上 下
52 / 70

◇52◇ 異変

しおりを挟む
(……何? 何が起きたの?)


 壁にしたたかに身体を打ちつけたその痛みに耐えながら、運良く近くに転がっていたナイフのほうへと這う。

 また船が揺れ、身体が転がる。
 ナイフが遠くなった。

 何か異変が起きている。縄を切らなきゃ。
 海の上じゃ逃げ場がないけど、もし船が沈むような事態なら、縛られたままで海に沈んでいくことになる。

 服にまだ複数ナイフを仕込んでいるけど1本でも温存したい。
 尺取り虫みたいな不格好なジャンプをして、どうにかナイフの近くに寄った。
 いつまた船が揺れるのか、気が気じゃない。


(何の音だったの……砲撃?)


 後ろ手にナイフを持ち、根気よく縄を切りながら、さっきの音を思い返す。

 海賊に遭遇?
 そんな、この近海の海賊は、ベネディクト、レイエス両国の海軍と、エルドレッド商会によって駆逐されて久しいはず。

 ……と、扉の向こうでドタドタドタと耳障りな足音が聞こえ、縄が切れる前だったけど、私はとっさにナイフをしまった。


「お、おい!! リリス!!」


 扉を開けたのは父親だった。
 腕を縛る縄が切れかけていることに気づかれたらと、一瞬ヒヤッとしたけど、父親はそちらには目もくれず、私の足の縄を自分のナイフでジョリジョリと切っていく。


「何があったの?」

「わからん。軍艦みたいな船に、いきなり大砲を撃ってこられた!! おい、おまえ心当たりないか!?」

「さ、さぁ?」


(軍艦? じゃあ、レイエス海軍?)


「やたら船が速くて追い付かれそうだ……。
 といって海の上じゃ逃げ場もねぇ……。
 捕まる前に、目立たねぇ船室に隠れるぞ!!」


 足の縄を切ると、無理矢理私を立たせ、乱暴に腕を引っ張る。


「大人しく歩けよ、コイツがあるってこと、忘れんな!!」


 ナイフをひらめかせて見せながら、船室から私を引きずり出した。


(……海軍が来ているとしたら)


 ギアン様以外……たとえば大公殿下に、入れ替わりがバレてしまった?
 もしそうだとしたら? もしかして、ファゴット家の人々が捕らえられてしまって、共犯の私のことも捕らえようとしている?

 罪に問われることかはわからないけど、レイエスの面子を潰すことではあったから。だとしたら……。


「おい! 何もたもたしてんだ!!」


 父親が、船のさらに下層に私を引っ張り込もうとする。


「マーカス!!
 何やってんだ、おまえも応戦しろ!!」


 甲板のほうから父の名を呼ぶ声。


「知るかボケェ!!」


 声のするほう向けて父が言い返した、その時。
 一瞬父の手の力が緩んだ隙をついて、私は父の横をすり抜けた。


「ああっ!!
 おい、リリス!!!」


 相手がレイエス海軍だったとしても、父に捕まったままよりはマシだ。
 もしファゴット侯爵家の人々が捕らえられているなら、私だけ逃げるわけにはいかない。

 重いスカートに足をもつれさせながら階段をあがり、同時に手首を必死に、切れかけて緩んだ縄を懸命にほどく。
 手が抜けた!!


「待て!! リリス!!」


 振り向き様に追いすがる父の顔面に、躊躇なく裏拳を叩き込んだ。

 「ぐっ……」


 階段から転がり落ちる父。

 持ってるナイフは縄を切ったものを含めて3本。ちょっと心もとないけど、手は自由になった。
 あと一層のぼれば甲板だ。外の騒ぎが漏れ聞こえてくる。スカートの裾を持ち、私は階段をさらにのぼる。


「…………何やってんだ、マーカ……おまえは!?」


 突如、甲板から父の仲間がこちらに顔をのぞかせ、鉢合わせた。
 とっさにナイフを投げる。
 手に刺さってうめく男。
 抜こうともがくその男の横をすり抜けて、甲板へ。


「ふっざけんな!! このクソ女!!」


 抜けようとしたところで腰をつかまれる。
 もったいないけどナイフをもう1本引き出して、男の腕を刺した。


「いだだぁぁぁぁっ!!」


 力が緩んだその隙に、男を階段から蹴りおとして甲板に出た。

 父が言っていたとおり、軍艦らしき船がいまにもこの船を囲もうとしている。
 大きい船ほど重さで速度がでないはずなのに、しなやかな海獣のように速く的確にこの船の行き場を塞いでいく。

 父の仲間たちは手に手にライフル銃を持ち、軍艦の上に乗る人々を狙って撃ち続けている。

 足元に一丁転がるライフル。たぶん父の分ということだろう。私はそれを手に取った。


「おおおい!!!女が逃げたぞ!!!」


 階段の下から上がる大声に、父の仲間たちの目が後ろに……つまり私のほうに集中した。

 撃ち方なんてわかんないけど、撃てるふりをしてライフルを構えてみる。
 男たちが、やや怯んだ顔をした。

 その時。


「──────リリス!!!!」


 海風を切り裂くように聴こえたのは、ギアン様の声だった。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

宇宙は巨大な幽霊屋敷、修理屋ヒーロー家業も楽じゃない

SF / 完結 24h.ポイント:170pt お気に入り:65

1人の男と魔女3人

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:312pt お気に入り:1

悪役令嬢?当て馬?モブ?

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:134pt お気に入り:687

私、異世界で獣人になりました!

恋愛 / 完結 24h.ポイント:35pt お気に入り:640

アンバー・カレッジ奇譚

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:92pt お気に入り:0

飯がうまそうなミステリ

エッセイ・ノンフィクション / 完結 24h.ポイント:284pt お気に入り:0

転生した魔術師令嬢、第二王子の婚約者になる

恋愛 / 完結 24h.ポイント:1,100pt お気に入り:2,321

処理中です...