1 / 26
1 人生が狂ったあの日のこと①
しおりを挟む「薪割りに洗濯に掃除……やっと仕事を終えましたね。本当にのろまなこと。
では明日から四日間この小屋に閉じこもり、絶対に姿を現すのではありませんよ」
「……はい、お母さま」
空腹を我慢しながら、私はうなずく。
擦り切れたメイド服が、チクチクと肌に刺さる。まるで母の小言のよう。
母————ヴァンダービル伯爵夫人は冷たい目で私を見る。
「何かしら、その気持ちのこもっていない返事は。
まだわかっていないのかしら。
全部あなたが悪いのよ、マージェリー」
「はい、その通りです。申し訳ございません、お母様」
「あなたの愚かな行動のせいで、ヴァンダービル伯爵家の家名に傷がついた。
ジェームズやエヴァンジェリンの将来にさえ、あなたが影を落としたのよ。いい加減理解しなさい」
「はい、ご迷惑をおかけしております」
「本当に……十年前は誰もがうらやむ自慢の娘だったというのに……手塩にかけて育てて、賢くて可愛らしくて、きっと引く手あまたな娘に育つと思っていたのに。
どうしてこうなってしまったのかしら。
泣きたくなるわ」
八歳の誕生日を迎えた時の私は、希望に満ちていた。
両親にも、兄のジェームズにも妹のエヴァンジェリンにも、愛されていると信じていた。
だけどこの十年間、家族から私にかけられるのは母の罵倒のみ。
父も兄も妹も、私には話しかけようとはしない。
目が合っても存在しないかのごとく無視するか、蔑んだ冷たい目を向けるだけ。
家族全員にとって私は『加害者』なのだ。
「何度も言ったように、この四日間は、独身の有力貴族や令息を招待して鹿狩りを催すのよ。
最終日には、社交界になかなかおいでにならない王弟殿下もいらっしゃるわ」
「……はい」
「エヴァンジェリンの結婚相手を決めるための、大切な催しですからね。
そんな場を、あなたに邪魔されては困るのよ。
わかりましたね。四日間、絶対に小屋から出てはいけませんよ」
そう言って、鼻息荒く母は領主館へと戻っていく。その背中を見送り、ため息をついた。
「……酷いですよね」
声をかけられ振り向く。
お母様よりも年上の、古参のメイドのリサが、つらそうに顔をしかめていた。
「実の娘にあんな……旦那様も奥様も、坊ちゃまもエヴァンジェリンお嬢様も、いったいどうしてマージェリーお嬢様にだけこんなにも酷くなさるんでしょう。
まるで悪魔でも憑いたようです」
「……仕方がないわ。貴族だからよ」
「だって、お嬢様は完全な被害者じゃないですか! それも子どもの頃のことを、あんな風に十年も責め立てて……おかしいですよ」
「そういうものらしいの。
気遣ってくれるのはありがたいけれど、早く邸に戻って。
あなたが罰を受けてしまうわ」
「……わかりました。お嬢様、せめてこちらを」
リサが差し出したブリキの手桶を、私は受け取った。
「いつも、ありがとう」
「いえ、その、全然……四日間食事を運ぶことも禁じられてしまいまして。急いで用意したのですが……他の使用人たちに見張られているので、これが精一杯でした。
本当に、申し訳ございません」
「いいえ。いつも本当にありがとう」
そそくさと邸に戻っていくリサを見送り、私は物置小屋の中に入った。
掃除用の手桶の中身はぼろ布で隠されている。
それをめくると、綺麗な布巾で丁寧に包まれた食べ物が入っていた。
ふかしたお芋が二つ、固くなったパンが二つとチーズ。水の入った瓶。
それから底の方に、お湯で濡らして絞ったらしいリネンも入っている。
リサの優しさがありがたすぎる。
(四日間もたせないと……大事に食べなくちゃ)
服を脱ぎ、リネンで汚れた身体を拭く。
せめて少しでも身体を清潔にしたかった。
『あら、臭いと思ったら……私がいる間、あの使用人が出てこないように気をつけてくれないかしら。鼻が曲がりそうだわ』
妹が顔をしかめながら他の使用人たちに言っていたのを、何年たっても思い出してしまうのだ。
雨水を貯めて焚き火で煮沸したものも少しずつ備蓄しているけれど、水は貴重だからなかなか手をつけられない。
寝巻きにしている服をまとい、わらの上に横になり、これも昔リサがくれたゴワゴワの毛布をかぶる。
春になったけれど、それでも夜は恐ろしく寒い。
十年前、この領主館の使用人たちはゴッソリと辞めさせられた。
それ以降に入った者の多くは、私がヴァンダービル家の娘であることを知らない。
もしたとえそれを明かしたところで、栄養状態の悪さのせいか発育が悪くあまり背も伸びなかった私が、背が高くスタイルの良い美人のお母様やエヴァンジェリンと血縁だなんて、きっと誰も信じないだろう。
その上、日に焼け、吹き出物の跡が残る肌。長年の水仕事や力仕事で荒れに荒れた手。まともな手入れができていない髪。身体も汚れて不衛生。
誰が見ても貴族の娘になど見えないはずだ。
(どれぐらい何も食べずにいたら、飢えて死んで楽になれるのかしら……?)
手桶の中身を見つめ、そんなことを考えてしまう。
ブンブンと首を横に振って邪な考えを追い出した。
(だめ、生きなくちゃ。どんなに大変でも。
必死になって私を助けてくれた人たちがいるのだもの。
そうじゃないと、私……)
ギュッと自分を抱き締める私の脳裏に、ある人の姿が浮かんでくる。
─────大丈夫か!? 怪我は!?
─────恐かっただろう。よくがんばったな。
あの頼もしい大きな手。
抱き上げてくれた腕と体温。
まるで物語の騎士や王子様のように私を助けてくれた少年の顔を、きっと私は死ぬまで忘れられないだろう。
(あの人が助けてくれた命だもの。生きなきゃ)
ガチガチのパンの欠片を唾液でふやかしてかじりながら、私は自分に言い聞かせた。
***
18
あなたにおすすめの小説
何もしない公爵夫人ですが、なぜか屋敷がうまく回っています
鷹 綾
恋愛
辺境公爵カーネル・クリスの妻となったフィレ・バーナード。
けれど彼女は、屋敷を仕切ることも、改革を行うことも、声高に意見を述べることもしなかった。
指示を出さない。
判断を奪わない。
必要以上に関わらない。
「何もしない夫人」として、ただ静かにそこにいるだけ。
それなのに――
いつの間にか屋敷は落ち着き、
使用人たちは迷わなくなり、
人は出入りし、戻り、また進んでいくようになる。
誰かに依存しない。
誰かを支配しない。
それでも確かに“安心できる場所”は、彼女の周りに残っていた。
必要とされなくてもいい。
役に立たなくてもいい。
それでも、ここにいていい。
これは、
「何もしない」ことで壊れなかった関係と、
「奪わない」ことで続いていった日常を描く、
静かでやさしい結婚生活の物語。
好きな人に『その気持ちが迷惑だ』と言われたので、姿を消します【完結済み】
皇 翼
恋愛
「正直、貴女のその気持ちは迷惑なのですよ……この場だから言いますが、既に想い人が居るんです。諦めて頂けませんか?」
「っ――――!!」
「賢い貴女の事だ。地位も身分も財力も何もかもが貴女にとっては高嶺の花だと元々分かっていたのでしょう?そんな感情を持っているだけ時間が無駄だと思いませんか?」
クロエの気持ちなどお構いなしに、言葉は続けられる。既に想い人がいる。気持ちが迷惑。諦めろ。時間の無駄。彼は止まらず話し続ける。彼が口を開く度に、まるで弾丸のように心を抉っていった。
******
・執筆時間空けてしまった間に途中過程が気に食わなくなったので、設定などを少し変えて改稿しています。
私と子供より、夫は幼馴染とその子供のほうが大切でした。
小野 まい
恋愛
結婚記念日のディナーに夫のオスカーは現れない。
「マリアが熱を出したらしい」
駆けつけた先で、オスカーがマリアと息子カイルと楽しげに食事をする姿を妻のエリザが目撃する。
「また裏切られた……」
いつも幼馴染を優先するオスカーに、エリザの不満は限界に達していた。
「あなたは家族よりも幼馴染のほうが大事なのね」
離婚する気持ちが固まっていく。
訳あり侯爵様に嫁いで白い結婚をした虐げられ姫が逃亡を目指した、その結果
柴野
恋愛
国王の側妃の娘として生まれた故に虐げられ続けていた王女アグネス・エル・シェブーリエ。
彼女は父に命じられ、半ば厄介払いのような形で訳あり侯爵様に嫁がされることになる。
しかしそこでも不要とされているようで、「きみを愛することはない」と言われてしまったアグネスは、ニヤリと口角を吊り上げた。
「どうせいてもいなくてもいいような存在なんですもの、さっさと逃げてしまいましょう!」
逃亡して自由の身になる――それが彼女の長年の夢だったのだ。
あらゆる手段を使って脱走を実行しようとするアグネス。だがなぜか毎度毎度侯爵様にめざとく見つかってしまい、その度失敗してしまう。
しかも日に日に彼の態度は温かみを帯びたものになっていった。
気づけば一日中彼と同じ部屋で過ごすという軟禁状態になり、溺愛という名の雁字搦めにされていて……?
虐げられ姫と女性不信な侯爵によるラブストーリー。
※小説家になろうに重複投稿しています。
【完結済】侯爵令息様のお飾り妻
鳴宮野々花@書籍4作品発売中
恋愛
没落の一途をたどるアップルヤード伯爵家の娘メリナは、とある理由から美しい侯爵令息のザイール・コネリーに“お飾りの妻になって欲しい”と持ちかけられる。期間限定のその白い結婚は互いの都合のための秘密の契約結婚だったが、メリナは過去に優しくしてくれたことのあるザイールに、ひそかにずっと想いを寄せていて─────
揺れぬ王と、その隣で均衡を保つ妃
ふわふわ
恋愛
婚約破棄の断罪の場で、すべては始まった。
王太子は感情に流され、公爵令嬢との婚約を解消する。
だが、その決断は王家と貴族社会の均衡を揺るがし、国そのものを危うくする一手だった。
――それでも彼女は、声を荒らげない。
問いただすのはただ一つ。
「そのご婚約は、国家にとって正当なものですか?」
制度、資格、責任。
恋ではなく“国家の構造”を示した瞬間、王太子は初めて己の立場を知る。
やがて選ばれるのは、感情ではなく均衡。
衝動の王子は、嵐を起こさぬ王へと変わっていく。
そして彼の隣には、常に彼女が立つ。
派手な革命も、劇的な勝利もない。
あるのは、小さな揺れを整え続ける日々。
遠雷を読み、火種を消し、疑念に居場所を与え、
声なき拍手を聞き取る。
これは――
嵐を起こさなかった王と、
その隣で国家の均衡を保ち続けた妃の物語。
五年後、元夫の後悔が遅すぎる。~娘が「パパ」と呼びそうで困ってます~
放浪人
恋愛
「君との婚姻は無効だ。実家へ帰るがいい」
大聖堂の冷たい石畳の上で、辺境伯ロルフから突然「婚姻は最初から無かった」と宣告された子爵家次女のエリシア。実家にも見放され、身重の体で王都の旧市街へ追放された彼女は、絶望のどん底で愛娘クララを出産する。
生き抜くために針と糸を握ったエリシアは、持ち前の技術で不思議な力を持つ「祝布(しゅくふ)」を織り上げる職人として立ち上がる。施しではなく「仕事」として正当な対価を払い、決して土足で踏み込んでこない救恤院の監督官リュシアンの温かい優しさに触れエリシアは少しずつ人間らしい心と笑顔を取り戻していった。
しかし五年後。辺境を襲った疫病を救うための緊急要請を通じ、エリシアは冷酷だった元夫ロルフと再会してしまう。しかも隣にいる娘の青い瞳は彼と瓜二つだった。
「すまない。私は父としての責任を果たす」
かつての合理主義の塊だった元夫は、自らの過ちを深く悔い、家の権益を捨ててでも母子を守る「強固な盾」になろうとする。娘のクララもまた、危機から救ってくれた彼を「パパ」と呼び始めてしまい……。
だが、どんなに後悔されても、どんなに身を挺して守られても、一度完全に壊された関係が元に戻ることは絶対にない。エリシアが真の伴侶として選ぶのは、凍えた心を溶かし、温かい日常を共に歩んでくれたリュシアンただ一人だった。
これは、全てを奪われた一人の女性が母として力強く成長し誰にも脅かされることのない「本物の家族」と「静かで確かな幸福」を自分の手で選び取るまでの物語。
【完結済】呼ばれたみたいなので、異世界でも生きてみます。
まりぃべる
恋愛
異世界に来てしまった女性。自分の身に起きた事が良く分からないと驚きながらも王宮内の問題を解決しながら前向きに生きていく話。
その内に未知なる力が…?
完結しました。
初めての作品です。拙い文章ですが、読んでいただけると幸いです。
これでも一生懸命書いてますので、誹謗中傷はお止めいただけると幸いです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる