魔術師さまのかわいい愛弟子

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魔術師さまのかわいい愛弟子

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 リーノの師匠は、端的に言って最強だった。
 戦えば右に出るものはなく、口喧嘩ですら負けたことはない。
 いつか王様の軍隊が家来になれと脅しに来た時も、国に隷属する気はないとあっけなく追い返していた。
(リーノはその実、ヒヤヒヤしていた。)

「全く魔法をなんだと思っているんだ」

 リーノの師匠──フィンネルは憤慨しながら言った。

「いいかリーノ。魔法とは自然の恩恵を借りた崇高な現象なんだ。それなのに奴らときたら、簡単に戦の道具にしようとする。絶対に力なんて貸してやるもんか」

 フィンネルは山奥の、崖を登ったところにあるとても辺鄙な場所に家を──もとい城を建てていた。そこで農作物がよく育つ魔法や、病が治る薬の開発に取り組み、ふもとの住人に提供していた。どうやらそれらは一朝一夕で成せるものではないらしく、リーノも日々材料の採集や情報の整理の手伝いをさせられていた。

 リーノは、この最強の魔法使いに拾われた子供だった。
 半分魔獣の血が入ったリーノは、人々から忌み嫌われ、かといって魔獣たちの仲間にもいれてはもらえず、一人寂しく生きてきた。そうしてぼろぼろになりながら一人森を彷徨っていたところを「ちょうどいい」と、この風変わりな魔法使いに拾われたのだった。

「助手が欲しかったんだ。お前、どうせ親も家もないんだろう。うちへ来い。三食昼寝付きでこき使ってやる」

 どうせ行く宛もないのだし、と、リーノは深く考えもせず頷いた。
 10歳の頃だった。
 彼の城に引き取られたリーノは(この名前も師匠が付けてくれたものだ)宣言通り、三食たっぷりの食事を与えられ、同時に、過酷な研究生活に付き合わされることとなった。
 掃除に洗濯、料理も覚えて、さらにフィンネルの身の回りの世話も焼きながら、希少な薬草探しに奔走する。時には一晩中星を観察しなければいけない夜もあった。
 忙しくて、新しい日々。
 そんな生活に、リーノは生まれて初めて幸せを感じていた。
 誰かと話している幸せ、怯えられない幸せ、必要とされる幸せ。
 ありとあらゆる幸福が、リーノを包み込んでいた。
 フィンネルの口は確かに悪い。けれど従順なリーノが罵られることはない。急かされはするけれど、子供みたいに研究結果に一喜一憂している彼を見るのも好きだった。

 こんな時間が終わりまで続いたらいいのにな。
 そう思っている矢先のことだった。

 フィンネルに縁談が舞い込んできたのは。



「だからさ、あんたもいい歳なんだし、いつまでも一人で閉じこもってるわけにゃいかないだろ?」

 ふもとの女はそう言って、嫌がるフィンネルに大きな紙袋を渡した。
 ふもとの人間はフィンネルを「城主さま」と呼んでいた。フィンネルはその村生まれらしく、時折こうして、お節介な人間たちに訪ねられていた。
 その間、リーノは研究室にうずくまり、壁にぴったりと身を寄せている。
 幼い頃から人間に化け物と追い回され生きてきたせいで、フィンネル以外の人間はまだ怖くて仕方がなかった。見つかればまた罵倒されるかもしれない。石を投げられるかもしれない。
 そう思うと、全身が恐怖にすくんだ。
 早くフィンネルに戻ってきて欲しかった。

「嫁などいらん。迷惑だ帰れ」
「でも、フィンネル。みんないい娘ばかりなんだよ、ほら、この娘なんてどうだい、すごくかわい」
「いらんと言っている」
 
 不機嫌も露わに言ったフィンネルに、女は呆れたようなため息をつく。

「魔法がどれだけ楽しいか知らないけどね、家族がいるってのはいいもんだよ。特にあんたみたいな変わり者には」
「私は一人でも平気だ。楽しく生きている」
「ったく、意固地なんだから。ともかく、目だけでも通しなよ、これはここに置いとくからさ」
「いらん」
「じゃあね」

 女の怒鳴り声の後、扉が乱暴に閉まる音がした。
 帰ってくれたのだろうか。
 ややあって、フィンネルが研究室に戻ってくる。そこで壁に身を寄せてうずくまっている弟子を見つけて、低い声をあげた。

「リーノ、そんなところにいたのか」
「師匠」
「怖かったか? すまなかった」
「いいえ」

 リーノは立ち上がって、フィンネルを見上げた。
 雪にも似た、薄灰色の瞳に見下ろされる。
 リーノはそう多くの人間を知っているわけではない。けれど、フィンネルのことは特別に綺麗だと思っていた。
 無造作に伸びた銀髪に、染みひとつない白い肌。身長が高いせいか一見はほっそりして見えるけれど、その体付きはリーノを射殺そうとした狩人みたいにしっかりしている。たまに触れる指は、ごつごつと骨張っていて大きかった。
 リーノはその全てを綺麗だと思っていた。
 醜い化け物の自分が、そばにいていい人ではないと。

「師匠、ご結婚なさるのですか?」
「……聞こえていたのか。しないと言っただろう」

 苛立ちを隠しもせず、フィンネルは愛用の椅子に腰掛けた。

「全くあのお節介女ときたら、いつも邪魔ばかりして。おかげで集中力が切れた。リーノ、菓子を焼いてくれ。甘いクリームの奴を頼む」
「ですが、実験の続きが」
「後でいい、今は菓子だ」
「はい」

 リーノは頷いて、キッチンへ向かった。
 その途中、玄関扉の床に紙袋とその中身らしきものが散乱しているのを見つける。さっきの女の人が持ってきたものだろう。お嫁さん候補の絵のようだった。
 フィンネルがあれだけ「いらない」と拒絶していたのに、本当に置いていったらしい。
 リーノは苦笑しつつ、散らかっているのが気になって、しゃがんでそれらを拾い集めた。薄い絵版に描かれていたのは、どれも若い女性ばかりだ。椅子に座って澄まし顔をしていたり、背筋よく立っていたりと、ポーズは様々で。リーノは思わず見入ってしまった。
 
 これが、人間の女の人。

 角はない。
 耳も、リーノのような毛に覆われたそれではない。
 もちろん尾っぽだって、ない。
 
 リーノは見るのじゃなかった、と思った。人間への憧れが増すだけだったから。

 リーノは異端だ。そもそも生まれがまともではない。とある気の狂った魔獣研究者が産んだ、人と獣の合わせ物だった。──リーノは、試験管の中で生まれたのだそうだった。
 そうしてリーノを産み出した研究者は無責任にもあっけなく病に倒れ、この世を去った。リーノがやっと人語を覚えた頃だった。
 以来、保護者を失ったリーノは一人森を彷徨い生きてきた。
 木の実を食べ、魚を獲り、木の根もとで眠る。そんな生活を繰り返していた。
 半獣という性質が幸いしてか、リーノの身体は丈夫にできていて(リーノ自身がそうと自覚しているわけではなかったが)大きな怪我に見舞われることもなく、またその俊敏さで、人間や魔獣から逃げ延びることが出来ていた。

 たった一人、フィンネルを除いて。

 フィンネルはその魔術を駆使して、彼の城近くの森に迷い込んだリーノを捕獲した。
 そんなことは初めてで、リーノは戸惑い、どうにか逃げなければと彼の張った魔法の網に爪を立ててもがいた。けれどそれは敵わなかった。

 フィンネルは罠にかかったリーノを見つけて、興味深そうに観察すると、弟子にすると言い出した。
 人嫌いのフィンネルはたった一人で城に住み魔術の研究に没頭していたが、そろそろ手が足りないと考えていたらしい。それに半獣なら多少の無理をさせても自分について来られるだろうと思ったのだそうだ。
 
 そうして始まった二人暮らしは、思いの外心地いいものだったと、フィンネルは満足そうに言ってくれた。私はいい拾いものをしたと、彼は言う。
 リーノに新しい服をくれて、部屋まで用意してくれて、毎日たっぷりの食事を食べさせてくれる。
 何も知らなかったリーノに根気強く文字の読み書きや世界の仕組みを教えてくれたのもフィンネルだった。

 そんな彼に、どうして好意を抱かずにいられるだろうか。

 いいなあ、この娘たちは。 
 師匠のお嫁さんになる資格があるのだから。

 リーノは人間の女の子たちの絵版を整い揃えて、くしゃくしゃになっている紙袋の中に戻した。
 もしもリーノが普通の人間だったら、この候補の中に入ることが出来たのだろうか。ああでも人間だったら見向きもされなかったかもしれないと、ため息を吐く。
 だったら今が最高ではないか。
 恋愛対象ではなくとも、そばにいさせてもらえるのだから。
 リーノは自分に言い聞かせるみたいに思って、立ち上がる。

 今は嫁など必要ないと言っているフィンネルだけれど、未来なんてわからない。いつか、人と恋に落ちる日が来るかもしれない。そうなったら──彼が結婚をしたら、自分はここを追い出されるのだろうか。
 リーノは考えて、寂しくなった。
 お嫁さんは普通の人間だろう。
 他の人と同じように、リーノを不気味に思うかもしれない。
 そうなったらおしまいだ。
 リーノはフィンネルにお役御免をされて、また一人ぼっちになる。
 せめて彼のお嫁さんになる人が、リーノを受けいれてくれる人だったらいいのだけれど。
 今まで以上に、家事も仕事も頑張るから。お嫁さんが望むのなら、視界には入らないようにするから。
 思いながら、リーノは使い慣れたキッチンへ向かおうとした。
 その時。

「そうそうフィンネル、言い忘れてたんだけどこの前のもらった農薬──」
 
 ガチャリとそばの扉が開いて、小太りの女性が顔を覗かせる。
 声が同じだったからわかる。さきほどの女の人だ。
 目がしっかりと合い、リーノは硬直した。
 見つかってしまった。

「……っ」
「きゃああ!! な、なに、なんなのあなた……!!」

 女性の叫び声に、研究室からフィンネルが飛び出してくる。

「! リーノっ」

 瞬時に状況を理解したフィンネルが、リーノを庇うようにその前に立った。そうして早口に女性に捲し立てる。

「落ち着け、彼女は私の弟子だ」
「で、弟子……!? その魔物が?」
「魔物じゃない。頭もいいしかわいい、私の弟子だ」
「嘘いいなさい! あんたのことだもの、どうせどこかで拾ってきたんでしょう!」
「……あながち間違いではないが。ともかく、リーノが怖がっている。落ち着け」
「落ち着けって、あんた」

 女性はまだ、怯えていた。リーノも足が竦んだまま、微動だに出来ないでいる。

「し、師匠、私」
「大丈夫だリーノ、この人はわかってくれる。お前を傷つけるような人間じゃない。むしろ両手をあげて逃げていくタイプの小物だ」
「小物って……!」

 フィンネルはリーノを振り返ると、長身をかがめて穏やかに言った。リーノを落ち着かせようとしてくれているのだ。両肩に手を乗せられ、フィンネルの薄灰色の瞳を見つめるよう誘導される。

「そう、私に合わせて、ゆっくり呼吸をするんだ。いいこだ」

 リーノはしだいに冷静を取り戻す。
 気づけば女性はいなくなっていた。フィンネルが口止めをして、帰したらしい。
 
「全く、あの女。デリカシーがないのか、かわいいリーノにひどい言葉を」

 フィンネルはリーノを居間のソファに座らせると、手ずから紅茶を淹れてくれた。その上作り置きにしてあるクッキーまで添えてくれる。

「ありがとうございます……すみません」
「お前が謝ることじゃない、私が油断していたんだ」

 すぐ隣に座った師も、リーノと一緒に紅茶を啜る。
 慰めようとしてくれているのだ。リーノはいよいよ居た堪れなくなって、体を縮こませる。こんなに世話になっているのに、迷惑しかかけていないなんて。
 情けなさと不安に、涙が溢れそうになる。気づいたフィンネルが「泣くな」と囁いた。

「リーノ、お前が人を怖がるのはわかる。でも私がそばにいる限りは大丈夫だ。誰もお前を傷つけることは出来ない」
「はい……」

 それでも今日は、ダメだった。
 人間の女の子たちの絵を見てしまったからだろうか。
 優しくされればされるほど、それはいつまで? あなたの気が変わったら? お嫁さんが私を拒んだら、あなたはどうするの、と次から次にあふれる不安で押し潰されそうになってしまう。

「リーノ……どうしたんだ」

 困惑するフィンネルが身を寄せて、まるで幼な子をあやすように腕を回して抱き締めてきた。異端の耳に、震える目尻に唇を優しく寄せられ、リーノはぎゅっと両目を瞑る。
 そうして、一人では抱えきれなくなった想いを打ち明けた。

「師匠」
「なんだ?」
「……ここを出たいと言ったら許してくれますか」

 リーノは滲む視界のまま、師匠を見上げた。師はじっとリーノの瞳を覗き込んだ後、言った。

「……なぜ? 姿を見られたからか? 怖かったからか? だったらあんな思いは二度と──」
「それもあります、でも、違うんです」
「違う?」

 ごまかすことは出来なかった。
 彼に拾われてから、もう七年の時が経っている。
 最初に彼を好きだと気づいてからは、三年以上が経っていた。
 その間ずっと秘めていた想いが、カップにいっぱいになった水のようにあふれだす。それはこの涙なのかもしれなかった。

「怖いんです。あなたに捨てられるのが」

 師は、静かに聞いていた。

「師匠が好きで、ずっと好きで、だから、お役に立ちたいと思っていました。でも、今日師匠が結婚するかもしれないって聞いて、ここが、苦しくなって……」
「……そうか」

 胸元を握りしめたリーノに、フィンネルが囁く。
 それは今まで耳にした中で、一番小さな声だった。
 フィンネルはリーノを見つめたまま、リーノの柔らかな髪を撫でる。

「ありがとう。嬉しいよリーノ」
「……ごめんなさい」
「どうして謝る?」
「だって……私なんかに好かれたら迷惑でしょう。こんな、ば」
「リーノ。お前は私のかわいい弟子だよ。それ以外の言葉は、お前には似合わない。二度と使ってはいけない」

 言ってフィンネルはリーノの黒い角や、白い毛に覆われた三角形の耳を撫ぜた。

「最初はね、私も驚いたよ。禁術を成功させた人間がいたんだとね。それで、嫉妬した。他の誰かにできるのなら、私はもっと上手くやれると。でも、お前の生い立ちを聞いてそんなことはどうでも良くなった。お前は確かに生きて、思考も笑顔も人間なのに、虐げられて──許せないと思った」
「師匠」
「安心おし、リーノ。私は結婚なんてしない、いつまでもお前の師でいてあげるから」
「……」
「信じられない?」

 優しく問われて、リーノは返事の変わりに、新しい涙をこぼしてしまった。
 信じたい。
 だけれど、自信が持てないのだ。どうしても。

「だったらこうしよう、リーノ。お前が私のお嫁さんになるんだ」
「……え?」

 師匠の唐突な提案に、リーノは目を瞬かせる。
 今、フィンネルはなんと言ったのだろう。理解が追いつかない。それなのに、フィンネルはこれ以上はないというほど機嫌が良さそうに、リーノの手を取った。

「そうだ、それがいい。そうしよう」
「し、師匠、でもそんな、だめです」
「なぜだ? お前は私が好きで、私もお前が好きだ。どこに問題が?」
「え? 師匠が私を? い、いつから」

 リーノが聞けば、フィンネルは「私は変態嗜好はないぞ」と弁明を始めた。

「リーノはいつも私の研究に嫌な顔ひとつしないで付き合ってくれただろう……私に頼るしかないからだと分かっていても、嬉しかったんだ……ずっと変わり者と言われてきたから」

 そこに在りし日の幼い師の姿を見た気がして、リーノの胸は締め付けられた。
 村で研究ばかりしていた少年は、充実をした日々を送りながらも、誰にも理解されず、孤独だったのかもしれない。こんなに素敵な魔法を編み出せる人なのに。

「実はな……次のお前の誕生日に、求婚しようと思っていた」

 なのにあのお節介女が余計なことをするから、とフィンネルがわずかに悪態をつく。
 リーノはまだ涙の残る顔でフィンネルを見上げた。

「本当? 少し早いけど、とっても嬉しいです、師匠」
「……結婚をしても、師匠と呼ぶのか?」
「慣れてしまいましたから」
「そうか。でも時々は、名前で呼んでくれると嬉しい」
「わかりました……フィンネル」

 リーノがゆっくりと、初めて彼の名を音に出す。
 フィンネルは花開くように笑った。

「うん、やはり嬉しいものだな」




 それからまもなく、二人は約束通りに結婚をした。
 最初は異形のリーノに驚いていた村の人々も、フィンネルの説得とリーノの献身を知って、少しずつ、少しずつ交流を深めていった。
 一年が経った頃には、リーノは一人で村に出かけられるまでになった。
 フィンネルがひどく寂しがり屋でやきもち焼きだと分かったのもその頃だった。


 それはどこかにある、優しく臆病で好奇心にあふれた人々の世界での出来事だった。


(おしまい)

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読んでくださってありがとうございました!
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