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下巻 第四章 (2)

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 玄関近くにたどりつき、そのあたりの植え込みから様子をうかがうと、そこには数人の兵士たちが待機していた。彼らは、まだ天美が兵舎の中にいると思っているのか、
「○○○○ネバー・キル・ザ・ガール! イフ○○○○○」
 ガスマスクをつけた上官らしき兵士が、同じく装着した下官たちに命令をしていた。
〈『その少女を、決して殺すな!』か、そのあとは、『もし、手違いでも殺したら、軍法会議なんかにかけずに、即、処刑』か、これは、また厳しい〉
 天美は複雑な顔をしながら、その様子を見つめていた。玄関前の会話は続いていた。
「つまり、スパイらしき少女が、この宿舎の中にひそんでいるのですね?」
 下官の一人が納得がいかないのか、そう上官に質問をしていた。
「そうだ。配置につけ! そいつを捕まえるんだ!」
「でしたら、今から、この中のみんなの連絡をした方がいいと思うのですが」
「それはできん。相手は、すごい・・」
 隊長の言葉が止まった。それ以上は聞かされてなかったからである。
「すごい、何ですか?」
「そんなもの、えーと、すごい武器を持っているに決まっているだろ。それによく聞け、今回、上からの命令で、宿舎の中には連絡をしてはいけないという・・」
 ここで、隊長の目つきが変わった。一人の携帯をかけ始めた部下を見つけたのだ。
「おい、そこで、何をしてる?」
「何をって? この中にいる友だちに、何が起きているか尋ねようとしていたのですが」
「だから、それは禁止になったんだ。上からの言葉によると、宿舎内のものが、今回のことを知ったら、当然、捕まえようとするだろう」
「当たり前ですよ。相手はスパイなのですから」
「だから、その行為がまずいんだ。無理に捕まえようとしてはいけないのだよ。そういうことで、はやる気持ちはわかるが、中に踏み込むことも禁止だ。この兵舎の出入口はここだけだ。ここに、出てくるのを待つのだ。もし次、通話を見つけたら麻酔銃で撃つ」
「殺してはいけない。中に入って捕まえようとしてはいけない。中に連絡をしてはいけない。隊長殿、言っていることが、今一つ、無茶なような感じがしますが」
 別の兵士が不思議顔で尋ねた。一同は、みんな、さっぱり理解がいかないようである。
「だから、誰も宿舎の中で捕まえようとしてはいけないのだ。命令から見ても、相手はニトロか細菌兵器を持っているはずだ。捕まえようとして、ぶちまかれたら大事だからな」
「それなら、そんな奴、いくら、女の子といえども問答無用で射殺しないと」
「その容器をおとしたら、どうなるんだ。即、処刑の意味をよく考えろ。それにな、普通、少女が単独で、こんなことを仕掛けてくると思っているのか?」
「そ、それはないですね。言われてみれば」
 その質問をした部下は、納得をしたように答えた。
「だからだ、この少女を殺してはいけないのだ。背後関係がわからなくなるからな、そういうことで、この場所で待ち伏せて、麻酔で応対すると決まったわけだ。この即効性のガスなら、噴射の瞬間、どんな相手だって眠らせることができるからな。危険物があったら、少女が手放した瞬間、ネットですくえばよい、そのための準備もしてある」
「わかりました。隊長」
「正直言って、おれもホッとしてるよ。十五といえば、本土に残した娘と一緒だからな」
〈なるほど、だから、中の兵士たちは、わったしのこと知らなかったのね〉
  彼女はそう思っていたが、これ以上、兵士たちの会話を聞いていても仕方がないので、次の行動を開始した。彼女は兵士たちの目を盗んで、植え込みから飛び出すと、その兵士たちの流れの少ない方向を選んで走った。
 彼女は方向感覚は敏感で普段は道に迷わないのだが、今回は違っていた。目が覚めたちきは、すでに基地の中、目隠しで連れ込まれた状況と同じである。
 たとえ、感覚が維持できたとしても、この基地の構成自体が、どうなっているか把握をしていなかった。手探りの状態みたいなものであった。
  そんな場所を、うろうろなんかしていたら、当然、怪しまれる。
「HEY HOLD UP!」
 冷たい、命令調の声が聞こえてきた。彼女が振り向くと、一台のジープが向かってきていた。そのジープには、右腕に巡回の腕章をつけた二人の兵士が乗車しており、一人の兵士は、彼女が逃げ出すことができないように銃を助手席の上で構えていた。
 銃を構えた兵士は笑みを浮かべ、もう一人の運転士の兵士は、脱走少女を見つけた連絡をするためか、トランシーバーのスイッチを入れた。
 兵士たちと天美の距離は約十五メートル、何もできる状況ではなかった。

  競羅は、自分のアパートに戻り着替えをしていた。ドレスでは、おもい切った行動ができないので、まずは、着替える必要があったからだ。着替えながら彼女は思っていた。
〈本当に、これだけの仕掛けで、よかったのであろうか? もしかしたら、まだ何か、第二、第三と仕掛ける策が、あったのでないか?〉
  と、いう後悔に近い考えが頭に浮かんできていた。
〈けどね、短時間で打てた手は、これしかなかったのだよ〉
 結局、彼女は無理に、そう気持ちを納得させたのである。
 その後、着替えをし終えた彼女は、アパートの玄関を出た。とそこには、一人の男が、
「十条警部!」
 競羅は反射的に声をあげた。男は十条警部であった。
「やあ、朱雀さん、驚かせたようだね」
 警部は、にこやかな目をして口を開いた。
「まあ、普通はびっくりするよ。だいたい、あんたが、なぜ、ここにいるのだよ?」 
「実は、とても聞き捨てならないことを、君の知り合いの記者君から聞いてね」
「記者、数弥のことだね! あいつに何をだよ?」
「何をって、すべてかな。天美ちゃんが米軍に捕まっているところまでね」
「そこまで、しゃべっちゃったのかよ。けどね。あんただって、行き当たりばったりで、数弥に詰め寄ったわけではないだろ、何か確証みたいなものを得たのだろ」
「それか、あれから、刑事だったマンションの守衛から、興味がある話を聞いたのさ」
「ナル坊だね、興味があるって、トンネルのことを、数弥が確かめたことか」
「そう、だから、記者君のところに行ったのさ。彼も最初はとぼけていたが、本部に連れてって、ちょっとおどかしたら、すぐに、事の次第を洗いざらいしゃべってくれたよ。あとは、君の行動は手に取るようにわかるから、ここに来たというわけで」
「そういうことか」
「わかってもらえたら、それでいい」
「それで、あんたが、ここに来たという理由だけど、それは、まだ聞いてないね」
「ここに来た理由か」
 警部はそう復唱をすると、目を真剣にして言った。
「君が今からしようとしている天美ちゃんの救出計画。僕も混ぜてもらえないかな」
「けどね、あんたも、わかっていると思うけど、場所は米軍基地、かなりの難題だよ」
「それは、承知の上だ!」
 警部は声を上げた。決意のあらわれである。
「承知か。あんた、場合によっては自分の立場まで、悪くなるよ。国際問題になりかねないことに首を突っ込むのだからね。仲間になるなら、職を辞す覚悟をしないと」
「それぐらい、何でもない」
「何でもないか。では、まずは、あんたの調べたことについて、教えてくれないかい」
「警察は情報を一般人に教えることは、規則によってできないことは知っているよな」
「むろん、それぐらい知ってるよ。けどね、あんたは、警察をやめる、という覚悟があるのだろ。それを、捜査情報を教えることぐらいで、ちゅうちょするなんて。こっちは、あんたの覚悟を知りたいのだよ。教えられないのなら、それぐらいの気持ちということだよ」
 競羅の言葉に、十条警部は考え込んだ。そして、すぐに、納得したのか、
「わかった。やはり、君は手強い。君相手に、一方的な要求をするのは難しいな。では、これを見せるから、ショックを受けないでくれよ」
  と答えると、携帯を取り出した。そして、簡単な操作をし始め、その中の一枚の写真を競羅に見せた。何と、そこには、顔の中央に穴が開いた天美の写真が!」
 それを見て、さすがに驚いた競羅、
「こ、これは!」
「朽木さんのテーブルの引き出しから、出てきた写真のうちの一枚だ」
「まいったね、ここまで、あの子を憎んでいたのか」
「そういうことかな。そして、その理由は、これかな」
 と警部は二枚目の写真を競羅に見せた。その写真には、二人の人物が写っており、一人は朽木元警部補、もう一人は、ピースポーズをした笑顔の少女であった。そのあと、
「この子は、娘さんかな。もっとも、二人が一緒に写っているぐらい、古い物だが」
 そして、警部は、写真発見後、その写真を手がかりにして、自分が調べたこと(娘の自殺事件の背景)について競羅に話した。話を聞いた競羅は、しみじみとした口調で、
「そうかい、そんなものが。やはり、御雪が話していた通りの背景だったのだね」
「やはりって、君も、ある程度は知っていたのか!」
 警部は心から驚いていた。こんな、極秘情報をどこでつかんだのか。
「ああ、あいつはあいつで、特殊なルートを持っているからね」
「そうか、どちらにしても、捜査情報をもらしたのだから。僕の覚悟もわかってくれたね」
「ああ、商談成立だね。本音を言うと、こっちも、仲間は多い方が心強いからね」
  競羅は笑って答え、こうして、十条警部も、天美救出に協力することになった。
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