリーダーです」



新たに解読されたデータには、スルトのプロフィールが含まれていた。



『実験体の完全廃棄を主張する強硬派。地球の資源のみを重視し、生命体は邪魔な存在と認識。過去にも、複数の惑星で同様の"浄化"を実行』



エイリークが立ち上がった。その表情には、揺るぎない決意が宿っていた。



「もはや議論の時ではない」



彼の声は、静かだが力強かった。



「世界中の覚醒者に緊急連絡を。すべての者に、最後の戦いの準備を呼びかける」



彼は素早く指示を出し始めた。



「マグナス、北欧の覚醒者たちに連絡を。全員を召集せよ」

「美咲、医療チームの準備を。最悪の事態に備えて」

「山田、世界中の観測データを集約。火星の動きを完全に把握する」



しかし、ドヴァリンが最も重要な提案をした。



「イールを解放する必要があります」



老ドワーフの声は、千年の重みを持っていた。



「彼だけが、完全な対抗策を知っている。三千年かけて準備した、最後の切り札を」



リンドバーグ教授が疑問を呈した。



「しかし、どうやって?縛いましめは緩んでいるとはいえ、完全に解けるまでには...」

「強制的に解放します」



ドヴァリンが決断した。



「残されたドワーフの技術を総動員して。危険ですが、他に選択肢はない」



田中が不安そうに尋ねた。



「でも、イールは...三千年も苦しんでいて、正気を保っているでしょうか?」

「それは賭けです」



エイリークが認めた。



「しかし、イールを信じるしかない。彼が人類のために戦い続けたことを」



新たな観測データが、事態の深刻さを示していた。



「火星の重力場が変化しています」



香川教授が報告した。



「軌道がわずかにずれ始めている。まるで、地球に照準を合わせているかのように」



さらに恐るべき事実が判明した。



「小惑星帯からも、異常な動きが」



山田が青ざめた。



「複数の小惑星が、不自然な軌道変更をしています。これは...」

「援軍か、それとも追加の攻撃手段か」



エイリークが分析した。

ヘルガ博士が心理学的な観点から、重要な指摘をした。



「恐怖に支配されてはいけません。それこそが、敵の狙いかもしれない」



確かに、世界中でパニックが始まっていた。



「各国政府も、隠しきれなくなっています」



美咲が報告した。



「火星の異常は肉眼でも確認できる。SNSでは、終末論が拡散している」



窓の外を見ると、確かに火星が異常に明るく輝いていた。通常の赤い光ではなく、不気味な橙色の光を放っている。



「まるで、燃えているようだ」



マグナスが呟いた。

賢吾が、イールの書の最後の一行を、もう一度読み返した。



「『人類が一つになれば、あるいは...』」

「一つになる」



エイリークが理解した。



「それが鍵だ。覚醒者も、非覚醒者も、すべての人類が団結すれば」

「理想論です」



香川教授が現実的な指摘をした。



「今の分断された世界で、どうやって」

「でも、他に道はない」



賢吾が断言した。



「イールが最後に伝えようとしたこと。それを実現するしかない」



ドヴァリンが、最後の準備を指示した。



「三つのチームに分かれます。一つは、イールの解放。一つは、世界への真実の公開。そして一つは、防衛システムの構築」

「時間はどれくらい?」



エイリークが尋ねた。

山田が計算した。



「火星のエネルギー充填完了まで、最大48時間。しかし、部分的な攻撃なら、いつ始まってもおかしくない」



火星は赤く輝き始めた。肉眼でも確認できるほどに、その光は強まっていく。まるで、宇宙に浮かぶ巨大な炎の瞳のように。



人類に残された時間は、もうわずかだった。

三千年の準備が、今、最終段階を迎えようとしていた。神話の時代から続く長い物語が、ついにクライマックスへと向かう。



「始めましょう」



エイリークが宣言した。



「人類の、最後の戦いを」



覚醒し始めた人類と、迫り来る地球外生命体の脅威。そして、三千年の封印から解放されようとするイール。すべての要素が、最後の戦いへと収束していく。
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