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最終章 帰つ寝
3.家族になろうよ
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龍ケ崎市には『たつのこ』と名のつく施設やスポットが数多く存在する。
『たつのこスタジアム』や『たつのこフィールド』などスポーツ関連施設を代表的なそれとしながら(そもそも施設名に『たつのこ』を冠したのは市民総合体育館の通称を『たつのこアリーナ』と改めたのがその嚆矢である)、『たつのこ図書館』、『たつのこ産直市場』、『たつのこまち龍ケ崎モール』など、いかにも枚挙に暇はない。
『たつのこ』は龍ケ崎市を象徴する愛称として公共と民間の別なく親しまれ用いられている。
僕らが今日出かけてきた場所にもそんな『たつのこ』スポットが存在する。
市内中央部に位置する龍ヶ岡公園の、広大な敷地面積を誇る園内に人工的に造られた築山。
この公園のシンボルでもあるたつのこ山である。
日曜日だった。
僕は子供たちをつれてたつのこ山をのぼっている。
「あんちゃん、はやくー」「コジローくんもー」「いそぎすぎるほどいそいでー」
一足先に山頂に辿り着いた子ダヌキたちが、はしゃいだ声でこちらを急かす。
僕はといえば、完全に日頃の運動不足が祟っていた。
スロープの階段を一段一段息切らせながらのぼる僕に、隣から小次郎君が「先生! ファイトです!」と励ましてくれる。
やれやれ、今日も今日とて僕は無様だ。
「や、やっと終わりだ……!」
どうにかこうにか登り切った瞬間、四人の子供たちが拍手などしてくれた。
僕はガクガクする膝に手をついて、なんとか息を整える。
それから、ようやく顔をあげて周囲を見た。
山頂からの眺望を、見晴らして見渡した。
先述した通り、たつのこ山は人工的に造成された築山である。
しかし山のない平らな土地に発展した龍ケ崎においては、地上二十三メートル標高四十一メートルのこのたつのこ山の山頂こそが市内の最高地点にあたる。
よく晴れた六月最後の日曜日、市民が誇る人工山の山頂からは、市民の暮らす街並みを全方位に眺めることができた。
市内だけじゃなく、大気の遠景には筑波山や牛久大仏までもがうっすらと見て取れる。
「いい日だなぁ」
「はい。いい日です」
何気なく発した僕のつぶやきに小次郎くんが同意した、そのとき。
遅れていた女性陣が、ようやく追いついてきた。
「へぇ、久しぶりにのぼったけど、ここってこんなに眺めがよかったんだな」
「夕声ちゃんは小学校の遠足以来かしら? 大きくなってからだと、子供の時とは見え方が変わってるんじゃない?」
大パノラマの龍ケ崎市を見渡しながら言った夕声に、水沼さんがいつものやわらかなくすくす笑いで言う。
それから。
「ほら、あなたもこっちに来て、一緒に見てご覧なさい」
遅れてきた最後の一人に向かって、水沼さんはそう優しく声をかけた。
「いつか大人になったときに、今日のことを思い出すために……ね?」
「う、うん……」
距離を取ってこちらを伺っていた少女が、遠慮がちに近づいてきた。
爆竹娘の、アライグマの桔梗ちゃんだった。
※
芝生に広げたレジャーシートにウォータージャグを置いて重石にした。風はそんなに強くないけれど、こうしておけば万一にも飛ばされる心配はない。
駐車場からとはいえここまでずっと両手に荷物を持っていたので、腕がすっかり痛くなっていた。ようやく自由になった両手を振って血の巡りを促す。
「お疲れ様です、椎葉さん」
水沼さんがウォータージャグから麦茶を出して差し出してくれた。
お礼を言って受け取って、紙コップの麦茶を一息に飲み干す。
「水沼さんこそお疲れ様です。すいません、ドライバーお任せしてしまって」
車の運転は好きなんですが、あいにくとまだ龍ケ崎で使う車を用意してなくて、と言い訳がましい僕である。
「あら、椎葉さん、運転なさるんですか?」
ハンドルを握るジェスチャーをする水沼さんに、「ええ、まぁ」と答える。
「実家で暮らしていた頃は家にあった車に乗ってましたんで。そろそろこっちで乗るやつも探さないとって思ってはいるんですけど」
「お若いのに、なんだか意外だわ」
「僕の出身県では高校卒業が近づくとみんな教習所に通うんですよ。女子も男子も、ほとんど例外なく」
なにせ自動車所有率ナンバーワンの県でしたから、と僕。
言いながら、家から持参した風呂敷包みを開く。
中身はアルミホイルに巻かれたおにぎり。
昨夜のうちに夕声と一緒にこしらえておいたものだ。
こちらがおにぎりの準備をしている間に、水沼さんはランチボックスを取り出した。
家族用の大きめなお弁当箱から登場したのは、ウインナーや卵焼き、それに唐揚げやコロッケなど、色とりどりのおかずたち。
いただきますを言い終わるよりも先に、子供たちはお弁当に殺到する。
そんな愛らしいお行儀の悪さに苦笑しながら、保護者の我々も遅れておにぎりに手を伸ばした。
「でも僕から言わせてもらえれば、水沼さんこそですよ」
アルミホイルの梱包を剥きながら、僕は水沼さんに言った。
「水沼さんが車を運転されるなんて、思ってもいませんでした」
「あら、こう見えて私、けっこういろいろ乗ってきてるんですよ?」
プラフォークで唐揚げを突き刺しながら水沼さん。
「なにしろこう見えて長生きしてますからね。終戦直後の頃には進駐軍のジープを盗むお手伝いをしたこともあるんですよ」
「その話には無茶苦茶興味をそそられますが、でもそういうことじゃなくてですね」
えへんぷいと胸を張る蛇のお姉さんに、「免許とかはどうしてるんですか?」と僕は尋ねる。
「ああ、戸籍もないのにどうやって免許を取ったのかってことですか? 結婚するまで暗い沼で畜生生活を営んでいたジメジメした女が、どういう手管《 てくだ》で人間様の教習所に潜り込みやがったのかって」
「そんな悪辣《 あくらつ》なボキャブラリーの数々を持ち出すつもりは毛頭ありませんけど、まぁ、質問の意図するところはまさにそこです」
「うふふ。持ってますよ、免許。それに人間の戸籍も」
水沼さんは財布から二枚のカードを取り出して僕に見せてくれた。
免許証と保険証。敢えて言うまでもないけれど、名前は水沼静となっている。
「あまりおおやけにはされていないですけど、人に化ける化生が人間社会に帰属するための仕組みはちゃあんとあるんですよ。市役所にもそういう相談を受け付ける係が設けられてるくらいです。社会福祉課だったかしら」
「人間籍ならあたしにもあるぞ」
夕声が横から口を挟む。卵焼きをつまみながら。
「まぁ、あたしや小次郎は出生時に届けを出して交付してもらってるから、後から取った静さんとはだいぶ事情が違うけど」
子ダヌキの松・竹・梅が「おれもー」「ぼくもー」「あたしもー」と言う。
この子たちも生まれた時から戸籍を持ってるケースらしい。
「みなさん羨ましいですねー」
「? 羨ましいんですか?」
「ですよ。それまで人間社会の外で生きてきた化生が後から人間籍を取得するのって、すっごく面倒くさいんです。いろいろと審査がありますし、いざ交付されてもしばらくは出来ることに制限がかかったりとか」
人間籍取得から三年は運転免許も取れないんですよ、と水沼さんは言い添えた。
なるほど、そういえばさっき見せてくれた水沼さんの免許証は、一度も更新を迎えていないグリーン免許だった。
「手続きは大変だし、そもそも申請しても通らない場合も結構あると聞いてます。簡単に『ください』『はい、どうぞ』といかないのはわかるんですけどね。反社の人に悪用されたりしたら困りますし」
「人外の存在まで牛耳ってる反社会勢力がいたら、そいつらはきっと戸籍の悪用なんてミニマムな悪事に留まらずもっと大きなシノギをやってると思いますけど」
「ふふ、そうかもしれませんね。話を戻しますけど、人間籍の取得って結構面倒なんですよ。でもその点、私は恵まれていました。なにしろほら、私ってば人間のお嫁さんになって、人間の家族になっちゃったわけじゃないですか。だから……うふふ、おかげでだいぶスムーズにいきました」
そう説明したあとで、水沼さんは自分で口にした『家族』『お嫁さん』という単語に再度うっとりして、挙げ句の果てに福山雅治の『家族になろうよ』をハミングで歌いはじめた。
夕声が「うへぇ」という顔をしていそいそと食事に戻る。付き合ってられるかとばかりに。
うーむ、実家のような居心地の悪さとはこのことか。
でも、そうか、家族か。
「シ、シズカ!」
そのとき、遠慮がちな声が水沼さんを呼んだ。
「シ、シズカ! こ、これ!」
桔梗ちゃんが、アルミホイルにくるまれたままのおにぎりを水沼さんに差し出して、一生懸命な様子で勧める。
「おにぎり、すごくおいしい。だから、シズカも」
「ありがと、桔梗ちゃん。それじゃあこれ、桔梗ちゃんが剥いてくれるかな?」
水沼さんに言われて、桔梗ちゃんの顔がぱぁっと明るくなる。大喜びでアルミホイルの包みを剥き始める。
「でも……ねえ、桔梗ちゃん?」
その桔梗ちゃんに水沼さんが言った。
「『シズカ』じゃなくて、そろそろ『おかあさん』って呼んでほしいなぁ」
おかあさんが恥ずかしいならママでもいいのよ? と水沼さん。
桔梗ちゃんはしどろもどろになって、逃げるようにしてなりゆきを見守っていた小次郎君の後ろに隠れてしまう。どうやらまだまだ恥ずかしいらしい。
タヌキ屋敷での事件から二週間以上が過ぎて、いま、桔梗ちゃんは水沼さんの家で暮らしている。
最初は預かられる形で受け入れられたのだが、先日、今度は正式に養女として迎え入れられることが決まった。
正式な家族として。
「ねえ椎葉さん。椎葉さんも男の子だったら、クラスの気になる女の子の名前を自分の名字にくっつけてみたこと、ありますよね?」
「は!? え、あ、いや……」
あまりにも唐突な水沼さんの問いかけに、今度は僕がしどろもどろになる。
答えに窮していると、夕声が責めるような目でこっちを見ていた。
なんだよあるのかよ?
狐娘のジト目はそう言っていた。
「名前とか戸籍って、いいですよね」
不意打ちの質問で僕を窮地に陥れた水沼さんが、そんなこっちの都合にはお構いなしに言った。
「だって、それまで他人だった者同士がこれから築いていく関係を、目に見えるようにしてくれるんですもの」
「水沼さん……」
「このあいだ見たドラマで『住民票を一緒にしよう』ってプロポーズの台詞があって、もうキュンキュンにときめいちゃいました」
言いながら、水沼さんはうっとりと頬を押さえて身をよじった。
かつて蛇沼の女王から水沼静となった女性は。
そして、これから水沼桔梗という娘を迎えようとしている、新米のお母さんは。
「……確かに、いいものかもしれないな」
桔梗ちゃんにじゃれつこうとする水沼さんと逃げ回る桔梗ちゃんを見ながら、気付けばそんなことを呟いていた。
それまで特になんとも思っていなかったものに、価値を感じていた。
「うーん、なんだか福山雅治の曲でも聴きたい気分だ。もちろん桜坂でもセロリでもコナンの主題歌でもなく……って、夕声、どうかしたの?」
ふと目をやると、さっきまで非難がましい視線を僕に浴びせていたキツネ娘が、小さな声でなにやらブツブツ呟いていた。
「し、し、しい……」
なぜか真っ赤になって。
「あらぁ、夕声ちゃんも、くっつけちゃったんですね」
「はい?」
なにかを察してくすくす笑う水沼さんと、なにも察せずにハテナ顔の僕。
そんな僕に対して、ややあってから夕声が言った。
上目遣いにこちらを見ながら、ささやくような小声で。
「し……椎葉夕声って、どうかな……?」
キツネ娘の自爆に巻き込まれて、僕も彼女と同じくらい真っ赤になった。
『たつのこスタジアム』や『たつのこフィールド』などスポーツ関連施設を代表的なそれとしながら(そもそも施設名に『たつのこ』を冠したのは市民総合体育館の通称を『たつのこアリーナ』と改めたのがその嚆矢である)、『たつのこ図書館』、『たつのこ産直市場』、『たつのこまち龍ケ崎モール』など、いかにも枚挙に暇はない。
『たつのこ』は龍ケ崎市を象徴する愛称として公共と民間の別なく親しまれ用いられている。
僕らが今日出かけてきた場所にもそんな『たつのこ』スポットが存在する。
市内中央部に位置する龍ヶ岡公園の、広大な敷地面積を誇る園内に人工的に造られた築山。
この公園のシンボルでもあるたつのこ山である。
日曜日だった。
僕は子供たちをつれてたつのこ山をのぼっている。
「あんちゃん、はやくー」「コジローくんもー」「いそぎすぎるほどいそいでー」
一足先に山頂に辿り着いた子ダヌキたちが、はしゃいだ声でこちらを急かす。
僕はといえば、完全に日頃の運動不足が祟っていた。
スロープの階段を一段一段息切らせながらのぼる僕に、隣から小次郎君が「先生! ファイトです!」と励ましてくれる。
やれやれ、今日も今日とて僕は無様だ。
「や、やっと終わりだ……!」
どうにかこうにか登り切った瞬間、四人の子供たちが拍手などしてくれた。
僕はガクガクする膝に手をついて、なんとか息を整える。
それから、ようやく顔をあげて周囲を見た。
山頂からの眺望を、見晴らして見渡した。
先述した通り、たつのこ山は人工的に造成された築山である。
しかし山のない平らな土地に発展した龍ケ崎においては、地上二十三メートル標高四十一メートルのこのたつのこ山の山頂こそが市内の最高地点にあたる。
よく晴れた六月最後の日曜日、市民が誇る人工山の山頂からは、市民の暮らす街並みを全方位に眺めることができた。
市内だけじゃなく、大気の遠景には筑波山や牛久大仏までもがうっすらと見て取れる。
「いい日だなぁ」
「はい。いい日です」
何気なく発した僕のつぶやきに小次郎くんが同意した、そのとき。
遅れていた女性陣が、ようやく追いついてきた。
「へぇ、久しぶりにのぼったけど、ここってこんなに眺めがよかったんだな」
「夕声ちゃんは小学校の遠足以来かしら? 大きくなってからだと、子供の時とは見え方が変わってるんじゃない?」
大パノラマの龍ケ崎市を見渡しながら言った夕声に、水沼さんがいつものやわらかなくすくす笑いで言う。
それから。
「ほら、あなたもこっちに来て、一緒に見てご覧なさい」
遅れてきた最後の一人に向かって、水沼さんはそう優しく声をかけた。
「いつか大人になったときに、今日のことを思い出すために……ね?」
「う、うん……」
距離を取ってこちらを伺っていた少女が、遠慮がちに近づいてきた。
爆竹娘の、アライグマの桔梗ちゃんだった。
※
芝生に広げたレジャーシートにウォータージャグを置いて重石にした。風はそんなに強くないけれど、こうしておけば万一にも飛ばされる心配はない。
駐車場からとはいえここまでずっと両手に荷物を持っていたので、腕がすっかり痛くなっていた。ようやく自由になった両手を振って血の巡りを促す。
「お疲れ様です、椎葉さん」
水沼さんがウォータージャグから麦茶を出して差し出してくれた。
お礼を言って受け取って、紙コップの麦茶を一息に飲み干す。
「水沼さんこそお疲れ様です。すいません、ドライバーお任せしてしまって」
車の運転は好きなんですが、あいにくとまだ龍ケ崎で使う車を用意してなくて、と言い訳がましい僕である。
「あら、椎葉さん、運転なさるんですか?」
ハンドルを握るジェスチャーをする水沼さんに、「ええ、まぁ」と答える。
「実家で暮らしていた頃は家にあった車に乗ってましたんで。そろそろこっちで乗るやつも探さないとって思ってはいるんですけど」
「お若いのに、なんだか意外だわ」
「僕の出身県では高校卒業が近づくとみんな教習所に通うんですよ。女子も男子も、ほとんど例外なく」
なにせ自動車所有率ナンバーワンの県でしたから、と僕。
言いながら、家から持参した風呂敷包みを開く。
中身はアルミホイルに巻かれたおにぎり。
昨夜のうちに夕声と一緒にこしらえておいたものだ。
こちらがおにぎりの準備をしている間に、水沼さんはランチボックスを取り出した。
家族用の大きめなお弁当箱から登場したのは、ウインナーや卵焼き、それに唐揚げやコロッケなど、色とりどりのおかずたち。
いただきますを言い終わるよりも先に、子供たちはお弁当に殺到する。
そんな愛らしいお行儀の悪さに苦笑しながら、保護者の我々も遅れておにぎりに手を伸ばした。
「でも僕から言わせてもらえれば、水沼さんこそですよ」
アルミホイルの梱包を剥きながら、僕は水沼さんに言った。
「水沼さんが車を運転されるなんて、思ってもいませんでした」
「あら、こう見えて私、けっこういろいろ乗ってきてるんですよ?」
プラフォークで唐揚げを突き刺しながら水沼さん。
「なにしろこう見えて長生きしてますからね。終戦直後の頃には進駐軍のジープを盗むお手伝いをしたこともあるんですよ」
「その話には無茶苦茶興味をそそられますが、でもそういうことじゃなくてですね」
えへんぷいと胸を張る蛇のお姉さんに、「免許とかはどうしてるんですか?」と僕は尋ねる。
「ああ、戸籍もないのにどうやって免許を取ったのかってことですか? 結婚するまで暗い沼で畜生生活を営んでいたジメジメした女が、どういう手管《 てくだ》で人間様の教習所に潜り込みやがったのかって」
「そんな悪辣《 あくらつ》なボキャブラリーの数々を持ち出すつもりは毛頭ありませんけど、まぁ、質問の意図するところはまさにそこです」
「うふふ。持ってますよ、免許。それに人間の戸籍も」
水沼さんは財布から二枚のカードを取り出して僕に見せてくれた。
免許証と保険証。敢えて言うまでもないけれど、名前は水沼静となっている。
「あまりおおやけにはされていないですけど、人に化ける化生が人間社会に帰属するための仕組みはちゃあんとあるんですよ。市役所にもそういう相談を受け付ける係が設けられてるくらいです。社会福祉課だったかしら」
「人間籍ならあたしにもあるぞ」
夕声が横から口を挟む。卵焼きをつまみながら。
「まぁ、あたしや小次郎は出生時に届けを出して交付してもらってるから、後から取った静さんとはだいぶ事情が違うけど」
子ダヌキの松・竹・梅が「おれもー」「ぼくもー」「あたしもー」と言う。
この子たちも生まれた時から戸籍を持ってるケースらしい。
「みなさん羨ましいですねー」
「? 羨ましいんですか?」
「ですよ。それまで人間社会の外で生きてきた化生が後から人間籍を取得するのって、すっごく面倒くさいんです。いろいろと審査がありますし、いざ交付されてもしばらくは出来ることに制限がかかったりとか」
人間籍取得から三年は運転免許も取れないんですよ、と水沼さんは言い添えた。
なるほど、そういえばさっき見せてくれた水沼さんの免許証は、一度も更新を迎えていないグリーン免許だった。
「手続きは大変だし、そもそも申請しても通らない場合も結構あると聞いてます。簡単に『ください』『はい、どうぞ』といかないのはわかるんですけどね。反社の人に悪用されたりしたら困りますし」
「人外の存在まで牛耳ってる反社会勢力がいたら、そいつらはきっと戸籍の悪用なんてミニマムな悪事に留まらずもっと大きなシノギをやってると思いますけど」
「ふふ、そうかもしれませんね。話を戻しますけど、人間籍の取得って結構面倒なんですよ。でもその点、私は恵まれていました。なにしろほら、私ってば人間のお嫁さんになって、人間の家族になっちゃったわけじゃないですか。だから……うふふ、おかげでだいぶスムーズにいきました」
そう説明したあとで、水沼さんは自分で口にした『家族』『お嫁さん』という単語に再度うっとりして、挙げ句の果てに福山雅治の『家族になろうよ』をハミングで歌いはじめた。
夕声が「うへぇ」という顔をしていそいそと食事に戻る。付き合ってられるかとばかりに。
うーむ、実家のような居心地の悪さとはこのことか。
でも、そうか、家族か。
「シ、シズカ!」
そのとき、遠慮がちな声が水沼さんを呼んだ。
「シ、シズカ! こ、これ!」
桔梗ちゃんが、アルミホイルにくるまれたままのおにぎりを水沼さんに差し出して、一生懸命な様子で勧める。
「おにぎり、すごくおいしい。だから、シズカも」
「ありがと、桔梗ちゃん。それじゃあこれ、桔梗ちゃんが剥いてくれるかな?」
水沼さんに言われて、桔梗ちゃんの顔がぱぁっと明るくなる。大喜びでアルミホイルの包みを剥き始める。
「でも……ねえ、桔梗ちゃん?」
その桔梗ちゃんに水沼さんが言った。
「『シズカ』じゃなくて、そろそろ『おかあさん』って呼んでほしいなぁ」
おかあさんが恥ずかしいならママでもいいのよ? と水沼さん。
桔梗ちゃんはしどろもどろになって、逃げるようにしてなりゆきを見守っていた小次郎君の後ろに隠れてしまう。どうやらまだまだ恥ずかしいらしい。
タヌキ屋敷での事件から二週間以上が過ぎて、いま、桔梗ちゃんは水沼さんの家で暮らしている。
最初は預かられる形で受け入れられたのだが、先日、今度は正式に養女として迎え入れられることが決まった。
正式な家族として。
「ねえ椎葉さん。椎葉さんも男の子だったら、クラスの気になる女の子の名前を自分の名字にくっつけてみたこと、ありますよね?」
「は!? え、あ、いや……」
あまりにも唐突な水沼さんの問いかけに、今度は僕がしどろもどろになる。
答えに窮していると、夕声が責めるような目でこっちを見ていた。
なんだよあるのかよ?
狐娘のジト目はそう言っていた。
「名前とか戸籍って、いいですよね」
不意打ちの質問で僕を窮地に陥れた水沼さんが、そんなこっちの都合にはお構いなしに言った。
「だって、それまで他人だった者同士がこれから築いていく関係を、目に見えるようにしてくれるんですもの」
「水沼さん……」
「このあいだ見たドラマで『住民票を一緒にしよう』ってプロポーズの台詞があって、もうキュンキュンにときめいちゃいました」
言いながら、水沼さんはうっとりと頬を押さえて身をよじった。
かつて蛇沼の女王から水沼静となった女性は。
そして、これから水沼桔梗という娘を迎えようとしている、新米のお母さんは。
「……確かに、いいものかもしれないな」
桔梗ちゃんにじゃれつこうとする水沼さんと逃げ回る桔梗ちゃんを見ながら、気付けばそんなことを呟いていた。
それまで特になんとも思っていなかったものに、価値を感じていた。
「うーん、なんだか福山雅治の曲でも聴きたい気分だ。もちろん桜坂でもセロリでもコナンの主題歌でもなく……って、夕声、どうかしたの?」
ふと目をやると、さっきまで非難がましい視線を僕に浴びせていたキツネ娘が、小さな声でなにやらブツブツ呟いていた。
「し、し、しい……」
なぜか真っ赤になって。
「あらぁ、夕声ちゃんも、くっつけちゃったんですね」
「はい?」
なにかを察してくすくす笑う水沼さんと、なにも察せずにハテナ顔の僕。
そんな僕に対して、ややあってから夕声が言った。
上目遣いにこちらを見ながら、ささやくような小声で。
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