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第6話
「いやぁ。商談相手の夫人に気に入られて、話があっという間にまとまったよ。むしろ夫人が離そうとしないからもう腰が痛い痛い。あ、色っぽい意味じゃねぇぞ? 腰にしがみつかれて、マジで物理的に離れなくてさ」
「ーーおい」
「俺としては可愛い娘ちゃんの方とお近づきになりたかったんだけどさ、まぁ父親の守りが固いのよ。あれは将来旦那が苦労するぜー」
「おい!」
とにかく流暢に喋り続けていたエニシダが、モクレンのおかげでようやく制止する。
「少しは口を慎んでください。領主様のご息女、シルフィア・ロントーレ様がいらっしゃるんですよ」
モクレンが苦々しい顔でシルフィアの存在を強調する。
エニシダは、そつのない笑顔で進み出た。
「これはこれは、麗しきシルフィア・ロントーレ嬢ではございませんか! 女神のごとく尊き方にお目通りいただけるとは、今日は人生最良の日に違いない! 私はエニシダ・リュクセ。しがない商人のはしくれです。以後、お見知りおきを」
流れるように膝を付き、手を取られる。
あまりの仰々しさに頬が引きつったが、シルフィアは何とか挨拶を返した。
「シルフィア・ロントーレと申します。こちらこそ、どうぞよろしくお願いいたします」
「ああ、声まで小鳥のさえずりのように魅力的だ」
「……」
チャラい。とにかくその一言に尽きた。
整った顔立ちに人懐っこい笑みを浮かべれば、陥落するご婦人もさぞ多いことだろう。
シルフィアも心情的にはチャラ美形おいしいといった感じだが、クシェル目線では複雑だ。
可愛がっていた元養い子が、軽薄な女好きへと圧倒的な進化を遂げていたのだから。
普段のシルフィアならば心行くまで存分にうっとりしているところだろうに、妙に冷静な部分が残っているのはそのためだった。
「シルフィア嬢がモクレンと知り合いだったとは、少しばかり意外です。一体どのような経緯で親しくなったのか、お聞かせいただいても?」
溌剌とした笑みだが、枯れ葉のような赤茶の瞳の奥に抜け目のなさが窺える。一見好青年にしか思えない彼も、確かにやり手の商人なのだろう。
一目で夢中になったと言わんばかりの態度だが、シルフィアには笑みに隠された本音が手に取るように分かる。
エニシダは警戒しているのだ。大切な家族に近付くシルフィアに、どんな意図があるのかと。
「モクレン様には、大切な使用人の治療をしていただきましたの。我が家にとって彼は恩人ですわ」
モクレンを利用しようというやましい考えは一切ない。強い意思を込めて、シルフィアは真っ直ぐ見つめ返す。
見合っていると、彼の瞳が一瞬揺らいだ。それは驚きにも動揺にも似た形で。
エニシダの薄い唇が何らかの言葉を紡ごうとしたところで、遮るように広い背中が割り入った。
「もしもシルフィア様に無礼を働くなら、例えあなたと言えど許しません」
「ーーモクレン」
エニシダが張り詰めた声で彼の名を呼んだ。
「モクレン、誤解よ。無礼など一つもなかったわ」
シルフィアは白衣の袖を引きながら、慌てて弁解する。
エニシダの発言はモクレンを思ってのものだ。
長い年月をかけて築き上げられた彼らの仲が、間違っても自分のためにこじれてはいけない。
その時、険悪になりかけた空気を吹き飛ばすように、子ども達がなだれ込んできた。
「エニシダおじちゃんだ!」
「遊んで!」
「お土産ちょうだい!」
「今度はどこに行ってきたの!?」
「あっ、こらお前ら! 俺は話し中で……つーかお兄ちゃんって呼べって言ってんだろーが!」
まるで嵐のような勢いでエニシダがさらわれていく。
凄まじい人気ぶりにシルフィアもモクレンもポカンとしてしまった。
ユキノシタが困ったように微笑んだ。
「エニシダは、商談帰りに必ずここへ寄って、子ども達にお土産をくれるんですよ。地方の珍しい食べものや、王都で流行りのおもちゃまで。子ども達もいつも楽しみにしているんです」
どうやら意外にも、エニシダは常日頃から孤児院を訪れていたらしい。
「……見かけによらず、律儀なのね」
「何もシルフィア様がいるこの時に居合わせなくても、とは思いますがね」
クシェル時代、一番最初に引き取った子どもがエニシダだった。
雰囲気はずいぶん変わってしまったが、長兄らしい面倒見のよさは今も健在らしい。
「だあっ、このガキんちょ共! 俺はこれから部下との会議なの! お前らに構ってる暇はねぇの!」
「えーいいじゃん、ケチくさいなぁ」
「ありがとよ! 商人に『ケチ』は褒め言葉だ!」
楽しそうにまとわりつく子ども達を千切っては投げ、千切っては投げ。
ようやく庭から抜け出せるというところで、エニシダはシルフィア達を振り返った。
「またゆっくり会おうぜ、お姫様!」
『お姫様』と称しつつ、もはやほとんど猫を被っていないようだが、彼のあれは正解なのだろうか。
慌ただしい退場を見送ると、シルフィアは息をついた。
モクレンはエニシダの執着を危ぶんでいたが、この分なら特に問題ないような気がする。
「なぁ、別に秘密がばれても問題ないんじゃないか? 俺には、あいつがおかしな真似をするなんて思えない」
声を潜めて耳打ちすると、モクレンは鋭く目を細めた。
「あなたは、あの男の執着がどれほどのものか知らないからそんなことが言えるんです」
「ぶっちゃけ執着って言われても、いまいちピンと来ないんだよな。みんな普通に仲がよかったし、同じように慕ってくれてただろ?」
「甘い。甘すぎる」
モクレンが舌打ちでもしそうな顔でずい、と近付いた。
深い緑の瞳が、怒りからか鮮やかにきらめいている。
シルフィアはつい状況も忘れて見入ってしまった。
「エニシダがあなたのことを知ったら、確実に自分だけのものにしようと動くでしょう。今のあなたは女性です。やろうと思えば、縛る手段などいくらでもあるんですよ」
「手段? どんな?」
「あなたは、本当に……」
きょとんとすると、モクレンは顔を覆って黙り込む。
何が問題なのか追及しようにも、そろそろ距離の近さをユキノシタに不思議がられそうだ。
シルフィアは密談をやめて適切な距離を取った。
そこからは、子ども達と全力で遊んだ。
庭で追いかけっこをしている時は、シルフィアはつい本気を出してしまいそうになった。
走り疲れたら、屋内に入って絵本を読み聞かせる。
簡素ながらも清潔なドレスを着たシルフィアは、すぐに女の子達に囲まれた。
フィソーロ代表のモクレンは、男の子達からの尊敬を集め質問攻めにされていた。その頃には子ども達も、彼の無愛想にすっかり慣れたようだ。
ユキノシタは、嬉しそうに遊び回る子ども達をほのぼのと眺めている。
トーカが再び姿を現したのは、そろそろ屋敷へ帰ろうかという頃。
シルフィアはある程度の距離を保ちながら、彼女の側に膝を付いた。
「先ほどは突然話しかけて、ごめんなさいね。驚かせてしまったわね」
トーカは栗色の髪をした、大人しそうな少女だった。大きな瞳には、今も怯えの色がある。
「私はシルフィア。あなたのお名前を聞いてもいい?」
「……トーカ」
「トーカ。とても可愛らしい名前ね」
シルフィアは、隣に立つモクレンにも屈んでもらった。
「このお兄さんは、街を守るお仕事をしているの。一度お話を聞きに来たの、覚えているかしら?」
小さく頷くトーカは、二番目の被害者だ。
廃棄される胚芽を譲ってもらうため、近所の製粉所に向かっている途中だったという。ランと同じように、背後から突然切り付けられた。
モクレンも、事件直後に彼女の聴取をしていた。これらの情報は、彼がその時に聞き出したものだ。
シルフィアが確認のために一つずつ問いかけていくと、少女は全てに頷いていく。けれど、決して自発的には喋ろうとしない。
「彼女は無口なんですよ」
「あなたが怖い顔だから、怯えているのではなくて?」
「特に怖い顔なんてしていませんが?」
「あら、自覚がないのね」
モクレンと気安く軽口を叩き合っていると、小さな笑い声が上がった。
振り返ると、トーカがくすくすと笑っている。
少女が初めて見せた笑顔に、シルフィア達は聴取も忘れて安堵の笑みを交わした。
「……あ、思い出した」
トーカがふと、顔を上げる。
気が抜けたことで、当時の記憶が甦ったらしい。
うっかりなくしていた何かが、コロリと手元に戻ってきたような表情。
「切られたあと、こう言われたの」
続く少女の言葉に、シルフィアとモクレンは息を呑む。
「ーー『違う』って」
「ーーおい」
「俺としては可愛い娘ちゃんの方とお近づきになりたかったんだけどさ、まぁ父親の守りが固いのよ。あれは将来旦那が苦労するぜー」
「おい!」
とにかく流暢に喋り続けていたエニシダが、モクレンのおかげでようやく制止する。
「少しは口を慎んでください。領主様のご息女、シルフィア・ロントーレ様がいらっしゃるんですよ」
モクレンが苦々しい顔でシルフィアの存在を強調する。
エニシダは、そつのない笑顔で進み出た。
「これはこれは、麗しきシルフィア・ロントーレ嬢ではございませんか! 女神のごとく尊き方にお目通りいただけるとは、今日は人生最良の日に違いない! 私はエニシダ・リュクセ。しがない商人のはしくれです。以後、お見知りおきを」
流れるように膝を付き、手を取られる。
あまりの仰々しさに頬が引きつったが、シルフィアは何とか挨拶を返した。
「シルフィア・ロントーレと申します。こちらこそ、どうぞよろしくお願いいたします」
「ああ、声まで小鳥のさえずりのように魅力的だ」
「……」
チャラい。とにかくその一言に尽きた。
整った顔立ちに人懐っこい笑みを浮かべれば、陥落するご婦人もさぞ多いことだろう。
シルフィアも心情的にはチャラ美形おいしいといった感じだが、クシェル目線では複雑だ。
可愛がっていた元養い子が、軽薄な女好きへと圧倒的な進化を遂げていたのだから。
普段のシルフィアならば心行くまで存分にうっとりしているところだろうに、妙に冷静な部分が残っているのはそのためだった。
「シルフィア嬢がモクレンと知り合いだったとは、少しばかり意外です。一体どのような経緯で親しくなったのか、お聞かせいただいても?」
溌剌とした笑みだが、枯れ葉のような赤茶の瞳の奥に抜け目のなさが窺える。一見好青年にしか思えない彼も、確かにやり手の商人なのだろう。
一目で夢中になったと言わんばかりの態度だが、シルフィアには笑みに隠された本音が手に取るように分かる。
エニシダは警戒しているのだ。大切な家族に近付くシルフィアに、どんな意図があるのかと。
「モクレン様には、大切な使用人の治療をしていただきましたの。我が家にとって彼は恩人ですわ」
モクレンを利用しようというやましい考えは一切ない。強い意思を込めて、シルフィアは真っ直ぐ見つめ返す。
見合っていると、彼の瞳が一瞬揺らいだ。それは驚きにも動揺にも似た形で。
エニシダの薄い唇が何らかの言葉を紡ごうとしたところで、遮るように広い背中が割り入った。
「もしもシルフィア様に無礼を働くなら、例えあなたと言えど許しません」
「ーーモクレン」
エニシダが張り詰めた声で彼の名を呼んだ。
「モクレン、誤解よ。無礼など一つもなかったわ」
シルフィアは白衣の袖を引きながら、慌てて弁解する。
エニシダの発言はモクレンを思ってのものだ。
長い年月をかけて築き上げられた彼らの仲が、間違っても自分のためにこじれてはいけない。
その時、険悪になりかけた空気を吹き飛ばすように、子ども達がなだれ込んできた。
「エニシダおじちゃんだ!」
「遊んで!」
「お土産ちょうだい!」
「今度はどこに行ってきたの!?」
「あっ、こらお前ら! 俺は話し中で……つーかお兄ちゃんって呼べって言ってんだろーが!」
まるで嵐のような勢いでエニシダがさらわれていく。
凄まじい人気ぶりにシルフィアもモクレンもポカンとしてしまった。
ユキノシタが困ったように微笑んだ。
「エニシダは、商談帰りに必ずここへ寄って、子ども達にお土産をくれるんですよ。地方の珍しい食べものや、王都で流行りのおもちゃまで。子ども達もいつも楽しみにしているんです」
どうやら意外にも、エニシダは常日頃から孤児院を訪れていたらしい。
「……見かけによらず、律儀なのね」
「何もシルフィア様がいるこの時に居合わせなくても、とは思いますがね」
クシェル時代、一番最初に引き取った子どもがエニシダだった。
雰囲気はずいぶん変わってしまったが、長兄らしい面倒見のよさは今も健在らしい。
「だあっ、このガキんちょ共! 俺はこれから部下との会議なの! お前らに構ってる暇はねぇの!」
「えーいいじゃん、ケチくさいなぁ」
「ありがとよ! 商人に『ケチ』は褒め言葉だ!」
楽しそうにまとわりつく子ども達を千切っては投げ、千切っては投げ。
ようやく庭から抜け出せるというところで、エニシダはシルフィア達を振り返った。
「またゆっくり会おうぜ、お姫様!」
『お姫様』と称しつつ、もはやほとんど猫を被っていないようだが、彼のあれは正解なのだろうか。
慌ただしい退場を見送ると、シルフィアは息をついた。
モクレンはエニシダの執着を危ぶんでいたが、この分なら特に問題ないような気がする。
「なぁ、別に秘密がばれても問題ないんじゃないか? 俺には、あいつがおかしな真似をするなんて思えない」
声を潜めて耳打ちすると、モクレンは鋭く目を細めた。
「あなたは、あの男の執着がどれほどのものか知らないからそんなことが言えるんです」
「ぶっちゃけ執着って言われても、いまいちピンと来ないんだよな。みんな普通に仲がよかったし、同じように慕ってくれてただろ?」
「甘い。甘すぎる」
モクレンが舌打ちでもしそうな顔でずい、と近付いた。
深い緑の瞳が、怒りからか鮮やかにきらめいている。
シルフィアはつい状況も忘れて見入ってしまった。
「エニシダがあなたのことを知ったら、確実に自分だけのものにしようと動くでしょう。今のあなたは女性です。やろうと思えば、縛る手段などいくらでもあるんですよ」
「手段? どんな?」
「あなたは、本当に……」
きょとんとすると、モクレンは顔を覆って黙り込む。
何が問題なのか追及しようにも、そろそろ距離の近さをユキノシタに不思議がられそうだ。
シルフィアは密談をやめて適切な距離を取った。
そこからは、子ども達と全力で遊んだ。
庭で追いかけっこをしている時は、シルフィアはつい本気を出してしまいそうになった。
走り疲れたら、屋内に入って絵本を読み聞かせる。
簡素ながらも清潔なドレスを着たシルフィアは、すぐに女の子達に囲まれた。
フィソーロ代表のモクレンは、男の子達からの尊敬を集め質問攻めにされていた。その頃には子ども達も、彼の無愛想にすっかり慣れたようだ。
ユキノシタは、嬉しそうに遊び回る子ども達をほのぼのと眺めている。
トーカが再び姿を現したのは、そろそろ屋敷へ帰ろうかという頃。
シルフィアはある程度の距離を保ちながら、彼女の側に膝を付いた。
「先ほどは突然話しかけて、ごめんなさいね。驚かせてしまったわね」
トーカは栗色の髪をした、大人しそうな少女だった。大きな瞳には、今も怯えの色がある。
「私はシルフィア。あなたのお名前を聞いてもいい?」
「……トーカ」
「トーカ。とても可愛らしい名前ね」
シルフィアは、隣に立つモクレンにも屈んでもらった。
「このお兄さんは、街を守るお仕事をしているの。一度お話を聞きに来たの、覚えているかしら?」
小さく頷くトーカは、二番目の被害者だ。
廃棄される胚芽を譲ってもらうため、近所の製粉所に向かっている途中だったという。ランと同じように、背後から突然切り付けられた。
モクレンも、事件直後に彼女の聴取をしていた。これらの情報は、彼がその時に聞き出したものだ。
シルフィアが確認のために一つずつ問いかけていくと、少女は全てに頷いていく。けれど、決して自発的には喋ろうとしない。
「彼女は無口なんですよ」
「あなたが怖い顔だから、怯えているのではなくて?」
「特に怖い顔なんてしていませんが?」
「あら、自覚がないのね」
モクレンと気安く軽口を叩き合っていると、小さな笑い声が上がった。
振り返ると、トーカがくすくすと笑っている。
少女が初めて見せた笑顔に、シルフィア達は聴取も忘れて安堵の笑みを交わした。
「……あ、思い出した」
トーカがふと、顔を上げる。
気が抜けたことで、当時の記憶が甦ったらしい。
うっかりなくしていた何かが、コロリと手元に戻ってきたような表情。
「切られたあと、こう言われたの」
続く少女の言葉に、シルフィアとモクレンは息を呑む。
「ーー『違う』って」
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