異世界キャリア意識改革!

浅名ゆうな

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本編

異世界キャリア意識改革!

「今日は私が救護室勤務に行くわ」
 エレミアの突然の宣言を受け、ナナセは目を瞬かせた。
「えっと……今日は第二騎士団と第三騎士団の交流試合が行われるから、怪我人が出るかもしれないよ? 体力的にきついかもしれないし、何よりエレミアは血が苦手でしょ?」
「何よ、私にはできないって言いたいの?」
「そういうわけじゃ……」
 なぜか同僚が、かつてなくやる気に満ち溢れている。嬉しいことだが戸惑っていると、彼女は威勢よく鼻を鳴らした。
「あんた一人に仕事を任せすぎると、いざ不在の時に困るって気が付いたのよ。私も、いつまでも楽してばかりじゃいられないわ」
 格好いい。
 ナナセはつい、エレミアに見惚れてしまった。やはりこの同僚は、とても頼りになる。
「……エレミア。よかったら今度、二人で遊びに行かない?」
 一緒に食事でも、雑貨屋めぐりでもいい。同僚ではなく友人になりたいと思った。
 この世界で生きていくことを選んだ。
 もう、何も我慢しなくていい。これからは誰を好きになるのも自由なのだ。
 仕事中の私語など、ナナセには極めて珍しい。突然の誘いに驚いていたエレミアだったが、すぐにじっとりと半眼になる。
「あのねぇ。働きはじめた頃、私は何度もあんたを誘ったことがあるのよ? なのに堅物すぎてサクッと断るし。当時どれだけ心を折られたことか……」
 言われてナナセも思い出した。
 まだ互いに初々しい新人だった頃、エレミアに休日の予定を聞かれたことがあった。
 けれどその度、覚えなければならない業務があるからと断っていた。今思えばつれなさすぎる態度だ。
 ナナセは肩を落とした。これはさすがに、今さらむしがよすぎる。
「ごめん……いやに決まってるよね……」
 モップ片手にすごすご立ち去ろうとするナナセの腕を、エレミアが掴んだ。
「誰も断ってないでしょ。……別に、行ってあげてもいいわよ」
 僅かに頬の赤い、つんとした横顔。
 こういった特徴を何と呼ぶのか、ナナセは知っている。
「……ツンデレ」
「ツンデレって何よ、あんたが住んでた国の言葉? 何かそこはかとなく馬鹿にされた気がするんですけど!?」
「そんなことないよー」
 肩を揺さぶられて苦しいが、それを上回る喜びを確かに感じていた。
 初めて、エレミアと向き合えた気がした。
「ありがとう、エレミア」
 ナナセが満面の笑みになると、彼女はまたそっぽを向いてしまった。



 エレミアが交代してくれたため、ナナセは比較的簡単な春宮の回廊の整備だ。
 まずは持久力勝負となる回廊のモップがけ。それが終われば、花に水をやりながら、枯れているものはないか点検していく。
「ナナセ」
 ナナセを落ち着かない気持ちにさせる声が聞こえてきたのは、モップがけが半分ほど終わり、額の汗を拭っている時だった。
「リ、リオルディス様」
 付き合いはじめても、とろけるような笑顔には緊張してしまう。
 今まで自分がどのように接していたのか分からなくなっているため、職場で顔を合わせるのは苦手だった。平常心ではいられなくなってしまう。
 ナナセは周囲にひと気がないことを確かめてから、肩の力を抜いた。
「お疲れ様です。確か本日は、交流試合の指導に行かれるのでは?」
「ナナセもお疲れ様。そう、これから指導に行こうって時に、突然陛下からの呼び出しを受けてね」
 答えながら、リオルディスはナナセの頬を撫でる。今は汗だくなので勘弁してほしい。
「リオルディス様、汚いですから」
「君を汚いなんて思うはずがないだろう? それに、放っておいたら体を冷やす」
 どうやら、手袋で汗を拭ってくれたらしい。申し訳ないやら照れくさいやら。
 ――しかもハンカチで上品にとかじゃなく手袋っていうのが、意外と豪快でいい……!
 あまり軽率に悶えさせようとしないでほしい。表情を保つにも一苦労なのだ。
「……優しすぎますよ。リオルディス様」
 これ以上好きにさせてどうするつもりかと唇を尖らせる。
 その尖った先を面白そうにつつきながら、リオルディスは笑った。
「団員達には悪魔だって言われるけどね」
「職務に打ち込んでいるということですから、むしろ褒め言葉ですね」
「ハハハッ。君と話していたら、俺は神様にだってなれそうだな」
 彼はふと、笑みに甘いものを混ぜた。
「……ナナセにだけ特別優しいなんて、当然のことだろう? 少しでも好かれようと努力をしていたんだから」
 至近距離にある灰色の瞳の美しさにどぎまぎしていたナナセは、言われた内容に一拍置いてから驚いた。
「……ぇええっ!?」
「そんなに驚くのか。結構好意は示してきたつもりだったけど」
「全然分かりませんでしたよ!?」
 一方的に憧れてきたという先入観があるため、にわかには信じられない。付き合っているという事実さえ未だに現実味がないのだ。
 動揺していると、視界がクルリと回る。
 一瞬の浮遊感のあと、ナナセはあっという間にリオルディスの腕の中にいた。目の前にはいたずらっぽい笑みが輝いている。
「もっと分かりやすい口説き方が、好み?」
 長い指で顎をクイと持ち上げられ、ナナセは降参するしかなかった。
「お、お手柔らかにお願いします……」
「うん。ナナセの性格上、そういう押し方は悪手だろうと思っていたから」
「よくお分かりで……」
 職場では今まで通り、同僚の関係で。
 泣きをみたナナセがそう強引な取り決めを作るまで、リオルディスの甘い攻撃が終わることはなかった。



 甘すぎる恋人がようやく去ったと思えば、今度はゼファルが通りかかった。
「あれ、ナナセじゃんか」
 いちいち通行人に声をかけられては仕事が捗らないが、声をかけてくれたゼファルを無視することはできない。
 ゆっくり振り返ると、彼は首を傾げた。
「どうしたんだよ、唇なんか押さえて? ――あ、分かった。辛いものでも食べたんだろ? 意外と食い意地張ってんだな」
 ゼファルはケラケラと、悩みなど何もなさそうに笑う。ナナセは呆れて半眼になった。
「……ゼファル様って、今まできちんとお付き合いをされたこと、ないでしょう」
 図星だったのか、彼は髪の色と同じくらい真っ赤になった。
「お、俺だって、付き合おうと思えば相手はそれなりにいるっつの! でも、ちゃんと好きじゃないなら、それは何か違うだろ!?」
 軽薄そうに見えて、意外なほど真面目な恋愛観の持ち主だ。内心驚きながらも、その真っ直ぐな誠実さには好感を抱く。
「とても素敵な考え方だと思います。……いつか、ありのままのゼファル様を好きになってくださる方が現れるといいですね。そして、あなたがその方を同じように想えたら」
 頷きながら微笑めば、ゼファルは惚けた顔でナナセに見入った。
「……何かあんた、少し雰囲気が柔らかくなったような気がする」
「そうですか? 最近、リリスターシェ様にも同じことを言われました」
 どこが変わったという自覚はないので、ナナセ自身は不思議でならない。
 ゼファルはひどく憂鬱そうに息を吐いた。
「はぁ……副団長か……」
「? 何の話です?」
 そんな会話を繰り広げていると、なぜかリオルディスが一直線に引き返してきた。
 副団長の鬼気迫る表情とものすごい足取りの速さに青ざめたゼファルは、ナナセから慌てて距離をとる。
 怖がる部下には見向きもせず、リオルディスはナナセの前で停止した。
「副団長様。どうかされましたか?」
「ナナセ、落ち着いて聞いてほしい」
 肩をがしりと掴まれ、先ほど交わしたばかりの約束はどうしたと喉元まで出かかった。ゼファルがいるためぐっと堪えたが。
 リオルディスは、もう片方の手に持っていたものを無言で差し出した。
 そこには、一枚の書状がある。
 やけに上質な紙だ。読んでいいのかと視線で確認してから、ナナセは書状に目を通す。
 何とそれは、近々国王陛下が発布する、新たな国法の草案だった。
 制定される法の内容は、出産予定日の前後に仕事を休む権利についてと、雇用主の責によって休業した場合などに、労働者へと支払われる手当について。――つまり、産休制度と休業補償だ。
 この国に今まで存在しなかった制度なのに、やけに内容がしっかりしている辺り、猛烈にレムンドの関与を感じさせる。
 確かに、結婚を先送りにする理由として挙げた。だが、だからといって。
「何でこんな短期間に……」
 国法とは、こんなにも簡単に変更できるのか。そもそも、なぜ詳しい内容が国王にまで伝わっている?
「ナナセ、産休制度と休業補償がしっかりしていれば即結婚してもいいと言ったんだって? 今の呼び出しがその件で、レムンド様も陛下も、とても乗り気でいらして……」
「即結婚なんて言ってません! というより、何でレムンド様と陛下に繋がりが!?」
 リオルディスは、何とも言いづらそうに目を逸らした。
「実はレムンド様……国王陛下が成人するまで、教育係を務めていらしたんだ……」
 国王陛下の、教育係。
 そんな話は初耳だ。
 ナナセは呆然としながら、リオルディスに気軽に頼みごとができるのもその繋がりかと、どこかで納得もする。
 フランセン邸で話し合った時の、悲愴な嘆きを思い出す。あの時には既に、草案は完成していたのだろうか。ナナセが断ることも折り込み済みで。
 ナナセはわなわなと震える手で、素晴らしくも忌々しい草案を握り潰した。
 やはり、レムンドの手玉に取られている気しかしなくて――とてつもなく癪だ。




                 end
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