イールの書〜神々の⻩昏、⼈類の夜明け〜

なぎ

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第4部 5章:新世界の誕⽣

第145話:勝利の代償

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戦いは終わった。スルトの炎の剣が花となって大地に根を下ろし、人類と地球外生命体の間に、初めて真の理解が生まれた瞬間、世界中の人々が深い安堵のため息をついた。しかし、勝利の喜びは、すぐに厳しい現実によって影を落とされた。



中央司令室のモニターには、世界各地の被害状況が次々と表示されていた。その数字は、冷酷な現実を突きつけていた。



「最終集計が出ました」



山田の声は沈んでいた。



「世界中で、約500万人が犠牲になりました。直接の戦闘による死者、建物の倒壊、インフラの破壊による二次被害...」



パリの一部は廃墟と化し、北京の郊外は焼け野原となり、シドニーの港湾部は海の底に沈んでいた。それぞれの都市で、多くの命が失われていた。覚醒者も、非覚醒者も、等しく犠牲を払っていた。



「イールも逝った」



ドヴァリンが深い悲しみを込めて呟いた。老ドワーフの目には、3000年来の友を失った哀しみが浮かんでいた。



「最後まで、人類のために。自分の存在そのものを犠牲にして、スルトの心を開いた」



確かに、イールの残留意識は完全に消滅していた。もはや、どこにもその痕跡を見つけることはできなかった。裏切り者と呼ばれ、怪物の父と蔑まれながら、最後まで人類を信じ続けた存在は、ついに永遠の安息を得たのだった。



病院のベッドでは、賢吾が静かに横たわっていた。統合意識の中心となり、70億人の意識を束ねた代償は、あまりにも大きかった。彼の髪は真っ白になり、顔には深い皺が刻まれていた。まるで、数十年分の時を一度に経験したかのように。



「でも、後悔はない」



賢吾は弱々しい声で、しかし確かな微笑みを浮かべながら語った。美咲が彼の手を握りしめていた。



「みんなの思いを感じられた。70億の心が一つになる瞬間を体験できた。それは、言葉では表現できない、素晴らしい経験でした」



医療モニターが示す数値は、決して楽観的なものではなかった。脳の過負荷により、多くの神経細胞が損傷を受けていた。完全な回復は難しいかもしれない。しかし、賢吾の表情は穏やかだった。



アイスランドの野戦病院では、エイリークが包帯に包まれて横たわっていた。スルトとの戦いで、彼は全身に重傷を負っていた。しかし、その傍らには、小さくなったフェンリルが寄り添っていた。



「新しい関係の始まりだ」



エイリークは、痛みを堪えながらも笑顔を見せた。



「もう、オーディンとフェンリルは敵同士じゃない。これからは、真の仲間として生きていく」



フェンリルは、そっとエイリークの手を舐めた。3000年の憎しみが、ついに愛情に変わった瞬間だった。



北海では、マグナスがヨルムンガンドの頭の上に座り、夕日を眺めていた。彼も戦いで多くの傷を負っていたが、その表情は晴れやかだった。



「もう宿敵じゃない。相棒だ」



マグナスは、ヨルムンガンドの鱗を優しく撫でた。



「トールとヨルムンガンドの因縁も、今日で終わり。これからは、一緒に海と人類を守っていこう」



ヨルムンガンドが低く鳴いた。それは、同意の印だった。



世界中で、復興への動きが始まっていた。しかし、それは単なる再建ではなかった。覚醒者たちが、その力を破壊ではなく創造のために使い始めたのだ。



エジプトでは、ラーの末裔たちが太陽の力を使って、砂漠を緑化し始めた。インドでは、シヴァとヴィシュヌの末裔が協力して、汚染された川を浄化していった。中国では、龍の血を引く者たちが、大地の気を整えて、作物の成長を促進させた。



「破壊ではなく、創造のために」



これが、新時代の合言葉となった。

そして、最も驚くべきは、スルトの処遇だった。彼は捕虜として扱われることはなかった。代わりに、地球の客人として迎えられた。



「償いをさせてくれ」



スルトは、もはや炎の巨人の姿ではなく、人間大のサイズになって言った。



「私は多くの文明を破壊してきた。その罪は消えない。しかし、せめて、持っている技術と知識を人類と共有したい」



スルトは、地球外生命体の進んだ技術を惜しみなく提供し始めた。エネルギー技術、医療技術、環境技術。それらは、人類の技術レベルを一気に数世紀分進める可能性を秘めていた。



「これが」



エンキが、新しい時代の到来を予感しながら呟いた。



「共存の始まりか。異なる種族が、互いを理解し、協力し合う時代の」



しかし、喜びだけではなかった。世界各地で、犠牲者を悼む式典が行われていた。500万の命。それぞれに家族があり、友人があり、夢があった。その重みを、生き残った者たちは背負っていかなければならなかった。



ヘルは、南極の施設を「記憶の殿堂」として公開することを決めた。そこには、戦いで失われたすべての人々の記録が保存されることになった。



「失われた人々を忘れないために」



ヘルは静かに語った。



「そして、二度と同じ過ちを繰り返さないために」



勝利の代償は重かった。しかし、その犠牲は無駄ではなかった。人類は、この戦いを通じて、新たな段階へと進化した。そして、かつての敵とも手を取り合える可能性を示した。イールが夢見た世界が、痛みと犠牲の上に、ようやく実現しようとしていた。



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