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下巻 第七章 (3)

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「それで、まず、どこから聞きたいのかな? むろん、話せないこともあるけど」
「では、最初の質問だけど、あの香港人のファンさん殺した犯人、やはり、わったし誘拐した刑事さんだったの? わったしには、そう思えないのだけど」
 その質問に、アロンは、しばらく考えていたが、やがて、微笑むと言った。
「それかい、それぐらいなら話でも問題ないね。ファンの死因、あれは、交通事故だよ」
「えっ! 交通事故!」
 天美は驚きの表情をした。まさかの返答であったのだ。
「驚いたかい、本当に事故だったのだよ。カップルの乗っていた大型RVに、ひかれてね」
「でも、そんな話、急に言われたって」
「普通は信じないよな。でも、事実なんだ。よく聞いてよ」
  アランはそう前置きを言うと、真相について話を始めた。
「ミスター朽木が、僕たちに協力する条件に、ファンを拘束することがあったんだ。一番、恨んでいた相手だったからね。そのあとファンを、どうする気か知らなかったけど、僕たちの仕事は、ファンを拘束してミスター朽木に引き渡せばよかったんだ。
 僕たちは、その夜、用心棒たちに警護されていたファンを強襲した。数でかかれば簡単だからね。首尾よく用心棒たちを麻酔銃で眠らせて、あとは、残ったファンを捕まえるだけであった。だが、ここから、ちょっとした手違いが起きた。ファンが思っていた以上に抵抗をしたんだ。僕たちから逃げるために、我を忘れて、無茶苦茶に走り回ってさ、その結果、駐車場に迷い込み、走ってくるRVの前に飛び出してね。即死だったよ」
「それで、その、ファンをひき殺した運転手は?」
「そのことは、まったく、心配しなくてもいいよ。車に乗っていた二人とも、僕たちが保護しているからね。そろそろ、帰国をするのじゃないかな」
「帰国って?」
「人をひいたなんて、いやな記憶だろう。だから、本国に行って、その記憶を消去することになったのさ。むろん、本人たちも同意の上だよ」
「しかし、急に、ここから、いなくなったら、おかしく思うでしょ!」
「それも心配ないよ。社会人だったら、会社とかに、手を回さなければならなかったけど、近くのマンションに一人で住んでいた大学生だったからね。もう一人も、地方から出てきて、別のマンションに下宿をしていた専門大生。仲のいいカップルさんだね」
「それでも!」
「まったく、問題ないよ。くじで、ハワイ旅行に当たったことに、なってるから」
「えっ! では、わったしの見た、あの福引きのハワイ旅行というのは!」
 天美は目を見開いた。目の前で見ていた光景に、そんな裏があったとは、
「そう、質問で、二人ともパスポートを持っているとわかったからね。本部が頼んで、一芝居を打ってもらったのだよ。店側も最初はびっくりしていたが、費用は全額、こちら持ちっていうことだから、宣伝になるということで、こころよく協力をしてくれたよ」
「それで、その大学生に、当たりくじ、わざと引かせて」
「いや、それは別人さ。本人なら動揺して、うまくいかなくなる可能性があったから、すぐに、型を取ってマスクを造らせたんだ。それを、うちの人間にかぶらせて、スタッフと一緒に、くじを引く演技をしてもらったんだ。さすが、うちのマスクは優秀だね。そこに、集まっていた人たちみんな、彼が特賞を引き当てた、と信じ込んだみたいだね」
「呆れた、そこまで、手の込んだことを」
「それだけではないよ。天美ちゃん、君も関係するんだ。まさか、今でも、くじの当たった現場を見たのが、偶然と思ってるわけじゃないだろうね」
「なるほど、わったしに、見せつけたわけね」
 天美は答えながら、アロンをにらんだ。
「その通り、君が、その、ざく姉と呼んでいた女の人かな、彼女と洋服を買っている間に仕掛けさせてもらったよ。あの洋服屋さんから、自宅であるマンションに帰ろうとしたら、遠回りをしない限り、福引き所が設定されている店の前を通ることになるからね。そして、君が、その福引き所の前を通ったとき、当たりが出た、と」
 アロンは説明をしながら愉快そうであった。
「そういうことだったのね。まったく、気がつかなかった」
 天美は苦笑していたが、やはり、腹がたっていったのか、厳しい声になった。
「でも、首、送ってくることまで、しなくてもよかったでしょ!」
「ああ、あれか。もとはミスター・朽木の考えだったのだよ。君をこわがらせてやれ! というね。面白そうだから、つきあってあげたけど。実際のところ、彼、君に並々ならぬ関心を持っていたみたいだね。どの事件も積極的に関与をしていったから」
 アロンの言葉に天美の顔はくもった。それだけ、たとえ、八つ当たりの対象であっても、自分が恨まれていた、とあらためて再認識をしたからだ。
 その考えている彼女の顔を見ながら、アロンは説明を続けた。
「まっ、実際、身体は悲惨な状態だったからね。それに君に、どこかの犯罪組織が、からんでいると思わせることもできたしね。この国の言葉では、一石二鳥かな」
「何にしても、あのときは、わったしも、さすがに・・」
「それは悪かったね。でも最高の策だったな。誰もが、交通事故が本当の死因とは思わなかったし、その結果、例のカップルは、ファンの部下に命を狙われなくなったからね」
「そういうことなら」
 天美は不満ながらもそう答えた。納得をしたようである。だが、これだけのことをされたのだ。天美の追求はやまなかった。
「カップルさんたちの話よくわかったけど、その刑事さん、どうなったの?」
「ミスター・朽木のことか。今は、本国にあるチームの病院だよ。たちの悪い病気だったみたいで、そんじゃそこらの技術では治せないのだけど、うちの医療技術やスタッフは最高だからね。完治するみたいだね。そのあとは、うちで働いてもらうことになったよ」
「CIAに」
「そう、尾行術と居合道の先生としてね」
「どうして、また、そんな」
「君は、朽木さんが、どういう人生を歩いてきたか、知っているかい?」
  アロンが逆にそう質問をしてきた。そして、天美も、
「どういうって?」
「言葉通りだよ。生まれてから今日までのことだよ。今から、簡単な説明をしてあげるけど、ミスター朽木はね、子供が大勢いた家庭で生まれたみたいだね。彼は三才のときに里子に出されて、朽木家にもらわれていったのだよ。つまり、養子だったんだ」
「そうだったの」
「それぐらいは、朽木家の戸籍を調べれば、すぐにわかるよ。どこの家から来たまでは判明はしなかったけど、稲作農家出身のようだね。彼の封じられた記憶に、見渡す限りの稲穂のそよいだ水田が残っていて」
「封じられた記憶?」
「やはり、いやな思い出だったのか、記憶を封じていたみたいだよ。うちの機械を使って、その記憶をよみがえらせたんだ」
「記憶をよみがえらせる! また、わけのわかんないことして!」
 天美のボルテージが大きく上がった。
「おやおや、どうして、怒るのかな」
「当たり前でしょ。人の記憶をもてあそんで」
「けどね。その封じていた記憶自体が、彼の今持っている技術を造り上げたんだ。ステルス型人間というのかな。彼が里子に行く前の話だけど、本当にひどい、家庭環境だったみたいだね。毎日、食べていくのが大変で、親も、これで最後にしたい、っていう気持ちがあったから、生まれた子に留治とつけたみたいだね。日本人もユニークなこと考えるよ。さて、その生活だけど、やはりというか、食事の時も大変だったみたいだね。わずかな食料を、食いっぱくれしないように、兄弟姉妹たちが、われを急いで争いをしたという」
「それで、小さいから、ごはん、食べれなかったの」
 天美は哀れみの顔をしたが、アロンの方は、すずしい顔で言葉を続けた。
「違うね。そこがステルス人間と言われるゆえんだよ。いわゆる、空気人間と言われている人物なら、食事のときとかには、兄弟たちの争いにはじきとばされ、量が少ないか、最悪な場合は、わけてもらえない状態になるのだけど、留治君は、どんなときにでも、必ず、ちゃっかりと一人前分の量を確保して食事をしていたんだ」
「どういうこと?」
「説明が難しいかな。今も、ちょっと言葉に出た空気人間というのは、いてもいなくてもどちらでもいい、相手が気がつかないような人物をさすのだけど、僕たちチームが興味を持っているステルス人間というのは、相手が気がつかないというところまでは、一緒なのだけど、実は気がつかないだけで実際には中に入り込んでいるという」
 アロンの説明を聞きながら、天美の身は引き締まってきた。今回の黒幕、朽木さんは、確かに、いつも、わったしの目の前にいた。しかし、気がつかなかった。まったく、疑うということすら考えなかった。そのことを思い出していたのだ。目の前にいるのに気がつきにくい人物、考えて見れば、相手にそう見せるのは、確かにそれは一つの特技である。
  その天美の反省を尻目に、アロンは説明を続けた。
「わかっただろう。それがステルス人間だよ。それで、この留治君、結局のところ、里子に出されることになったのだけど、親もそのことを、知っていたのか知らないのか定かではないけれど、その相手先が警官の家だったわけだよ。彼は、そこで刑事の心得を教えられて、今にいたっているわけなのだね」
「なるほど、そういうことね」
「だいたいわかったかな。何にしても、日本のことわざにあるみたいだけど、三才までに、つちかった技術というのは、それなりのものだね。これで、朽木さんの話は終わりにしていいかな。刑事になってからのことは、君たちも調べているだろう。これから、メンバーに入る人だから、これ以上、多言はしたくないからね」
「結局、朽木さんは警察に引き渡されない、いや、引き渡す気ないということね」
「そういうことだよ。本命の事件が立件できなくて、残念だとは思うけどね」
「わかった、そういう気なら、それでもういい。では、そろそろ帰らないと」
 天美はそう言った。その言葉にアロンも、
「えっ、もう帰っちゃうの」
「だって、そっちが先に終わりと言ったのでしょ。それに、さっきアロンさん、奥さんに何か耳打ちしてたから、もう上に連絡してると思うし。大使館の距離から考えると、到着早くても十分。わったし捕まえるための人数と道具集めるのに五分、最低かかるでしょ、十五分見てたのね。それでも、計算違いあるかもしれないから、そろそろ出ないと」
「なるほどね、だから、おとなしく聞いていたと」
 アロンの顔も険しくなった。そして、声を上げた。
「テセラ、ちょっと早いけど、出番だよ」
  アロンがそう声をかけると、先ほどとはうってかわって、機械人形のような表情をしたテセラが部屋に入ってきた。同時に凶悪な気配が、
 あわてて、天美が動こうとすると、そのアロンの声が、
「おっと、動いてはだめだよ、天美ちゃんには悪いけど、ワイフの今の情況なら、動くと同時に、次の行動を予想し、間違いなく君の左の足の筋を打ち抜くね」
「へえー、そうなんだ」
 天美はそう答えた。まだ、相手のすごさに、実感がわかなかったということもあるが、
「なんか、余裕をもっているみたいだけど、それは、大きな間違いだよ。ワイフを自慢するみたいで気が引けるのだけど、ワイフが冷静なとき、つまり、今のような顔をしているときの銃撃の腕前は百発百中、現役時代も、『二十二口径の氷』と呼ばれていたぐらいだからね。本当に狙った獲物は逃がさないよ」
 今までの実績が物語っているのか、アロンの言葉は自身に満ち満ちていた。


                               
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