黒髪碧眼の美少年がやってきた【R18】

七篠りこ

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第2章 いざ異世界

11、たまには飲みたいの

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 柔らかい唇の感触に、懐かしさと愛しさを思い出す。

 久しぶりだししっかり堪能しようと思った矢先、カイリが百花の両肩をつかんで勢いよくひきはがした。何が起きたのかわからないという表情で、目を見開いている。

「僕、今……」

(その呆然とした感じ、一体なに!?)

 自分からキスしたくせに!!
 もしや、ただ雰囲気に流されただけということなのか。そうなのか、いや、きっとそうなんだ。
 甘い雰囲気が漂ったと思ったのは自分だけかと百花はがっくりしたが、カイリが「……モモカ……その……」と今にも謝ってきそうになったので「大丈夫! 気にしないから!」と先回りして立ち上がった。

(ごめんなんて言われたら、絶対落ち込む! 断固阻止しないと!)

「今のは事故ってことだよね、わかってる! とにかく明日から頑張るから!」

 早口でまくしたてて、お茶を飲み干す。そのカップをとりあえず作業台に置いて、足早に自室へと戻ろうとしたところ「待って」と手首をつかまれる。低い声に驚いて振り向くと、カイリは「違うから」と言いながら百花へと一歩踏み出してくる。

「な、何が……」

 聞くのが怖いけれど、すごく気になる。ごくりとつばを飲み込んで百花はカイリを見返したが、カイリは「僕は……」と言いかけたところで急に手のひらを口元へ持っていき、げほん、ごほんと咳き込みだす。

(この深い感じの咳は、まさか……)

 心臓がわしづかまれたような衝撃。ばくばくと心臓が早鐘のように鳴り始める。

「大丈夫!?」

 百花はカイリの背中をさすろうと手を伸ばしたけれど「大丈夫……ちょっと埃が入っただけだから」と彼は逃げるように百花から離れた。そして挨拶もそこそこに階段をのぼっていってしまう。

「あ、ちょっと!」

 呼びかけても、カイリは振り向きもしなかった。

(明らかにあやしい!)

 ただ何かが気管に入っちゃったという咳ではない。それよりもっと苦しそうな咳には既視感しかない。

 カイリを追いかけて百花も二階へと向かった。カイリの自室のドアに耳をつけて中の音が聞こえないか探ってみるが、何も聞こえない。
 もう咳は止まったのだろうか。

(防音なわけないし、本当にただの空咳だったのかな。いやでも……)

これはもう直接聞くしかないとノックすると、しばらくの間のあとで「……何」と落ち着いた声で返事がきた。

「さっきの咳、大丈夫? なんか気になっちゃって」

 かちゃりとドアが開けられて、カイリが顔を出す。その表情はいつもと変わらない落ち着いたものだった。でも疑いがぬぐいきれなくて、上から下まで観察するように見つめてしまう。それでもカイリに不審な点は見当たらない。

「たまたま変なもの吸い込んじゃっただけだって言ったでしょ」
「ほんとに? 苦しくなったりしてない?」
「心配しすぎ。全然平気だから」

 本当だろうか。
 先ほどの咳は、やっぱり病気の時のものとよく似ていたように思う。全く納得できていない様子の百花に、カイリは苦笑しながら「もう寝るんでしょ? 僕も寝るから」と言うなり、ドアを閉じてしまった。ドア越しに「おやすみ」と挨拶されて、百花もしぶしぶ「おやすみ」と返す。

 なんだか色々なことが腑に落ちなくて、その夜はよく眠れなかった。

◆ 

 そして次の日から、使命のためのパン作りが始まった。

 オウルは店のドアに『しばらく休業します』と札をかけると、店全体に結界を張った。これで店の中で行われることが外にもれることはないという。厳重だなと思ったけれど、それほどまでにパン作りは重要機密なのだろう。

 問題のチオ麦は、小麦というよりもライ麦に近い性質を持つ穀物だった。
 それだけを使って焼こうとすると焼成にはかなりの時間がかかり、ぎゅっと目のつまったパンが焼きあがる。ふくらみもいまいちで、味は少々酸味が気になる。美味しいパンにするためには工夫が必要で、百花が考えたのは小麦粉を混ぜてパンにすることだった。

 これを基本方針に、オウルと、エンハンスが城から派遣してきたシアという料理人と、三人で毎日パン作りに精を出す。毎日のように大量のパンを焼き、少しずつ試食しては感想を言い合う。それはさながらサツキベーカリーの時、みんなで新作を考えているときのような感じで、緊張感の中でも楽しみを見出せる作業だった。

 エンハンスは毎日夕方になると店に顔を出して、その日のパンを試食していく。
 昨日明かされた彼の身分が気になって、百花は最初敬語を使おうとしたのだが、笑って断られてしまった。

「今更変えられても違和感あるし。元のままでいてよ」

 そう明るく言われたので、エンハンスのことはそのまま『ハンス』と呼んでいる。カイリもオウルも同じだから、呼ばれ慣れているのだろう。

 カイリは夜の鐘が鳴った後くらいに、必ず店に寄るようになった。そこで一緒に食事をとり、そのまま帰宅する。
店を開けて働いていた頃は深夜まで仕事をしていたので、なんだか随分と規則的な毎日になった。
 
 そうして二週間ほどすぎた。

 その日も作業を終えてカイリと一緒に家路につく。並んで歩きながら百花がその日の様子を話すと、カイリは穏やかな表情でそれを聞いた。なんとか順調に進んでいるから安心した様子だ。

「大体レシピが固まって来たから、明日からは少しアレンジしたパンを作るつもりだよ」
「そっか」
「どうなることかと思ったけど、今の所出来過ぎなくらい順調。このままうまくいくといいなぁ」
「あんまり無理しないでよね」
「ありがと。カイリの方はどう?」
「僕? 僕の方は別に──」
「咳……ぶり返したりしてない?」

 おそるおそるたずねると、思った通りカイリは表情を歪めた。

「だから別に平気だって言ってるでしょ」
「そうは言うけどさー、やっぱり気になるんだよ」

 いつかの咳がどうしても気になってしまって、百花はことあるごとにカイリを伺ってしまうようになっていた。それに対してカイリが嫌そうにするのは、心当たりがあるからなんじゃないかと思っている。

(あの咳の音……忘れられないよ)

 だから今日は一つの策を講じることにした。家につくなりカイリを呼び止めて「今日、一緒にお酒飲まない?」と誘ってみる。名付けて『カイリを酔わせて本当のところを探ろう作戦』だ。彼がほろ酔いになると饒舌になるのは、以前の経験で知っている。

 オウルから譲ってもらったエールをみせると、カイリは「どうしたの、急に」と目を細めた。普段お酒を飲む習慣がない百花の行動を怪しんでいるようだ。

「何企んでるの」

 スパンと聞かれて、百花は「えー? 何も? ただ、たまにはカイリと酒を酌み交わしたいなぁって思って」と返答する。

 特に不自然なところはないと思うが、カイリは疑うような視線を向けたままだ。
 百花の持つエールの瓶を取り上げ、まだ封切られていないそれを揺らして「……しかもこれ、結構強いやつじゃん」と呆れた顔である。
 
(当てが外れた。もっとすんなり晩酌の流れに持っていけるはずだったのに──!)

 内心どうやってその気にさせようと焦りながら、百花は「いやだって、たまにはわたしだってお酒飲みたいしさー」とジョッキを傾ける仕草をしてみせる。それを見て、カイリは「そうなの?」と目を見開いた。

「それなら早く言ってよ」
「いや、最初に言ったじゃん。飲みたいって」
「嘘だと思った」

 しれっとカイリは言って外套を壁にかけると、エールをキッチンへと持って行った。
 次に慣れた手つきでカイリはカップを持ってくる。ほら早くと促されて、百花はあわてて自分の外套をかけてから、カイリの向かいに腰をおろした。

 琥珀色の液体がカップに注がれ、アルコールの香りが漂う。一口含めば、濃厚な味が口内に広がった。ビールよりももっと深い味わいの中に苦味がある。飲み慣れていない味だった。

(やっぱりもっと甘いお酒が好きだなぁ)

 しかも度数も高い。コップの半分ほど飲んだところで、百花は頭がぼんやりと霞みがかっていった。これ以上飲むと確実に酔っ払う。カイリに真相を聞くどころじゃなくなってしまう。
 対してカイリは顔色も平素のままだ。

(やばい、わたしだけペースがはやかった!)

「顔赤いけど、もう酔ったの?」

 カイリの顔が、輪郭が、ぼやける。

「酔ってない……」

 そう返しつつも、だんだんとまぶたが重くなる。それを必死でこじあけて、百花はカイリのカップにエールを注いだ。

「ほらほら、カイリももっと飲みなよぉ」

 ぐらつく手元をカイリに押さえられ「飲むけど、モモカはちょっと危なすぎ」とたしなめられる。

「お茶いれてあげるよ」
「大丈夫……一旦休憩するから」

 ふーと息をついた拍子に目を閉じると、頭がクラクラした。おそるべし、オミの国の酒。久しぶりに飲んだから、身体がびっくりしてしまったのだろうか。

「モモカ」

 ひどく近くで声がすると思って目を開けると、カイリが百花のそばに立って見下ろしていた。その目には心配の色が宿っている。

「つらいんじゃないの?」
「──そんなことないよ」

 言いながら百花は再び目を閉じて、カイリの身体にもたれかかるように体を傾けた。ちょうどカイリの胸のあたりに頭がふれて、彼の規則正しい鼓動が聞こえてくる。それは心地いいリズムで、なんだか安心するあたたかさだった。

「つらいのは……カイリが心配もさせてくれないことだよ……」

 独り言のように呟く。言ったそばから、頭の中に霧がかかったような霞みが広がる。眠いのだと気づいて目を開けようとしたけれど、うまくいかなかった。だから百花は見ることができなかった。カイリが目を見開いて、その直後につらそうに唇を噛んだことを。
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