おとぎ話の悪役令嬢のとある日常(番外編)

石狩なべ

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ニクス

親しい友人

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 マールス宮殿では今日も人が働く。
 年齢が下から上までいる使用人達。もちろんお年頃な者達も多かった。男と女も癒やしを求めていた。ある者はステーキを一日のご褒美に。ある者はダンスを一日のご褒美に。そしてある者達は、特定の少女の笑顔を心の癒やしにしていた。

 黒髪の黒い瞳の少女。彼女は使用人でありながら、皆のアイドル、マドンナであった。本人にその自覚がないところが、また男達のツボに入る。

「やあ、ニクス」
「こんにちは」

 笑顔を浮べれば、男達はぽっと頬を赤くした。

「やあ、ニクス!」
「お疲れさま」

 皆がニクスの笑顔に癒やされた。ああ、俺達のマドンナ。ニクス・ネーヴェ。どうしてあんなに素敵なんだ。田舎から来ただって? 君のような美少女が、スターにならないで、誰がなるっていうんだ!

 しかし、なんてことだろう。こんなに美人なニクスを、誰もデートに誘ったことがないなんて。それもそうだ。だって彼女には誰も近づけない。

 彼女の隣には、堅物真面目なロザリーがいるから。

「いっつも隣にいるんだよな」
「あの目つきどうにかならないのか」
「怖いんだよ。あの三角目」

 ラジカセから声が聞こえる。

『テリー様の行方は未だに不明です。見つけた方には金貨……』

「やあ、ニクス!」
「ラメール」
「よかったら、僕の部屋にいる亀を見にこな……」

 ぎろりと鋭い目。隣にいたロザリー――テリーが振り向いたのだ。だがしかし、それでもまるで見られている方は睨まれている気がして、ラメールが下がった。

「その、今度、僕の部屋の亀を見においで! できればロザリーのいない日に!」
「どういう意味よ」
「ロザリーの目が鋭いから、ラメールが萎縮しちまったんだよ」

 ペスカに言われ、テリーがムッとした。

「別に睨んでないわ」
「ロザリー、お前、たまにはにこって笑ってみたほうがいいぜ。ただでさえお硬い真面目ちゃんなんだからよ」
「余計なお世話よ」
「だがしかし、俺は怖気づいたりしないぞ。ニクス! 俺と今度デート……」
「短期バイトの人はね、お休みが少ないんだよ。また今度ね」

 ニクスがテリーに振り向いた。

「行こうよ。ロザリー。箒を倉庫に片付けに行かなきゃ」
「ん」

 ニクスとテリーが箒を持って歩く。この後は大ホールの掃除だ。

(……)

 テリーがちらっと周りを見た。ニクスが通れば、年齢の近い少年達はニクスに目を奪われた。そして、テリーと目が合うと、みんな、まずいと言いたげに顔を引きつらせて仕事に戻った。

「ニクスは今日も綺麗だな」
「堅物真面目なロザリーはどうやって彼女と仲良くなったんだろうな」
「ニクスが優しいから、地味なロザリーに手を差し伸べたんだろ」
「さすがニクス。そうに違いない」

(……昔は男勝りだったのよ)

 今はそんなふうには見えないだろうけど。

(出会った頃は、全然女の子に見えなかったのよ)

 スカートをふわふわなびかせて、自分よりも美しくなったニクス。彼女はこの宮殿のマドンナだ。

「……」
「元気ないね」

 はっとすると、ニクスに顔を覗かれていた。驚いて、一瞬足を止め、また歩き始める。

「別に」
「本当?」
「ちょっと疲れたのよ」
「あたしも疲れちゃった。ね、倉庫で少し休憩しようよ」
「……ニクス、悪い子」
「だめ?」
「……別にいいけど」

 にこにこするニクスの横を歩く。

(メニーみたいに嫌いになれたらいいのに)

 ニクスのことは嫌いになれない。だからこそ、もどかしい。

(羨ましいと思う自分と、劣等感と、それでも好きでいたい自分がいる)

 もどかしい。

「はあ」

 倉庫の中に置かれた台に、ニクスが座った。

「ロザリーも座ろうよ」
「……ん」

 少し距離を離して座る。そうすれば、ニクスの方から近づいてきた。ニクスがテリーの肩に頭を乗せた。テリーの胸がきゅっ、と締め付けられる。

「疲れたね」
「……うん」
「小宮殿のくせに、大きいんだよね。ここ」

 ニクスの髪の毛が肌に当たる。くすぐったい。

(ニクスは変わらずに仲良くしてくれる)

 横から見ても、おしとやかで、少しやんちゃで、とても優しくて、美人な女の子。

(そりゃ、モテるわよね)

 あたしがいなければ、彼氏とかも出来てたのかしら。

「……」

 黒い瞳がチラッとテリーの顔を見た。

「……そんなに疲れた?」
「……何が?」
「変な顔してる」
「変な顔なんてしてないけど」
「何か思い悩んでる顔だ」

 ニクスがテリーの顔を覗き込んだ。

「どうしたの?」
「……っ」

 その笑顔に、胸が締め付けられる。

(ニクスが、あたしに笑ってくれてる)

 本来いないはずの大事な親友。

(……ニクス)

 嫌いになんて、なれるはずがない。

「……あのね」

 甘えたな声を出せば、ニクスの頬がもっと緩んだ気がして、テリーも目尻の力を抜かせる。

「あのね、ニクス」
「うん」
「みんながね、ニクスのこと見てるの。ニクスが可愛くて、美人だから」
「ふーん」 
「それで」
「うん」
「あたし、邪魔はしないわ」
「テリー、何の話?」
「ニクスは、もっと男の子達の誘いに乗るべきだわ。あたしは、大丈夫だから」
「あたしは興味ないから断ってるんだよ?」
「だけど」
「テリー」

 ニクスがクスッと笑い、テリーの頬に手を添えた。テリーの肩がぴく、と揺れる。

「あたし、テリーを邪魔だなんて思ったことないよ?」
「ニクスは、……友達だから、そう言ってくれるのよ。……あたし、ニクスの邪魔はしたくないの。行きたいなら、デートも行っていいんだから」
「必要ないから断ってるの」
「ニクスはあたしよりも可愛いんだから、もっと愛想よくするべきだわ」
「何言ってるの。テリーのほうがずっとずっと可愛いよ」
「嘘よ。可愛いはずないもん」
「本当だよ。すごく可愛い」

 ニクスがそっとテリーの顔に近付いた。

「テリーが可愛いから、あたし、キスだってできるよ」

 ニクスの唇がテリーの瞼に触れた。その瞬間、びくんっ! とテリーの首がすくんだ。

「ひゃっ!」
「ごめんごめん」

 ニクスが再びテリーの顔を覗く。

「嫌だった?」
「お、驚いた、だけ……」
「嫌じゃない?」
「いや、では、ないけど……」
「本当?」
「……いやでは、……ない」
「じゃあ、もう一回するね」

 ニコリと微笑んで、ニクスがまた近付く。今度は頬にキスをされる。ニクスの唇に触れられたら、なんだか美人になれる魔法にかけられる気がして、テリーがじっとする。

 ぷちゅ。

 唇が頬にくっつく。

 むちゅ。

 唇が瞼にくっつく。

「……ニクス」
「ん?」
「あの、そろそろ、戻らなきゃ……」
「……まだ、いちゃだめ?」

 眉をへこませたニクスに、テリーの胸がきゅきゅきゅきゅん! とときめいた。

「べっ! 別に!? ニクスがそんなに疲れてるって言うなら!」
「うん。もう少しいようよ」

 ニクスが首を傾けた。

「あっ」

 近付く。

「ま、待って」
「ん?」

 ニクスが止まった。そんなニクスを、テリーが見つめる。

「……いつもの、するの?」
「そうだよ。親友同士のキスだよ」
「……ここで?」
「だめ?」
「誰かに、見られちゃうかも……」
「じゃあ、……やめる?」
「……やだ」
「じゃあ、しよう?」
「……うん」

 瞼を閉じれば、唇同士が重なる。

(……ニクスとキス……)

 それは、出会った頃からしている秘密のお遊び。

(親友と、キスのし合い……)

 親友というものは、ただの友達とは違うから、キスをするものだとニクスが言っていた。だから、12歳の時も、テリーはニクスと遊ぶ時には必ず親友同士のキスをしていた。

 今日も、キスをする。昨日はしなかったから、昨日の分も合わせて一緒に。ふと、ニクスが唇を離し、また角度を変えて重ねてきた。

(あっ)

 ちゅ。

(ニクス……)

 ちゅ。

(はぁ……。ニクス……)

 唇が離れ、今度は額同士がくっつく。お互いの熱い顔が丸見えだ。ニクスの瞳とテリーの瞳が重なる。まるで、瞳同士でキスをしているように。

「……ニクス……」
「テリーは可愛いよ」

 ちゅ。

「甘えん坊さんだもん」

 テリーのとろけた身をニクスに委ねれば、ニクスがテリーを抱きしめ、優しく背中をなでた。

「テリー」
「ニクス」
「ん?」
「……もう一回だけ……」
「……する?」
「……だめ?」
「したいの?」
「……意地悪……」
「意地悪なんてしてないよ。……ね、テリー。あたしと、キスしたい?」
「……うん」
「うん。いいよ」

 親友からの優しいキス。

「んっ……」

 唇が離れては、また重なる。

(……ニクス……)

 そっと唇が離れる。
 目が合えば、ニクスが微笑む。
 テリーはその笑顔に見惚れてしまう。

(……可愛い笑顔)

 そっと頬に手を添えて、

「ニクス」
「ん?」
「あたし、ニクスのこと、嫌いになりたい」

 そう言えば、ニクスがきょとんとした。

「だってそうしたら、ニクスのそばにいなくても平気だもの」

 ニクスの胸に顔を押し付ける。

「だから、もっと虐めて。あたしに、酷いことして」
「そんなのだめだよ」

 ニクスは優しくテリーを抱きしめる。

「テリーはあたしのお姫様なんだから」
「それじゃあ、あたしはニクスを嫌いになれないわ」
「嫌いにならないでよ」
「なってほしくない?」
「うん。テリーに嫌われたら、あたし泣いちゃう」
「……そんなニクスを見るのは、あたし、嫌」
「あたしもだよ」
「……」
「頭撫でる?」
「……うん」

 二人になればこんなに甘えん坊になる。

(こんなに可愛いのに)

 テリーは自分の魅力に気づいてないよ。

(そんな瞳で見つめてきて)
(そんなふうに甘えてきて)
(手を差し出せば、手を握り返してきて)
(甘えたいって目で見つめてきて)
(虐めて、酷いことして、だなんて)

 ニクスがテリーの顎を掴んだ。自分の方に持ち上げる。

「っ」

 テリーが思わず目を瞑った。これからくるであろう柔らかな感触に備えて、眉をきゅっと下げて、目の前の親友に唇を差し出す。――しかし、いつまで経ってもテリーの唇に触れるものはない。そっと瞼を上げてみると、にこにこ笑ってテリーの顔を観察するニクスがいた。

「……ニクス?」

 テリーの目尻がとろんととろけた。

「……しないの?」
「っ」

 キスが出来ずにもどかしそうなテリーの顔を見れば、ニクスがビタッ! と止まり、それからゆっくりと優しいキスをした。ふにゅ。

「ん……」

 テリーの声にニクスの胸が締め付けられる。

「ニクス……」

 テリーの自分を呼ぶ声に、胸が締め付けられる。

「ニクス……もっと……」

 普段は見せない甘えん坊な表情に、心臓がひどく高鳴る。

(これで、テリーから離れろというの?)

 運命は残酷だ。

(あたし、本当に男の子だったらよかったのに)

 そしたら、あたしはテリーの親友ではなくて、従順な下僕になったのに。

「んっ」

 キスをする。

「はー……」

 テリーは過呼吸持ちだから、慎重に。

「はむっ」

 ちゅ。

「にくす……」

 ぎゅっと抱きしめる。テリーが痛くないように、きつく、それでも、優しく。

(テリーの匂いを嗅ぐとひどく安心する)

 さっきまで飛び出そうだった心臓が小さくなり、それでも鼓動の運動は速いまま。

(こんなの、離れられるわけない)

 抱きしめれば、テリーのぬくもりを何よりも感じる。

(放したくない)

「……ニクス、あったかい……」

 すりすりしてくるその動作も可愛い。親友としても、――一人の女としても。

(どうしようかな)

 ニクスはちらっと考えた。

(いつになったら告白出来るんだろう)

 初恋は未だに実らない。自分はまだテリーにとって優しい親友のままだ。
 好きと言ってしまえば、親友ではなくて、恋人になれるのに。
 親友のキスではなく、恋人のキスが出来るのに。
 でも、言って、キスができなくなったら?
 嘘つきって言われたら?
 本当に、嫌われてしまったら?

(怖い)

 言えない。

(テリーに、嫌われたくない)

「……ニクス? どうかした?」
「え?」
「すごく悲しそうな顔してた」

 テリーがニクスの頬にキスをした。

「……元気になって?」
「っ」

 ニクスがテリーの腕を掴んだ。テリーがきょとんとして、ニクスを見る。

「ニクス?」
「テリー」

 その瞳には、お互いしか映っていない。

「あのね」
「……何?」
「あたしね、テリーのことが……」

 ――その瞬間、倉庫の扉が開かれた。はっと二人が振り向くと、箒をしまいにきたコネッドが二人を見て、はっとした。

「なるほど! ここがサボりスポットってわけか!」

 コネッドがそう言って、ニクスとテリーの間に座った。

「オラもサボるべさ! みんなでサボれば怖くない!」
「ちょ、ちょっと、コネッド!」
「……」

 ――また邪魔が入った……。

 殺意と内の声を胸に秘めて、ニクスは笑顔を浮かべた。

「コネッドも来たことだし、テリー、あと五分追加して休憩しようよ」
「……それを言おうとしてたの?」
「そうだよ。あたし、まだもう少し休みたいって言おうとしたの」
「……あ、そう」
「んだ! みんなで仲良く休むべさ!」

 にこにこするコネッドの隣にいるテリーはまた無愛想に戻った。二人きりの時は、あんなにデレデレなのに。

(……仕方ない。今日はやめておこう)

 でも、恋人になれる日は近い気がした。

(……また甘いキスをしようね。テリー)

 マドンナ特有の輝かしい笑顔を浮かべて、コネッドとテリーとで、残りの休憩を堪能することにする。

 テリーとのキスを思い出しながら、ニクスが唇をぺろりと舐めた。









 親しい友人 END
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