車輪になった妹

奈波実璃

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妻はこの一件で、完全に心を壊してしまった。
無理もない。
難病を克服した次女はその直後に人身事故で亡くなり、ようやと就職した長女も気をおかしくしてしまったのだから。

子供の頃に目の前で次女が轢死するところを見てしまった長女は、不運なことに大人になって再び目の前で人が轢死することを見てしまったのだ。
次女の死の時はカウンセラーに通わせても、特にトラウマや精神疾患が現れた様子はなかったから私も油断してしまっていたが、まさか今になってこんな形で発露してしまうとは……。


妻と長女は、同じ精神病院に入院している。
私は妻を見舞った後、病院の職員に連れられて長女の病室に向かう。
長女の部屋は、鍵の掛かった扉の向こうにあるのだ。
私は次々と家族に降りかかる不幸に、もはや思考することを放棄していた。
機械的に仕事場へ行き、家族を見舞い、家事をして眠る。
きっと私にできる、最も幸福な選択だろう。
何故、なぜ、ナゼ……。
そんなことを考えればキリがないし、私も病んでしまうだろうから。

「ほら、お父さんだぞ」
長女の部屋は、簡素なベッド机と鉄格子つきの小窓があるだけだった。
長女はベッドの端に座り、おもちゃの電車をつかんで机の上を走らせていた。
延々と、電車は円を描いてその周りに置かれた他のおもちゃを尋ねている。
「ホットケーキそのものは持って来れなかったんだ。絵本で勘弁してくれないか」
そう声をかけて、私は長女に紙袋に入れていた絵本を渡した。
動物がホットケーキを食べる内容の絵本だ。
長女の視線が、始めて電車から外される。
長女はそれを受けとると、無言で机の上に置いた。
そして再び電車を発車させる。
パンダのぬいぐるみや、船の模型、アメリカ合衆国の書かれた地図、そしてホットケーキの絵本。
それらを永遠に回り続ける電車。
長女の顔は長い髪に隠れてよく見えないが、その僅かな呟きは聞いて取れた。
「未知子、未知子、未知子……色んなところに行くわね、私は色んなところに行くわね、あなたを連れてったげる、未知子、未知子のやりたいこと、全部、未知子……」
繰り返される言葉と、回り続ける電車。
電車は夕日に赤く染まっている。
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