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第13話
◇ ◆ ◇
しとしと、しとしと。
朝から冷たい五月雨が続き、日の入りが早い。
しとどに濡れた散り際のモクレンが、薄闇に沈む庭に凛と際立っていた。
軒先を打つ雨音に、静かに聞き入る。
ほつれた髪をうなじで押さえ、足を崩す。たったそれだけの挙措で、しどけない色気が匂い立った。
けれど、暗闇に沈む屋敷の離れに、女は一人。
この先もずっと訪いなどなく独りであろうことも、十分に理解していた。
煙管に火を点け、ぷかりと燻らせる。真っ赤な紅が引かれた唇から紫煙を吐き出す。
開け放たれた障子戸の向こうに、煙が吸い込まれるように消えていく。そこに、いつの間にか佇む影があった。
「……あんたも、物好きだねぇ」
「その台詞、そっくりそのままお返しする」
低い声で返され、女は煙を吐いた。
黒ずくめの姿には見覚えがあった。
酔狂な男で、暇をもて余した女の元に何度も現れる。怪しげな風体から、後ろ暗い仕事を生業にしているのは一目瞭然だった。
それでも、恐ろしくなどなかった。
女もかつては同じ穴のむじなだったからだ。郭の中にいた頃は、依頼人と殺し屋の繋ぎ役だった。
何より、籠の鳥も同然の今となっては、つまらない暮らしのいい刺激になる。
若い頃は咲き誇る牡丹のようだと持て囃されていたが、月日の流れは残酷だ。
美貌は少しずつ陰りを見せ始め、それゆえ女を身請けし耽溺していた若旦那の足も、次第に遠のいていった。
きっと薄情なことに存在すら忘れようとしているだろうから、やはりこの男は酔狂なのだ。
「なぜ、若旦那を殺そうと思わない? 人殺しの片棒を担いでいたのだから、お前もそれなりに得物を扱えるはずだ。一思いに殺してしまえば、また自由になれるのに」
「自由がそんなにいいもんかねぇ。不自由だった時が長すぎて、楽しみ方も忘れちまったよ」
ぎらつく眼光にさらされても、女は悠然と返すばかり。
男は、なぜか苛立たしげだった。
「このまま、ここで朽ちていくつもりか」
「なら、私を殺してくれるかい? ーー旦那様に依頼されてる通りにさ」
取り乱しもしない男に、吐き捨てるように笑う。
男は、暗殺者。対象は女。
依頼人はーー女を身請けしたはずの若旦那。正妻との間に子を持つ、不実な夫だ。
邪魔に思われているのは知っていた。
思い通りになるのもつまらないから、今日まで何とか生き延びてきただけだ。
日々の食事に盛られた毒を警戒し、庭を彩る植物で食い繋いでまで。
「……さぁ、そろそろお帰りよ。旦那様に見つかったら、あんたもただじゃ済まないはずさ」
その言葉を潮に、二人はいつも別れていた。
けれど今日の男は、なぜかその場を動かない。
訝しむ女に向け、男は口を動かした。
言葉を紡ぐ唇が、やけにゆっくりして見える。
「来世で、また必ず」
……男が立ち去る頃、女は畳の上で動かなくなっていた。傍らに落ちた煙管から、細く紫煙が上る。
根本を淡い赤紫色に染めたモクレンの花弁が、ハラリと散っていった。
◇ ◆ ◇
早朝の清々しい空気を切り裂いていた模造刀が、ドスンと芝生の上に落ちる。
シルフィアは息を乱しながら、その傍らによろよろと膝を付いた。
「駄目だわ、全然集中できない……」
あの火事から五日。
ようやく起き上がることができるようになったけれど、鈍った体が思うように動かない。
以前から少しずつ剣の稽古を進めていたのだが、また勘を取り戻すまでが遠のいた気がする。
汗に濡れた稽古着のまま、シルフィアは芝生の上に体を投げ出した。
嫌な夢を見て、どうにも気分が冴えない。
おぼろ気に思い出すこともあった記憶の断片。
クシェルであった時は鮮明だったそれを、シルフィアは忙しい日々の中でほとんど忘れかけていた。
……忘れていいはずがなかったのに。
夢に見てしまえば、なぜ忘れていられたのかと身震いを禁じ得ない。
一瞬の苦しみもなく殺される最期まで、男の瞳は狂気にまみれぎらついていた。
「また、あいつが……」
モクレンは一部の養い子の執着を危ぶんでいたが、あの男の執着心の方が余程恐ろしい。
まさか、あんな事件を引き起こすなんて。
青く高く澄んだ空を、沈鬱な面持ちで眺める。
雲が風に煽られ、どんどん形を変えていく。
普段ならば飽きずに見ていられるのに、まるで視界を上滑りしていくようだ。
その時、人影が頭上から覗き込む。
銀髪に緑の瞳、伶悧な美貌のモクレンだ。
「ーー全く。復調したばかりなのに、あなたは少しもじっとしていられないんですか」
秀麗な眉をしかめながらの嫌みに、シルフィアはなるべく平静を心がけながら返した。
「あなたが起き上がっていいと言ったんじゃない」
「このように激しい運動を許可したわけじゃないことくらい、少し考えれば分かるでしょう」
モクレンはあれ以来この調子で、ずっと口うるさくシルフィアの側を張り付いている。
患者の経過観察のためという大義名分を掲げ、屋敷に泊まり込んでさえいるのだ。
「そんなに心配しなくても、私は案外丈夫なのよ」
「鎮火を見届ける前に意識を失い、その後まる二日間眠り続けておいて? もちろんシルフィア様に代わり、この俺がフィソーロ代表として完璧に采配を振るわせていただきましたが?」
「うぅ、何度もお礼を言っているじゃない」
生死の境をさ迷っていたわけではない。あくまで体力を取り戻すために眠っていただけだ。
それでもただ待っているだけの時間が辛いことくらい、シルフィアにも分かる。
なのでぶつけられる嫌みも甘んじて耐えていた。
隣に腰を下ろすと、モクレンは生成りのシャツから伸びるシルフィアの腕を取った。
「火傷のあとも、ようやく薄くなってきたばかりなんですよ。あまり無茶はしないでください」
労るような触れ方。
銀色の髪が彼の頬にかかった瞬間、シルフィアは距離の近さに息を呑んだ。
銀縁眼鏡の向こうの瞳が、訝しげに細められる。
「何ですか?」
「いえ、別に」
みっともなく震える心臓に気付かれまいと、シルフィアはすぐに話を変えた。
「避難していた住民達も帰ったのだし、あなたもそろそろ戻ったらどう? 待っている患者がいるのではなくて?」
「あなたが眠っている間に、病院には顔を出しています。患者の状態は把握しているのでご心配なく」
会話中さりげなく腕を取り返すと、モクレンはますます不審がった。
「あれ以来、何かおかしいですね」
「何のことかしら? オホホ」
「胡散臭い令嬢笑いも違和感しかありませんが、その口調。今までならば二人きりの時、『飾らないあなた』だったはずですが?」
「そ、そうだったかしら」
どこに人目があるか分からないためぼかしているが、『クシェル』のことを言っているのだろう。
確かに今までのシルフィアなら、気軽に前世の乱暴な口調を操っていた。
けれど、今はーー。
胡散臭げな表情に、ほんの少し心配そうな色を混ぜて見下ろしているモクレン。
シルフィアは、反射的に目を逸らした。
「あ、馬車だわ」
「ものすごく無理やり誤魔化してませんか?」
「本当よ。ほら」
指差す先には馬車の影が見え始めていた。
続いて、ゴトゴトと車輪の音が伝わってくる。
こちらの方角には、ロントーレの屋敷しかない。
もう少しすれば馬車に描かれた鳩の紋章も見えてくるだろうが、十中八九クロードだろう。
「お父様、ずいぶん早く帰って来たのね」
確か、一週間ほどかかると言っていたはずだ。
不思議に思っていると、モクレンは立ち上がりながらしれっと口を開いた。
「シルフィア様が眠っている間に東街区で起こった火事、その被害状況、そしてシルフィア様の行ったことについて手紙で報告しましたからね」
「何てこと!!」
父との久しぶりの再会に湧き立っていた心が、物凄い勢いで萎んでいく。
全て自分の責任で行ったことだし後悔はないのだが、泣きそうな顔でお説教されると弱いのだ。
そうこうしている内に馬車が近付いてきた。
なぜかその周囲に、行きがけにはいなかった三騎の護衛が付いている。
銀色に輝く甲冑は王国騎士団のものだ。
目の前で馬車が停止した。
騎士達が馬から降りる。兜を外していく彼らを見て、シルフィアの時が止まった。
一人目は、刈り込んだ短い茶髪に、赤茶色の瞳。
精悍な顔立ちで、きゅっと引き締まった口元はいかにも寡黙そうだ。体を一回りも二回りも大きく見せている筋肉が鋼のようだった。
二人目は、青みを帯びた灰色の髪に、灰色の瞳。
すらりとした体躯と優美な物腰のためにどこか弱々しげに見えるが、周囲を油断なく見回す切れ長の瞳がその印象を裏切っている。
そして三人目は、黒髪に青の瞳の青年だった。
同じく中性的な雰囲気だが、背の高さと厚い胸板が彼を強者に見せている。一見優しげだが、暗い青の瞳は何も映していない。
それぞれ、シルフィアの心をくすぐる若者達。
けれど、彼らの色合いや容貌は、あまりに元養い子達と一致しすぎていて。
「一度に色々起こりすぎじゃないかしら……」
そろそろ倒れていいだろうか。
シルフィアは誰にともなく呟いた。
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