ハコニワールド

ぽこ 乃助

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Chapter4 怠惰の脚

第46話 黒時の変化

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「彩香、そのままこっちまで走って来い!」

 黒時が叫んだ。

 ここまで声を荒げて叫ぶ黒時も珍しい。世界に異変が起きてからというもの、彼の人間性に変化生じているのだろうか。
 
 ともあれ、黒時の狙いはこうである。

 追いかけてくる二体の悪魔、そのどちらかにカウンター気味の一撃をおみまいする。

 二体同時に闘うのは愚策でしかないわけで、ならば先に一体を序盤から叩き伏せてしまおう、という考えだ。
 
 走る速度から考えると先に動物の姿をした悪魔がやって来そうだが、しかしそれよりもよく見れば、あの横の人型の悪魔は駄紋を襲った暴漢ではなかっただろうか。

 どういった経緯で悪魔になったのだろう、と黒時は一瞬思ったが、本当に一瞬だけですぐに思考を止めた。今は走り来る悪魔に一撃を与えることだけを考えるべきなのである。
 
 彩香たちが目前へと近づいてくる。

 そして予想通り、動物型の悪魔が人型の悪魔より前方に出て、彩香たちに迫っていく。
 
 間もなく彩香たちが黒時の元に辿りつく。

 あと、数歩といったタイミング。

 そこで黒時は待ちかねたように勢いよく飛び跳ね、猛スピードで駆ける悪魔へと向かった。
 
 迫ってくる力と、迫る力。

 二つの力が掛け合わさり黒時の右脚から放たれる。
 
 またも蹴飛ばされたベルフェゴール。

 その身体は前回同様、遥か後方へと吹き飛ばされていった。
 
 通常の何倍にも膨れ上がった一撃であった。正直なところ、この一撃で終わるだろう、と黒時は思っていた。

 しかし、結果はただ吹き飛ばしただけ。

 何故あの悪魔を殺すことができなかったのか。それは、蹴り飛ばした右脚が如実に現していた。折れてしまった右脚が――現実を痛みとともに黒時に伝えていた。

「黒時、お前その脚!?」

 可動域を遥かに超えて折れ曲がった黒時の右脚を見て、怜奈が言う。

「折れてる。あいつ、馬鹿みたいに硬いな」

 黒時の言葉には相変わらず抑揚がない。骨が折れたというのに何も感じていないのだろうか。

 いくら身体能力が向上したからと言って痛覚が無くなったわけではないのだが。

「先輩、先生、危ない!」

 彩香の声が響くより早く、座り込む黒時に飛びかかる者がいた。悪魔と化した怒髪天突である。
 
 怒髪が右拳を黒時目掛けて振り折ろす。

 それを両手でなんとか防ぎ、黒時は怒髪の右腕を掴んだ。掴み、そして引き寄せる。

 脚が折れて動けないのなら、相手から来てもらうまでだ。
 
 頭突き。
 
 場の大気が震えるほどの衝撃を伴った頭突き。
 
 常人ならば頭どころか身体全部が粉々になってしまってもおかしくはない衝撃だったろうだけれど、今では両者共に常人ではない。

 どこも粉々に砕け散ることなどなく、ただ額から小量の血液が流れているくらいである。

「いってぇなあ、くそったれが! おとなしく殺されやがれ!」

「嫌だ。俺はまだ死ねない」

「そーかい。だったら、先にこっちの女に死んでもらうか!」

 標的が黒時から怜奈へと変わる。

 怒髪が無造作に繰り出した左の正拳突きが、黒時の横に立っていた怜奈の腹部に向かっていく。

 このままでは怜奈が殺される、と判断した黒時は怒髪の拳が怜奈に届くよりも早く彼女の足を掴み、前方にいる彩香たちの方へと放り投げた。

 彩香たちはうろたえながらも飛んでくる怜奈を受け止める。

「ここから逃げろ!」

「で、でも黒時先輩……」

「いいから早く!」

 もたついていればいずれあの動物型の悪魔も戻ってくるだろう。

 それまでになんとかこの男を止めねばならない。

 怜奈たちがいてもただの足手まといだ。さっさと遠くに逃げてくれた方が動きやすい――黒時はそう考えていた。
 
 黒時は折れた右脚を見つめて思う。

 結局、また自分が先頭に立って戦闘を行っている。まだ死ねないというのに、自ら死地へと足を進めてしまっている。まったく、愚かなものだ。
 
 しかし、自分がやらねば誰がやるというのだろう。

 彩香は力がうまく扱えていないし、駄紋は常に怯えているし、瑠野と怜奈にはなんの力もない。

 こんな現状では誰かに頼ること自体が間違っていたのかもしれない。と、黒時が思い至った時、それを否定するかのように一人の男が現れた。

 忘れられていたあの男が、ホテルの屋上に立って現れた。仁王立ちをして、威風堂々と現われた。

「おいおいおい! 何してくれてんだ、このとさか野郎! 俺様の仲間をいじめたら許さねぇぜ!」

 全員が見上げ、声の主を探す。

 ホテルの屋上に立つ人影、それは全員見事に忘れていたあの男、見栄坊《みえぼう》栄作《えいさく》だった。

「あれ? なんで栄ちゃん先輩が……あ! そういえば、買出しに行かせたままだった」

「あー、完全に忘れてたね」

 屋上でなにやらばたつき始める栄作。

「おいこら! なんて言ってるのか全然聞こえねえけど、お前ら俺のこと忘れてただろ!?」

 ぎゃーぎゃー喚き始める栄作。

 緊張感の漂うこの場面では空気が軽くなってありがたい、とも思うが、それでもやはり五月蝿い。耳障りである。

「栄作!」

「なん……」

 黒時の辛辣な言葉が飛んでくるのかと思いきや、そうではなかったようだった。黒時が栄作を見つめるその目は、今まで彼が見せたことのないような目。

 期待の眼差しに近いものだった。

 栄作もそれを感じ取ったようで――

「へっ! 分かってるって。俺様に任せとけよ、黒時。ホテルに誰もいなかったからお前のとこに来てみたけど、正解だったみたいだな。おーい、とさか野郎! こっちに来いよ! またドロップキックくらわせてやるからよ」
 
 あまりにも安い挑発。

 けれど、それで十分だった。沸点の低い怒髪天突には。

「あの野郎……、くそったれがぁ! そこで待ってろ、ぶっ殺してやる!」

 地を蹴り飛び跳ねる怒髪。

 彼の目には既に黒時たちの姿は映っていなかった。唯一映っているのは、自分を馬鹿にしたチャラけた男だけである。
 
 力の差は歴然。

 しかし。それでも栄作は退くことはない――できない。

 友の期待の目が、彼から逃げるという選択肢を消し去っていた。見栄坊栄作とは、そういう男なのだ。そういう男なはずなのである。

 果たしてそれが、吉とでるか凶とでるか――。

「栄ちゃん先輩にしては、格好いいことするよね、黒時先輩」

「彩香……」

「ぼ、僕、が、頑張ります。先輩は休んでいて下さい」

「駄紋……」

 二人は黒時を守る盾のように彼の前方に立った。やがて見えてくるもう一つの脅威。ベルフェゴール。
 
 黒時は思った。

 自分がやらなくても、やれなくても、やってくれる者もいるのだ――と。

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