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3、元聖女、回想する
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***
19年前。
聖地の大学に入学して初めて受ける講義。
私ははりきって、大教室の一番前の席に座っていた。
大陸の最高の頭脳と研究成果が集うこの大学に通わせてもらえることが、とにかく光栄で、とにかく嬉しかった。
おろし立てのアカデミックガウンに袖を通し、いっぱい勉強しようと、たくさん本も持ち込んでいたのだ。
ところが予習していると、後ろから嘲笑するような声がぽそぽそ聴こえてきた。
「女がこの大学に? なにを勉強する気だ」
「よく一番前なんて座れるな……やる気アピール?」
「でも見たか? 顔は悪くなかったぜ」
「身体もな。教授に媚びて点もらう気なんじゃないか?」
(…………?)
大教室の中にいた女性は私1人。
それがやる気を出していて目立ってしまったのはわかったけど、だからって何でそんなこと言われなきゃいけないのかわからず、
(なんか嫌な感じの人たち……)と思っていた。
後から知ったのだけど、彼らは成績が悪くて落第し、素行が悪くなった先輩たちだった。
無視しようと思っていたら、なぜか後ろからそのうち1人が近くまでやってきた?
「あのさぁ君。そんなとこ座ってないで、後ろに来てみんなと仲良くしない??」
……アカデミックガウンを着ていたし、1人で教室にいることから、まさか王女だとは思わなかったのだろうけど。
「いえ、あの……私、勉強したいので」
率直な本音を言ったら、何だか急に機嫌が悪くなって舌打ちしてきた。
「おい。生意気だぞ。この僕を誰だと……」
あ、めんどくさいタイプの人だった。
たぶん私の魔法でなんとかなるけど、あんまりことを荒立てたくないしな……と迷った一瞬にこちらに近づいてきて手首を掴まれそうになった。その時。
ガッ!!!
机を蹴りつける大きな音に、大教室中の視線が集中した。
私と同い年ぐらいの黒髪の少年が、近くの机を蹴ったのだ。
視線を集める中で、彼はつかつかとこちらに歩いてくる。
私に絡んでいた人に冷たい一瞥を向けて、
「退けよ」の短い一言。
……私に絡んでいた人はその眼に気圧されたのか、何か言い返そうともせず、そそくさと後ろの席に帰っていった。
黒髪の少年は……そのまま私から人1人ぶん空けて、横に腰を下ろした。
ひどく整ったその顔は、見覚えがあった。
彼、さっきはたぶん少し後ろに座っていた気がする……。
他の人の聞こえよがしなやり取りを聞いて、わざわざ、私と同じ一番前の席に移動してきてくれた?
「気にするな、ああいうの」と後ろに聴こえないぐらいの小声で言う彼。
「ありがとう。微塵も気にしてないわ。……机を蹴るのはどうかと思うけど」
「っ!?」
「でも助かったわ。ありがとう」私は微笑んだ。
黒髪の少年は、お礼を言われて照れ隠しのようにそっぽを向いた。
それがウィルフレッドとの出会い。入学して初めてできた友人だった。
────私は聖職者、彼は次期国王。
目指している道は違ったけど、自分の国を良くしたい、という思いは同じで、とても話が合った。
ともに勉学に打ち込み、政策談義に花を咲かせた。
図書館で一緒に本を漁り、遅くまで勉強した。
時に息抜きに街に出ては、市井の人々に混ざって歩き、物珍しいものをたくさん見た。
武術が得意なウィルフレッドは、まったく心得のない私にも剣や護身術を教えてくれた。
聖地の大学には、頭の出来が違う恐ろしく賢い人がいくらでもいて、私はそういう人たちと自分を比べて心が折れそうになる時もあったけど、そんな時はウィルフレッドと一緒に勉強していると、またやる気を取り戻せた。
彼は彼で、次期国王としての重圧もあったり、国のことで私には言えない悩みもあったりして。
ものすごい努力家だけど、強がりがちな彼は、本音を言わせるのにちょっと工夫が必要で。
そんな、めんどくさいところも含めて面白いと思える友達だった。大好きだった。
そんな彼に求婚されたのは、両親と兄の訃報を聞く、ほんの少しまえのこと。
「────俺はおまえが好きだ。
卒業したら結婚して、グライシードに来てくれないか?」
いつものように、一緒に大学の図書館で勉強しているときの不意打ち。
若者らしい、何のひねりもないその求婚。
だけど言われて頭が真っ白になった20歳の私は、しばらく言葉が出てこなくて。
やっと出てきたのは「…………無理よ」の一言だった。
「私は、聖職者になってヨランディアを支えるの。だから、グライシードには行けないわ」
その時、ウィルフレッドがなんと返したのかも、よく覚えていない。
間もなく、両親と兄の死の知らせが届き、私は祖国に帰ることになった。
以来、他の学友とは多少は手紙のやりとりはあったけれど、彼とは15年間まったく音信不通だった。
────彼への返事も嘘ではなかった。けど、本当の本音を言えば、青かった20歳の私はショックを受けていた。
男女を越えた友人であり、切磋琢磨し合う対等な好敵手だと、彼もそう思ってくれているだろうと信じていた。なのに、所詮女だと思われていたのか……と。
ただ、歳を取った今なら、彼との友情そのものは嘘じゃなかったのかなとも思う。
そもそも異性だろうが同性だろうが、お互いの思いには多少ずれがある。まったく同じ気持ちだなんて、ありえない。
思えば、16歳から4年間、彼は私を尊重してくれたし対等に扱ってくれたし、女だと思って侮るような様子はなかった。
それは、少なくとも私をちゃんと友人だと思ってくれていたからじゃないか。
ただ、歳をかさねるうち、たまたま感情がそちらに変化しただけなんじゃないか。
そう私は解釈していた。
いずれにせよ求婚は断ることになっただろう。あの時の選択はあれしかなかったと今も思う。
ただ、ひとつ後悔があるなら、あんな風にナイーブにその場で断るんじゃなく、もう少しウィルフレッドの言葉や思いに向き合えば良かった……ということ。
私にとって、大切な……とても大切な友人だったのだから。
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19年前。
聖地の大学に入学して初めて受ける講義。
私ははりきって、大教室の一番前の席に座っていた。
大陸の最高の頭脳と研究成果が集うこの大学に通わせてもらえることが、とにかく光栄で、とにかく嬉しかった。
おろし立てのアカデミックガウンに袖を通し、いっぱい勉強しようと、たくさん本も持ち込んでいたのだ。
ところが予習していると、後ろから嘲笑するような声がぽそぽそ聴こえてきた。
「女がこの大学に? なにを勉強する気だ」
「よく一番前なんて座れるな……やる気アピール?」
「でも見たか? 顔は悪くなかったぜ」
「身体もな。教授に媚びて点もらう気なんじゃないか?」
(…………?)
大教室の中にいた女性は私1人。
それがやる気を出していて目立ってしまったのはわかったけど、だからって何でそんなこと言われなきゃいけないのかわからず、
(なんか嫌な感じの人たち……)と思っていた。
後から知ったのだけど、彼らは成績が悪くて落第し、素行が悪くなった先輩たちだった。
無視しようと思っていたら、なぜか後ろからそのうち1人が近くまでやってきた?
「あのさぁ君。そんなとこ座ってないで、後ろに来てみんなと仲良くしない??」
……アカデミックガウンを着ていたし、1人で教室にいることから、まさか王女だとは思わなかったのだろうけど。
「いえ、あの……私、勉強したいので」
率直な本音を言ったら、何だか急に機嫌が悪くなって舌打ちしてきた。
「おい。生意気だぞ。この僕を誰だと……」
あ、めんどくさいタイプの人だった。
たぶん私の魔法でなんとかなるけど、あんまりことを荒立てたくないしな……と迷った一瞬にこちらに近づいてきて手首を掴まれそうになった。その時。
ガッ!!!
机を蹴りつける大きな音に、大教室中の視線が集中した。
私と同い年ぐらいの黒髪の少年が、近くの机を蹴ったのだ。
視線を集める中で、彼はつかつかとこちらに歩いてくる。
私に絡んでいた人に冷たい一瞥を向けて、
「退けよ」の短い一言。
……私に絡んでいた人はその眼に気圧されたのか、何か言い返そうともせず、そそくさと後ろの席に帰っていった。
黒髪の少年は……そのまま私から人1人ぶん空けて、横に腰を下ろした。
ひどく整ったその顔は、見覚えがあった。
彼、さっきはたぶん少し後ろに座っていた気がする……。
他の人の聞こえよがしなやり取りを聞いて、わざわざ、私と同じ一番前の席に移動してきてくれた?
「気にするな、ああいうの」と後ろに聴こえないぐらいの小声で言う彼。
「ありがとう。微塵も気にしてないわ。……机を蹴るのはどうかと思うけど」
「っ!?」
「でも助かったわ。ありがとう」私は微笑んだ。
黒髪の少年は、お礼を言われて照れ隠しのようにそっぽを向いた。
それがウィルフレッドとの出会い。入学して初めてできた友人だった。
────私は聖職者、彼は次期国王。
目指している道は違ったけど、自分の国を良くしたい、という思いは同じで、とても話が合った。
ともに勉学に打ち込み、政策談義に花を咲かせた。
図書館で一緒に本を漁り、遅くまで勉強した。
時に息抜きに街に出ては、市井の人々に混ざって歩き、物珍しいものをたくさん見た。
武術が得意なウィルフレッドは、まったく心得のない私にも剣や護身術を教えてくれた。
聖地の大学には、頭の出来が違う恐ろしく賢い人がいくらでもいて、私はそういう人たちと自分を比べて心が折れそうになる時もあったけど、そんな時はウィルフレッドと一緒に勉強していると、またやる気を取り戻せた。
彼は彼で、次期国王としての重圧もあったり、国のことで私には言えない悩みもあったりして。
ものすごい努力家だけど、強がりがちな彼は、本音を言わせるのにちょっと工夫が必要で。
そんな、めんどくさいところも含めて面白いと思える友達だった。大好きだった。
そんな彼に求婚されたのは、両親と兄の訃報を聞く、ほんの少しまえのこと。
「────俺はおまえが好きだ。
卒業したら結婚して、グライシードに来てくれないか?」
いつものように、一緒に大学の図書館で勉強しているときの不意打ち。
若者らしい、何のひねりもないその求婚。
だけど言われて頭が真っ白になった20歳の私は、しばらく言葉が出てこなくて。
やっと出てきたのは「…………無理よ」の一言だった。
「私は、聖職者になってヨランディアを支えるの。だから、グライシードには行けないわ」
その時、ウィルフレッドがなんと返したのかも、よく覚えていない。
間もなく、両親と兄の死の知らせが届き、私は祖国に帰ることになった。
以来、他の学友とは多少は手紙のやりとりはあったけれど、彼とは15年間まったく音信不通だった。
────彼への返事も嘘ではなかった。けど、本当の本音を言えば、青かった20歳の私はショックを受けていた。
男女を越えた友人であり、切磋琢磨し合う対等な好敵手だと、彼もそう思ってくれているだろうと信じていた。なのに、所詮女だと思われていたのか……と。
ただ、歳を取った今なら、彼との友情そのものは嘘じゃなかったのかなとも思う。
そもそも異性だろうが同性だろうが、お互いの思いには多少ずれがある。まったく同じ気持ちだなんて、ありえない。
思えば、16歳から4年間、彼は私を尊重してくれたし対等に扱ってくれたし、女だと思って侮るような様子はなかった。
それは、少なくとも私をちゃんと友人だと思ってくれていたからじゃないか。
ただ、歳をかさねるうち、たまたま感情がそちらに変化しただけなんじゃないか。
そう私は解釈していた。
いずれにせよ求婚は断ることになっただろう。あの時の選択はあれしかなかったと今も思う。
ただ、ひとつ後悔があるなら、あんな風にナイーブにその場で断るんじゃなく、もう少しウィルフレッドの言葉や思いに向き合えば良かった……ということ。
私にとって、大切な……とても大切な友人だったのだから。
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