悪役令嬢を拾いませんでした

馬近

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空から降ってきた男

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 情けは人のためならずって言葉を知っているかい?

 誰かに優しくしたら、巡り巡って自分も誰かに優しくしてもらえる。もちろん、意地悪をすれば意地悪されてしまうから、気を付けなさいといった、ありがたい先人の教えだよ。

 何故だかわからないけれど、昔からこの言葉が好きだった僕は、いつかきっとささやかな幸せが自分にも訪れるはずだと信じて一日一善を実践してきた。毎日毎日こつこつとね。

 重い荷物に困っているお年寄りを助け、電車の席を譲り、道に落ちているゴミを拾う。人には親切丁寧を心掛けたし、クラスメートの勉強だって教えてあげた。本当に些細なことの積み重ねばかりだったけど、自分が満足すればそれで良かったんだ。

 あの日もそうだ。
 公園で遊んでいた子供が、ボールを追って道路に飛び出すのを見た時には、反射的に体が動いていた。なんとかその子を車道から突き飛ばしたら、タイミングが悪く走ってきた大型のトラックがぶつかる寸前。呆気ない最後を迎えた。

 そこで僕の人生は終わりを告げるはずだった。


☆★☆★☆★☆

 ふわふわと漂う魂が一つ、優しく抱き留めた者の手により、綿毛のように空へと飛ばされる。
 この魂に、神の祝福あれと願われながら。

☆★☆★☆★☆


 唐突だけど、いま空を飛んでいます。
 深い森の一番高い木の更に上、地上何メートルか目測するのも嫌になるくらいの高さだ。

 なんで? どうして? と混乱しているだけで、どんどんと近付いてくる鬱蒼とした森。
 どこに落ちても終わりだろう。
  
「死ぬからー! これ絶対死んでしまうからー!」
 
 大声を出して喚いてみても、助けなんて期待は出来ない。トラックに跳ねられた後からの記憶はない。これが死語の世界なら、神様ひどすぎだよ! 良いことした結果がこれなの?! そもそも此処はどこなのさっ?!

『ごめんなさい、送る場所を間違えたかも』
 そんな言葉が聞こえてきた気がするけれど、目下の悩みは数十秒後にぶつかる地面だよ!

「ああああああっ」
 意味のない叫びを発しながら、一番大きな木に手を伸ばしてみた。もしかしたら掴まえられるかも? なんて期待した僕が馬鹿でした!

 普通に跳ね飛ばされて、またもや真っ逆様だ。ぽこぽこ生えている木に何度か跳ね飛ばされながら、勢いが弱まったタイミングを狙いすまし、地面にぶつかる寸前になんとか一本の木の枝を掴まえられた。

 やれば出来るじゃん僕! と自画自賛したまさにその瞬間、無情にも重さに耐えきれなかった枝は、ボキっと音をたてて折れてしまった。

 ああ、二度目も短い人生だった。
 わずか三分で終わるなんてね。
 カップラーメンでももう少し頑張れそうだよ。
 どのみちこんな森の中じゃ、運よく助かったとしても、すぐに身動きが取れなくなって露と消えるだけだろう。それならいっそ楽にして下さい。

 そこからの流れは、まさにスローモーションの動画のようだった。枝が折れ曲がり、ゆっくり景色が移り行き、ドサっと地面に落ちた。僕は、そこで意識を手離したことを一生後悔することになる。

☆★☆★☆★☆

「あれ? まだ生きてるっ!」
 怪我どころか痛みすらないことを不思議に思いつつも立ち上がろうとしたら、何故だか地面が柔らかい。たまたま腐葉土でもあったのかな? と見下ろした時の衝撃は、この先もずっと忘れることはないはずだ。

 僕の体の下で、女の子が気を失っていた。

 ──まさか。
 ──落ちた時に下敷きにしちゃったの?

 考えていても仕方ない。後で土下座するとして、まずは女の子が無事かを確かめよう!
 なんとか気を取り直し、口元に手を添える。小さな呼吸を確認し安堵した。いくら何でも、女の子を巻き添えしちゃったら申し訳なさすぎだ。意識が戻ったら謝罪しよう。そして此処が何処か聞いてみよう。街か村の位置も知っているはずだ。

 少し先が見えてきてホッとしたのも束の間、近くの草むらがガサガサと音を立てた。森の中だし野生の獣がいるのかも? どうしよう? どうしたら良い? 当然ながら戦う力もなければ、武器もない。

 息を殺し、身動きもせず、危機が通り過ぎるのを待つ。

 段々と遠ざかる音に、ようやく人心地ついたら、緊張が解けたからか、ぐーっとお腹が鳴ってしまった。自分の事ながら軽く笑ったら、食べ物を探す元気が出てきた。
 獣の気配に注意しながら、女の子から離れすぎないように森の中を歩いてみると、色とりどりの木の実を見つけた。林檎っぽいのや、苺っぽいのを見繕い集める。いきなり口にするのは怖いから、女の子が目を覚ましたら見てもらおう。

 火を熾すなんて出来ないから、安全な場所を探して移動したいけれど、女の子が起きるまでは難しい。打撲程度ならともかく、脳震盪だとしたら動かすのは怖い。助けを呼ぶにせよ、街を探すにせよ、僕の命運は、この子が握っているからね。

 落ち着いたところで、女の子を観察してみた。

 呼吸は安定しているし、見たところ大怪我もしていない。気絶しているだけみたいだ。良かった。

 ふーっと長い溜め息を吐きながら、自分の体も手で触って確認しておく。やはり傷一つない。あんな大空から紐なしバンジーをしたのにだ。おかしい。でも生きている。やっぱり死後の世界なのかな?

 そこでふと気が付く。もしやこの女の子は天使か何かかと。
 土と埃まみれで髪の毛もぐしゃぐしゃなのに、なんだか物語のお姫様みたいな気品がある。蜂蜜色のオレンジがかった透けるような金髪に、ツンと澄ました鼻、花の蕾のような小さな口。目は閉じているからわからないけれど、間違いなく美人さんだ。

 やることがなくなると、せっかくの可愛らしい顔についた埃が気になってきた。そっと髪についた葉っぱや草を払う。顔の泥も落としてあげたいけれど、触れてもいいのか思い悩む。

 ええいっ!
 どうせ起きたら土下座で謝罪するんだ!
 怒られたら、その分も上乗せしてやる!

 白磁のような肌に優しく手を翳し、傷つけないように細心の注意をしながら、顔についた泥を落としていく。顔が熱くなるのを感じた。きっと今の僕の顔は、熟れたトマトより真っ赤のはずだ。
 最後に、そっと頬に垂れていた髪を払う。
 サラサラとして触り心地が素晴らしい髪と頭を撫でてながら、つい横顔に見惚れてしまったのが失敗だった。

 少女がパチリと目を開けた。
 驚愕の視線。彼女と僕、どちらもだ。
 お互いがお互いをしばらく凝視した。
 見つめ合うというほど艶やかじゃない。

 見る見るうちに、その大きな瞳が吊りあがり、パチーンと頬を叩かれた。頬は痛くはないけど、心が痛いよ。驚かしてごめん。

「なっ! なっ!」
 起きてから「な」しか喋らない。

「気を失っていたのはわかるかな? 頭を打っていたら心配だから、起きるまで側で見守っていたんだ。埃まみれだったし、綺麗にしただけ。勝手にごめんなさい! 他意はないし、悪さをする気もないよ! 話を聞かせてもらえると嬉しいんだけど! 僕の名前はユウキ。えーと、ユウキ・サクラと言います。君の名前も教えてもらえるかな?」

 必殺のマシンガントークだ!
 どう見ても日本人には見えないし、外国人風に名乗ってみた。もし本当にお姫様なら、名字があったほうが良さそうだからね。
 
 口をパクパクしていた彼女は、すーはーと深呼吸をしたと思えば、その大きな瞳で睨み付けてきた。

「一応、礼はしておくわ。でも、どこの馬の骨ともわからぬ輩に教えてあげられるほど、私の名前は安くはないし、特に話すこともないわね」

 勝ち気な子だなー!
 名前はお高いのよ宣言から、まさかの全面的な拒絶だ。でも収穫は多い。
 まず言葉がちゃんと通じた。一番の心配が解消されたよ。次に、彼女はやっぱり高貴な生まれのようだ。着ているのが足首まである高そうなドレスだし、さっきの返答から少なくとも盗賊や山賊ではなさそう。最後に、あれだけ盛大に拒絶したのに、さっさと離れていくこともしなかった。まだなんとかなりそうかな?
 
「それじゃ、ここがどこで人が住んでいる場所への行き方だけ教えてもらえない? 実は迷子になっちゃって、帰り方がわからなくて困っていたんだ」
「──こんなところで迷子になったの?」
「そうなんだよね。この森の名前も知らないし、どこの国か検討もつかない。街道を教えてもらえたら、適当に進んでみるからお願いします」
「ふーん……そうなのね……」

 沈黙が重い。
 日本という島国で絶対絶命のピンチに目を閉じたら、いつ間にか空を飛んでいて、あなたの真上に落ちました。うん、無理だ。僕が彼女の立場なら、馬鹿にしているとしか思わない。古典的だけど記憶喪失設定でいこうか迷っていたら、初めて彼女のほうから話し掛けてくれた。

「──まあいいわ。魔物かなにかにぶつかった衝撃で気を失っていたみたいだし、助けてくれた恩に報わないのは恥ずべきことね」

 ごめんなさい。気絶させたのは僕です。
 気になるワードはあったけど、とりあえずは先を促してみた。案外、優しいお嬢様なのかも知れない。

「それで此処はどこなのかな?」
「ここは、周辺の国々から『悠久の大森林』と呼ばれているわ。神々が顕在していた創世の御代から、一切の変化もなく今と同じ姿のまま続いているの」

 ゆーきゅー? 悠久かな?
 なんだかとんでもない森だというのはわかった。

「その悠久の大森林の入り口近くであってる?」
「残念ね。出口までは徒歩で数日の距離があるし、魔物が蔓延っていて、迂闊に出歩けば命はないわ。付け加えるなら、森の奥深くに入ってしまったら、余程の実力者でもない限り、道に迷って干からびてしまうそうよ」

 なんでお嬢様がそんな馬車にいるのさ! とか、どう考えても無事に脱出できる気がしないとか、グルグルと頭の中に渦巻いた。神様、もし本当にいるんなら恨みますよ?
 色々と諦め始めた僕だけど、聞いておかなきゃならないことがある。

「魔物ってなに?」
「そのままよ。人を喰らう獣。通常の獣より力も強く、出会えば死ぬ存在。襲われていたところを貴方が助けてくれたのでしょう? 感謝するわね」

 ごめんなさい。見たこともありません。
 でも正直に話す事も出来ないし、無事に街まで逃げるまで秘密にしておくしかないかな。

「なんでそんな所に、君みたいなお嬢様が?」
 あっ! ついお嬢様と言ってしまった。
 目をぱちくりした女の子は、「それは貴方もでしょう」と自嘲するかのように、ふふっと笑い俯いた。
 
 トラウマスイッチだったようだ。失敗した。
 この子に会ってから、失敗ばかりだ。

「確かに! こんな怪しい男で申し訳ないけど、何とか森から脱出するのに君の手を貸してもらえるかな?」
 こんな時は無理やり陽気に振る舞うに限る! 

「君ではなく、シルヴィアよ。シルヴィア・トロンタリオ。トロンタリオ侯爵家の生まれよ。知らないでしょうけれど、覚えておきなさい!」

 シルヴィアは予想通り貴族のお姫様だった。侯爵家って、かなり名門だよね? だとしたら余計に事情が気になってくるけれど、君子危うきに近寄らずとも言うし、向こうから説明してくれるまでは放っておくしかないかな。

「それでユーキ、まずは何をすれば良いのかしら?」
「そうだなー。魔物が恐いし、安全な寝床になる場所を探そうか。シルヴィアは心当たりあるかな?」
「シルっ……」

 あれ? 赤くなって黙り込んでしまった。
 ああ! 貴族の姫君だから、いきなり名前を呼んだらまずかったのかも? でも既に呼んじゃったしなー。我慢してもらうしかないよね。よし! ここは押せ押せだ!

「シルヴィアと呼ぶのは駄目だったかな?」
「いいえ。こんな森の奥深くで、貴族が平民がなどと言っていられないわね。特別に許可してあげるわっ!」
「ありがとう。シルヴィアは優しいね!」

 今度は耳まで真っ赤だ。
 なんなのこの子、可愛すぎる!

「うー。無事に森から出られたら、覚えておきなさいよ」
 プルプルと震えながら、憎まれ口を叩く彼女も可愛いかった。涙目で上目遣いされたら、いけない扉が開いてしまいそうだ。
 駄目だ駄目だと首を振って、意識を切り替える。

「それでシルヴィア。安全な場所に心当たりはある?」
「そうね、彼処に大きな木が見えるでしょう? あの木の根本に樹洞があるの。かなり広いから、当面はなんとかなるはずよ」

 どうやら気持ちを整理したシルヴィアが指差したのは、最初に掴もうとしたあの大木だった。視線を向けると、その巨大さに驚いた。あとかなり遠くまで跳ね飛ばされていたことにも。本当によく生きていたな、僕。

 それにしても木の虚で生活することになるなんて、日本で暮らしていた時には考えもしなかったな。この世界に来てからの僕は、空から落ちて、貴族に会い、その女の子と一緒に魔物の森から逃げるため行動することになった。まるでマンガのような展開の連続に、事実は小説よりも奇なりという格言は真実だねと独りごちたのも仕方ないと思う。

「なにをぶつぶつ言っているのよ? さっさと動かないと、日が暮れてしまうわ」
 叱られてしまった。

「そうだね。食糧になりそうなものを探しつつ、魔物に気を付けて向かおうか!」
 
 不謹慎にも、ワクワクした気持ちが湧き上がるのを抑えきれないまま、大木を目指し進行だ。
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