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第二夜 酒も女も金も男も
あくまでもExecutive Player
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この日、律は飲みすぎた。店が閉まるころにはふらふらで、トイレの個室に閉じこもる。掃除を始めようとする新人ホストをドアの前で待たせていた。
えずく音を長いこと響かせながら、満足するまで吐き出した。ハンカチで口元を拭きながら個室を出る。
「……ごめん。掃除はじめていいよ」
言葉を発する余裕もない。青白い顔で、トイレをあとにした。
胃に不快感を抱え、出入り口に向かう。レジカウンターにさしかったとき、呼び止められた。
「律!」
ミーティングをしているはずの店長が、紙コップを持って追って来た。
整った顔だが、疲労と加齢を隠そうとしていない。眉間のしわとつり上がった目が、厳しい印象を際立たせている。
「なに?」
「飲んどけよ。脱水にならないように」
「あー……」
コップの中身は白湯だ。湯気が立っている。
律がいぶかしげに受け取ると、店長はついてくるようあごをしゃくった。背を向けて、フロアに戻っていく。
首をかしげながら立ち尽くす律に、振り向いた店長が挑発するような手の動きでせかした。
「なに? おれ、なんかやらかした?」
「いいから、はやく」
わけもわからず、しぶしぶ店長についていった。
店長はひと気のない卓席に入り、店腰を下ろす。その正面に律が座った。手に持つ白湯を見下ろす律に、店長は前のめりになる。
「おまえに、ちょっと頼みたいことがあんだけど」
「それ断っていいやつ?」
「まず内容を聞けよ」
店長は顔をゆがませ、ため息をつく。
「千隼のようすが、最近おかしいんだ」
「千隼さん?」
律は周囲を見渡した。少し離れた場所にある卓席で、幹部たちがミーティングを行っている。その中に、千隼がいた。
真剣に話し合う千隼を見すえながら、律はコップに口をつける。熱さでいったんはなし、息を吹きかけて冷ました。
千隼と目が合いそうになったところで、店長に向き直る。
「おかしいって、どういうふうにおかしいわけ?」
卓席での千隼は、普通に話し合いができているように見えた。少なくとも店長が心配するほどでもなさそうだ。
「それがな~、なんて説明したらいいか」
店長は腕を組み、眉間にしわを寄せた。
「なにかあるのは間違いないんだ。ただの勘でしかないけどな。……ときどき妙に上の空なんだよ。かなり疲れ切った顔してるときもあるし」
店長にしては歯切れが悪い。律は白湯をちびちびと飲んでいく。
「よくわからないけど、幹部の仕事と客の対応に支障がないならいいんじゃないの?」
「今のところはな。でもあいつ、この世界じゃ珍しいくらい真面目で仕事熱心だろ。売り上げもどんどんのびてるし」
律は素直にうなずく。
千隼の働きぶりに関しては、正直、感心していた。
脱サラして遅いホストデビューを迎えた千隼を、当初はあまり期待していなかった。簡単に稼げそうだと飛び込んできたくらいにしか思えなかったからだ。
ところがどうだ。今ではすっかりナンバー入りの常連だ。ここまで来るのに相当努力したに違いない。
「そういうやつにいきなり限界が来て辞められるのは困るんだよ。前につとめてたところもそれで辞めてるっぽいし」
「だから、俺に千隼さんのメンタルケアをやってほしいって?」
律は盛大にため息をついた。
「めんどくさい。断る」
律の反応は想定内だったようで、店長の表情が特に変わることはない。
「その分給料は上乗せするって言ってもか」
「俺には関係ないことだからな」
湯気がのぼらなくなった白湯を飲み進める。不思議なもので、胃の不快感が先ほどよりもおさまっているような気がした。
「だいたい、そういうのはヒラのホストに頼むことじゃねえだろ」
「おまえだから頼んでんだよ。おまえも経営者やってんだろ。 もし店の女の子たちが悩んでたら、相談に乗ってあげるんじゃないのか? それと同じだよ」
「全然ちげえよ。それとこれとは話が別だ。ここでの俺はあくまで、個人事業主、だからな」
千隼がなにを抱えて悩んでいようと、律には関係ないことだ。律が千隼に目をかける義理もない。
店長は小さく舌打ちを打つ。
「なんかあったときにフォローしてくれたらいい。常に、とは言わねえ。おまえが気になったときだけでいいから」
「俺がそんなに暇に見えんのか。自分のことで精いっぱいだっつの」
律はばっさりと切り捨て、生ぬるくなってきた白湯を飲み干す。胃の不快感が軽減するのを実感しながら、大きく息をついた。
「まあ、確かに? 千隼さんは真面目だし、他のホストにいないタイプだし、店長がかわいがるのもわかる。でも、店長が特定のホストに肩入れすんのはヒイキだろ。誰だろうと多かれ少なかれ悩むもんだし」
カラになった紙コップを卓席に置く。律は小さくゲップした。
「そういうのは、俺じゃなくて他の役職付きにさせとけよ。てか、それが役職の仕事だろ。俺はそういう、めんどくさいことやりたくねえから役職蹴ってんだよ」
店長はあきれたようにため息をつくが、律の言葉に食い下がろうとはしなかった。
「話はそれだけ?」
「ああ」
「じゃあもう帰る。また明日」
紙コップをそのままに、律は立ち上がる。
千隼がいる卓席に、視線を向けた。
まだミーティングは続いており、声をかけられるような雰囲気ではない。律はいつものように、なにもすることなく店を出ていく。
えずく音を長いこと響かせながら、満足するまで吐き出した。ハンカチで口元を拭きながら個室を出る。
「……ごめん。掃除はじめていいよ」
言葉を発する余裕もない。青白い顔で、トイレをあとにした。
胃に不快感を抱え、出入り口に向かう。レジカウンターにさしかったとき、呼び止められた。
「律!」
ミーティングをしているはずの店長が、紙コップを持って追って来た。
整った顔だが、疲労と加齢を隠そうとしていない。眉間のしわとつり上がった目が、厳しい印象を際立たせている。
「なに?」
「飲んどけよ。脱水にならないように」
「あー……」
コップの中身は白湯だ。湯気が立っている。
律がいぶかしげに受け取ると、店長はついてくるようあごをしゃくった。背を向けて、フロアに戻っていく。
首をかしげながら立ち尽くす律に、振り向いた店長が挑発するような手の動きでせかした。
「なに? おれ、なんかやらかした?」
「いいから、はやく」
わけもわからず、しぶしぶ店長についていった。
店長はひと気のない卓席に入り、店腰を下ろす。その正面に律が座った。手に持つ白湯を見下ろす律に、店長は前のめりになる。
「おまえに、ちょっと頼みたいことがあんだけど」
「それ断っていいやつ?」
「まず内容を聞けよ」
店長は顔をゆがませ、ため息をつく。
「千隼のようすが、最近おかしいんだ」
「千隼さん?」
律は周囲を見渡した。少し離れた場所にある卓席で、幹部たちがミーティングを行っている。その中に、千隼がいた。
真剣に話し合う千隼を見すえながら、律はコップに口をつける。熱さでいったんはなし、息を吹きかけて冷ました。
千隼と目が合いそうになったところで、店長に向き直る。
「おかしいって、どういうふうにおかしいわけ?」
卓席での千隼は、普通に話し合いができているように見えた。少なくとも店長が心配するほどでもなさそうだ。
「それがな~、なんて説明したらいいか」
店長は腕を組み、眉間にしわを寄せた。
「なにかあるのは間違いないんだ。ただの勘でしかないけどな。……ときどき妙に上の空なんだよ。かなり疲れ切った顔してるときもあるし」
店長にしては歯切れが悪い。律は白湯をちびちびと飲んでいく。
「よくわからないけど、幹部の仕事と客の対応に支障がないならいいんじゃないの?」
「今のところはな。でもあいつ、この世界じゃ珍しいくらい真面目で仕事熱心だろ。売り上げもどんどんのびてるし」
律は素直にうなずく。
千隼の働きぶりに関しては、正直、感心していた。
脱サラして遅いホストデビューを迎えた千隼を、当初はあまり期待していなかった。簡単に稼げそうだと飛び込んできたくらいにしか思えなかったからだ。
ところがどうだ。今ではすっかりナンバー入りの常連だ。ここまで来るのに相当努力したに違いない。
「そういうやつにいきなり限界が来て辞められるのは困るんだよ。前につとめてたところもそれで辞めてるっぽいし」
「だから、俺に千隼さんのメンタルケアをやってほしいって?」
律は盛大にため息をついた。
「めんどくさい。断る」
律の反応は想定内だったようで、店長の表情が特に変わることはない。
「その分給料は上乗せするって言ってもか」
「俺には関係ないことだからな」
湯気がのぼらなくなった白湯を飲み進める。不思議なもので、胃の不快感が先ほどよりもおさまっているような気がした。
「だいたい、そういうのはヒラのホストに頼むことじゃねえだろ」
「おまえだから頼んでんだよ。おまえも経営者やってんだろ。 もし店の女の子たちが悩んでたら、相談に乗ってあげるんじゃないのか? それと同じだよ」
「全然ちげえよ。それとこれとは話が別だ。ここでの俺はあくまで、個人事業主、だからな」
千隼がなにを抱えて悩んでいようと、律には関係ないことだ。律が千隼に目をかける義理もない。
店長は小さく舌打ちを打つ。
「なんかあったときにフォローしてくれたらいい。常に、とは言わねえ。おまえが気になったときだけでいいから」
「俺がそんなに暇に見えんのか。自分のことで精いっぱいだっつの」
律はばっさりと切り捨て、生ぬるくなってきた白湯を飲み干す。胃の不快感が軽減するのを実感しながら、大きく息をついた。
「まあ、確かに? 千隼さんは真面目だし、他のホストにいないタイプだし、店長がかわいがるのもわかる。でも、店長が特定のホストに肩入れすんのはヒイキだろ。誰だろうと多かれ少なかれ悩むもんだし」
カラになった紙コップを卓席に置く。律は小さくゲップした。
「そういうのは、俺じゃなくて他の役職付きにさせとけよ。てか、それが役職の仕事だろ。俺はそういう、めんどくさいことやりたくねえから役職蹴ってんだよ」
店長はあきれたようにため息をつくが、律の言葉に食い下がろうとはしなかった。
「話はそれだけ?」
「ああ」
「じゃあもう帰る。また明日」
紙コップをそのままに、律は立ち上がる。
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