竜族への生贄かと思ったら、王子の愛妻になったのですが。

高城

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(19)出来ること≠出来なければいけないこと①

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 翌朝。
 夜明けとともに立つつもりでいたはずのアイザックとテオは、窓の外に広がる景色を見て、すぐに考えを改めた。

 どこまでも鉛色に沈んだ空からは、暴れるような風に煽られた雨が横殴りに降っていた。上空からは唸るような音が聞こえ、木々が軋むたび、屋敷全体が不穏な気配に包まれる。

「これじゃ、まともに歩けないな……」

 テオが額を拭いながら低く言い、アイザックは無言で首を振った。

 そんな外の様子を、屋敷の廊下の窓越しにじっと見つめていたレオンハルトは、ふと庭に視線を落とした。昨日、アイザックと一緒に修繕した花壇――そこに新しく植えた小さな花々が、風に揉まれてしなるたびに、薄い花弁が地に落ちてゆく。

「あ……」

 声にならない声をこぼしたレオンハルトは、窓枠に手を添えながら項垂れた。

「レオ」

 背後から声をかけたのは、身支度を終えて食堂へ向かおうとしていたリアだった。風の音に負けぬように少しだけ声を張って、彼の隣にそっと膝をつく。

「……昨日、やっと立ったばっかりだったのに」

 レオンハルトの声は小さくて、それでも確かに沈んでいた。せっかく咲かせた花が、たった一晩でこんなにも痛めつけられてしまったことが、彼なりに悔しかったのだろう。

 リアは小さく息を吸って、雨に濡れる花壇を見やった。

「根が生きてれば、また咲けるよ」

 ぽつりと、言葉を落とした。

「たとえ折れちゃったり倒れちゃったりしても、根っこが残ってれば、もう一回伸びてくる。だからきっと、大丈夫だよ」

 その声に、レオンハルトがゆっくりと顔を上げた。

「……また、ちゃんと咲く?」
「うん、また咲くよ。起き上がれるの。花も、人も」

 そう言って笑ったリアも、どことなく寂しそうな顔をしていた。レオンハルトはその横顔を見つめて、くしゃりとした笑みを返す。

「じゃあ、また咲かせる」
「うん。その時は、一緒にやろうね」

 小さな花壇を見ながら、雨に濡れる窓の前で交わされた約束。雨風はなおも強かったが、彼らの目の中には、もう嵐の色はなかった。



 その日は一日中天気が荒れ続けると聞き、全員が屋敷の中で過ごすことになった。
 朝食を終えたリアは、早足で自室へと戻る。しんとした空間。曇り空のせいで部屋は薄暗く、灯りを点ける気も起きなかった。

 ――昨夜のことが、頭から離れない。
 朝食の場では顔に出さないようにしていたものの、リアの心の中は、外の嵐と同じくらいに激しく乱れていた。

 仲の良い幼馴染だと思っていた、テオからの告白。気にしなくていいとは言われたけれども、まったくそう切り替えることは出来ない。そして、ギルフォードの手と指先の感触。おそらく寝ぼけていたとはいえ、背中に添えられたあの手のひらの温度。たくましい体に触れた瞬間、胸の奥が妙にざわめいて、それが一晩中ずっと消えなかった。

 どうしてだろう、と考えても、答えは見つからない。別に嫌ではなかった。ただ――

「……なんか、変」

 ぽつりと口から出た言葉が、思った以上に真っ直ぐで、リアは思わず眉をひそめる。自分の中に、まだ知らない感情の芽がいくつもあって、それが眠いふりをしながらも密かに目を覚まそうとしているような感覚だった。

 揺れる心を持て余すまま横になっていると、寝るつもりなんてなかったのに意識が落ちていたようだ。次に目を覚ました時には、部屋の外から小さなノック音が聞こえていた。

「リア、昼食の準備できてるぞー?」

 食堂に来ないことを心配して見に来てくれたのであろう、エルマーの柔らかな声。だが、リアは身体を起こす気になれなかった。

 お腹は空いていない。
 空いていないのに、何も食べないまま時を過ごしてしまうことに、なぜか後ろめたさがある。

「ごめん、エル。あんまりお腹空いてなくて、今日はお昼いらないかも」

 か細く返すと、扉の向こうから少しの沈黙。そして、穏やかな声が応えた。

「分かった。また、なんかありゃ声掛けるわ」
「うん。ありがとう」
「リアも、なんかあったらすぐ言えよ」

 足音が遠ざかる。リアは、毛布を胸元まで引き上げて、天井を見つめた。
 心はまだ、夜の続きの中にいた。



 配膳を済ませた後、時間になっても食堂へ現れないリアを自室へ呼びに行ったエルマーは、一人で食堂へ戻ると少しだけ顔を曇らせて言った。

「昼は、飯いらねーってさ」

 誰とは言わずとも、皆すぐに察する。席にいないのは、リアひとりだけだった。

 いつもなら小柄な身体で一番真面目に食事をとる彼女が、何も口にしないまま自室にこもるというのは確かに異例だった。

「朝は普通だったけど……体調でも悪いのかな」

 席の端に座るレオンハルトが、スプーンを置いてぽつりとこぼす。眉根を寄せている様子は、硬いながらも心配そうで、机の上でゆらゆらと揺れる湯気をじっと見つめていた。

 その隣では、ギルフォードが何気ない動作でフォークを動かし、いつも通り淡々と皿の野菜ソテーを口に運んでいる。

「腹減ったら、そのうち起きてくんだろ」

 あっけらかんと、何の含みもなく言った。
 それが彼なりの信頼の表れなのか、それとも単に無頓着なだけなのか。長く彼を見てきたエルマーにも、すぐには判断がつかなかった。

「そうだろうけど……もうちょい心配とかしねぇのかよ。こんなん、初めてだろ?」

 ぼそっと抗議するように言ったエルマーに、ギルフォードは肩をひとつ竦めるだけだった。特にリアクションはない。だが、誰にも気付かれないほど僅かに、視線が一度だけ食堂の扉の方へ流れた。

「――あー……リア、昔から集中してたりすると、食事を抜くことがあるから」

 すると、静かな声でテオが言葉を挟んで、アイザックも同調するように目線を落とす。
 湯気の向こうに視線を彷徨わせながら、さりげなくも、どこか慎重に言葉を選んでいるようだった。

 彼の脳裏には、昨夜リアに告げた言葉がよぎっていた。どれだけ軽く伝えたつもりでも、彼女にとっては重たいものだったかもしれない。食欲がないのは、単なる体調の問題ではなく、彼女なりに心を乱す出来事があったからではないか――そんな思いが、テオの口を動かした。

 場に沈黙がひとつ、落ちる。誰も否定はしなかった。リアのことを知る者として、それがまったく的外れではないと、それぞれの胸に思い当たるものがあったのだろう。

「なるほどなぁ……まあ、確かにそういうとこありそうだな」

 エルマーがぽつりと言って、ようやくスプーンを手に取った。

 ぎこちないながらも、再び食事が進み始める。音のない雨が窓を叩く中、スープの湯気と静かな食器の音が、少しだけ和らいだ空気を作り出していた。

 ギルフォードは黙ったまま、自分の皿を見つめていた。相変わらず何も言わない。だが、さっきより少しだけ、フォークを持つ手の動きが鈍っているようにも見えた。

 リアのことを気にしていないわけではない――それは、多分、ここにいる全員がなんとなく気づいていた。

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