星河灯台夜行譚

さやかオンザライス

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序章 星河灯台の霧

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 昼と夜の境目がどちらつかずに迷っているような、紫色の時刻だった。街の北外れ、崖の上にぽつりと建つ古い灯台は、今日も灯らない。海から吹き上げる風は生温かく、湿った霧があたり一面をぼんやりとかすめていく。灯台の石壁は長い風雨に磨かれ、ゆっくりと海へと削られている。

 その灯台の腰のあたりにある古い鉄扉の前で、ひとりの少年が座っていた。
 制服の靴を脇に置き、彼は膝の上で古びた懐中時計を磨いていた。金色だったはずの外側は、長年の雨に晒されもうほとんど鈍い真鍮色へと変わっている。表面についた無数の擦り傷が薄暗い空を映しては消え、映しては揺れていた。

 懐中時計は、少年の亡くなった祖父の形見だ。
 だが少年は、その時計を「祖父から受け取った日の記憶」を持っていない。

ーーー気がつくと、ポケットに入っていた。

 そんな曖昧さが気味悪く、それでも捨てられないものにいつの間にか変わった。

 「今日こそ、、、、、、動く気がする」

 少年は、指先でガラス面をそっと撫でた。
 止まった秒針は、まるで眠りこんだまま目覚めることをすっかり忘れたように沈黙している。肩をすくめ、曇ったガラスをもういちど息で曇らせているとーーー

 「透(とおる)。こんなところにいたの」

 背後から声がした。
振り向くと、霧の中にふわりと彗(けい)の姿があった。
 彗は透と同じ学校へ通う幼なじみだ。
 黒目がちの瞳はいつも少し伏せ気味で、風に吹かれると揺れる髪も体つきも細く、夜に溶けて消えてしまいそうな印象を与えた。だが透にとっては、昔から変わらない「隣にいてくれる親友」だった。

 「またそれ、」
 彗は透の手元を覗き込み、止まった懐中時計に眉を寄せた。

 透は頷いた。
 「今日はーーー何だか間に合う気がするんだよ。時間に」

「時間にって、」

 彗が不思議そうに言いかけたその瞬間、懐中時計の秒針が、
  カチリ
 とわずかに動いた。

 ふたりは息を呑んだ。
 霧が灯台の周囲に濃く集まる。透明なはずの空気が光を帯びて揺らぎ、地面に細い銀色の筋が一本のびた。

 それは最初、ただの光の線に見えた。
 しかし透が見つめるうちに、それはまるで砂鉄が吸い寄せられるように集まり始めーーー

 銀のレールになった。

 レールは灯台の足元から霧の奥へ伸びていき、やがて空のどこからともなく、深い汽笛が響いた。

 霧が散るように割れ、
 星屑をまとう夜行列車が音もなく近づいてくる。

 「、、、、、、乗る気なの、」

 彗は小さな声で言った。
 その声には、不安の色が混じっていた。

 透は懐中時計を握りしめながら答えた。

「わからない。けど、呼ばれている。、、、、、、そんな気がするんだ。」

 列車が止まると、誰もいない車掌口のドアが静かに開いた。
 
 透は、レールの先の闇の向こうで、“何か”が待っているような予感を抱いた。
 不思議と怖くはない。

「彗。来てくれる、」

「、、、、、、透が行くなら」

 彗は少しだけ微笑むと、透の袖を掴んだ。

 そうしてふたりは、光の列車へ足を踏み入れた。
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