31 / 31
番外編
職場と酒場と男と女 2
しおりを挟む
「私は断固抗議します」
ワイングラスをテーブルに置くと、ナナセは据わった目でリオルディスを睨む。
それを受け止める彼は、どこ吹く風といった態度で小揺るぎもしない。
「フフ。ふにゃふにゃに酔ったナナセも、相変わらず可愛いね」
「私はふにゃふにゃになんてなってません! 全然素面ですよ!」
「それ毎回言ってる」
二人の間には、食べかけの料理の皿が並んでいる。空になったワインのボトルも。
はじめから、今日は仕事終わりに食事に行く約束をしていた。
なので、リオルディスが予定の確認に来たこと自体を悪いとは思っていない。許せないのは、後輩侍女達の前で意図的に親しげな態度を示したことだ。
そう、意図的に。
何でもそつなくこなすリオルディスが、あの時に限って約束を忘れるだなんて考えられなかった。
「職場では今まで通り、と約束しましたよ。何であんなことをしたんです?」
「あんなことなんて、つれないなぁ。俺は職場の人間に知られたくないくらい、恋人として不足なの?」
「そそ、そういうことじゃありませ……って、リオルディス様!? うやむやにしようとしてますよね!?」
強かに酔った頭を振って、ナナセは懸命に反論する。
ここで誤魔化されるわけにはいかない。甘い言葉も寂しげな表情も、ナナセを揺さぶる罠なのだ。
チキンのクリーム煮を頬張りながらも、油断なく恋人を見据える。
リオルディスは面白そうに笑いながら腕を伸ばした。
唇の端に少しかさついた親指が触れる。
「クリーム、ついてる」
「あ、これはどうも……」
「本当はナナセごと食べちゃいたいくらい可愛いけど、今はこれで我慢するね」
「!?」
絶対に白状させてやると息巻いていたナナセだが、あっさりと陥落した。
今はって何。指についたクリームをペロリと舐める仕草も目に毒だった。
羞恥で真っ赤になった頬を隠すように、ナナセはテーブルに突っ伏す。体温が急に上がったせいか、さらに酔いが回る。何だかふわふわした心地だ。
そこに、リオルディスの声が降ってきた。先ほどまでと打って変わって真面目な声。
「ナナセ。君の育った国ではそんなことなかったらしいけど、この国は同性婚も認められているんだよ」
「? そうですね……」
「……後輩侍女達からなんて噂されているか、気付いていないんだね」
言われた意味は分からないまでも、ナナセは重い頭を揺らしながら体を起こした。
彼の声音が切なげな響きを帯びていて、心配になったからだ。
「もう完全に酔っているだろうから、教えてあげる。ナナセとエレミア嬢が付き合ってるんじゃないかって、君の後輩侍女達が噂しているんだよ」
片や漆黒の色合いを持ち、月のように静謐な雰囲気をまとうナナセ。
片や亜麻色の髪と赤い瞳をした、華やかで太陽のように情熱的なエレミア。
並んでいるだけでも絵になる二人からは、確固とした信頼関係まで窺える。
言葉にせずとも通じ合い、目と目で互いの意思を確認できる。
後輩達からすれば、二人の気の置けないやり取りは悶えそうなほど尊いのだとか。
流れるように語るリオルディスだが、ナナセにはもはや言葉として聞こえない。
ずっと聞いていられる声だなと考えながら、青みを帯びた灰色の瞳を見つめる。
「面倒な男に捕まってしまったね、ナナセ。俺は君の友人にすら嫉妬する、狭量な人間なんだよ。記憶を飛ばすだろうって確証を得るまでは、こんなことさえ話せないほど」
ただ悲しい顔のままにしておきたくなくて、ナナセは彼の頬に手を伸ばす。
リオルディスは僅かに目を見開いたあと、その手に自分の手を重ねた。
「君を誰にも渡したくない。……女神にも」
手の平に頬を擦り寄せる仕草は、必死にすがるかのように切実だった。
「君をこの世界に連れてきたのが女神だとしたら、そこにどんな目的があったんだろう。何か特別な使命があるんじゃないかって……俺はいつも怖い」
消えてしまわないように。どうか、手の届かないところへ行かないように。
強く握られた手から伝わる悲しい想いに、ナナセは首を傾げた。
酔っ払っているから、思考は明快だ。
どこにも行かないに決まっている。
そんなくだらない不安を一人で抱え込んで、リオルディスは馬鹿だ。
お馬鹿で、間抜けで、愛おしい。
「起こるかも分からないことで悩んでるより、私は一緒に笑ってたいよ。……リオル」
リオルディスは目を真ん丸にして、動かなくなってしまった。
ナナセは会心の笑みを浮かべる。彼から悲しみの気配が飛んでいった。
「アハハッ、やったね。初めて見る顔だ」
ケラケラと笑っていたら、テーブル越しにぎゅうと抱き寄せられた。
普段ならば周囲の目を気にするナナセだが、酩酊のためか楽しくなって笑い続ける。
「君は、どこまで俺を夢中にさせる気?」
「私なんてとっくに限界突破で夢中ですよ。だからリオルも、もっと夢中になって?」
「~ッ、愛してる!!」
リオルディスも酔っているのだろうか。
周囲の客から囃し立てる声や拍手が送られ、まるでドラマの一場面だ。
そう他人事のように考えるナナセは、翌週の来店で恥ずかしい所業を次々と明かされ、行きつけの酒場にしばらく近寄れなくなることをまだ知らない。
ワイングラスをテーブルに置くと、ナナセは据わった目でリオルディスを睨む。
それを受け止める彼は、どこ吹く風といった態度で小揺るぎもしない。
「フフ。ふにゃふにゃに酔ったナナセも、相変わらず可愛いね」
「私はふにゃふにゃになんてなってません! 全然素面ですよ!」
「それ毎回言ってる」
二人の間には、食べかけの料理の皿が並んでいる。空になったワインのボトルも。
はじめから、今日は仕事終わりに食事に行く約束をしていた。
なので、リオルディスが予定の確認に来たこと自体を悪いとは思っていない。許せないのは、後輩侍女達の前で意図的に親しげな態度を示したことだ。
そう、意図的に。
何でもそつなくこなすリオルディスが、あの時に限って約束を忘れるだなんて考えられなかった。
「職場では今まで通り、と約束しましたよ。何であんなことをしたんです?」
「あんなことなんて、つれないなぁ。俺は職場の人間に知られたくないくらい、恋人として不足なの?」
「そそ、そういうことじゃありませ……って、リオルディス様!? うやむやにしようとしてますよね!?」
強かに酔った頭を振って、ナナセは懸命に反論する。
ここで誤魔化されるわけにはいかない。甘い言葉も寂しげな表情も、ナナセを揺さぶる罠なのだ。
チキンのクリーム煮を頬張りながらも、油断なく恋人を見据える。
リオルディスは面白そうに笑いながら腕を伸ばした。
唇の端に少しかさついた親指が触れる。
「クリーム、ついてる」
「あ、これはどうも……」
「本当はナナセごと食べちゃいたいくらい可愛いけど、今はこれで我慢するね」
「!?」
絶対に白状させてやると息巻いていたナナセだが、あっさりと陥落した。
今はって何。指についたクリームをペロリと舐める仕草も目に毒だった。
羞恥で真っ赤になった頬を隠すように、ナナセはテーブルに突っ伏す。体温が急に上がったせいか、さらに酔いが回る。何だかふわふわした心地だ。
そこに、リオルディスの声が降ってきた。先ほどまでと打って変わって真面目な声。
「ナナセ。君の育った国ではそんなことなかったらしいけど、この国は同性婚も認められているんだよ」
「? そうですね……」
「……後輩侍女達からなんて噂されているか、気付いていないんだね」
言われた意味は分からないまでも、ナナセは重い頭を揺らしながら体を起こした。
彼の声音が切なげな響きを帯びていて、心配になったからだ。
「もう完全に酔っているだろうから、教えてあげる。ナナセとエレミア嬢が付き合ってるんじゃないかって、君の後輩侍女達が噂しているんだよ」
片や漆黒の色合いを持ち、月のように静謐な雰囲気をまとうナナセ。
片や亜麻色の髪と赤い瞳をした、華やかで太陽のように情熱的なエレミア。
並んでいるだけでも絵になる二人からは、確固とした信頼関係まで窺える。
言葉にせずとも通じ合い、目と目で互いの意思を確認できる。
後輩達からすれば、二人の気の置けないやり取りは悶えそうなほど尊いのだとか。
流れるように語るリオルディスだが、ナナセにはもはや言葉として聞こえない。
ずっと聞いていられる声だなと考えながら、青みを帯びた灰色の瞳を見つめる。
「面倒な男に捕まってしまったね、ナナセ。俺は君の友人にすら嫉妬する、狭量な人間なんだよ。記憶を飛ばすだろうって確証を得るまでは、こんなことさえ話せないほど」
ただ悲しい顔のままにしておきたくなくて、ナナセは彼の頬に手を伸ばす。
リオルディスは僅かに目を見開いたあと、その手に自分の手を重ねた。
「君を誰にも渡したくない。……女神にも」
手の平に頬を擦り寄せる仕草は、必死にすがるかのように切実だった。
「君をこの世界に連れてきたのが女神だとしたら、そこにどんな目的があったんだろう。何か特別な使命があるんじゃないかって……俺はいつも怖い」
消えてしまわないように。どうか、手の届かないところへ行かないように。
強く握られた手から伝わる悲しい想いに、ナナセは首を傾げた。
酔っ払っているから、思考は明快だ。
どこにも行かないに決まっている。
そんなくだらない不安を一人で抱え込んで、リオルディスは馬鹿だ。
お馬鹿で、間抜けで、愛おしい。
「起こるかも分からないことで悩んでるより、私は一緒に笑ってたいよ。……リオル」
リオルディスは目を真ん丸にして、動かなくなってしまった。
ナナセは会心の笑みを浮かべる。彼から悲しみの気配が飛んでいった。
「アハハッ、やったね。初めて見る顔だ」
ケラケラと笑っていたら、テーブル越しにぎゅうと抱き寄せられた。
普段ならば周囲の目を気にするナナセだが、酩酊のためか楽しくなって笑い続ける。
「君は、どこまで俺を夢中にさせる気?」
「私なんてとっくに限界突破で夢中ですよ。だからリオルも、もっと夢中になって?」
「~ッ、愛してる!!」
リオルディスも酔っているのだろうか。
周囲の客から囃し立てる声や拍手が送られ、まるでドラマの一場面だ。
そう他人事のように考えるナナセは、翌週の来店で恥ずかしい所業を次々と明かされ、行きつけの酒場にしばらく近寄れなくなることをまだ知らない。
1
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
幼い頃に、大きくなったら結婚しようと約束した人は、英雄になりました。きっと彼はもう、わたしとの約束なんて覚えていない
ラム猫
恋愛
幼い頃に、セレフィアはシルヴァードと出会った。お互いがまだ世間を知らない中、二人は王城のパーティーで時折顔を合わせ、交流を深める。そしてある日、シルヴァードから「大きくなったら結婚しよう」と言われ、セレフィアはそれを喜んで受け入れた。
その後、十年以上彼と再会することはなかった。
三年間続いていた戦争が終わり、シルヴァードが王国を勝利に導いた英雄として帰ってきた。彼の隣には、聖女の姿が。彼は自分との約束をとっくに忘れているだろうと、セレフィアはその場を離れた。
しかし治療師として働いているセレフィアは、彼の後遺症治療のために彼と対面することになる。余計なことは言わず、ただ彼の治療をすることだけを考えていた。が、やけに彼との距離が近い。
それどころか、シルヴァードはセレフィアに甘く迫ってくる。これは治療者に対する依存に違いないのだが……。
「シルフィード様。全てをおひとりで抱え込もうとなさらないでください。わたしが、傍にいます」
「お願い、セレフィア。……君が傍にいてくれたら、僕はまともでいられる」
※糖度高め、勘違いが激しめ、主人公は鈍感です。ヒーローがとにかく拗れています。苦手な方はご注意ください。
※『小説家になろう』様『カクヨム』様にも投稿しています。
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
転生したので推し活をしていたら、推しに溺愛されました。
ラム猫
恋愛
異世界に転生した|天音《あまね》ことアメリーは、ある日、この世界が前世で熱狂的に遊んでいた乙女ゲームの世界であることに気が付く。
『煌めく騎士と甘い夜』の攻略対象の一人、騎士団長シオン・アルカス。アメリーは、彼の大ファンだった。彼女は喜びで飛び上がり、推し活と称してこっそりと彼に贈り物をするようになる。
しかしその行為は推しの目につき、彼に興味と執着を抱かれるようになったのだった。正体がばれてからは、あろうことか美しい彼の側でお世話係のような役割を担うことになる。
彼女は推しのためならばと奮闘するが、なぜか彼は彼女に甘い言葉を囁いてくるようになり……。
※この作品は、『小説家になろう』様『カクヨム』様にも投稿しています。
追放された悪役令嬢はシングルマザー
ララ
恋愛
神様の手違いで死んでしまった主人公。第二の人生を幸せに生きてほしいと言われ転生するも何と転生先は悪役令嬢。
断罪回避に奮闘するも失敗。
国外追放先で国王の子を孕んでいることに気がつく。
この子は私の子よ!守ってみせるわ。
1人、子を育てる決心をする。
そんな彼女を暖かく見守る人たち。彼女を愛するもの。
さまざまな思惑が蠢く中彼女の掴み取る未来はいかに‥‥
ーーーー
完結確約 9話完結です。
短編のくくりですが10000字ちょっとで少し短いです。
宿敵の家の当主を妻に貰いました~妻は可憐で儚くて優しくて賢くて可愛くて最高です~
紗沙
恋愛
剣の名家にして、国の南側を支配する大貴族フォルス家。
そこの三男として生まれたノヴァは一族のみが扱える秘技が全く使えない、出来損ないというレッテルを貼られ、辛い子供時代を過ごした。
大人になったノヴァは小さな領地を与えられるものの、仕事も家族からの期待も、周りからの期待も0に等しい。
しかし、そんなノヴァに舞い込んだ一件の縁談話。相手は国の北側を支配する大貴族。
フォルス家とは長年の確執があり、今は栄華を極めているアークゲート家だった。
しかも縁談の相手は、まさかのアークゲート家当主・シアで・・・。
「あのときからずっと……お慕いしています」
かくして、何も持たないフォルス家の三男坊は性格良し、容姿良し、というか全てが良しの妻を迎え入れることになる。
ノヴァの運命を変える、全てを与えてこようとする妻を。
「人はアークゲート家の当主を恐ろしいとか、血も涙もないとか、冷酷とか散々に言うけど、
シアは可愛いし、優しいし、賢いし、完璧だよ」
あまり深く考えないノヴァと、彼にしか自分の素を見せないシア、二人の結婚生活が始まる。
辺境に追放されたガリガリ令嬢ですが、助けた男が第三王子だったので人生逆転しました。~実家は危機ですが、助ける義理もありません~
香木陽灯
恋愛
「そんなに気に食わないなら、お前がこの家を出ていけ!」
実の父と義妹に虐げられ、着の身着のままで辺境のボロ家に追放された伯爵令嬢カタリーナ。食べるものもなく、泥水のようなスープですすり、ガリガリに痩せ細った彼女が庭で拾ったのは、金色の瞳を持つ美しい男・ギルだった。
「……見知らぬ人間を招き入れるなんて、馬鹿なのか?」
「一人で食べるのは味気ないわ。手当てのお礼に一緒に食べてくれると嬉しいんだけど」
二人の奇妙な共同生活が始まる。ギルが獲ってくる肉を食べ、共に笑い、カタリーナは本来の瑞々しい美しさを取り戻していく。しかしカタリーナは知らなかった。彼が王位継承争いから身を隠していた最強の第三王子であることを――。
※ふんわり設定です。
※他サイトにも掲載中です。
【完結】転生したら悪役継母でした
入魚ひえん@発売中◆巻き戻り冤罪令嬢◆
恋愛
聖女を優先する夫に避けられていたアルージュ。
その夜、夫が初めて寝室にやってきて命じたのは「聖女の隠し子を匿え」という理不尽なものだった。
しかも隠し子は、夫と同じ髪の色。
絶望するアルージュはよろめいて鏡にぶつかり、前世に読んだウェブ小説の悪妻に転生していることを思い出す。
記憶を取り戻すと、七年間も苦しんだ夫への愛は綺麗さっぱり消えた。
夫に奪われていたもの、不正の事実を着々と精算していく。
◆愛されない悪妻が前世を思い出して転身したら、可愛い継子や最強の旦那様ができて、転生前の知識でスイーツやグルメ、家電を再現していく、異世界転生ファンタジー!◆
*旧題:転生したら悪妻でした
【完結】記憶喪失の令嬢は無自覚のうちに周囲をタラシ込む。
ゆらゆらぎ
恋愛
王国の筆頭公爵家であるヴェルガム家の長女であるティアルーナは食事に混ぜられていた遅延性の毒に苦しめられ、生死を彷徨い…そして目覚めた時には何もかもをキレイさっぱり忘れていた。
毒によって記憶を失った令嬢が使用人や両親、婚約者や兄を無自覚のうちにタラシ込むお話です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる