画面の中の奥の君

ぽこ 乃助

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 【菜乃葉】の配信を堪能した翌日、彼女の言葉に感化されたのか、それとも別の何かなのか、どちらでも構わないが事実として、明石凜花が登校した。一時限目が終わり、休憩時間中に次の二年三組での授業の用意をしていると、教頭からお礼の言葉を頂き、そこで初めて明石凜花の登校を知った。

 先輩の数学教師は、どうやったの? と質問責めをしてきたが、僕はただ家に上がり肉じゃがをもらっただけなので、隠すわけでもなく話す内容が見つからなかった。正直に話してくれない、とそう感じ取った数学教師は、秘密にしなければいけない何かがあったんだ、と勝手な解釈をして、生徒との恋愛は色々大変ですよ、なんてインクの切れたボールペンなみに役に立たない助言をして去って行った。

 二年三組の教室に行くと、最近では空白だった席に明石凜花の姿が確かにあった。しかしながら、彼女がいじめられている現状は変化していることはなく、まだ二時限目だというのに彼女の席の周りにはゴミが散乱していた。

 僕は素知らぬ顔で現国の授業を開始した。明石凜花が持っている現国の教科書がずぶ濡れになっているようだったが、それについても知らぬ振りをした。
 
 明石凜花が何を思って登校したのかは分からない。僕が課された仕事は彼女を登校させることだったわけで、それ以上のことは関与する必要はない。たとえ、目の前でいじめられているとしても、無視し続けることに問題はない。

 まあ、恐らく、というか絶対に、一教師としてこのスタンスは間違っているのだろう。我が身可愛さにいじめられている生徒を無視し、加害者を放置する。学校の外の世界でそんな話を聞けば、即炎上案件でしかない。

 けれど、こんなものだ。

 何を、夢見ている? まさか教師がマーベルコミックの中から現れた者だとでも思っているわけではあるまい。過度な期待を抱いている者たちと同様の、同レベルの、下手をすればそれ以下の人間性しか持ち合わせていない。

 明石凜花の母親も、夢見がちな人間と言える。昨日の僕への言動や態度を鑑みるに、教師ならなんとか出来るでしょ、教師なんだからなんとかしてよ、という心情がだだ漏れだった。

 仕方ないと言えば、仕方ない。教師なんて大それた肩書を見聞きすれば、やはり何か期待はしてしまう。僕だってそうだ。

 でも、よく見てみろ? 肩書なんかに騙されて、その人間性をないがしろにしてしまっていないか。教師だから優れた人間なんだ、なんていう偏見を持ち合わせていないか。

 僕は、ただの人間で。簡単に諦めて絶望して、人と関わることを毛嫌いするような根暗だ。

 だから、もしも明石凜花が昨日の【菜乃葉】の配信に影響を受けて、たまたま家を訪れてしまった僕を味方として認識してしまったのなら、大きな間違いだ。僕は明石凜花がどうなろうかどうでもいいと思っているし、昨日家に訪れたのは、仕事だから致し方なし、という感情以外のものはない。

「杉並先生は、人生楽しいですか?」

 放課後になり、あらかた仕事を片付けて駐車場に行き、スマートキーで車のロックを解錠してドアに手をかけた折、背後からそう尋ねられた。

 振り返ると、そこにいたのは体操服姿の明石凜花だった。

「いきなり、なんだ? それに、制服はどうした?」

 濡れた髪とテンプルが曲がってしまった眼鏡。彼女の悲惨な姿を見れば、大体の想像はついた。トイレにでも入っている時に、上から大量の水を浴びせられ、床に落ちた眼鏡を立ち上がった拍子にでも踏んでしまったのだろう。なんと古典的ないじめか。まあ、SNSで大勢から誹謗中傷されるよりかは、ましのようでもあるか。

「制服は濡れたので、着替えました。それより、先生は楽しいですか?」

 きっ、と睨みつけるように彼女は僕を見た。まるで、僕のせいでこうなったとでも言わんばかりに。

「質問の意図が分からない。一体、君は何を言っているんだ?」
「そのままの意味です。杉並先生にとって、今の人生は楽しいかどうか聞いています」

 内容は分かる。だが、そうではない。肝心の真意が分からないのだ。何故、僕にそんな質問をするのか、それが分からない。

「昨日の【菜乃葉】の配信のせいか? 悪いが、僕は君の味方になるつもりはないよ」
「分かってます。そうじゃないんです」
「僕にはさっぱり分からないな。何が聞きたいんだ?」
「楽しいのか楽しくないのか、それだけです」
「……楽しいよ」

 明石凜花の顔が曇った。きっと僕の解答は、彼女が望んだものではなかったのだろう。その証拠に、彼女の目つきは鋭さを増して、親の仇を見ているようだった。

「私は、楽しくありません」
「…………そうだろうな」
「居場所がないんです」
「学校でいじめられていても、家に帰れば親がいるだろう? 家にはあるんじゃないのか? その居場所ってやつ。親は、君に優しくしてくれるだろうし」
「ないです」

 明石凜花は、逡巡することなくはっきりと言い放った。それは、家や学校だけではなく、この世界そのものを拒絶しているようだった。明石凜花の目から零れた雫が、涙なのか被った水なのか、僕には分からなかった。

「だったら、別の人生を歩んでみたらいいんじゃないか? ほら、【菜乃葉】みたいに」
「そうですね。そういえば先生って、【菜乃葉】ちゃんが好きなんですね。Vtuber談義をしましょう。家まで、送って行ってください」

 なんで僕が、とは言えないか。見るからに無残な格好な生徒を見捨てて帰ってしまえるほど、冷徹にはなれない。どこかで誰かがこの状況を見ていたら、後日、女子生徒を車に乗せて帰ったと騒がれるかもしれないが、そこは彼女の親御さんにも送ってきた事情を説明して擁護してもらうことにしよう。
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