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延宝七年 春 厩橋藩上屋敷奥の間
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幕府大老酒井雅楽頭忠清の上屋敷に河村十右衛門がやってきたのは、彼が工事を差配した上屋敷に将軍徳川家綱が御成りになる一週間ほど前の事だった。
将軍の御成りとなると金がいくらでも飛ぶが、同時に天下に己の権勢を誇る場でもある。
下馬将軍と呼ばれる酒井忠清にとってこの御成りはそういう場であり、その手伝いをした河村十右衛門も豪商河村十右衛門の名前を天下に轟かせる結果となったのである。
裏門から入り、近習によって奥の間に通されると酒井忠清ができあがった庭を眺めていた。
酒井忠清の後ろ姿に河村十右衛門は平伏して声をかけた。
「河村十右衛門。お呼びにより参上いたしました」
「面を上げよ。
よくこれほどのものに仕上げてくれた。
上様も喜ぶであろう」
「そのお言葉を聞けただけでも、ありがたき幸せにございます」
もちろん、そんな言葉をかける為に河村十右衛門を呼ぶほど酒井忠清も河村十右衛門も暇ではない。
そういう名目で呼び寄せた酒井忠清は本題を口にした。
「高田藩の米切手。
大阪で滞りが出たそうだが?」
「酒井様の御耳に入るとは、河村十右衛門の不徳にございます。
お見苦しい所はお見せしないよう既に手配は行っております」
河村十右衛門はそう言って酒井忠清の背中に頭を下げた。
何しろ、元凶は高田藩次席家老荻田本繁が勝手に出していた米切手で、高田藩筆頭家老小栗美作や河村十右衛門があずかり知らぬ米切手の滞りである。
とばっちりのようなものだが、それでも処理しなければ小栗美作や河村十右衛門の、更に二人と繋がる酒井忠清の面子に関わる。
幸いにも、高田藩の米切手の滞りを何とかするだけの財を河村十右衛門は持っていた。
ここに来れたのも、大阪での米切手がらみの処理を片付けたからに他ならない。
「先日、小栗美作の手の者がこちらに来て、幕府に米切手の滞りについて釈明してきた。
米切手は全て小栗美作の管轄である事を徹底させ、勝手に流さないようにという事だ」
身分の壁があるとこういう報告も面倒な事この上ない。
幕府に報告し酒井忠清に釈明する事で、商人である河村十右衛門へ報告するという形をとっていた。
「で、堀田正俊を老中に上げる根回しは進んでいるのか?」
酒井忠清から出た言葉に河村十右衛門は体を固くする。
幕府の人事は基本コネとカネである。
館林宰相松平綱吉の依頼から始まった若年寄堀田正俊を老中に押し上げる工作は、米切手の滞りと酒井忠清の屋敷改築まで重なって豪商河村十右衛門と言えども苦労していたのであるが、それを言って己を下げる河村十右衛門ではなかった。
「万事滞りなく。
差し出がましい口を開くのであれば、堀田様の老中就任は酒井様の権勢に影を落とさないのかと愚考する次第で」
平伏したままの河村十右衛門の額から落ちた汗が真新しい畳に当たる。
堀田正俊の老中就任の根回しは酒井忠清の黙認があるとはいえ、未来の政敵を育成しているようにしか見えないのも事実だった。
事実、河村十右衛門はここでお手討ちにされても文句が言えない立場に追い込まれていた。
「構わぬ。
いずれ儂も大老の座を退く時が来るだろう。
その時に次の将軍の傍にあれが居るのならば、少しはましになろうよ」
酒井忠清の言葉は、己の引退を見据えているような言葉であった。
少なくとも堀田正俊が老中になれば、酒井忠清の権力が衰える事になるのは間違いがない。
現状では、館林宰相こと松平綱吉が次期将軍の座に一番近く、堀田正俊が老中になった際には彼を重用するだろうという事は河村十右衛門にも分かる。
「恐れながら申し上げます。
酒井様が館林宰相様にどのようなご存念があるのか、お聞かせいただければと」
つまる所、この話の肝はそこにあった。
大老酒井忠清は松平綱吉の次期将軍就任に好意的ではない。
現在の幕閣の暗闘も、これがあったから発火したのだ。
「館林宰相様は、御父上である三代将軍徳川家光様に似た英邁さを持ち、きっと優れた将軍におなりに……」
「それが問題なのだ」
河村十右衛門の声を遮るように酒井忠清がつぶやく。
河村十右衛門には、庭を見る酒井忠清がどんな顔をしているのか分からない。
「もし、三代将軍様ならば、高田藩はもうお取り潰しになっていただろうよ。
仙台藩とて、米沢藩よろしく減封は免れられぬ」
高田藩26万石改易。仙台藩62万石の半分減封となれば、少なくとも51万石が天領として幕府に転がり込む事になる。
その陽の部分に目が行くから、影の部分に気づいた河村十右衛門が声を震わせた。
「……それだけの浪人。
江戸では賄いきれませんぞ!?」
「お主の言う通りだ。
四代将軍様の治世は、この浪人たちをどうするかが全てだった。
それを覆す事はさせぬ」
酒井忠清はため息をつく。
目を閉じて口を結んで、先の言葉を己の中に呑み込んだ。
(……そうだ。
弟君である忠長様を切腹に追い込んだ家光様ならば、浪人たちを使って怪しい動きをしていた紀伊藩をお許しになる訳がないのだ……)
現将軍徳川家綱の治世を揺るがした由井正雪の乱。
その背後にいたと言われたのが、当時の紀伊藩主徳川頼宣である。
失脚に追い込みはしたが、時の老中松平信綱や大政参与保科正之が容疑不十分で紀伊藩を改易できなかったのは、徳川頼宣の父親が神君徳川家康であったというのも大きい。
紀伊藩は既に子の徳川光貞の代に移っているが、高田藩の騒動を穏便に片付けようとしたのは、御一門である高田藩が改易された時の打撃がかつてよりはるかに大きいからに他ならない。
高田藩が改易され、仙台藩が減封となれば必然的に各藩に疑心暗鬼が芽吹く。
そして、この二藩が潰された後で大きな傷を抱えている紀伊藩がおとなしく潰されるとは到底思えなかったのである。
何しろ、高田藩ですら、逆恨みに酒井忠清の屋敷に火をつけようとした愚か者が出てきたのだから。
松平綱吉が英邁でないのならば、世は不満を持ちつつも太平を謳歌できるだろう。
だが、英邁であるがゆえに、見なくてもよい所に目が行き、この太平に乱を起こしかねない。
徳川家光という将軍はそういう将軍であり、その乱を抑え込んだ彼自身の才能と幕閣の努力があの治世を実現し、それゆえに彼の死後に由井正雪の乱という形でその歪みが吹き出る事になった。
物思いにふける酒井忠清は、背後からの河村十右衛門の声で我に返る。
「……堀田様の老中就任を後押ししてくだされば、私も全力を尽くしましょう」
「頼む」
「しかし、堀田様の老中就任がなった後、酒井様は堀田様をどうなさるおつもりか?」
それに答えるために、酒井忠清はやっと河村十右衛門に振り向いて苦笑した。
その笑顔は、どこか嬉しそうで、どこか寂しげなものであった。
「それは、館林宰相様に聞いてくれ」
将軍の御成りとなると金がいくらでも飛ぶが、同時に天下に己の権勢を誇る場でもある。
下馬将軍と呼ばれる酒井忠清にとってこの御成りはそういう場であり、その手伝いをした河村十右衛門も豪商河村十右衛門の名前を天下に轟かせる結果となったのである。
裏門から入り、近習によって奥の間に通されると酒井忠清ができあがった庭を眺めていた。
酒井忠清の後ろ姿に河村十右衛門は平伏して声をかけた。
「河村十右衛門。お呼びにより参上いたしました」
「面を上げよ。
よくこれほどのものに仕上げてくれた。
上様も喜ぶであろう」
「そのお言葉を聞けただけでも、ありがたき幸せにございます」
もちろん、そんな言葉をかける為に河村十右衛門を呼ぶほど酒井忠清も河村十右衛門も暇ではない。
そういう名目で呼び寄せた酒井忠清は本題を口にした。
「高田藩の米切手。
大阪で滞りが出たそうだが?」
「酒井様の御耳に入るとは、河村十右衛門の不徳にございます。
お見苦しい所はお見せしないよう既に手配は行っております」
河村十右衛門はそう言って酒井忠清の背中に頭を下げた。
何しろ、元凶は高田藩次席家老荻田本繁が勝手に出していた米切手で、高田藩筆頭家老小栗美作や河村十右衛門があずかり知らぬ米切手の滞りである。
とばっちりのようなものだが、それでも処理しなければ小栗美作や河村十右衛門の、更に二人と繋がる酒井忠清の面子に関わる。
幸いにも、高田藩の米切手の滞りを何とかするだけの財を河村十右衛門は持っていた。
ここに来れたのも、大阪での米切手がらみの処理を片付けたからに他ならない。
「先日、小栗美作の手の者がこちらに来て、幕府に米切手の滞りについて釈明してきた。
米切手は全て小栗美作の管轄である事を徹底させ、勝手に流さないようにという事だ」
身分の壁があるとこういう報告も面倒な事この上ない。
幕府に報告し酒井忠清に釈明する事で、商人である河村十右衛門へ報告するという形をとっていた。
「で、堀田正俊を老中に上げる根回しは進んでいるのか?」
酒井忠清から出た言葉に河村十右衛門は体を固くする。
幕府の人事は基本コネとカネである。
館林宰相松平綱吉の依頼から始まった若年寄堀田正俊を老中に押し上げる工作は、米切手の滞りと酒井忠清の屋敷改築まで重なって豪商河村十右衛門と言えども苦労していたのであるが、それを言って己を下げる河村十右衛門ではなかった。
「万事滞りなく。
差し出がましい口を開くのであれば、堀田様の老中就任は酒井様の権勢に影を落とさないのかと愚考する次第で」
平伏したままの河村十右衛門の額から落ちた汗が真新しい畳に当たる。
堀田正俊の老中就任の根回しは酒井忠清の黙認があるとはいえ、未来の政敵を育成しているようにしか見えないのも事実だった。
事実、河村十右衛門はここでお手討ちにされても文句が言えない立場に追い込まれていた。
「構わぬ。
いずれ儂も大老の座を退く時が来るだろう。
その時に次の将軍の傍にあれが居るのならば、少しはましになろうよ」
酒井忠清の言葉は、己の引退を見据えているような言葉であった。
少なくとも堀田正俊が老中になれば、酒井忠清の権力が衰える事になるのは間違いがない。
現状では、館林宰相こと松平綱吉が次期将軍の座に一番近く、堀田正俊が老中になった際には彼を重用するだろうという事は河村十右衛門にも分かる。
「恐れながら申し上げます。
酒井様が館林宰相様にどのようなご存念があるのか、お聞かせいただければと」
つまる所、この話の肝はそこにあった。
大老酒井忠清は松平綱吉の次期将軍就任に好意的ではない。
現在の幕閣の暗闘も、これがあったから発火したのだ。
「館林宰相様は、御父上である三代将軍徳川家光様に似た英邁さを持ち、きっと優れた将軍におなりに……」
「それが問題なのだ」
河村十右衛門の声を遮るように酒井忠清がつぶやく。
河村十右衛門には、庭を見る酒井忠清がどんな顔をしているのか分からない。
「もし、三代将軍様ならば、高田藩はもうお取り潰しになっていただろうよ。
仙台藩とて、米沢藩よろしく減封は免れられぬ」
高田藩26万石改易。仙台藩62万石の半分減封となれば、少なくとも51万石が天領として幕府に転がり込む事になる。
その陽の部分に目が行くから、影の部分に気づいた河村十右衛門が声を震わせた。
「……それだけの浪人。
江戸では賄いきれませんぞ!?」
「お主の言う通りだ。
四代将軍様の治世は、この浪人たちをどうするかが全てだった。
それを覆す事はさせぬ」
酒井忠清はため息をつく。
目を閉じて口を結んで、先の言葉を己の中に呑み込んだ。
(……そうだ。
弟君である忠長様を切腹に追い込んだ家光様ならば、浪人たちを使って怪しい動きをしていた紀伊藩をお許しになる訳がないのだ……)
現将軍徳川家綱の治世を揺るがした由井正雪の乱。
その背後にいたと言われたのが、当時の紀伊藩主徳川頼宣である。
失脚に追い込みはしたが、時の老中松平信綱や大政参与保科正之が容疑不十分で紀伊藩を改易できなかったのは、徳川頼宣の父親が神君徳川家康であったというのも大きい。
紀伊藩は既に子の徳川光貞の代に移っているが、高田藩の騒動を穏便に片付けようとしたのは、御一門である高田藩が改易された時の打撃がかつてよりはるかに大きいからに他ならない。
高田藩が改易され、仙台藩が減封となれば必然的に各藩に疑心暗鬼が芽吹く。
そして、この二藩が潰された後で大きな傷を抱えている紀伊藩がおとなしく潰されるとは到底思えなかったのである。
何しろ、高田藩ですら、逆恨みに酒井忠清の屋敷に火をつけようとした愚か者が出てきたのだから。
松平綱吉が英邁でないのならば、世は不満を持ちつつも太平を謳歌できるだろう。
だが、英邁であるがゆえに、見なくてもよい所に目が行き、この太平に乱を起こしかねない。
徳川家光という将軍はそういう将軍であり、その乱を抑え込んだ彼自身の才能と幕閣の努力があの治世を実現し、それゆえに彼の死後に由井正雪の乱という形でその歪みが吹き出る事になった。
物思いにふける酒井忠清は、背後からの河村十右衛門の声で我に返る。
「……堀田様の老中就任を後押ししてくだされば、私も全力を尽くしましょう」
「頼む」
「しかし、堀田様の老中就任がなった後、酒井様は堀田様をどうなさるおつもりか?」
それに答えるために、酒井忠清はやっと河村十右衛門に振り向いて苦笑した。
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毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。
スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。
(2022.04.04)
※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。
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