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第二夜 酒も女も金も男も
戻ってくるって信じてる 2
しおりを挟む律は持っていたサンドイッチを食べ終え、ココアに口をつける。ちょうどよい温度にまで冷めて、飲みやすい。
「確かに、俺たちの仕事ってクソですもんね」
「え?」
「女性から金を巻き上げる最低な仕事。普通の人とは同じように見られないし、将来も安定しませんから」
「……ちが、俺は、そんなことを言いたいわけじゃなくて……ごめん」
目を伏せる千隼に、律はいつもどおりの声色で返す。
「別に怒ってないです。ただ、どう思われようと、俺たちは今を生きていかなきゃいけないわけで。この仕事で、今を生きながらえることができているわけで」
「うん……」
「エリートの肩書がなくても、大企業勤めじゃなくても、ちゃんと稼いで生きているんですから。……少なくとも千隼さん自身が、今の自分を認めて受け入れてあげないと」
愛想のない、真剣な声だからこそ、千隼の体に刺さっていく。
「今の千隼さんがどれほど頑張って生きているのか、俺はわかってますから。この俺に言われても嬉しくはないでしょうけど」
律を見すえる千隼の目から、また、涙が零れ落ちた。
会社を辞めてからずっと、千隼の中でくすぶっていたなにかが、小さくなっていく。
「こんな仕事、誰だってできます。でも、売り上げを出して稼ぐのは簡単じゃない。……俺たち、こう見えて、いつもがんばってますよね?」
「……うん」
千隼はサンドイッチを置いて、涙でぬれた頬を手でぬぐう。
「ありがとう、律くん」
手の甲を目に当てたまま、はにかんだ。
「ごめん。大の大人がこんなに泣くなんて、情けないよね……」
「酒飲みすぎて泣き上戸になってるんですよ」
「……はは。そうだね」
律の優しさに、また涙が流れる。目元から手が離せない。
鼻をすすりながら、冷静に声を出す。
「俺が前の会社を辞めた理由、店長から聞いたんだよね?」
「……すみません。彼女の反応を見るために必要だったんです」
「ううん、いいんだ。知られたらきっと、幻滅されるんだろうなって、思ってたから。律くんは、そんなこと、なかったね」
声は落ち着いているものの、涙は一向におさまらない。目元がうっすらと赤く腫れていく。
「もう、がんばれなかったんだ、俺。仕事は多いし人手は足りない。休日もないし、家庭を持つなんて全然考えられない。こうやって、食事を楽しむ余裕すら、なかった。でもそれが、当たり前だったから……」
「外資系は忙しいって言いますもんね」
「うん。だから、給与もよかったんだけど、俺には向いてなかった。だんだん、デスクに座るのがしんどくなって、常に吐き気がして……」
話しの途中、律はココアを置き、とんかつのサンドイッチに手を付ける。あいかわらずちみちみと食べながら、聞き耳を立てていた。
「ミーティング前は胃が痛むし、資料作成も指が震えてそれどころじゃない。出勤前に駅のホームで、『ここで死んだら仕事に行かなくて済む』とかよく考えてた。だんだんひどくなって、仕事に行けなくなって……そのまま、辞めた」
律は、返事をしなかった。真剣な顔で咀嚼しながら、黙って聞いていた。
「彼女のこと、ほんとうに好きだったんだ。仕事に追われ続けて余裕がなくても、彼女に会えば元気をもらえて、もっと頑張ろうって思えたんだ……」
千隼は、濡れた瞳で律を見すえる。涙をこぼしながらも必死に笑おうと、口角を上げていた。
「彼女のどこがいいのか、律くんはわからなかったでしょ? 強引だしわがままだってすぐに気づいただろうから。でもね、そんな気を遣わないところに何度も救われてたんだよ。だからこそ、彼女に嫌われるのが、怖くて……言えなくて」
千隼は涙をぬぐい、息をつく。鼻さきも、赤くなっていた。
「俺は、死にたいと思いながら仕事を続けられるほど強くない。……大好きな彼女にふられて普通でいられるほど、できた人間じゃないから」
反応を見せず返事のない律を見すえ、再び笑みを浮かべた。
「ごめん。こんな長々と話すことじゃ、なかったね。でも少し、気は楽になったかも」
視界に入ったココアを持ち上げ、口をつけた。コーヒーとは違い、甘くやわらかい匂いが立ち込める。傷ついた心に、染みわたっていった。
「Aquariusではどうですか?」
「え?」
「前の会社で起こったこと、起きてませんか?」
律の問いに、千隼はほほ笑む。ココアをテーブルに置いて、答えた。
「Aquariusでは死にたくなったこと、一度もないよ。確かにつらいこともあるし、忙しいことに変わりはないけど。少なくとも前よりちゃんと眠れてるし、ご飯もおいしいって感じるから」
視線をサンドイッチに落とし、手を付ける。口をつけた千隼を見すえ、律はうなずいた。
「それならよかった。案外立ち直りは早そうですね」
「え?」
律は手に乗るサンドイッチを一気にほおばった。両頬をふくらませながら咀嚼し、時折ココアに口をつけて流し込んでいく。
ココアを飲み干したころには頬も元通りだ。唇を舐めながら、カップを置く。
「しばらく、休んでも大丈夫らしいですよ。店長が言ってました。また店に戻って来るの、楽しみに待ってますから」
かすかに、ひかえめに、ほほ笑んだ。女性向けの演技ではない、本物の笑みだ。
「忘れないでください、千隼さん。大事なのは、今です。過去がどうであれ、会社を辞めた理由がなんであれ、今の……ホストとしての千隼さんを俺は受け入れます」
あふれてくる複雑な感情が、千隼の表情に現れてくる。うまく笑うこともできなければ、涙をこぼすのも違うような気がした。
ぎこちない声を出すので精いっぱいだ。
「……ありがとう」
ほんとうは、ずっと前にその言葉を聞きたかったのかもしれない。
律の表情からは、すでに笑みが消えていた。食事を終えた律はそうそうに立ち上がり、伝票をもってレジへ向かう。
「あ……いや、お金」
律は千隼の呼び止めに応じることなく、レジで会計を始めた。手早く支払いを済ませ、店を出ていく。
千隼は視線をテーブルに戻し、ため息をついた。
自身の皿にはまだサンドイッチが残っている。とりあえず、手に持っているほうをかぶりついた。
律の普段の振る舞いは男気があってかっこいいのに、食べる姿はまるで小さい子どものようだったと、思い出しながら。
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