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2 人生が狂ったあの日のこと②
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***
ヴァンダービル伯爵家の長女として生まれた私は、幼い頃はなに不自由なく育てられた。
立派で尊敬できる父。優しく美しい母。そして四歳上の兄と二歳下の妹とはとても仲が良かった。
「マージェリー、家庭教師がまたあなたのことを誉めていたわ。勉強が得意なのね」
「本当ですか! うれしいです。本を読むのが好きなので、それでかもしれません」
「勉強だけではないわ。何を教えても一回で覚えるし、他の家の貴婦人方も、あなたのことを誉めているのよ。妹の面倒もみてくれるし、本当に、自慢の娘だわ」
お母様はそんなことを言っては「愛しているわ、マージェリー」と微笑むのが常だった。
妹は私によくなついてくれて、顔を見るたび「おねえさま!」と駆け寄ってきた。
「おねえさまっ。あそんでっ」
「おねえさま! ご本をよんで!」
「おねえさま~このお花ほしいです~」
「おねえさまのこのドレスかわいい~着てみたい~」
かわいく甘えてくれる彼女のことが、私は可愛くてたまらなかった。
それに兄も、私や妹に優しかった。
父は多忙そうではあったけど、顔を合わせるときはいつも優しい顔を向けてくれた。
物語の本を読んだり、家庭教師に教えてもらいながら辞書を片手に新聞を読んだりしていると、実の子や兄弟姉妹にひどいことをする人が頻繁に出てくる。
当時の私は、そういうのを見ても、いったいどうしてなのか理解できなかった。
(世の中にはいろんな人がいるのね。私は家族にめぐまれて、幸せだわ)
そう、本気で思っていた。
その頃、私は、毎朝侍女と一緒に散歩に出掛けるのを日課にしていた。
王都の邸の近くには、広い王立公園がある。
私はそこがとてもお気に入りだったのだ。
八歳の、とある春の日の朝。
「行きましょう、アンナ」
「はい、お嬢様」
「今日もいろいろお話を聞かせてね」
私は、侍女アンナと一緒に王立公園に出掛けた。
仕事を始めたばかりで、まだ十七歳と若いアンナは、とても話が面白くて、私は彼女とおしゃべりできるこの時間を楽しみにしていた。
ところがこの日。
私たちは、公園内にそびえる大樹の下に、倒れている男性を見つけた。
「たいへんだわ! どうなさったのかしら?」
「お嬢様、どう見ても平民です。お嬢様がお気にかけるような者ではございません」
「でも、ご病気でたおれているのかもしれないでしょう? はやくお医者さまにみてもらわないとあぶないわ」
「ま、まぁ……では、殿方の助けを借りましょうね」
言いながら、アンナはキョロキョロと公園の中を見回した。
けれど見える範囲では誰もいない。
倒れている男性は、平民風といっても身なりはきちんとしている。
仕事に出掛ける途中だったのかもしれない。重い病気なら、すぐにでもお医者様を呼ばないと。
心配でいっぱいの私は、男性に近づいた。
「大丈夫ですか」と声をかけて顔を覗き込む。
次の瞬間、後頭部にひどい衝撃を受けた。
「…………っ!?」
声がでなかった。
天が落ちてきたような痛みに頭がグラングランする。
大樹の後ろに隠れていたのだろうか、もう一人の男がいた。
私を殴ったらしい棍棒で、アンナをも殴り付ける。
「や、やめ……」
(えっ……!?)
身体が急に宙に浮いた。
殴った男が私を抱き上げていたのだ。
そのまま私は運ばれてしまう。
倒れていた男性が逃げていくのが視界の端にうつった。
アンナの悲鳴が切れ切れに遠く聞こえる。
男は近くに停めてあった馬車の荷台に私を放り込み、両手を固く縛り上げた。
(い、いたい……!!)
口に何か布を噛まされて声も出なくされた。
麦藁をどんどんのせられる。すっかり視界をふさがれ、身体は全部麦藁で覆い尽くされる。
ガタガタゴトゴト……馬車が動き出す。
(な……なに!? どうしたの、何がおきてるの……!?)
頭の痛み。縛られた手の痛み。アンナが目の前で殴られたショック。彼女が大怪我していないかという恐れ。どっさりと身体にのせられた麦藁の息苦しさ。頭のなかでごちゃ混ぜになっていく。
ゴトゴトゴトゴト。馬車は止まらない。永遠に走り続けるのではないかと思うほど。
(いったい……どこにつれていかれるの?)
どんどん恐怖が強まっていく。
まるで、神話に出てくる死者の国に連れていかれていくような心地だった。
……どれぐらい走っただろう。
馬車が停まった。
身体の上の麦藁がのけられ、先ほどの男性が私を見下ろす。
ニタニタと笑みながら。
「さぁお嬢ちゃん、おりるよ」
私をヒョイと荷物のように抱えあげると、すぐ近くにあった小屋の中に入り、積まれた麦藁の上に私を下ろした。
「安心しなさい。お嬢ちゃんの父親の伯爵様が身代金を払ったら、すぐに家に帰してあげるからね。おじちゃんも苦労したんだよ? 毎日毎日家を見張って尾行して、人まで雇ってねぇ」
そう言いながら、またニタニタして服の上から私に触れてくるその手。
ゾワッと肌が粟立った。
帰す、なんて言葉が信じられない。
本能的に、自分の身がまったく安全じゃないことを悟る。
(こわい、こわい、こわい、こわい……)
心臓がバクバク音を立てて、いまにも止まってしまいそうだ。
「ふふふふ、やっぱり可愛いねぇ。
最後まで大人しく良い子にしているんだよ。
誰にも言わなければ、お嬢ちゃんとおうちの『名誉』は傷つかないんだからね」
凍りついた私の上に、男性が覆い被さってきた。
ミシッ、と、骨が折れそうに痛い。
声なんて出やしない。
心臓が止まりそうで、目を閉じることさえできなくて。
「そうそう、大人しいね、良い子だ。
誰かに言ってしまったら、家族が酷い目にあうからね。
誰にも言ってはいけないよ。誰にも」
男性が念を押し、私の服のボタンを外しかけた、その時。
ドッゴオオオ!!
堅い板を思い切り叩き割るような音が小屋の中に響いた。
ヴァンダービル伯爵家の長女として生まれた私は、幼い頃はなに不自由なく育てられた。
立派で尊敬できる父。優しく美しい母。そして四歳上の兄と二歳下の妹とはとても仲が良かった。
「マージェリー、家庭教師がまたあなたのことを誉めていたわ。勉強が得意なのね」
「本当ですか! うれしいです。本を読むのが好きなので、それでかもしれません」
「勉強だけではないわ。何を教えても一回で覚えるし、他の家の貴婦人方も、あなたのことを誉めているのよ。妹の面倒もみてくれるし、本当に、自慢の娘だわ」
お母様はそんなことを言っては「愛しているわ、マージェリー」と微笑むのが常だった。
妹は私によくなついてくれて、顔を見るたび「おねえさま!」と駆け寄ってきた。
「おねえさまっ。あそんでっ」
「おねえさま! ご本をよんで!」
「おねえさま~このお花ほしいです~」
「おねえさまのこのドレスかわいい~着てみたい~」
かわいく甘えてくれる彼女のことが、私は可愛くてたまらなかった。
それに兄も、私や妹に優しかった。
父は多忙そうではあったけど、顔を合わせるときはいつも優しい顔を向けてくれた。
物語の本を読んだり、家庭教師に教えてもらいながら辞書を片手に新聞を読んだりしていると、実の子や兄弟姉妹にひどいことをする人が頻繁に出てくる。
当時の私は、そういうのを見ても、いったいどうしてなのか理解できなかった。
(世の中にはいろんな人がいるのね。私は家族にめぐまれて、幸せだわ)
そう、本気で思っていた。
その頃、私は、毎朝侍女と一緒に散歩に出掛けるのを日課にしていた。
王都の邸の近くには、広い王立公園がある。
私はそこがとてもお気に入りだったのだ。
八歳の、とある春の日の朝。
「行きましょう、アンナ」
「はい、お嬢様」
「今日もいろいろお話を聞かせてね」
私は、侍女アンナと一緒に王立公園に出掛けた。
仕事を始めたばかりで、まだ十七歳と若いアンナは、とても話が面白くて、私は彼女とおしゃべりできるこの時間を楽しみにしていた。
ところがこの日。
私たちは、公園内にそびえる大樹の下に、倒れている男性を見つけた。
「たいへんだわ! どうなさったのかしら?」
「お嬢様、どう見ても平民です。お嬢様がお気にかけるような者ではございません」
「でも、ご病気でたおれているのかもしれないでしょう? はやくお医者さまにみてもらわないとあぶないわ」
「ま、まぁ……では、殿方の助けを借りましょうね」
言いながら、アンナはキョロキョロと公園の中を見回した。
けれど見える範囲では誰もいない。
倒れている男性は、平民風といっても身なりはきちんとしている。
仕事に出掛ける途中だったのかもしれない。重い病気なら、すぐにでもお医者様を呼ばないと。
心配でいっぱいの私は、男性に近づいた。
「大丈夫ですか」と声をかけて顔を覗き込む。
次の瞬間、後頭部にひどい衝撃を受けた。
「…………っ!?」
声がでなかった。
天が落ちてきたような痛みに頭がグラングランする。
大樹の後ろに隠れていたのだろうか、もう一人の男がいた。
私を殴ったらしい棍棒で、アンナをも殴り付ける。
「や、やめ……」
(えっ……!?)
身体が急に宙に浮いた。
殴った男が私を抱き上げていたのだ。
そのまま私は運ばれてしまう。
倒れていた男性が逃げていくのが視界の端にうつった。
アンナの悲鳴が切れ切れに遠く聞こえる。
男は近くに停めてあった馬車の荷台に私を放り込み、両手を固く縛り上げた。
(い、いたい……!!)
口に何か布を噛まされて声も出なくされた。
麦藁をどんどんのせられる。すっかり視界をふさがれ、身体は全部麦藁で覆い尽くされる。
ガタガタゴトゴト……馬車が動き出す。
(な……なに!? どうしたの、何がおきてるの……!?)
頭の痛み。縛られた手の痛み。アンナが目の前で殴られたショック。彼女が大怪我していないかという恐れ。どっさりと身体にのせられた麦藁の息苦しさ。頭のなかでごちゃ混ぜになっていく。
ゴトゴトゴトゴト。馬車は止まらない。永遠に走り続けるのではないかと思うほど。
(いったい……どこにつれていかれるの?)
どんどん恐怖が強まっていく。
まるで、神話に出てくる死者の国に連れていかれていくような心地だった。
……どれぐらい走っただろう。
馬車が停まった。
身体の上の麦藁がのけられ、先ほどの男性が私を見下ろす。
ニタニタと笑みながら。
「さぁお嬢ちゃん、おりるよ」
私をヒョイと荷物のように抱えあげると、すぐ近くにあった小屋の中に入り、積まれた麦藁の上に私を下ろした。
「安心しなさい。お嬢ちゃんの父親の伯爵様が身代金を払ったら、すぐに家に帰してあげるからね。おじちゃんも苦労したんだよ? 毎日毎日家を見張って尾行して、人まで雇ってねぇ」
そう言いながら、またニタニタして服の上から私に触れてくるその手。
ゾワッと肌が粟立った。
帰す、なんて言葉が信じられない。
本能的に、自分の身がまったく安全じゃないことを悟る。
(こわい、こわい、こわい、こわい……)
心臓がバクバク音を立てて、いまにも止まってしまいそうだ。
「ふふふふ、やっぱり可愛いねぇ。
最後まで大人しく良い子にしているんだよ。
誰にも言わなければ、お嬢ちゃんとおうちの『名誉』は傷つかないんだからね」
凍りついた私の上に、男性が覆い被さってきた。
ミシッ、と、骨が折れそうに痛い。
声なんて出やしない。
心臓が止まりそうで、目を閉じることさえできなくて。
「そうそう、大人しいね、良い子だ。
誰かに言ってしまったら、家族が酷い目にあうからね。
誰にも言ってはいけないよ。誰にも」
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