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Chapter3 嫉妬の目
第37話 四体目の悪魔
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悲鳴を聞いた黒時は怜奈の身体を押しのけて、廊下へと飛び出て行った。
いや、悲鳴を聞いて、というといささか語弊があるかもしれない。正しくは、【悪魔】という単語を聞いて、である。
今の黒時にとって、悪魔出現の報は人間の本質を間近で見るよりも心躍るものだったようだ。
「は、灰ヶ原君、た、助けて……」
黒時が廊下に出てみるとそこには、腰を抜かし座り込んでいる中年の男と、宙に浮かんでいる掌サイズの黒い物体がいた。
宙に浮いている掌サイズの黒い物体、これこそが悪魔である。
人型で、その姿はまるでファンタジー映画に出てくる妖精のよう。ただ違うところを言えば、全てが黒色に染まっていて、不気味な空気を漂わせている、というところだろうか。
神秘的でも幻想的でもない。ただただ黒く、邪悪的な存在に見える。
『ケヒヒヒヒ。おやおや、また一人増えましたね。どーも、こんばんは』
小さな妖精のような悪魔は、黒時に向かって恭しく頭を下げた。
『我輩の名前はレヴィアタン。以後、お見知りおきを』
――以後などない。
今ここで目の前の悪魔を殺す。
黒時は、そう意気込んでいつもの如く走り出した。先手必勝。まあ、それで毎回返り討ちにあっているのだが、今回はどうなるか、それは誰も知らない。
しかしだからこそ、黒時は臆することなく走り向かっていけるのだ。
『ケヒヒヒヒ。これはびっくり。戸惑うこともなく我輩に向かってくるとは……。ふむ。ああ、なるほど。初めてではない、とそういうことですね。我輩のような悪魔に出会うのは』
「お前で四体目だ」
距離が縮まり、黒時はレヴィアタンに向けて勢いよく拳を振るった。
風を切る音が聞こえるほどの速さの攻撃。だが、当たらない。黒時の振るった腕も恐るべき速さであったのだが、それよりもさらにレヴィアタンの動きは素早く、迫る脅威をいとも簡単に回避してみせたのである。
レヴィアタンの宙を移動するその動きはまさに、目にも留まらぬ速さだった。
まさか、そんな比喩的な表現を実際に体感することになるなど、黒時も妬美も思っていなかった。
『ケヒケヒ。四体目ですか、そうですか。それは大変だったでしょうねえ。果たして、四体中何体が殺されたのか……。まあ、どうでもいいですけれど』
レヴィアタンは余裕からなのか、笑声をあげながら悠々と宙を舞っている。
本物の妖精であればその光景は幻想的でさぞ美しかったのだろうが、真っ黒な悪魔では不気味さしか感じない。
いや、もしかしたら黒時には美しく見えているかもしれないが。
『しかし、残念。貴方には我輩を捉えることができないようですね。それでは、殺せません。いやあ、残念、本当に残念です』
「黙っていろ。すぐに殺してやるから」
『ケッヒヒヒヒ。面白いですね。どうぞどうぞ、できるものならやってごらんなさい。応援してあげますよ』
黒時の拳が空を切る。黒時の蹴りが風のみを裂く。空振りに次ぐ空振り。何度も何度も、リピート再生されているかの様に繰り返される。
踊りながら避けているレヴィアタンに踊らされながら、黒時の中ではマモンとの戦闘の際の嫌な感覚が甦っていた。遊ばれているような、そんな感覚である。
こちらが本気にならればなるほど相手は喜び、面白がり、優越感に浸っていく。
絶対的な強者と敗者との差を見せつけるかのように、口角を上げ、哄笑する。幾重もの屈辱を上部から落とされ、身体が押し潰されていく。
しかし。
それでも黒時は、攻撃の手を止めるわけにはいかなかった。
一撃。
一撃さえ当てれば、レヴィアタンを殺すことができるかもしれないのだから。
レヴィアタンという名の悪魔は、これまでの悪魔と比べて遥かに小さく、そしてあまりにも人間に近かったのだ。
マモンはあの巨体だったために何度か攻撃を当ててもダメージを与えることはできなかった。ベルゼブブは特有の脂肪を纏った身体をしていたため攻撃は全て弾かれた。
しかし、レヴィアタンにはその両者が持っていた優位な特性は無く、ただ素早いだけの矮小な身体、というだけなのである。ならば、身体能力が向上している黒時の一撃で仕留められる可能性は十分にありえる。
身体が小さいか、大きいか。それだけで身体の耐久力というのは大きく左右されるものなのだ。
『ふむふむ。頑張ってはいるようですが、難しそうですねえ。すみません、我輩そろそろ面倒になってきました。殺せないのならば、我輩が殺すことにします』
黒時は矢継ぎ早に繰り出していた攻撃の手を止め、レヴィアタンの動きに備えて身構えた。
悪魔の攻撃とはいえ、あの矮小な体躯から繰り出される攻撃だ。数回は堪えることができるだろう、と黒時は考えていた――のだが、その考えはやはり甘かった。
さんざん悪魔の攻撃に敗れてきたというのに、意外にも黒時は学習しない男だったようだ。
小さくても悪魔。
その強大さに身体の巨大さは関係なかった。数回なんてありえない、一回だけで黒時は最早瀕死状態となったのだから。
「灰ヶ原君!」
黒時の身体は遥か後方に吹き飛ばされ、突き当りの壁に激突する寸前で廊下の床へと没した。
『ケーヒヒヒ。すごく飛びましたねえ。いやー、実に愉快愉快。ケヒケヒケヒ』
レヴィアタンが突き出した両手から放出されたのは、いわゆるビームだった。二次元でよく目にする光線、まさしくあれだった。
真っ黒なビーム。
それは一本の糸のように細く頼りないものだったけれど、放出されたと同時に黒時の身体を襲ったと思えるほどに速く、そしてその威力は絶大だった。
一人の男を遥か後方に吹き飛ばし、その意識の大部分を奪うほどに。
『さて、これで彼は虫の息。あなたも我輩と闘いますか?』
レヴィアタンは目にも留まらぬ速さで移動し、妬美の眼前にその姿を現した。
腰を抜かしたままの妬美は逃げることもできず、目の前の脅威に対して涙を流しながらただ怯えていた。
「い、いや、僕は、闘いません。か、勝てるわけないですから……、ですから、あの……、どうか、命だけは……」
『ケヒケヒ。分かりました、殺さないでおきましょう。ですが、いいのですか? このままでは貴方は彼を見殺しにする、ということになりますが?』
――見殺し。
レヴィアタンにそう言われ、妬美は考えた。
確かに、見殺しはよくないかもしれない。力不足であるかもしれないが、それでも人が殺されるのを黙って見ているというのは、よくない気がする。そもそも、人間として許されるはずがない。
と、ここまで考えて妬美の思考が一旦停止した。
そして、倒れている黒時を一瞥してまた動き出し、結論に辿り着くこととなった。
倫理観についてで言えば、妬美の導き出した結論は大いに間違っていると言えるだろう。批判されて、批難されるべきものである。
だが、それはあくまで社会の中のみである。
人間とは時に倫理を度外視した行動と思考をする生き物である。
人間が人間らしくあるべきために存在する倫理を捨て去る、それは人間を捨てる行為のようにも思えるが、しかしそれは、人間の本質により近づくための行為なのだ。
だから妬美は、倫理観を捨て去った結論を導き出したがゆえに、妬美草他という人間の本質を手に入れたのである。
「あの、レヴィアタンさん」
『はい? なんでしょう?』
妬美草他という人間の本質。
それは焼き焦げるほどの、嫉妬。
愛する者の側に立つ者に放ち向けている嫉妬。その嫉妬は、今もなお倒れている一人の少年に対して向けられていた。
「僕に……、彼を殺させて下さい」
『……ええ、構いませんよ。待っていたんです、貴方のその言葉を。思う存分お殺りなさい』
「ありがとうございます」
『いいえ。貴方も我輩の一部、遠慮などいりませんよ』
いや、悲鳴を聞いて、というといささか語弊があるかもしれない。正しくは、【悪魔】という単語を聞いて、である。
今の黒時にとって、悪魔出現の報は人間の本質を間近で見るよりも心躍るものだったようだ。
「は、灰ヶ原君、た、助けて……」
黒時が廊下に出てみるとそこには、腰を抜かし座り込んでいる中年の男と、宙に浮かんでいる掌サイズの黒い物体がいた。
宙に浮いている掌サイズの黒い物体、これこそが悪魔である。
人型で、その姿はまるでファンタジー映画に出てくる妖精のよう。ただ違うところを言えば、全てが黒色に染まっていて、不気味な空気を漂わせている、というところだろうか。
神秘的でも幻想的でもない。ただただ黒く、邪悪的な存在に見える。
『ケヒヒヒヒ。おやおや、また一人増えましたね。どーも、こんばんは』
小さな妖精のような悪魔は、黒時に向かって恭しく頭を下げた。
『我輩の名前はレヴィアタン。以後、お見知りおきを』
――以後などない。
今ここで目の前の悪魔を殺す。
黒時は、そう意気込んでいつもの如く走り出した。先手必勝。まあ、それで毎回返り討ちにあっているのだが、今回はどうなるか、それは誰も知らない。
しかしだからこそ、黒時は臆することなく走り向かっていけるのだ。
『ケヒヒヒヒ。これはびっくり。戸惑うこともなく我輩に向かってくるとは……。ふむ。ああ、なるほど。初めてではない、とそういうことですね。我輩のような悪魔に出会うのは』
「お前で四体目だ」
距離が縮まり、黒時はレヴィアタンに向けて勢いよく拳を振るった。
風を切る音が聞こえるほどの速さの攻撃。だが、当たらない。黒時の振るった腕も恐るべき速さであったのだが、それよりもさらにレヴィアタンの動きは素早く、迫る脅威をいとも簡単に回避してみせたのである。
レヴィアタンの宙を移動するその動きはまさに、目にも留まらぬ速さだった。
まさか、そんな比喩的な表現を実際に体感することになるなど、黒時も妬美も思っていなかった。
『ケヒケヒ。四体目ですか、そうですか。それは大変だったでしょうねえ。果たして、四体中何体が殺されたのか……。まあ、どうでもいいですけれど』
レヴィアタンは余裕からなのか、笑声をあげながら悠々と宙を舞っている。
本物の妖精であればその光景は幻想的でさぞ美しかったのだろうが、真っ黒な悪魔では不気味さしか感じない。
いや、もしかしたら黒時には美しく見えているかもしれないが。
『しかし、残念。貴方には我輩を捉えることができないようですね。それでは、殺せません。いやあ、残念、本当に残念です』
「黙っていろ。すぐに殺してやるから」
『ケッヒヒヒヒ。面白いですね。どうぞどうぞ、できるものならやってごらんなさい。応援してあげますよ』
黒時の拳が空を切る。黒時の蹴りが風のみを裂く。空振りに次ぐ空振り。何度も何度も、リピート再生されているかの様に繰り返される。
踊りながら避けているレヴィアタンに踊らされながら、黒時の中ではマモンとの戦闘の際の嫌な感覚が甦っていた。遊ばれているような、そんな感覚である。
こちらが本気にならればなるほど相手は喜び、面白がり、優越感に浸っていく。
絶対的な強者と敗者との差を見せつけるかのように、口角を上げ、哄笑する。幾重もの屈辱を上部から落とされ、身体が押し潰されていく。
しかし。
それでも黒時は、攻撃の手を止めるわけにはいかなかった。
一撃。
一撃さえ当てれば、レヴィアタンを殺すことができるかもしれないのだから。
レヴィアタンという名の悪魔は、これまでの悪魔と比べて遥かに小さく、そしてあまりにも人間に近かったのだ。
マモンはあの巨体だったために何度か攻撃を当ててもダメージを与えることはできなかった。ベルゼブブは特有の脂肪を纏った身体をしていたため攻撃は全て弾かれた。
しかし、レヴィアタンにはその両者が持っていた優位な特性は無く、ただ素早いだけの矮小な身体、というだけなのである。ならば、身体能力が向上している黒時の一撃で仕留められる可能性は十分にありえる。
身体が小さいか、大きいか。それだけで身体の耐久力というのは大きく左右されるものなのだ。
『ふむふむ。頑張ってはいるようですが、難しそうですねえ。すみません、我輩そろそろ面倒になってきました。殺せないのならば、我輩が殺すことにします』
黒時は矢継ぎ早に繰り出していた攻撃の手を止め、レヴィアタンの動きに備えて身構えた。
悪魔の攻撃とはいえ、あの矮小な体躯から繰り出される攻撃だ。数回は堪えることができるだろう、と黒時は考えていた――のだが、その考えはやはり甘かった。
さんざん悪魔の攻撃に敗れてきたというのに、意外にも黒時は学習しない男だったようだ。
小さくても悪魔。
その強大さに身体の巨大さは関係なかった。数回なんてありえない、一回だけで黒時は最早瀕死状態となったのだから。
「灰ヶ原君!」
黒時の身体は遥か後方に吹き飛ばされ、突き当りの壁に激突する寸前で廊下の床へと没した。
『ケーヒヒヒ。すごく飛びましたねえ。いやー、実に愉快愉快。ケヒケヒケヒ』
レヴィアタンが突き出した両手から放出されたのは、いわゆるビームだった。二次元でよく目にする光線、まさしくあれだった。
真っ黒なビーム。
それは一本の糸のように細く頼りないものだったけれど、放出されたと同時に黒時の身体を襲ったと思えるほどに速く、そしてその威力は絶大だった。
一人の男を遥か後方に吹き飛ばし、その意識の大部分を奪うほどに。
『さて、これで彼は虫の息。あなたも我輩と闘いますか?』
レヴィアタンは目にも留まらぬ速さで移動し、妬美の眼前にその姿を現した。
腰を抜かしたままの妬美は逃げることもできず、目の前の脅威に対して涙を流しながらただ怯えていた。
「い、いや、僕は、闘いません。か、勝てるわけないですから……、ですから、あの……、どうか、命だけは……」
『ケヒケヒ。分かりました、殺さないでおきましょう。ですが、いいのですか? このままでは貴方は彼を見殺しにする、ということになりますが?』
――見殺し。
レヴィアタンにそう言われ、妬美は考えた。
確かに、見殺しはよくないかもしれない。力不足であるかもしれないが、それでも人が殺されるのを黙って見ているというのは、よくない気がする。そもそも、人間として許されるはずがない。
と、ここまで考えて妬美の思考が一旦停止した。
そして、倒れている黒時を一瞥してまた動き出し、結論に辿り着くこととなった。
倫理観についてで言えば、妬美の導き出した結論は大いに間違っていると言えるだろう。批判されて、批難されるべきものである。
だが、それはあくまで社会の中のみである。
人間とは時に倫理を度外視した行動と思考をする生き物である。
人間が人間らしくあるべきために存在する倫理を捨て去る、それは人間を捨てる行為のようにも思えるが、しかしそれは、人間の本質により近づくための行為なのだ。
だから妬美は、倫理観を捨て去った結論を導き出したがゆえに、妬美草他という人間の本質を手に入れたのである。
「あの、レヴィアタンさん」
『はい? なんでしょう?』
妬美草他という人間の本質。
それは焼き焦げるほどの、嫉妬。
愛する者の側に立つ者に放ち向けている嫉妬。その嫉妬は、今もなお倒れている一人の少年に対して向けられていた。
「僕に……、彼を殺させて下さい」
『……ええ、構いませんよ。待っていたんです、貴方のその言葉を。思う存分お殺りなさい』
「ありがとうございます」
『いいえ。貴方も我輩の一部、遠慮などいりませんよ』
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