蟲籠の島 夢幻の海 〜これは、白銀の血族が滅ぶまでの物語〜

二階堂まりい

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五章

7 有沙を取り込む闇

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「有沙様、少しお頼みしてよろしいでしょうか」
 田村が有沙のがさつさを注意することはあっても、有沙に頼み事をしてくるなど前例が無い。
 面倒の予感しかしなかった。

「手短にな。引き受けるかどうかは聞いてから決める」

 そして田村が告げた頼み事というのは、妙なものだった。
「艶子様が何やら悩んでおられるようなので、有沙様から事情を訊いていただけないかと」

 有沙は首を傾げる。
「そうか? そうは見えなかったけど」
「それは有沙様が、
 朝は全く起きて来ないうえに自室に籠るか釣りに行くかのほぼ二択のために艶子様と生活リズムが大きく異なることと、
 単に鈍感だからでしょう」
「言ってくれるな、あんたも……。
 で、いつ頃から様子がおかしいんだ?」
要らぬ舌戦が始まりそうになったので、落ち着いて軌道修正する。
「一昨日です」
「ふーん……でも何で私に振るかな」
「私がお仕えする家の内情に立ち入るわけにはいきませんので」

 確かに、悩みの相談に真祈まきほど不向きな者もいないだろう。
 鎮神しずかは優しさでは申し分ないが、頼りない。
 
 なら、深夜美は――と考えて、有沙は気付いた。
「まさか、艶子さんの悩みの種が深夜美さんじゃないかって、目星つけてるのか?」

 それについて田村はノーコメントだった。
 つまり、そういうことらしい。
 だとすればなんで私がババアとそのツバメの痴話喧嘩に口出しせねばならんのか、と脱力感を覚える。

「ま、気が向けば訊いといてやるよ」
適当に返事をして田村を納得させたが、約束通りに動く気など無かった。


 ただ、一度聞かされてしまうと、鈍感な有沙でも艶子の異常を感じずにはいられなかった。
 誰とも目を合わせようとせず、発言に妙な間がある。
 まるで失言を恐れているかのようだ。
 しかし深夜美を全く無視しているわけではない。
 むしろその視線は、真祈を避けているように見えた。

 有沙は内心、その光景を嘲笑った。
 一族だけで血を繋ぎ、多くの屍の上に成る家には様々な因縁が渦巻いている。
 ここでは悲しみに囚われ、血の業に圧し潰された者が敗者だ。
 その点、真祈はいい性格をしていると言える。

 いつも以上に異様な空気の中、五人の家人は黙って夕餉ゆうげを食べ進める。
 鎮神がちらちらと、艶子と深夜美、そして真祈の間を困ったように見渡しているのが、癇に障った。


 その夜は珍しく寝つきが悪かった。
 看護士の手が鉈を振るう光景が、闇に煙る襖をスクリーンにして展開する。
 その白刃の先には、有沙の両親が居た。

 両親は、殺されても仕方ないような異常な島に喧嘩を売って、負けた。
 自分がこの島に縛り付けられていることも含めて、有沙はそれを当然の末路だと納得している。
 両親は異常な信仰を持ってはいたが、有沙のことを心から愛していた。
 その娘が敵地で生きながらえて灰色の日々を送っているというのは、両親の魂を最も苦しめるに違いない。
 きっとその罰のために自分の命はある。
 だから夢も希望も無く惰眠を貪って時々趣味に興じる、生きていても死んでいても同じようなこの生活を受け入れている。

 鎮神だって、二ツ河島に関わって人生を狂わされたはずだ。
 宇津僚うつのつかさ家に利用され、実母に裏切られ、憎悪さえ抱いていてもおかしくはない。
 なのに彼は馬鹿みたいに、宇津僚の連中に優しく接する。
 有沙のように運命を受け入れる潔さがあるわけでもなく、時折うじうじと考え込む。
 理解出来ないし、そんな弱い気持ちを知りたいとも思えなかった。



 なんてことはない、少しぎすぎすした一日が終わって、また同じような朝が来る。
 食堂に下りると、吾宸子あしんすの勤めから帰って来たばかりの真祈と、ただ駄弁っていたらしき鎮神が居た。

 有沙の姿を認めるなり真祈は寄って来る。
「有沙、手を見せてくれますか」
真祈がろくな説明も無いまま話を進めてくるのはいつものことだ。
 悪意が無いことは分かっているので、言われた通りに手を差し出してやる。
 真祈は掌をしばらく見た後、感心した様子で呟いた。
「掌の皴が深いですね、さすが有沙」
「だったら何なんだ」
「手相占いでは線の濃さも性格に関係があって、濃いほどきっぱりした人柄なのだと鎮神が教えてくれたのです」
「馬鹿らしい。
 私は釣りでよく手先使ってるんだから、そりゃそうもなるだろ」
「鎮神だってお裁縫で手を動かしていますが、ここまでではありませんよ」
 奥で鎮神が、いかにも気弱そうにはにかんでいる。
 呆れているうちに真祈は食堂を出て行ってしまい、有沙は鎮神と二人きりになった。

「あの、何か飲みますか」
 そう鎮神が訊いてきたのを無視して、彼の向かいに座った。
 スリッパを脱いで椅子に片足を上げ、楽な姿勢で鎮神を見下ろす。
「あんたは、真祈のこと好きか? 
 あ、別になよっちい話がしたい訳じゃねえから、勘違いすんなよ」
 有沙が言うと鎮神は明らかに動揺した。
 それだけで返答は終わったようなものだが、一応弁解を聞いてやる。
「結婚させられて何か変わったって訳でもないし、恋かどうかは微妙なんですけど……
 真祈さんと一緒に居て楽しいって、今は本心から思ってます」

「ふーん、だいたい分かった。
 あんたは恋とか家族とかにちょっと夢見すぎだな」
 やっと、鎮神を見ていると呆れ、苛立つ理由が分かった気がした。

「それって、どういう……」
「前にも言っただろう。この島は異常だ。
 神なんて居もしないものに振り回されて、人を殺すわ攫うわ……あんたもそうやってこの島に連れて来られたはずだ。
 なのに真祈に情でも湧いたのか知らねえけど、宇津僚の連中ににこにこへりくだりやがって、馬鹿みてえ。
 そうまでして家族って名のつくものに囲まれて居たいのかよ」
 説教してやるつもりはない。
 ただの悪態だったが、鎮神はおとなしく聞いていた。
 悪態を吐かれて黙っているところも嫌いだ。

 お菓子でもかっぱらって部屋に戻ろう、と立ち上がりかけた時、鎮神が口を開いた。
「有沙さんの言う通りかも。
 おれ、母さんと父さんが真剣に恋して生まれた子どもでありたかったのに結局そうじゃなかったみたいだし、母さんには利用されるし……
 だから平和な家庭を無いもの強請りしちゃってるのかもしれないです。
 でも、それでもいいかなって思ってます。
 自己と世界に問いを繰り返す姿は美しいって、真祈さんが言ってくれたから」

 他人に気を遣いすぎて痛い目を見たのは事実だから、それは反省してますけど、と付け加えながら笑う。

 数千年に及ぶ空磯からいそへの妄執で歪み切った一族に、理想の愛を見出そうとするなど、こいつは意外と自分勝手なのかもしれない。
 共感は出来なくても、彼の本心が分かれば十分だった。
 くだらないが、まだ落ち込んでいる艶子の所に行って、痴話喧嘩の一つでも仲裁してやるか、と思った――鎮神が夢見ている、平和な家庭とやらを守るために。

 そして有沙は初めて、艶子の部屋に自分から足を踏み入れた。
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