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八章
1 楼夫の秘策
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感傷と自己を切り離し、単純な『災厄』となって侵攻する。
それがこの戦いに臨む際の礼儀だ。
哀れな悪役などという立場に甘えることは許されない。
いくら虐げられていたとはいえ、悪の道を選び取ったのは自分自身だ。
貧しさからくる飢えを凌ぐために盗みを働くのとは訳が違う。
深夜美が求めたものは、腹の足しにもならない夢。
母が語ってくれた寝物語の世界、闇の住人たちの栄華。
それを顕現させるためならば、軋む心など構いはしない。
起きなくては。
まだ私は神を喰らってはいない。
最強の呪物になっていない。
邪悪なる夢の星図を描きあげてはいない。
深夜美を貫く無数の凶器が床と平行になるように、意識の無い矮躯をそっと横たえてやってから、楼夫はほうと息を吐いた。
楼夫は深夜美を抱えて魞戸地区まで逃げて来て、ルッコラ農家に身をひそめることにしたのだ。
幸い、深夜美は命を落としてはいない。
素人目に見ても太い血管をいくつも破壊されているのが分かり、なぜ生きているのか説明がつかないような状態だが、大切な人の生存の前には理屈などどうでもいい。
傷口に負担がかからないよう、背から腹から喉から突き出ている鎗を鋸で切り落とし、少しでも軽くしてやる。
そのうち、深夜美が緩やかに目を覚ました。
「深夜美様……!」
声にならない声で歓喜を叫ぶと、黒い血が溜まって濁った瞳は虚空を見つめたまま意外そうに見開かれた。
「楼夫? ……居てくれた、のか」
「ええ。私はここにおります」
コップに用意しておいた水を少し垂らしてからガーゼやハンカチで優しく目元を拭ってやると、汚れの落ちた紅い瞳はようやく楼夫の姿を認めた。
途端にその眼を燃えるように輝かせ、深夜美は勢いよく起き上がる。
「真祈たちは?」
「あ、ええと、ヒビシュたちに彼らを襲うよう命令して私たちは何とか撤退したのですが……
あちらも消耗しているとはいえ、ヒビシュたちに真祈たちを殺せたかというと……
それに、深夜美様が気を失っておられる間に私がヒビシュを使役したということは、私の能力について気付かれたと思います……
申し訳ございません」
しどろもどろになりながら楼夫が答える。
撤退において自らが独りで下した判断が深夜美にとって不利益なことを発生させていないか、不安でならなかった。
しかし杞憂だったらしい。
「謝る必要は無い、楼夫は最善の方法で私を救ってくれた」
「そ、そうですか」
「私の方こそすまなかった。
ふがいない負けを見せてしまって……」
深夜美は再び苦痛に顔を歪め、体を起こそうと手を突く。
それを楼夫が制した。
「無理に動かないでください。
失礼ながら、どうしてその傷で生きておられるのか、ちょっと分かりかねるくらいです」
「それはおそらく、私がルルーの民の性質に近付きつつあるからだ。
アサルルヒは呪いによってルルーの民に進化する。
ルルーの民は日光に弱い他は不老不死の存在だ。
黒頭に比べると少し頑丈でもある」
しかし、と深夜美は歯噛みする。
「まだ私は完全ではない。
決戦に向けて疑似的な不老不死を作りだすためには、治癒能力を発現するほかない。
呪いを回収するために早く行動しなくては、手を束ねていては……」
さすがに命が尽きてしまう、とでも続くのだろうか。
呪いを回収するなどと言うが、その身体で動くのは危険だ。
楼夫は息を呑む。
愛される喜びを、そして誰かを愛する勇気を与えてくれた救世主は深夜美だ。
残酷さと繊細さ、凶暴性と無力感を抱きながら藻掻く小さな革命者。
それが、ただ神に祝福されているというだけの権威に負けていいはずがない。
「貴方は私の手をとって、勝つと宣言してくれた……
ならば今度は私が貴方に約束します。
私が深夜美様を勝たせる!
作戦を聞いていただけますか」
それがこの戦いに臨む際の礼儀だ。
哀れな悪役などという立場に甘えることは許されない。
いくら虐げられていたとはいえ、悪の道を選び取ったのは自分自身だ。
貧しさからくる飢えを凌ぐために盗みを働くのとは訳が違う。
深夜美が求めたものは、腹の足しにもならない夢。
母が語ってくれた寝物語の世界、闇の住人たちの栄華。
それを顕現させるためならば、軋む心など構いはしない。
起きなくては。
まだ私は神を喰らってはいない。
最強の呪物になっていない。
邪悪なる夢の星図を描きあげてはいない。
深夜美を貫く無数の凶器が床と平行になるように、意識の無い矮躯をそっと横たえてやってから、楼夫はほうと息を吐いた。
楼夫は深夜美を抱えて魞戸地区まで逃げて来て、ルッコラ農家に身をひそめることにしたのだ。
幸い、深夜美は命を落としてはいない。
素人目に見ても太い血管をいくつも破壊されているのが分かり、なぜ生きているのか説明がつかないような状態だが、大切な人の生存の前には理屈などどうでもいい。
傷口に負担がかからないよう、背から腹から喉から突き出ている鎗を鋸で切り落とし、少しでも軽くしてやる。
そのうち、深夜美が緩やかに目を覚ました。
「深夜美様……!」
声にならない声で歓喜を叫ぶと、黒い血が溜まって濁った瞳は虚空を見つめたまま意外そうに見開かれた。
「楼夫? ……居てくれた、のか」
「ええ。私はここにおります」
コップに用意しておいた水を少し垂らしてからガーゼやハンカチで優しく目元を拭ってやると、汚れの落ちた紅い瞳はようやく楼夫の姿を認めた。
途端にその眼を燃えるように輝かせ、深夜美は勢いよく起き上がる。
「真祈たちは?」
「あ、ええと、ヒビシュたちに彼らを襲うよう命令して私たちは何とか撤退したのですが……
あちらも消耗しているとはいえ、ヒビシュたちに真祈たちを殺せたかというと……
それに、深夜美様が気を失っておられる間に私がヒビシュを使役したということは、私の能力について気付かれたと思います……
申し訳ございません」
しどろもどろになりながら楼夫が答える。
撤退において自らが独りで下した判断が深夜美にとって不利益なことを発生させていないか、不安でならなかった。
しかし杞憂だったらしい。
「謝る必要は無い、楼夫は最善の方法で私を救ってくれた」
「そ、そうですか」
「私の方こそすまなかった。
ふがいない負けを見せてしまって……」
深夜美は再び苦痛に顔を歪め、体を起こそうと手を突く。
それを楼夫が制した。
「無理に動かないでください。
失礼ながら、どうしてその傷で生きておられるのか、ちょっと分かりかねるくらいです」
「それはおそらく、私がルルーの民の性質に近付きつつあるからだ。
アサルルヒは呪いによってルルーの民に進化する。
ルルーの民は日光に弱い他は不老不死の存在だ。
黒頭に比べると少し頑丈でもある」
しかし、と深夜美は歯噛みする。
「まだ私は完全ではない。
決戦に向けて疑似的な不老不死を作りだすためには、治癒能力を発現するほかない。
呪いを回収するために早く行動しなくては、手を束ねていては……」
さすがに命が尽きてしまう、とでも続くのだろうか。
呪いを回収するなどと言うが、その身体で動くのは危険だ。
楼夫は息を呑む。
愛される喜びを、そして誰かを愛する勇気を与えてくれた救世主は深夜美だ。
残酷さと繊細さ、凶暴性と無力感を抱きながら藻掻く小さな革命者。
それが、ただ神に祝福されているというだけの権威に負けていいはずがない。
「貴方は私の手をとって、勝つと宣言してくれた……
ならば今度は私が貴方に約束します。
私が深夜美様を勝たせる!
作戦を聞いていただけますか」
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