魔女と魔術師のしあわせな日々

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雪の降る前に

3 魔狼討伐

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「──はい、それじゃあそこ。そうそうそこにね、サインして」

 教会の事務官は慣れた手つきで書類を用意すると、シェリーに署名を促した。

 それは魔狼討伐に関する簡単な受注書で、これに署名をすることで正式な依頼受領となる。あとは実際に魔狼を討伐したあと、証として魔狼の牙を持ち帰れば報酬を受け取ることが出来るのだった。

 シェリーは揚々と署名をして、討伐依頼を管理している街の教会をあとにした。
 
(セディオスくんには内緒にしておかなくちゃ)

 受注書を小さく折りたたんで鞄にしまいながら、シェリーは思った。
 師匠である自分に似てしまったのか、それとも生来そのような性格なのか──セディオスは、シェリーに負けず劣らずの心配性だった。
 これまでもシェリーの仕事の帰りが遅くなったり、小さな怪我をしただけで随分と叱られたものだった。「先生は強くないんですから気をつけてください」と。

 これで魔狼討伐に行くなどと言った日には、どうなることか。それこそ力づくででも止められるに違いなかった。

「……絶対に知られないようにしなきゃ」

 知らず漏れ出ていた独り言に、背後から声をかけられる。

「誰に、何をですか?」
「え? ……わっ」

 シェリーはいつの間にか自分の斜め後ろにいたセディオスに、小さな悲鳴を上げさせられた。

「何を内緒にしてるんですか?」

 呆れたような瞳を向けられ、シェリーは思わず後ずさる。

「セディオスくん、どうしてここに」
「どうしてって……買い出しに行くって言ったじゃないですか。というか、先生こそどうしてこんなところに?」

 往来の隅で首を傾げるセディオスを見上げ、シェリーはまずいと冷や汗をかいた。
 討伐のことを知られないようにと、シェリーは、彼が買い物に出かけている間に急いで依頼を受けにきたのだった。
 市場と教会の位置は正反対で、だから出くわすことはないだろうと思っていたのに。

 シェリーはしどろもどろに答えた。

「ちょ、ちょっと、所用で」
「だから、その所用ってなんです? 言ってくれたら俺が……」

 勘付かれたらどうしよう、何か言い訳をしないとと焦るシェリーを前に、セディオスがふと、とある一角に視線を止める。そうして、「ああ」と納得したように頷いた。

「あの店なら大丈夫ですよ。一応見に行きましたけど、大したことありませんでしたから」
「え?」

 あの店?
 なんのことだろうとシェリーがセディオスの目線を追うと、そこには、数日前と同じ、若い娘の行列が出来ていた。噂の魔術師の店だ。
 
「占いが有名っだって聞いたんで俺も行ってみたんですけど、これが、ちっとも当たってなくて──大丈夫。あれじゃほっといても勝手に潰れてくれますよ。最悪、詐欺とかで立件されるんじゃないですか」
「詐欺」

 その物騒な言葉に、シェリーはあの女の子が握っていた呪具を思い出した。

(高値で買わされたんじゃないといいけど)

 効果のない呪具を高値で売りつける、そんな犯罪もあると知っているだけに不安に思っていると、セディオスが「それで」と再び視線をシェリーに戻した。

「先生もあの店に行ってたんですか?」
「え? や、あの、ま、まだだけど」
「ああよかった。じゃあ行く意味ないですから、帰りましょう」
「え……うん」

 するりと攫うように手を握られて、シェリーは戸惑う。
 勘違いしてくれて助かった──けど。
 
「あの、セディオスくんこそ、こんなところまで何を買いにきたの?」

 大きな教会や武具店などが並ぶこの通りには、彼が贔屓にしている食材屋は見当たらない。
 不思議に思ったシェリーの問いに、セディオスは少しだけ困ったように微笑んだ。

「……服です。先生も、気にしてくれてたでしょう?」

 申し訳なさそうに言ったセディオスが、小脇に抱えている見慣れない藍色の包みを見せてくる。
 それで、思い出した。
 セディオスは次の日曜日に、あの子の誕生日会に行くのだったと。そうしてシェリー自身が先日、新しい服を買うようにと彼にお金を渡しておいたのだった。(これはまた別の畑仕事などを受けて作ったお金だった)

「あ、ああ。そうだったわね」

 シェリーは頷いて、弟子を見上げる。

「何にしたの? いいもの買えた?」
「はい。シャツとネクタイを」
「……それだけ?」
「はい。ジャケットはありますし、これで十分です」
「そう」

(あのお金じゃ、それだけしか買えなかったのかしら)

 道を行きながら、シェリーは知らず俯いていた。
 誕生日会なんてお呼ばれしたこともないけれど。だから、実際はどうなのかわからないけれど。きっと皆、男の子も女の子も関係なくお洒落をしてくるのだろうと思えた。なぜならそれは一年に一度しかない大切な祝いごとだからだ。
 だからセディオスにも惨めな思いはさせたくなかったのだけれど、シャツとタイだけで何とかなるだろうか。いや、してもらうしかないのだ。

(落ち込んでる場合じゃないわ)

 シェリーはやっぱり魔物討伐を頑張ろうと意気込みながら、顔をあげる。討伐数が増えれば増えるほど、幸せが近づくと自分に言い聞かせた。
 
「プレゼントはなににするの? まさか、手ぶらってわけにもいかないでしょう?」
「んー花でも摘んでいこうかな」
「? 咲いてないわ」
「そこは魔法で、何とか」

 言って、いたずらっ子のように笑うセディオスは可愛かった。
 そんな優秀な弟子に、シェリーはにこりと微笑み返す。劣等感をひた隠した。

「さすがね」

 そうして誤魔化すように彼の大きな手を握り返す。
 魔法で花を咲かせるなんて、簡単に言ってくれる。シェリーにはそんなこと、出来ない。──情けない。

「ああ、そうだわ」

 シェリーはまた落込みそうになっていた気分を持ち上げて、先ほど気にかかっていた話題を口にした。

「招待状を持ってきてくれたあの子ね、噂の魔術師さんのお店でおまじないを買ったみたいなの。それと合わせて、首飾り型の呪具も」
「典型的な商法ですね」
「ええ。でも、その子、騙されてるかもしれないでしょう? 話せるようだったら、注意して見てあげて。呪具が偽物ならお金を返してもらうべきだと思うし……」
「わかりました」

 セディオスが真顔になって頷いた。
 
「まじないの呪具は心理効果の要素が強いですから、返品は難しいでしょうけど。忠告はしておきます」
「ありがとう」

 しっかりとしたセディオスの返答にシェリーはほっとして微笑む。
 本当によく出来た弟子だった。 
 自分にはもったいないくらいだった。

 
 ◇

 そうして次の日曜日の夕暮れ──セディオスは戸口でくるりと振り返った。

「それじゃあいってきます」
「ええ気をつけてね」
「はい、なるべく早く戻りますから」
「……ゆっくりしてきていいってば」

 新調した白いシャツと濃紺のタイを締めたセディオスは、いつにも増して凛々しく見えた。普段は無造作に跳ねているオレンジ色の髪も、今日はシェリーが丁寧に整えたおかげですっかり見違えている。まるで良家の子息のようだった。
 シェリーはその出来栄えに満足しつつ、自慢の弟子を見上げる。
 
「じゃあ、いってらっしゃい」
「はい、くれぐれも──くれぐれも、戸締りはしっかりしてくださいね」
「わかってるわ」

 誕生日会は、夕刻から行われるとのことだった。
 何度もこちらを振り返りつつ、小径を行くセディオスを見送る。
 全く心配性なんだから。私を幾つと思ってるのかしら。
 シェリーは苦笑しながら、セディオスの姿が完全に見えなくなるのを見届けて、それから急いで家に戻った。足早に寝室へ行き、ベッドの下に隠しておいた鞄を引きずりだす。

「急がないと」

 セディオスが戻るまでに、魔物討伐をして戻ってこなくては。
 この日を逃して、他にチャンスはない。
 シェリーは用意しておいた攻撃魔法用の道具をさっと確認すると、念のためにとメモ(少し仕事で出かける心配しないでと書いた)をテーブルの上に残し、家を出た。

 そして、先ほどよりも暗くなった小径を駆ける。胸は、緊張に高鳴っていた。



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