だから、私は愛した。

惰眠

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第一章

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 私はいつも朝早くに登校する。
 理由としては、彼らの一部始終をこの目で捕らえるという楽しみがあるためだ。

 私は、鏡を見ながら小さな髪の散らかりを直し、服のしわを少し正す。

 日直の書かれた黒板の字が少し気になったので、綺麗に消して書き直す。
 自身の字は、綺麗とは言い切れないが、この字は流石に見過ごせない。

 私は納得して自分の席に戻る。

 窓際の六席ある中の後ろから二番目。
 そして、彼の席は隣の列の斜め前だ。
 丁度、邪魔をせず邪魔されずのいい席だ。
 ここからなら彼らがどのように登校しているのかが一目で見えるようになっている。

 今日も彼らは悪びれもなく登校してきた。
 きっとそれが彼らにとっての日常だから。

 少し遅れてとぼとぼと歩いてやってきた。
 彼はまた日常へとやってきてしまった。
 静かに流れる空間が彼だけには、重くのしかかっているようだ。
 彼だけ、その空間というのもが歪んでいるようで、他の生徒よりも明らかにその歩みは遅い。
 遅いが、確実にこちらへと進み続ける歩みは、とても胸を躍らせるものがある。

 ちらほらと生徒が教室へと入場していく中、頭の悪そうな素晴らしい爆笑と共に、彼らは教室にやってくる。
 彼らは、今日はどんなことをしてやろうなどと、彼へのいじめの計画を楽しそうに話し合っている。
 私は、そのつまらない会話に少しだけ耳を傾け、何が起こるのかの予想に自信の想像力を少しだけ働かせる。

 彼はいまだ校庭の真ん中というところだ。
 楽しげに語る隣にいる男子生徒や女子生徒たちが対照的で、とても彼はわかりやすい。

 優しくはない彼の周囲の空気感が私の元にやってくることを考えると喜んで抱きしめてやりたいくらいだ。
 いっそのこと包丁やナイフといった、刺突系の武器を持ってきて勢いよく私の元に飛びついてきたものなら、犬にするように最後の時まで撫でてやるかもしれない。

 このロミオとジュリエットのような気分になれるこの場所は私にとって満足のいく特等席のはずだ。

 そろそろ、朝のホームルームへと時間が迫ってくるようだ。

 彼はその緩やかの歩みから静かに私の死角へと隠れていった。

 彼がここにやってくるまで約十分。
 彼らがいじめるまで約十分。
 そして、先生の救いが来るまで約二十分。

 私が楽しめる約十分の間、どのような苦しみと悲しみの表情が見れるのかというのが楽しみで仕方がない。

 私は、彼にとっての天使でも悪魔でもなく、どこにでもいる生徒A程度にしか映らないが、それこそが望ましい。
 そして、聞こえない先で足は音を立てて近づいてくることだろう。

 彼にとっていつも通りの日常が始まることだろう。

 やさしさのない過酷な生存競争のようなこの教室で、無事生き残ってくれることを私は願うばかりだ。

 彼はいつも誰にも逆らわない。

 頼まれたら素直に従うその姿は、小動物のようなかわいさを併せ持っている。

 そして、扉は静かに申し訳なさそうに開かれる。

 彼がやってきた。
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