蟲籠の島 夢幻の海 〜これは、白銀の血族が滅ぶまでの物語〜

二階堂まりい

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六章

8 明かされる真祈の力

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 路加ろかの視界の端で、鎮神しずかの姿がビデオテープのノイズのようにぶれた。

 路加はアクセルを踏み込もうとしていた足を止め、横目にその姿を盗み見る。
 鎮神の銀色の髪は黒に、薄墨色の瞳は紅蓮に、激しくも慎ましいゴシックファッションは、嬌艶な露出の多い服へ変わっていく。
 深夜美みやびだ。

「……路加さん? 早く、集会所へ……」
 言いかけて、はたと深夜美は固まった。
 やがてその表情は、驚愕でも困惑でもない、狂喜に染まっていく。
宇津僚うつのつかさの血を取り込んでもいないのに、自力で私の幻覚を破ったのか? 
 たいした精神力だな、潮路加」
 肘掛けを乗り越え、鎮神のふりをしていたときの怯えようとは打って変わって、蛇が巻き付くかのように身を寄せて来る。
 女のように嫋やかな手指が、路加の顎を鷲掴んだ。

「このまま集会所へ行ってもらう。
 何も考えずに、私の言うことだけ聞いていろ……」
 深夜美の紅い虹彩の中に気味の悪い文様が浮かび上がり、路加の脳内に染みつく。
 彼の瞳から視線を逸らしても、低い声が、頽廃的な甘い香りが意識を縛り付ける。
 これが深夜美の洗脳の呪術なのだろうと察した。


 タネさえ分かっていれば幻覚同様に打ち破れると思っていたが、邪悪な囁きは心地良く、四肢や関節、脊髄から脳までを生温い不浄の大海となって満たしていく。

 この快楽を路加は知っていた。
 強大なものに従って、何も考えずにいるときの悦だ。
 かつては真祈まきに求めていた、薄暗い悦び。
 己を一番に信じて生きることの、なんという難しさか。

 真祈のカリスマだけを信奉して生きていたあのとき――どろどろの思考と血に塗れて輝いていた日々に戻りたい。
 今度は深夜美がそれを叶えてくれる。
 この紅い魔眼に、服従したい。
 呪力に耳を塞がれ、外からの音は何も聞こえなくなる。


 再びアクセルを踏み込もうとした時、今度は女の声が聞こえた。心の内から響く声。
『――立て』
 彼女の声をろくに聞けたことは無かったが、直感した。
 有沙だ。


「私は……」
 闇の中、声を出すことが出来ているかも分からないまま、路加は叫ぶ。
「もう誰にも盲従しない。
 貴方にも、真祈様にも。
 今度は自分の意志で、仲間として真祈様を信じて――お前を必ず倒す!」

 闇を振り払うとすぐさま身体を反転させ、車外へ転がり出る。
 瞬間、さっきまで自分が居た場所が恐るべき光輝に包まれるのを路加は見た。



 まどかの念写で路加に危機が迫っていることを悟った時、真祈を中心に世界が爆ぜた。
 天へ昇って行く光の筋と激しい衝撃が、士師宮ししみや家の外壁や屋根を吹き飛ばす。

「大丈夫ですか、真祈さん……!」
 舞い散る粉塵の中、腕の中の団を庇いながら、鎮神は辛うじて瞼を上げて真祈を見る。


 真祈の髪は、アレキサンドライトの輝きとはまた異なる、宇宙の闇と星々そのものに彩られていた。
 真祈が肩にかかる髪を払うと、真祈の右手も脈動する宇宙に染まる。
 
 その手先に星間物質が集まり、分子雲が沸き立ち、周囲の恒星からの光を受けて虹色に輝く星雲が現れた。
 そして渦巻く原始の星々の荒れ狂う大気が真祈の手元に集まり、無感動に、しかし慈悲深く廻り始める――
 自分は今、神話の断片を目の当たりにしている。

「これが……真祈さんの能力……」
「世界の果て、全ての夢幻の源と交感する力。
 それが私に与えられたウトゥ神の加護」


屋上のような眺めになってしまった二階部分から前庭を見下ろし、路加が待機している車内に深夜美の姿を認めると、真祈は星雲を纏わせた掌を突き出した。
 
 掌から放たれた雷は、大気を引き裂くような轟音と共に、狂った軌跡を描きながらも確実に車を狙って落ちていく。
 
 雷が辿り着く直前に路加がドアを開け放ち逃げ出したお陰で、車体の表面を伝っていた雷は飛び移り、車内へ進入した。

 真祈の攻撃性の具現のような一閃が眼下で炸裂する。
 強烈な光の残滓が晴れた後には、雷に直撃されることはなかったが凄まじい衝撃を間近で受けたらしき深夜美が、朦朧としながらステアリングに縋りついているのが見て取れた。


「雷が運良く一撃目で自動車の中の機器に触れることが出来た。
 次で確実に仕留められる」
 隣で見惚れている鎮神から再び団を受け取った真祈は、階下へと走り出した。
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