魔女と魔術師のしあわせな日々

koma

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雪の降る前に

1 お礼とクッキー

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*閲覧ありがとうございます。
*本編の一年前のお話です。
─────────────────




 ゆっくりと降り積もる雪のように。いつの間にか想いは募っていた。


 ◇

 それはシェリーがいつものように庭先でハーブの世話をしている時のことだった。

「あの」

 そう声をかけられ、畑から顔を上げる。
 そこには、三人組の娘が身を寄せ合うようにして立っていた。可愛らしい客人に、シェリーはいくらか微笑ましい気持ちになって立ち上がった。

「はい」

 おそらく街の子どもたちだろう。歳は十四、五といったところか。それぞれに赤や黄の明るい色のワンピースを着た娘たちは、シェリーや、シェリーの背後に佇む家に目をやり、心の中で会話をするかのように目配せしあっている。
 シェリーの店には時折、年頃の娘が恋のおまじないを買いにやってくる。だからこの子たちも、そうなのかもしれないと思った。

 恋をする女の子は、みんな一様に浮き足立っていて初々しい。恥じらいと期待と、ほんの少しの不安を抱えた複雑な表情をしている。果たして自分にも同じ頃があったのかと問われれば頷くことはできないが(何しろ魔術にばかり傾倒していたので)こうしたお客さんは、大歓迎だった。

 シェリーはエプロンについた土や枯葉を払いつつ、少女たちに笑顔を向けた。

「こんにちは。薬草のご注文でしょうか?」

 実はこのところ、いつにも増して客足が遠のいていた。考えうるに、街にできたという新しい魔術店の影響だろう。
 恋のおまじないは収入としては安価だけれど、だから正直、仕事があるのは有り難かった。シェリーは丁寧にまじないをかけようとひそかに意気込みながら、少女たちの次の言葉を待つ。

 しかし、いくら経てども少女たちが返事をすることはなく──少女たちは再び目線で会話をするかのようにそれぞれに顔を見合わせていた。と、真ん中に立っていた赤いワンピースを着た少女が、ようやく一歩前に出た。きっとこの娘(こ)が彼女たちの中のリーダーのような存在なのだろう。ハニーブロンドの髪を頭の高い位置でまとめている、大きな瞳が印象的な、勝気そうな女の子だった。
 まるで挑むように話しかけられる。

「あの、私たち、セディオスくんに会いにきたんですけど。彼、います?」
「え? セディオスくん?」

 思わぬ申し出に、シェリーは思わず聞き返してしまう。
 その反応に、娘たちは、戸惑ったように眉をよせた。

「あの、彼、ここに住んでるって聞いたんですけど」

 娘がそこで怪訝そうな顔をしたのは、「本当にこんなところにセディオスが住んでいるのか」と怪しんだからだろう。

 無理もないわよね、とシェリーは少し恥ずかしくなりながら俯き、エプロンの端を握った。

 シェリーの背後にそびえる自宅は、古く、小さい。
 あばら家と呼んでも差し支えないほどオンボロで、ここ数年は騙し騙し暮らしてきたほどだった。
 湿気に歪んだ木の壁も、色褪せた煉瓦の屋根も補修の跡だらけで、街住まいの少女たちの目にはさぞ見窄らしく映ったことだろう。

 シェリーはわずかに顔をあげて、少女たちに頷いた。

「ええ。セディオスですね。家にいますから、今、呼んできます」

 シェリーは知らず逃げるみたいに早足になって、家に入り込む。とたん、奥の方から空っぽの腹を刺激する、いい匂いが漂ってきた。一足先に家に戻っていたセディオスが、昼食の用意をしてくれているのだった。

 シェリーは鍋をかき回しているその背に声をかける。

「セディオスくん」
「はい」

 黒いエプロンを着たセディオスが振り返る。
 すらりと伸びた長い手足に、彫刻みたいに整った綺麗な顔。オレンジ色の明るい髪は快活な彼の性格そのものを体現しているかのようだった。
 その彼が、にこりとシェリーに微笑む。

「お腹空きましたか? もうすぐ出来ますから、待っててくださいね」

 その笑顔に思わず頷きそうになり、違う違うと、かぶりを振った。

「あの、セディオスくん、外にお客さんが来てるんだけど」
「客? 俺に?」

 セディオスは不思議そうに首を傾げた。そうして独り言みたいに呟く。

「誰だろ」
「街の女の子たちだと思うけど、お友達じゃないの?」
「うーん、誰とも約束はしてないんだけどな。ちょっと出てきますね」
「ええ。私がお鍋見てるからゆっくり話してらっしゃいな」
「焦がさないでくださいね」
「……わかってるわよ」

 楽しそうに笑ったセディオスと火の番を代わって、シェリーは彼がそうしていたように小さな鍋をかき回した。それは野菜の切れ端を煮詰めた、冬の定番スープだった。塩と鳥の骨で薄く味付けをしている、栄養面も考慮された経済的かつ健康的な料理でもある。けれど。

(これじゃ足りない、わよね)

 先月十六になったばかりの育ち盛りの弟子を思って、シェリーは小さく肩を落とした。
 セディオスは成長期の真っ最中だ。出会った頃は見下ろしていたはずの頭頂部も、今ははるか彼方で。目線が一緒になったと驚いたのがついこの間のような気がしたのに、今ではすっかり身長も追い越されていた。
 だから。 

「もっと食べたいわよね……」

 シェリーはそう独りごちた後、小皿に移したスープを味見し、よし、と合格点を出して、火を消した。
 開け放してある窓の外からは、少し前から、あの女の子たちの楽しそうな声が聞こえていた。それに混じって、時折、弟子の低い声も──。

 セディオスは月に数度開かれる街のマルシェで、シェリーの作った薬草や呪具を売りに行ってくれていた。そこで得た知人も多いらしく、シェリーにも時々そのことを話してくれていた。きっと彼女たちとも、そうして知り合ったのだろう。人懐こいセディオスには、友人知人が多い。
 けれど、家にまで彼の友人が遊びに来たのは、今日が初めてだった。
 あの子たちとは、よほど仲がいいのだろうか。
 思いながら、シェリーは戸棚から干し肉の入った壺を取り出す。わずかに残っていたそれを全て皿によそったところで、玄関の扉が開いた。セディオスが駆け寄ってくる。

「すみません、話し込んじゃって」
「お帰りなさい。早かったわね──お友達は?」
「友達じゃありません、知り合いです。もう帰りましたよ」

 言いながら、セディオスが鍋を覗き込んでくる。

「良かった、焦げてない」
「当たり前でしょ」

 くすくすとからかうように笑ったセディオスを、軽く睨む。それでもセディオスは気にした様子もなく微笑むばかりだった。舐められているのだ。
 シェリーはセディオスの笑顔にうずく胸を堪えながら、顔を逸らす。
 たぶん、目線が同じ高さになった頃からだったと思う。シェリーが怒っても、注意をしても、軽く聞き流されるようになってしまったのは。

 彼が可愛くてたまらなくて、甘やかしすぎたせいだろうか。もう少し威厳をもって育てていればよかった。

 シェリーは過去の行いを軽く後悔しながら、セディオスにスープの仕上げを任せる。

 と──彼のその手にあったものに、シェリーはふと目を止めた。そこには、綺麗に包装されたピンク色の紙袋があった。丁寧にリボンまでつけてある。

「セディオスくん、それ、さっきの子たちから?」
「ああ────はい。前に魔獣を倒してあげたんですけど、その時のお礼のクッキーだって。いらないって言ったんですけど」

 言いながら、セディオスが紙袋をテーブルに置く。しかし。

「……魔獣?」

 物騒な言葉に、シェリーは思わず声を荒げてしまった。セディオスがしまった、というように目を背けるが、時既に遅く。シェリーはセディオスに詰め寄り、彼を強く睨み上げた。これは、聞き捨てならない。

「魔獣って何? 倒したって、私、聞いてないわ」
「……いや……魔獣って言っても、大きな犬みたいな奴ですよ。大したことはありませんでした」
「!! 大きな犬ってそれ、魔狼じゃない!」

 シェリーはとんでもないと目を丸くする。

「だ、大丈夫だった? 怪我はしなかったの」
「もう二週間も前のことですよ。それに魔狼って言っても、街道に出た一頭だけでしたし」
「で、でも、魔狼はすごく凶暴だって図鑑に……噛みつかれたり、引っ掻かれたりしなかった?」
「何もされてません。無傷ですよ」

 ね、と言い聞かすように頭上から微笑まれ、シェリーは口籠る。
 二週間も、前。
 可愛い教え子がそんな危険な目に遭っていたなんて。しかも、それにちっとも気づかなかったなんて──師匠失格だ。
 シェリーは自分の不甲斐なさに唇を噛み締める。
 どの口が、と自己嫌悪に陥りながらも一応は師匠だからと、小さな──小さな声で注意をする。
 
「もう危ないことしちゃダメよ……女の子たちを守ったのは偉いけど、それでセディオスくんが怪我したら、元も子もないんだからね。そういう時は、逃げる魔法、とか」
「わかってます。もうしません」

 セディオスが言って、シェリーの両手を両手で握った。
 その大きな手に、シェリーは寂しい気分になった。時間は止まらない。彼は大人になりつつあるのだ。それこそ、ひとりで魔獣をやり過ごせるくらいに。もう、シェリーが守ってあげる必要はないのかも知れない。

「でも、先生が心配してくれるのは嬉しいな」

 にこにこと上機嫌に笑ったセディオスが身を屈めて、シェリーの頬に唇を寄せた。柔らかい感触に、シェリーははっと声をあげる。

「っ……セディオスくん」
「お腹空きました。お昼食べましょうか」

 セディオスはシェリーが怒る前にと、するりと身体を離す。そうして鼻歌混じりにスープをよそい始めた。その端正な横顔を見つめながら、シェリーは燻る思いを抱える。

 ──やっぱり舐められている。

 幼少期に、実の両親に捨てられた心の傷が残っているのか。

 セディオスは子供の頃から、愛情を伝える手段として、よく手を握ってきたり、キスをしてきた。「先生、先生、大好きです」、と。おやすみなさいと、おはようと、ありがとうと、ごめんなさいの時にも。

 それはまるで、好きだから、好きでいて。と、そう言われているようで。切なさに、シェリーはずっと彼からの愛情表現を受け入れてきた。可愛いセディオスがキスで安心できるのなら、と。──けれど。
 このところシェリーは彼にキスをされるたび、その優しい瞳で見つめられるたび、大きな手で触れられるたび、心臓を鷲掴みにされるような、苦しい思いを抱えるようになっていた。

 そしてその苦しみの正体に気づきつつ、ありえない、と否定する。
(だって私たちは師弟なんだもの)と。
 その繰り返しだった。

 それで彼にも、キスは控えるようにと話しているのだが、「癖になっているからすぐには難しい」だとかなんとか言われて、はぐらかされていた。
 けれど器用なセディオスのことだ。本当は止めようと思えばすぐに止められるはず。しかし今みたいに不意にキスをしてくるのは、彼がシェリーを舐めてかかっている何よりの証拠だった。
 シェリーが本気で自分を拒むわけがないと、よくわかっている。

(育て方、間違えた)

 シェリーは赤くなった頬を背けて、食器を準備をする。と、スープを運んだセディオスがテーブルに並んだものを見て言った。  

「あれ? この干し肉、食べていいんですか?」
「ええ。あとで新しいの買ってくるから、いいわよ」
「…… ──本当に? 嬉しいな」

 シェリーは席につきながら、家にまだ、何か売れる物は残っていただろうかと考えた。
 そうして、少し惜しいけれど使い古した魔術書を古本屋に持っていこうと決心する。
 少しでも、可愛い弟子の腹を満たしてやりたかった。
 なぜならシェリーは、彼の師匠だからだ。

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