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「私が登校することで、先生に何かメリットがあるんですか? 例えば、特別賞与がもらえるとか」
見慣れた建物が窓の外で流れて行くのを背景に、明石凜花は流暢に喋っていた。学校での彼女しか知らないけれど、僕の彼女の印象は、物言わない無機質のようなものだった。意外、というには、僕は彼女のことを知らなすぎた。
「押し付けられたんだ。君の様子を見て来るようにね。あ、これを言ってしまうと、君は嫌な思いをしてしまうな。配慮が足りなかった」
「大丈夫です。そんなことだろうと思ってましたから。私だって、先生たちの立場になったら、面倒な子の相手はしたくない、って思います」
諦観ではなく、もっと暗いじめっとしたものを感じた。ひねくれた諦めの極致、なんとなく分かってしまう自分もまた、彼女曰く面倒な子に分類されかねない。
「私が登校した理由、先生は【菜乃葉】ちゃんの影響だと思っているみたいですけど、それは半分です。もう半分は、先生みたいな学校の人が家に来ないようにするため、です」
「――なるほど。登校さえしておけば、学校側もわざわざ家に出向いたりしないものな。いじめられていることを親には言ってないみたいだし、教師が家には来るのは不都合か。言うつもりはないのか? あの親御さんなら助けてくれそうじゃないか」
「表面上だけですよ。だって、そうじゃないですか? 登校しない、ということを悪として接してくるんですよ? 本来、そこに善悪もないと思いませんか?」
「善悪はないが、社会の規範はある。学校は、勉強を学だけじゃなくてそういったことも肌で実感する場所だから」
言っておいてぞっとする。生徒たちが青春の苦悩を謳歌している横で、教師たちは大人のおぞましく厭らしい社会の渦を泳いでいるのだ。
格好つけたところで、人と真摯に向き合うことと社会性が比例しないことを叩きつける、嫌な大人でしかない。
明石凜花は、学校指定の鞄の中からスマホを取り出して操作をし始めた。装飾がない、透明なカバーをつけた白いスマホ。背面カバーの中にちらっと見えたのは、【菜乃葉】のイラストカードだった。少し前に、【菜乃葉】が所属する事務所のVtuberがプリントされた、イラストカード付きのウエハースが販売されていた。
当然、僕もネットで二十個入りの箱を三箱買った。計五十種類ということだったので六十個もあれば十分だろうと余裕綽々だったのだが、どういうわけか、お目当ての【菜乃葉】のカードだけ一種類揃わなかった。シークレットは出たのだが、一番レアリティの低いノーマルが出なかった。
そして、明石凜花がカバーの中に入れているカードこそ、僕が欲していたノーマルの【菜乃葉】のようだった。
「話は変わるが、明石さん。そのカード、シークレットの【菜乃葉】と交換してもらえないか?」
彼女の視線が僕の右頬に集中しているのが分かった。運転中なので顔をそちらに向けるわけにはいかないが、何か言いたげな空気がある。しばらく待ってみて、明石凜花は驚愕したような口調で言葉を発した。
「まさか、【菜乃葉】ちゃんのリアタイをしたくて生徒を放置するような大人が、このカードを持ってないとは思ってませんでした」
「僕だって絶対に手に入ると思っていたんだ。メルカリやヤフオクで買うのは、どうも、知らない人が触っている、というのを思うと買えなくて。でも、君なら知っている人間でもあるし、見た感じ、カードの状態も申し分ない。どうだ、シークレットだぞ?」
なぜか、シークレットは箱それぞれに一枚ずつ入っていたので、計三枚持っている。可愛い【菜乃葉】がキラキラと輝いているイラストカードは、浴槽一杯にあっても困ることはないが(物量的には困るが)、あのノーマルのカードがまだ手元にないのは大いに困る。買い集めたシリーズなのだから、コンプリートしたいという収集の欲求が、現物を目の当たりにして一気に噴き出した。
「シークレットなら、私も持ってます。なので、いりません。ちなみに、このノーマルは六枚持ってます」
……六枚、だと?
「ならば、金か? 金を払えばいいのか? いいだろう、幾らだ? 残念ながら【菜乃葉】へのお布施でほとんど貯金も失ってしまっているが、幾らでも払ってやる」
「それ、大丈夫なんですか?」
ため息が聞こえる。大の大人が十代の女の子に心配されるという構図は、あまりにも痛々しい。言い訳をするならば、僕だって【菜乃葉】に出会うまでは、金銭面においてそれなりに堅実ではあった。【菜乃葉】が悪いと言うわけではない。【菜乃葉】の魅力が、凄まじいのだ。
「お金なら大丈夫です。それより、一個だけお願いを聞いてもらえませんか?」
「社会的に問題ないのなら幾らでも」
「かすりもしませんから、安心して下さい。私のおすすめのVtuberの配信を、見てもらいたいんです」
赤信号になって、ブレーキをゆっくりと踏む。車の速度が緩やかになって、停止線の少し前で車体が止まった。僕は、明石凜花の方へ顔を向けて、首を傾げながら尋ねた。
「【菜乃葉】、じゃないのか?」
「それは、最推しです。他のVtuberです」
「同じ事務所とかなら、ほとんど見てるぞ。一応、【菜乃葉】と絡みのある人たちは目を通しているから」
「有名じゃないんです。底辺、といっても過言ではありません。個人でやってる方なんですけど」
そう言って、明石凜花のスマホの画面が、僕の眼前へと突き付けられた。そこには、明らかに【菜乃葉】の姿をイメージしたであろう女性キャラクターの姿があった。
水色の長い髪に、ちょっとどこか眠たげな眼。全体的にふんわりとした印象が漂うそのキャラクターは、動画の画面の右下に位置していて、背景にはゲームの画面が映し出されている。【菜乃葉】の配信画面にあるような、コメントが流れる箇所はないようだ。
明石凜花は、自分のおすすめのVtuberの配信画面を一時停止させ、僕に見せてきたようだった。
「名前は、【リンリン】です」
見慣れた建物が窓の外で流れて行くのを背景に、明石凜花は流暢に喋っていた。学校での彼女しか知らないけれど、僕の彼女の印象は、物言わない無機質のようなものだった。意外、というには、僕は彼女のことを知らなすぎた。
「押し付けられたんだ。君の様子を見て来るようにね。あ、これを言ってしまうと、君は嫌な思いをしてしまうな。配慮が足りなかった」
「大丈夫です。そんなことだろうと思ってましたから。私だって、先生たちの立場になったら、面倒な子の相手はしたくない、って思います」
諦観ではなく、もっと暗いじめっとしたものを感じた。ひねくれた諦めの極致、なんとなく分かってしまう自分もまた、彼女曰く面倒な子に分類されかねない。
「私が登校した理由、先生は【菜乃葉】ちゃんの影響だと思っているみたいですけど、それは半分です。もう半分は、先生みたいな学校の人が家に来ないようにするため、です」
「――なるほど。登校さえしておけば、学校側もわざわざ家に出向いたりしないものな。いじめられていることを親には言ってないみたいだし、教師が家には来るのは不都合か。言うつもりはないのか? あの親御さんなら助けてくれそうじゃないか」
「表面上だけですよ。だって、そうじゃないですか? 登校しない、ということを悪として接してくるんですよ? 本来、そこに善悪もないと思いませんか?」
「善悪はないが、社会の規範はある。学校は、勉強を学だけじゃなくてそういったことも肌で実感する場所だから」
言っておいてぞっとする。生徒たちが青春の苦悩を謳歌している横で、教師たちは大人のおぞましく厭らしい社会の渦を泳いでいるのだ。
格好つけたところで、人と真摯に向き合うことと社会性が比例しないことを叩きつける、嫌な大人でしかない。
明石凜花は、学校指定の鞄の中からスマホを取り出して操作をし始めた。装飾がない、透明なカバーをつけた白いスマホ。背面カバーの中にちらっと見えたのは、【菜乃葉】のイラストカードだった。少し前に、【菜乃葉】が所属する事務所のVtuberがプリントされた、イラストカード付きのウエハースが販売されていた。
当然、僕もネットで二十個入りの箱を三箱買った。計五十種類ということだったので六十個もあれば十分だろうと余裕綽々だったのだが、どういうわけか、お目当ての【菜乃葉】のカードだけ一種類揃わなかった。シークレットは出たのだが、一番レアリティの低いノーマルが出なかった。
そして、明石凜花がカバーの中に入れているカードこそ、僕が欲していたノーマルの【菜乃葉】のようだった。
「話は変わるが、明石さん。そのカード、シークレットの【菜乃葉】と交換してもらえないか?」
彼女の視線が僕の右頬に集中しているのが分かった。運転中なので顔をそちらに向けるわけにはいかないが、何か言いたげな空気がある。しばらく待ってみて、明石凜花は驚愕したような口調で言葉を発した。
「まさか、【菜乃葉】ちゃんのリアタイをしたくて生徒を放置するような大人が、このカードを持ってないとは思ってませんでした」
「僕だって絶対に手に入ると思っていたんだ。メルカリやヤフオクで買うのは、どうも、知らない人が触っている、というのを思うと買えなくて。でも、君なら知っている人間でもあるし、見た感じ、カードの状態も申し分ない。どうだ、シークレットだぞ?」
なぜか、シークレットは箱それぞれに一枚ずつ入っていたので、計三枚持っている。可愛い【菜乃葉】がキラキラと輝いているイラストカードは、浴槽一杯にあっても困ることはないが(物量的には困るが)、あのノーマルのカードがまだ手元にないのは大いに困る。買い集めたシリーズなのだから、コンプリートしたいという収集の欲求が、現物を目の当たりにして一気に噴き出した。
「シークレットなら、私も持ってます。なので、いりません。ちなみに、このノーマルは六枚持ってます」
……六枚、だと?
「ならば、金か? 金を払えばいいのか? いいだろう、幾らだ? 残念ながら【菜乃葉】へのお布施でほとんど貯金も失ってしまっているが、幾らでも払ってやる」
「それ、大丈夫なんですか?」
ため息が聞こえる。大の大人が十代の女の子に心配されるという構図は、あまりにも痛々しい。言い訳をするならば、僕だって【菜乃葉】に出会うまでは、金銭面においてそれなりに堅実ではあった。【菜乃葉】が悪いと言うわけではない。【菜乃葉】の魅力が、凄まじいのだ。
「お金なら大丈夫です。それより、一個だけお願いを聞いてもらえませんか?」
「社会的に問題ないのなら幾らでも」
「かすりもしませんから、安心して下さい。私のおすすめのVtuberの配信を、見てもらいたいんです」
赤信号になって、ブレーキをゆっくりと踏む。車の速度が緩やかになって、停止線の少し前で車体が止まった。僕は、明石凜花の方へ顔を向けて、首を傾げながら尋ねた。
「【菜乃葉】、じゃないのか?」
「それは、最推しです。他のVtuberです」
「同じ事務所とかなら、ほとんど見てるぞ。一応、【菜乃葉】と絡みのある人たちは目を通しているから」
「有名じゃないんです。底辺、といっても過言ではありません。個人でやってる方なんですけど」
そう言って、明石凜花のスマホの画面が、僕の眼前へと突き付けられた。そこには、明らかに【菜乃葉】の姿をイメージしたであろう女性キャラクターの姿があった。
水色の長い髪に、ちょっとどこか眠たげな眼。全体的にふんわりとした印象が漂うそのキャラクターは、動画の画面の右下に位置していて、背景にはゲームの画面が映し出されている。【菜乃葉】の配信画面にあるような、コメントが流れる箇所はないようだ。
明石凜花は、自分のおすすめのVtuberの配信画面を一時停止させ、僕に見せてきたようだった。
「名前は、【リンリン】です」
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