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「今日で退院だね。おめでとう。」
「ありがとうございます。」
血圧と体温を慣れた様子で測定しながら看護師が言う。
開放された窓からは、春の匂いが溶け込んだ暖かな風が吹いている。
段ボールは既に積まれており、片づけられた部屋がこの場所を去ることを実感させた。
朝食を食べた後、貸出品のパジャマから外に出るための新しい服に着替える。
ロビーで手続きを済ませると、外に待機している車が見えた。
「元気でね。」
見送りに来てくれた主治医や葵に手を振り返す。
車が出発し、姿が見えなくなると景色は自然豊かな庭園から都会の街並みへと変わった。
* * * *
「もうすぐ着くよ。」
「黒田」と名乗った職員は道幅が狭まっても速度を落とすことなく、器用にハンドルを操る。
児童相談所のワンボックスカーは乗用車と比べて空間が広く、増えた荷物を合わせても充分な余裕があった。
元自宅から持ってきた通学用に買ったリュックサック。
衣類や教科書などの重い物は段ボールに移したため、中身はそれほど多くない。
ネックレスとカメラ、それに保険証をはじめとした貴重品。
内側のポケットは院内学級の子供達から貰った手紙で膨らんでいる。
「いらっしゃい。」
『学生会館 ラ・ポーズ』と記されたツートンカラーの外壁。
エントランスで出迎えてくれたのは寮母の夏野さんで、入居申込の時に何度か会っている。
「お世話になります。」
黒田さんに手伝ってもらいながら部屋まで荷物を運ぶ。
この寮では最上階にあたる『406』号室が新しい俺の家だ。
カードキーで施錠を解除すると7畳のスペースが現れる。
基本的な設備は病院とあまり違いはなく、家具と家電は一通り揃っていた。
「何かあったらいつでも連絡してね。」
「はい。お気を付けて。」
数回往復すると車は空になり、黒田さんとはそこでお別れだ。
力仕事で疲弊した体を床に降ろすとフローリングのひんやりとした感覚が肌に伝わった。
(…誰だ?)
インターホンの音がなる。
戸を開けた先にいるのはツーブロックの髪をした青年。
おそらく大学生だろう。
「晩飯出来てるから来いよ。」
病院を出たのは朝のはずが気づけばもう夜だ。
エレベーターで1階に行き、食堂まで案内された。
「ようこそ!」
テーブルの上に並べられた料理とグラス。
寮生に囲まれた団欒の場の中央に寄せられる。
「カンパーイ!」
ぶつけられたグラスと共に歓迎会が始まる。
「よろしくな。」
「こちらこそよろしくお願いします。」
自己紹介をしながら一人一人に挨拶を交わす。
賑やかな雰囲気と大勢で囲む食卓。
初めてのことが次々に起こっている。
「急にごめんね。後輩が入るなんて珍しいから、皆はしゃいでるの。」
夏野さんはそう言いながら微笑む。
大学生の先輩達を優しく見守る目はまるで母親のようだった。
部屋に戻る頃には時計は20時半を回っていた。
電話をかけようとスマホを手に取る。
この時間帯なら事務室に居るだろう。
ずっとあのマンションに置きっぱなしになっていたのでスマホを触るのも随分久しい。
「…もしもし」
「今は部屋か?」
電話に出た声、賑やかなのも悪くないがこれを聞くと不思議と安心する。
「…龍一は?」
「仕事は落ち着いてるから大丈夫だ。寮はどうだ?」
「さっき、歓迎会してもらった。上手くやっていけそう。」
退院する前に言われた事の一つが「もう患者じゃないんだから、先生はいらない。出来る範囲でいいから敬語も外してくれ。」だった。
親しんだ喋り方を変更するのは難しく、未だ慣れそうにない。
告白の時は何故か出来ていたらしいのだが、あれは咄嗟の事だったから訳が違う。
呼び方に関しても「さん付け」とか他のがあったのに、試しに呼んでみたのが思いの外気に入られてしまった。
「…やっぱり、慣れない。」
「ゆっくりでいいからな。」
(…会いたい。)
電話越しなのが少しもどかしい。
直接会いたいと口には出せなくて、悶々としていると向こうから誘いがやって来る。
「来月の最初の日曜って空いてるか?」
「…う、うん。」
くぐもった声に耳を傾ける。
「二人で出かけないか?」
「ありがとうございます。」
血圧と体温を慣れた様子で測定しながら看護師が言う。
開放された窓からは、春の匂いが溶け込んだ暖かな風が吹いている。
段ボールは既に積まれており、片づけられた部屋がこの場所を去ることを実感させた。
朝食を食べた後、貸出品のパジャマから外に出るための新しい服に着替える。
ロビーで手続きを済ませると、外に待機している車が見えた。
「元気でね。」
見送りに来てくれた主治医や葵に手を振り返す。
車が出発し、姿が見えなくなると景色は自然豊かな庭園から都会の街並みへと変わった。
* * * *
「もうすぐ着くよ。」
「黒田」と名乗った職員は道幅が狭まっても速度を落とすことなく、器用にハンドルを操る。
児童相談所のワンボックスカーは乗用車と比べて空間が広く、増えた荷物を合わせても充分な余裕があった。
元自宅から持ってきた通学用に買ったリュックサック。
衣類や教科書などの重い物は段ボールに移したため、中身はそれほど多くない。
ネックレスとカメラ、それに保険証をはじめとした貴重品。
内側のポケットは院内学級の子供達から貰った手紙で膨らんでいる。
「いらっしゃい。」
『学生会館 ラ・ポーズ』と記されたツートンカラーの外壁。
エントランスで出迎えてくれたのは寮母の夏野さんで、入居申込の時に何度か会っている。
「お世話になります。」
黒田さんに手伝ってもらいながら部屋まで荷物を運ぶ。
この寮では最上階にあたる『406』号室が新しい俺の家だ。
カードキーで施錠を解除すると7畳のスペースが現れる。
基本的な設備は病院とあまり違いはなく、家具と家電は一通り揃っていた。
「何かあったらいつでも連絡してね。」
「はい。お気を付けて。」
数回往復すると車は空になり、黒田さんとはそこでお別れだ。
力仕事で疲弊した体を床に降ろすとフローリングのひんやりとした感覚が肌に伝わった。
(…誰だ?)
インターホンの音がなる。
戸を開けた先にいるのはツーブロックの髪をした青年。
おそらく大学生だろう。
「晩飯出来てるから来いよ。」
病院を出たのは朝のはずが気づけばもう夜だ。
エレベーターで1階に行き、食堂まで案内された。
「ようこそ!」
テーブルの上に並べられた料理とグラス。
寮生に囲まれた団欒の場の中央に寄せられる。
「カンパーイ!」
ぶつけられたグラスと共に歓迎会が始まる。
「よろしくな。」
「こちらこそよろしくお願いします。」
自己紹介をしながら一人一人に挨拶を交わす。
賑やかな雰囲気と大勢で囲む食卓。
初めてのことが次々に起こっている。
「急にごめんね。後輩が入るなんて珍しいから、皆はしゃいでるの。」
夏野さんはそう言いながら微笑む。
大学生の先輩達を優しく見守る目はまるで母親のようだった。
部屋に戻る頃には時計は20時半を回っていた。
電話をかけようとスマホを手に取る。
この時間帯なら事務室に居るだろう。
ずっとあのマンションに置きっぱなしになっていたのでスマホを触るのも随分久しい。
「…もしもし」
「今は部屋か?」
電話に出た声、賑やかなのも悪くないがこれを聞くと不思議と安心する。
「…龍一は?」
「仕事は落ち着いてるから大丈夫だ。寮はどうだ?」
「さっき、歓迎会してもらった。上手くやっていけそう。」
退院する前に言われた事の一つが「もう患者じゃないんだから、先生はいらない。出来る範囲でいいから敬語も外してくれ。」だった。
親しんだ喋り方を変更するのは難しく、未だ慣れそうにない。
告白の時は何故か出来ていたらしいのだが、あれは咄嗟の事だったから訳が違う。
呼び方に関しても「さん付け」とか他のがあったのに、試しに呼んでみたのが思いの外気に入られてしまった。
「…やっぱり、慣れない。」
「ゆっくりでいいからな。」
(…会いたい。)
電話越しなのが少しもどかしい。
直接会いたいと口には出せなくて、悶々としていると向こうから誘いがやって来る。
「来月の最初の日曜って空いてるか?」
「…う、うん。」
くぐもった声に耳を傾ける。
「二人で出かけないか?」
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