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Chapter5 色欲の唇
第58話 悪魔と人間の友情
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『ねえ、私からもお願いよ。早く怜奈を犯してあげて』
身体に纏わりつくようなそんな声。アスモデウスの放つ声を生き物に例えるなら蛇。
巻きついて離れない、強く締め付けてくる蛇。
無視したくても、アスモデウスの言葉からは逃れられる気がしない。いつものように、先手必勝で殴りかかることができない。
拳を握り締めたまま、黒時はアスモデウスとの会話を続けざるを得なかった。
「分からないな。何故、悪魔のお前がそこまで怜奈に肩入れするんだ? 俺の推測では、悪魔は器の人間を殺すものだと思っていたんだが」
『あら。あなた本当にすごいのね。それともちょっとではなくて、かなりずれているのかしら。あなたの言う通り、私たち悪魔には適合する器が存在する。そして、悪魔を殺せるのはその器だけ。私にとっては怜奈ね。つまり、彼女を殺せば私を殺せる者はいなくなり、自由になるというわけよ』
「だったら、お前は怜奈を殺したいってことだろ? 俺にはそう見えないが」
『ええ、そうでしょうね。だって私は怜奈を殺したくないもの』
矛盾していた。
アスモデウスは怜奈を殺すことを目的としているはずなのに、奴は口では怜奈を殺したくない、と言う。
ただ適当に、それとも惑わす為に言ったのか、と黒時は思ったけれど、そうではなかった。
怜奈を殺したくない、それはアスモデウスの本心だった。
悪魔に心があるのかは知らないけれど、アスモデウスは己の底から怜奈を殺すことを拒んでいた。
『私は、怜奈が好きなのよ。だから、殺したくない、それだけ』
果たすべき役目がある。目的がある。たとえそれが非道なものであっても、やらねばならぬ時がある。
しかし。
その目的を拒んでしまうほどに、大切な何かが出来ることが、時としてある。
自分の目的を成就させるか、それとも全てを捨ててその大切な何かに想いを寄せるか、その二択はあまりにも残酷ではあるが、そんな中、アスモデウスという悪魔は【村々怜奈】という存在に想いを寄せることを選んだのだった。
きっと、アスモデウスのこの想いは、人間でも分かる者には分かったのだろう。
けれど、やはり黒時には分からなかった。悲しくも分からなかった。
「好きだから殺したくない? お前はそれでいいのか? 自由ってやつは、欲しくないのか?」
『欲しいわよ。懇願したくなるほどにね。でも、それでも私は、自由を捨てて怜奈を選んだ。彼女と一緒にいることを望んだ。あなたには分からないかしらね』
くすくす、とアスモデウスは上品に微笑をもらす。嘲笑と言うよりも、それは哀れみといった感じが強かった。
それにしても、今のこの光景はあまりに奇妙ではある。
事情を知らぬ者の目から見ればどちらが悪魔かまるで分からないだろう。
他を想う悪魔と、想いを理解できない人間。
見方を変えるなら、心を持つ悪魔と持たぬ人間。一体どちらが本物の悪魔なのだろうか。
なんて。
そんな議論をする必要はまったくない。無意味であり無価値である。答えは既に出ているのだから。
「く、黒時様——! お願いします! あぁ、はぁん、早く、犯して……」
己の性感帯を狂ったように弄りだしながら怜奈が言った。
その姿を見た黒時はどうしたことか、醜い、と思っていた。性に溺れる村々怜奈、それが彼女の本質であるはずなのに、黒時には美しいとも、面白いとも思わなかったのだ。
瑠野の時もそうだった。
あの時は命の瀬戸際だったために何も感じていなかったのかと思っていたが、もしかしたらそうではないのかもしれない。でも、だとしたら一体何が起きているのだろうか。黒時は、分からなかった。
「まあいい。アスモデウス、お前はこのまま黙って殺されてくれるのか? 俺はコアを手に入れなくちゃならない」
思案することもなく、アスモデウスは即答する。
『いいわよ、怜奈が望むのならね。彼女が私のコアが欲しいと言うのなら、喜んで死んであげるわ』
「……ここまで五体の悪魔と出会ったが、お前みたいな奴は初めてだ」
『そう? でも私はただ怜奈が好きなだけで、根底は他の悪魔たちと変わらないわ。何も変わらない』
悲しげなを目をしながら、アスモデウスは俯いた。それはまるで物思いにふけて涙する人間のように見えた。
「違う、違うぞアスモデウス。お前は他の悪魔たちとは全然違う!」
『怜奈……』
熱くなる身体を、迸る淫欲を抑えながら怜奈が叫んだ。
悲しむ友を前にして、叫ばずにはいられなかった。
「お前と初めて出会った時、私は心底驚いたし、怯えたよ。……だけど、だけど、お前はそんな私をそっと優しく抱きしめてくれた。大丈夫、と言いながら慰めてくれたじゃないか」
『そんなこともあったわね。あなたがあまりにも可愛かったものだから、つい抱きしめちゃっただけよ。あなたを慰めていたつもりなんてないわ』
「……私の心が落ち着いた後、お前は何をした? 私の側で何をしてくれた? 覚えてないとは言わせないぞ」
『? 何をって? ただあなたの話を聞いていただけよ?』
「そうだよ。お前は私の話を、私の心の全てを受け入れて聞いてくれたんだ。気持ち悪いとも言わず、去ることも無く、楽しそうに私の心を受け入れてくれた」
知らずと怜奈の頬を涙が伝う。
彼女の本質であるはずの色欲が、想いによって埋め尽くされていく。
「私は、嬉しかった! お前に出会えて、側にいてくれて嬉しかったんだ!」
『……怜奈』
「だから違うよ。お前は他の悪魔なんかとは違う。私の大切な友達だ」
『友……達……』
紫色の瞳から、漆黒の頬に涙が伝う。黒く濁った涙。
何故だろう。変になってしまったのだろうか。どうでもいいようなこの光景。悪魔と人間が涙を流しながら向き合う、ある意味滑稽にも見えるこの光景。
だというのに。
黒時は感じていた。心の底から美しいと――そう感じていた。
『ふふふ。やっぱり私は怜奈が好きだわ。あなたに出会えてよかった』
「私もだよ、アスモデウス」
涙を拭い微笑む二人。
きっとこの光景を見た者もつられてつい綻んでしまうことだろう。
だから、黒時は口を開いた。
大声で、己の中の変わっていく何かを払拭するかのように、叫んだのだった。
「茶番はもういい! 怜奈、さっさと望め! この悪魔のコアが欲しい、と。そうすればこいつは黙って殺されてくれる」
怒号。
黒時自身はそう感じていないのだろうけれど、受け手である怜奈にはそう感じていた。
「あ、あの、黒時様……」
恐る恐る怜奈が口を開く。彼の怒りが何に起因しているのかは判然とはしないが、自分が一端を担っていることは分かる。
これ以上、彼の機嫌を損ねるのは不本意だが、それでも怜奈は黒時に言わずにはいられなかった。
「アスモデウスを……、殺さないでくれませんか?」
身体に纏わりつくようなそんな声。アスモデウスの放つ声を生き物に例えるなら蛇。
巻きついて離れない、強く締め付けてくる蛇。
無視したくても、アスモデウスの言葉からは逃れられる気がしない。いつものように、先手必勝で殴りかかることができない。
拳を握り締めたまま、黒時はアスモデウスとの会話を続けざるを得なかった。
「分からないな。何故、悪魔のお前がそこまで怜奈に肩入れするんだ? 俺の推測では、悪魔は器の人間を殺すものだと思っていたんだが」
『あら。あなた本当にすごいのね。それともちょっとではなくて、かなりずれているのかしら。あなたの言う通り、私たち悪魔には適合する器が存在する。そして、悪魔を殺せるのはその器だけ。私にとっては怜奈ね。つまり、彼女を殺せば私を殺せる者はいなくなり、自由になるというわけよ』
「だったら、お前は怜奈を殺したいってことだろ? 俺にはそう見えないが」
『ええ、そうでしょうね。だって私は怜奈を殺したくないもの』
矛盾していた。
アスモデウスは怜奈を殺すことを目的としているはずなのに、奴は口では怜奈を殺したくない、と言う。
ただ適当に、それとも惑わす為に言ったのか、と黒時は思ったけれど、そうではなかった。
怜奈を殺したくない、それはアスモデウスの本心だった。
悪魔に心があるのかは知らないけれど、アスモデウスは己の底から怜奈を殺すことを拒んでいた。
『私は、怜奈が好きなのよ。だから、殺したくない、それだけ』
果たすべき役目がある。目的がある。たとえそれが非道なものであっても、やらねばならぬ時がある。
しかし。
その目的を拒んでしまうほどに、大切な何かが出来ることが、時としてある。
自分の目的を成就させるか、それとも全てを捨ててその大切な何かに想いを寄せるか、その二択はあまりにも残酷ではあるが、そんな中、アスモデウスという悪魔は【村々怜奈】という存在に想いを寄せることを選んだのだった。
きっと、アスモデウスのこの想いは、人間でも分かる者には分かったのだろう。
けれど、やはり黒時には分からなかった。悲しくも分からなかった。
「好きだから殺したくない? お前はそれでいいのか? 自由ってやつは、欲しくないのか?」
『欲しいわよ。懇願したくなるほどにね。でも、それでも私は、自由を捨てて怜奈を選んだ。彼女と一緒にいることを望んだ。あなたには分からないかしらね』
くすくす、とアスモデウスは上品に微笑をもらす。嘲笑と言うよりも、それは哀れみといった感じが強かった。
それにしても、今のこの光景はあまりに奇妙ではある。
事情を知らぬ者の目から見ればどちらが悪魔かまるで分からないだろう。
他を想う悪魔と、想いを理解できない人間。
見方を変えるなら、心を持つ悪魔と持たぬ人間。一体どちらが本物の悪魔なのだろうか。
なんて。
そんな議論をする必要はまったくない。無意味であり無価値である。答えは既に出ているのだから。
「く、黒時様——! お願いします! あぁ、はぁん、早く、犯して……」
己の性感帯を狂ったように弄りだしながら怜奈が言った。
その姿を見た黒時はどうしたことか、醜い、と思っていた。性に溺れる村々怜奈、それが彼女の本質であるはずなのに、黒時には美しいとも、面白いとも思わなかったのだ。
瑠野の時もそうだった。
あの時は命の瀬戸際だったために何も感じていなかったのかと思っていたが、もしかしたらそうではないのかもしれない。でも、だとしたら一体何が起きているのだろうか。黒時は、分からなかった。
「まあいい。アスモデウス、お前はこのまま黙って殺されてくれるのか? 俺はコアを手に入れなくちゃならない」
思案することもなく、アスモデウスは即答する。
『いいわよ、怜奈が望むのならね。彼女が私のコアが欲しいと言うのなら、喜んで死んであげるわ』
「……ここまで五体の悪魔と出会ったが、お前みたいな奴は初めてだ」
『そう? でも私はただ怜奈が好きなだけで、根底は他の悪魔たちと変わらないわ。何も変わらない』
悲しげなを目をしながら、アスモデウスは俯いた。それはまるで物思いにふけて涙する人間のように見えた。
「違う、違うぞアスモデウス。お前は他の悪魔たちとは全然違う!」
『怜奈……』
熱くなる身体を、迸る淫欲を抑えながら怜奈が叫んだ。
悲しむ友を前にして、叫ばずにはいられなかった。
「お前と初めて出会った時、私は心底驚いたし、怯えたよ。……だけど、だけど、お前はそんな私をそっと優しく抱きしめてくれた。大丈夫、と言いながら慰めてくれたじゃないか」
『そんなこともあったわね。あなたがあまりにも可愛かったものだから、つい抱きしめちゃっただけよ。あなたを慰めていたつもりなんてないわ』
「……私の心が落ち着いた後、お前は何をした? 私の側で何をしてくれた? 覚えてないとは言わせないぞ」
『? 何をって? ただあなたの話を聞いていただけよ?』
「そうだよ。お前は私の話を、私の心の全てを受け入れて聞いてくれたんだ。気持ち悪いとも言わず、去ることも無く、楽しそうに私の心を受け入れてくれた」
知らずと怜奈の頬を涙が伝う。
彼女の本質であるはずの色欲が、想いによって埋め尽くされていく。
「私は、嬉しかった! お前に出会えて、側にいてくれて嬉しかったんだ!」
『……怜奈』
「だから違うよ。お前は他の悪魔なんかとは違う。私の大切な友達だ」
『友……達……』
紫色の瞳から、漆黒の頬に涙が伝う。黒く濁った涙。
何故だろう。変になってしまったのだろうか。どうでもいいようなこの光景。悪魔と人間が涙を流しながら向き合う、ある意味滑稽にも見えるこの光景。
だというのに。
黒時は感じていた。心の底から美しいと――そう感じていた。
『ふふふ。やっぱり私は怜奈が好きだわ。あなたに出会えてよかった』
「私もだよ、アスモデウス」
涙を拭い微笑む二人。
きっとこの光景を見た者もつられてつい綻んでしまうことだろう。
だから、黒時は口を開いた。
大声で、己の中の変わっていく何かを払拭するかのように、叫んだのだった。
「茶番はもういい! 怜奈、さっさと望め! この悪魔のコアが欲しい、と。そうすればこいつは黙って殺されてくれる」
怒号。
黒時自身はそう感じていないのだろうけれど、受け手である怜奈にはそう感じていた。
「あ、あの、黒時様……」
恐る恐る怜奈が口を開く。彼の怒りが何に起因しているのかは判然とはしないが、自分が一端を担っていることは分かる。
これ以上、彼の機嫌を損ねるのは不本意だが、それでも怜奈は黒時に言わずにはいられなかった。
「アスモデウスを……、殺さないでくれませんか?」
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