22 / 47
(19)出来ること≠出来なければいけないこと①
しおりを挟む翌朝。
夜明けとともに立つつもりでいたはずのアイザックとテオは、窓の外に広がる景色を見て、すぐに考えを改めた。
どこまでも鉛色に沈んだ空からは、暴れるような風に煽られた雨が横殴りに降っていた。上空からは唸るような音が聞こえ、木々が軋むたび、屋敷全体が不穏な気配に包まれる。
「これじゃ、まともに歩けないな……」
テオが額を拭いながら低く言い、アイザックは無言で首を振った。
そんな外の様子を、屋敷の廊下の窓越しにじっと見つめていたレオンハルトは、ふと庭に視線を落とした。昨日、アイザックと一緒に修繕した花壇――そこに新しく植えた小さな花々が、風に揉まれてしなるたびに、薄い花弁が地に落ちてゆく。
「あ……」
声にならない声をこぼしたレオンハルトは、窓枠に手を添えながら項垂れた。
「レオ」
背後から声をかけたのは、身支度を終えて食堂へ向かおうとしていたリアだった。風の音に負けぬように少しだけ声を張って、彼の隣にそっと膝をつく。
「……昨日、やっと立ったばっかりだったのに」
レオンハルトの声は小さくて、それでも確かに沈んでいた。せっかく咲かせた花が、たった一晩でこんなにも痛めつけられてしまったことが、彼なりに悔しかったのだろう。
リアは小さく息を吸って、雨に濡れる花壇を見やった。
「根が生きてれば、また咲けるよ」
ぽつりと、言葉を落とした。
「たとえ折れちゃったり倒れちゃったりしても、根っこが残ってれば、もう一回伸びてくる。だからきっと、大丈夫だよ」
その声に、レオンハルトがゆっくりと顔を上げた。
「……また、ちゃんと咲く?」
「うん、また咲くよ。起き上がれるの。花も、人も」
そう言って笑ったリアも、どことなく寂しそうな顔をしていた。レオンハルトはその横顔を見つめて、くしゃりとした笑みを返す。
「じゃあ、また咲かせる」
「うん。その時は、一緒にやろうね」
小さな花壇を見ながら、雨に濡れる窓の前で交わされた約束。雨風はなおも強かったが、彼らの目の中には、もう嵐の色はなかった。
◇
その日は一日中天気が荒れ続けると聞き、全員が屋敷の中で過ごすことになった。
朝食を終えたリアは、早足で自室へと戻る。しんとした空間。曇り空のせいで部屋は薄暗く、灯りを点ける気も起きなかった。
――昨夜のことが、頭から離れない。
朝食の場では顔に出さないようにしていたものの、リアの心の中は、外の嵐と同じくらいに激しく乱れていた。
仲の良い幼馴染だと思っていた、テオからの告白。気にしなくていいとは言われたけれども、まったくそう切り替えることは出来ない。そして、ギルフォードの手と指先の感触。おそらく寝ぼけていたとはいえ、背中に添えられたあの手のひらの温度。たくましい体に触れた瞬間、胸の奥が妙にざわめいて、それが一晩中ずっと消えなかった。
どうしてだろう、と考えても、答えは見つからない。別に嫌ではなかった。ただ――
「……なんか、変」
ぽつりと口から出た言葉が、思った以上に真っ直ぐで、リアは思わず眉をひそめる。自分の中に、まだ知らない感情の芽がいくつもあって、それが眠いふりをしながらも密かに目を覚まそうとしているような感覚だった。
揺れる心を持て余すまま横になっていると、寝るつもりなんてなかったのに意識が落ちていたようだ。次に目を覚ました時には、部屋の外から小さなノック音が聞こえていた。
「リア、昼食の準備できてるぞー?」
食堂に来ないことを心配して見に来てくれたのであろう、エルマーの柔らかな声。だが、リアは身体を起こす気になれなかった。
お腹は空いていない。
空いていないのに、何も食べないまま時を過ごしてしまうことに、なぜか後ろめたさがある。
「ごめん、エル。あんまりお腹空いてなくて、今日はお昼いらないかも」
か細く返すと、扉の向こうから少しの沈黙。そして、穏やかな声が応えた。
「分かった。また、なんかありゃ声掛けるわ」
「うん。ありがとう」
「リアも、なんかあったらすぐ言えよ」
足音が遠ざかる。リアは、毛布を胸元まで引き上げて、天井を見つめた。
心はまだ、夜の続きの中にいた。
◇
配膳を済ませた後、時間になっても食堂へ現れないリアを自室へ呼びに行ったエルマーは、一人で食堂へ戻ると少しだけ顔を曇らせて言った。
「昼は、飯いらねーってさ」
誰とは言わずとも、皆すぐに察する。席にいないのは、リアひとりだけだった。
いつもなら小柄な身体で一番真面目に食事をとる彼女が、何も口にしないまま自室にこもるというのは確かに異例だった。
「朝は普通だったけど……体調でも悪いのかな」
席の端に座るレオンハルトが、スプーンを置いてぽつりとこぼす。眉根を寄せている様子は、硬いながらも心配そうで、机の上でゆらゆらと揺れる湯気をじっと見つめていた。
その隣では、ギルフォードが何気ない動作でフォークを動かし、いつも通り淡々と皿の野菜ソテーを口に運んでいる。
「腹減ったら、そのうち起きてくんだろ」
あっけらかんと、何の含みもなく言った。
それが彼なりの信頼の表れなのか、それとも単に無頓着なだけなのか。長く彼を見てきたエルマーにも、すぐには判断がつかなかった。
「そうだろうけど……もうちょい心配とかしねぇのかよ。こんなん、初めてだろ?」
ぼそっと抗議するように言ったエルマーに、ギルフォードは肩をひとつ竦めるだけだった。特にリアクションはない。だが、誰にも気付かれないほど僅かに、視線が一度だけ食堂の扉の方へ流れた。
「――あー……リア、昔から集中してたりすると、食事を抜くことがあるから」
すると、静かな声でテオが言葉を挟んで、アイザックも同調するように目線を落とす。
湯気の向こうに視線を彷徨わせながら、さりげなくも、どこか慎重に言葉を選んでいるようだった。
彼の脳裏には、昨夜リアに告げた言葉がよぎっていた。どれだけ軽く伝えたつもりでも、彼女にとっては重たいものだったかもしれない。食欲がないのは、単なる体調の問題ではなく、彼女なりに心を乱す出来事があったからではないか――そんな思いが、テオの口を動かした。
場に沈黙がひとつ、落ちる。誰も否定はしなかった。リアのことを知る者として、それがまったく的外れではないと、それぞれの胸に思い当たるものがあったのだろう。
「なるほどなぁ……まあ、確かにそういうとこありそうだな」
エルマーがぽつりと言って、ようやくスプーンを手に取った。
ぎこちないながらも、再び食事が進み始める。音のない雨が窓を叩く中、スープの湯気と静かな食器の音が、少しだけ和らいだ空気を作り出していた。
ギルフォードは黙ったまま、自分の皿を見つめていた。相変わらず何も言わない。だが、さっきより少しだけ、フォークを持つ手の動きが鈍っているようにも見えた。
リアのことを気にしていないわけではない――それは、多分、ここにいる全員がなんとなく気づいていた。
3
あなたにおすすめの小説
【㊗️受賞!】神のミスで転生したけど、幼児化しちゃった!〜もふもふと一緒に、異世界ライフを楽しもう!〜
一ノ蔵(いちのくら)
ファンタジー
※第18回ファンタジー小説大賞にて、奨励賞を受賞しました!投票して頂いた皆様には、感謝申し上げますm(_ _)m
✩物語は、ゆっくり進みます。冒険より、日常に重きありの異世界ライフです。
【あらすじ】
神のミスにより、異世界転生が決まったミオ。調子に乗って、スキルを欲張り過ぎた結果、幼児化してしまった!
そんなハプニングがありつつも、ミオは、大好きな異世界で送る第二の人生に、希望いっぱい!
事故のお詫びに遣わされた、守護獣神のジョウとともに、ミオは異世界ライフを楽しみます!
カクヨム(吉野 ひな)にて、先行投稿しています。
身代わりで呪いの公爵に嫁ぎましたが、聖女の力で浄化したら離縁どころか国一番の溺愛妻になりました〜実家が泣きついてももう遅い〜
しょくぱん
恋愛
「お前のような無能は、死神の生贄にでもなっていろ」
魔力なしの無能と蔑まれ、家族に虐げられてきた伯爵令嬢レティシア。 彼女に命じられたのは、近づく者すべてを病ませるという『呪いの公爵』アレクシスへの身代わり結婚だった。
鉄格子の馬車で運ばれ、たどり着いたのは瘴気に満ちた死の城。 恐ろしい怪物のような男に殺される――。 そう覚悟していたレティシアだったが、目の前の光景に絶望よりも先に別の感情が湧き上がる。
(な、何これ……汚すぎるわ! 雑巾とブラシはどこ!?)
実は、彼女が「無能」と言われていたのは、その力が『洗浄』と『浄化』に特化した特殊な聖女の魔力だったから。
レティシアが掃除をすれば、呪いの瘴気は消え去り、枯れた大地には花が咲き、不気味だった公爵城はまたたく間にピカピカの聖域に塗り替えられていく。 さらには、呪いで苦しんでいたアレクシスの素顔は、見惚れるほどの美青年で――。
「レティシア、君は一体何者なんだ……? 体が、こんなに軽いのは初めてだ」
冷酷だったはずの公爵様から、まさかの執着と溺愛。 さらには、呪いが解けたことで領地は国一番の豊かさを取り戻していく。
一方で、レティシアを捨てた実家は、彼女の『浄化』を失ったことで災厄に見舞われ、今さら「戻ってきてくれ」と泣きついてくるが……。
「私は今、お城の掃除と旦那様のお世話で忙しいんです。お引き取りくださいませ」
これは、掃除を愛する薄幸令嬢が、その愛と魔力で死神公爵を救い、最高に幸せな居場所を手に入れるまでのお話。
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
魔法師団長の家政婦辞めたら溺愛されました
iru
恋愛
小説家になろうですでに完結済みの作品です。よければお気に入りブックマークなどお願いします。
両親と旅をしている途中、魔物に襲われているところを、魔法師団に助けられたティナ。
両親は亡くなってしまったが、両親が命をかけて守ってくれた自分の命を無駄にせず強く生きていこうと決めた。
しかし、肉親も家もないティナが途方に暮れていると、魔物から助けてくれ、怪我の入院まで面倒を見てくれた魔法師団の団長レオニスから彼の家政婦として住み込みで働かないと誘われた。
魔物から助けられた時から、ひどく憧れていたレオニスの誘いを、ティナはありがたく受ける事にした。
自分はただの家政婦だと強く言い聞かせて、日に日に膨らむ恋心を抑え込むティナだった。
一方、レオニスもティナにどんどん惹かれていっていた。
初めはなくなった妹のようで放っては置けないと家政婦として雇ったが、その健気な様子に強く惹かれていった。
恋人になりたいが、年上で雇い主。
もしティナも同じ気持ちでないなら仕事まで奪ってしまうのではないか。
そんな思いで一歩踏み出せないレオニスだった。
そんな中ある噂から、ティナはレオニスの家政婦を辞めて家を出る決意をする。
レオニスは思いを伝えてティナを引き止めることができるのか?
両片思いのすれ違いのお話です。
追放された味噌カス第7王子の異種族たちと,のんびり辺境地開発
ハーフのクロエ
ファンタジー
アテナ王国の末っ子の第7王子に産まれたルーファスは魔力が0で無能者と言われ、大陸の妖精族や亜人やモンスターの多い大陸から離れた無人島に追放される。だが前世は万能スキル持ちで魔王を倒し英雄と呼ばれていたのを隠し生まれ変わってスローライフを送る為に無能者を装っていたのだ。そんなルーファスはスローライフを送るつもりが、無人島には人間族以外の種族の独自に進化した先住民がおり、周りの人たちが勝手に動いて気が付けば豊かで平和な強国を起こしていく物語です。
【完結】島流しされた役立たず王女ですがサバイバルしている間に最強皇帝に溺愛されてました!
●やきいもほくほく●
恋愛
──目が覚めると海の上だった!?
「メイジー・ド・シールカイズ、あなたを国外に追放するわ!」
長年、虐げられてきた『役立たず王女』メイジーは異母姉妹であるジャシンスに嵌められて島流しにされている最中に前世の記憶を取り戻す。
前世でも家族に裏切られて死んだメイジーは諦めて死のうとするものの、最後まで足掻こうと決意する。
奮起したメイジーはなりふり構わず生き残るために行動をする。
そして……メイジーが辿り着いた島にいたのは島民に神様と祀られるガブリエーレだった。
この出会いがメイジーの運命を大きく変える!?
言葉が通じないため食われそうになり、生け贄にされそうになり、海に流されそうになり、死にかけながらもサバイバル生活を開始する。
ガブリエーレの世話をしつつ、メイジーは〝あるもの〟を見つけて成り上がりを決意。
ガブリエーレに振り回されつつ、彼の〝本来の姿〟を知ったメイジーは──。
これは気弱で争いに負けた王女が逞しく島で生き抜き、神様と運を味方につけて無双する爽快ストーリー!
転移先で日本語を読めるというだけで最強の男に囚われました
桜あずみ
恋愛
異世界に転移して2年。
言葉も話せなかったこの国で、必死に努力して、やっとこの世界に馴染んできた。
しかし、ただ一つ、抜けなかった癖がある。
──ふとした瞬間に、日本語でメモを取ってしまうこと。
その一行が、彼の目に留まった。
「この文字を書いたのは、あなたですか?」
美しく、完璧で、どこか現実離れした男。
日本語という未知の文字に強い関心を示した彼は、やがて、少しずつ距離を詰めてくる。
最初はただの好奇心だと思っていた。
けれど、気づけば私は彼の手の中にいた。
彼の正体も、本当の目的も知らないまま。すべてを知ったときには、もう逃げられなかった。
毎日19時に更新予定です。
美男美女の同僚のおまけとして異世界召喚された私、ゴミ無能扱いされ王城から叩き出されるも、才能を見出してくれた隣国の王子様とスローライフ
さら
恋愛
会社では地味で目立たない、ただの事務員だった私。
ある日突然、美男美女の同僚二人のおまけとして、異世界に召喚されてしまった。
けれど、測定された“能力値”は最低。
「無能」「お荷物」「役立たず」と王たちに笑われ、王城を追い出されて――私は一人、行くあてもなく途方に暮れていた。
そんな私を拾ってくれたのは、隣国の第二王子・レオン。
優しく、誠実で、誰よりも人の心を見てくれる人だった。
彼に導かれ、私は“癒しの力”を持つことを知る。
人の心を穏やかにし、傷を癒す――それは“無能”と呼ばれた私だけが持っていた奇跡だった。
やがて、王子と共に過ごす穏やかな日々の中で芽生える、恋の予感。
不器用だけど優しい彼の言葉に、心が少しずつ満たされていく。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる