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一年目
結局なにもできなくて
しおりを挟む翌日、同じ過ちを繰り返さないよう、稽古場で自主練習に励む。動画を見ながら練習しても、ミスをしたところがどうしてもうまくいかない。
「なんで……」
純は足を止め、鏡を見ながらため息をつく。
ミスをしたステップはそもそも動きが独特で、純が苦手にしている部分だった。
踊っているようにごまかすことはできても、動きを理解しなければ同じ失敗を繰り返すだけだ。
わかっているのに、どうしてもうまくいかない。他のメンバーとはやはり違って見える。
足の動きを理解するのに、動画だけでは難しかった。講師に詳しく聞くべきなのだろう。それを考えたとたん、心臓を締め付けられるような苦痛に襲われる。
「大丈夫? 今日はまたずいぶん焦ってるみたいだけど」
純のすぐ後ろから、月子が声をかけた。稽古場の後方で台本を読んでいたはずが、台本は床に開きっぱなしで放置されている。
「あ、ごめん、月子ちゃん。気が散っちゃったよね」
「気にしないで。私は大丈夫」
月子は純のとなりに立ち、鏡を見ながらステップを踏み始めた。
「えーっと……こんな感じ、でしょ?」
音楽がないのでリズムやテンポに乱れはあったが、おおむね正しい動きだ。
「で。……ここだ」
純が間違えていた変化球のステップを、いとも簡単に刻みだした。
「あー、なるほど。確かにここは初心者には厳しいかも。ゆっくりしたほうが覚えやすいよ」
月子は足の動きを遅くしてみせる。その動きを見ながら、純も同じように動かした。
「たったったった、たったったった……。うん、そう。そんな感じ。それがたたたたっ、ってなるの」
純のペースに合わせ、月子は丁寧に教えていく。その言葉や態度には、月子の思考がかすかににじんでいた。
純は動きを止め、眉尻を下げる。
「もしかして、俺が昨日ミスするところ、見てた?」
演技のとき以外表情の乏しい月子が、少しだけ目を開く。純から視線をそらし、いつもの声色で返事をした。
「……昨日? なんかあった?」
純にはわかる。月子はとぼけている。
――とにかくいたたまれない。恥ずかしい。あの一部始終を見られていたとは。
日本中に放送されているのだから今さらではある。しかし、よく知る人物に見られるのは話が別だ。月子もそれをわかっているからこそ気を遣っているのだろう。
深いため息をついて、気を取り直す。純は教わったことを忘れないよう月子のステップを繰り返していた。
「純くんって、努力家だよね。究極的なお人よしの。……会うたびに思うの。私とは全然違うタイプだなって」
純の動きが、止まる。
「それは、そうでしょ。だって、俺、歌もダンスも全然できないから。たくさん練習しないといけないでしょ?」
「でもやりたいわけでもないのに時間を割くのって嫌じゃない? 私だったら……事務所とグループに自分の時間を奪われてるって思っちゃうかも」
純は目を伏せ、なにも返さない。
月子の言葉も当然のことだった。ダンスは絶望的なうえに、本人も前向きに取り組んでいるわけではない。グループに所属しているという理由だけで、メンバーに迷惑をかけないよう時間を使っている。
それは決して、純にとっての有意義な時間だとは言えなかった。
「それにさ、やっぱり純くんだったら、選択肢はたくさんあったと思うよ? 俳優とか、歌手とか。会長のスカウトなら、社長の命令も断れたと思うし」
社長との契約を、言うつもりはなかった。言ってしまえば、月子はきっと社長のことをボロクソに言うはずだ。
自分のために、これ以上月子が怒る必要はないと思った。
「断ったところで、社長は強引に話をすすめるような人だからね」
これが、純にとって精いっぱいの返事だった。月子もそれ以上は聞いてこない。
「まあ確かに、そういう人ではあるけどね……」
その声から心配している感情を肌で感じ取りつつ、純は鏡を見た。
映るのは、グループのなかで悪目立ちする赤毛。ぱっとしないキツネ目。下手なダンス。
やはり、他のメンバーに比べてなにもかもが劣っている。ような気がする。
純は、鏡を見るたびに自信を無くす。
「だめだなぁ、俺。せめてダンスだけでもしっかりできないといけないのに……。どんどん、嫌になってくる」
失敗ばかりの劣等感。イノセンスギフトでみいだせない存在価値。この世界ではなにも、成し遂げられていない。
「パパとママの力になれれば、それでよかったのにな……。それだけで、よかったのに……。パパとママのところには、もう、戻れないんだ」
思わずこぼれた本音。目に涙がうっすらとにじんでくる。
しまったと思ったときには、鏡の中で月子と目が合っていた。となりに顔を向け、ほほ笑む。
「あ、ごめんね、月子ちゃん。さっきの部分、一人で練習してみる。月子ちゃんは台本読みに戻って」
月子は変に慰めることも、同情することもない。ただ静かに、うなずいた。
「……そう。わかった」
背を向け、離れていく。純がステップを練習し始めると、振り返って見守った。
先ほどよりも、うまく踊れている。この調子だと、メンバーの中で見劣りしないレベルになるのもそう遠くはない。
繰り返し練習していた純の動きが、急に止まった。背を丸めて動こうとしない姿に、月子は顔をしかめる。
鏡に映る純の顔を見れば、その目は薄暗く、唇を噛んでいた。
声をかけようとする前にドアが開き、メンバーが数人、ぞろぞろと入ってきた。月子の存在に、メンバーはそれぞれ驚く表情を見せる。
月子は純をチラリと見て、稽古場の後方に置いていた台本を取りに向かった。
その際、最年長メンバーの一人である沢辺伊織と、すれ違う。
「へえ? 渡辺月子と二人きりなんてやらしいじゃん」
不快感と軽蔑が混ざる声だ。純は眉を寄せて振り返る。純を見つめる伊織の口角は、上がっていた。
もとからつり上がっている目つきに、大きい口からのぞく八重歯。純への嫌悪をこれでもかと放っている。
「前から思ってたけど、星乃って女の子に優しく教わらないとダンス覚えられないんだね」
「あ……」
「自分がイノセンスギフトだって自覚はないわけ? いっちょ前にメンバーの足引っ張るくせに、女の子と遊ぶくらい余裕あるんだ?」
その場にいた他のメンバーが、伊織に対して気まずそうに視線を向ける。止めようにも、最年長である伊織には逆らえない。
「そんなだからなにも成長しないんじゃん?」
「じゃああんたが教えてあげたら?」
台本を拾い上げた月子が、はっきりと言い返す。
「同じグループの誰かが教えれば、わざわざ外部の私が教える必要もないんですけど?」
メンバーたちはバツの悪い顔で二人から目をそらした。
中学生の月子に、高校生の伊織が意地悪く言い放つ。
「人と仲良くできないもの同士、傷なめあって楽しい?」
「ええ、とっても。彼と話してると、厳しいレッスンに耐えてデビューしたグループが、いかに低レベルなのかよ~くわかるから」
「はあ?」
眉をひそめる伊織を気にとめず、月子は純に向かって台本を振る。
「そろそろ行くね。稽古、がんばって」
月子は一段と低い声で、ぼそっと続ける。
「こんなやつらのためじゃなくて、自分のためにダンスを覚えるんだよ」
伊織の耳には入らなかったが、純にはよく聞こえていた。
純がほほ笑むと、月子もほほ笑む。伊織に顔を向けた月子は、すぐに笑みを消した。
「そっちこそ、イノセンスギフトの自覚ないんじゃない? 考え方も立ち振る舞いも、レッスン生のころとなにも変わらないんだね」
純と話すときとは違う、トゲのある声だ。なにも言えずににらみつける伊織を尻目に、月子は堂々と稽古場を出ていった。
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