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3章
第18話
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「もうしばらく酒は見たくない……」
朝の6時に戻ってきた高橋先輩がげっそりしながらカメラを構えた。
「今日はオープニングから裏で撮影するからな……」
「高橋先輩、あたし撮影しますよ」
「お前はカメラマンじゃなくて編集者だろ……。いいから俺の後ろについてろ……」
(見栄張っちゃって)
「みんな、円陣組むよ!」
白龍の掛け声に、みんなが輪になる。
「メジャーデビューで決まったドームライブの最終日です。最後まで楽しむ準備はできましたか!」
「おー!」
「っしゃー!」
「やったるわー!」
「はい!」
「ファンと、スタッフさんと、みんなで、最後まで、駆けていきましょう! せーの!」
「「Re:connect、接続開始~!」」
泣いても笑ってもライブ最終日、みんなが廊下を駆けていく。廊下に並ぶスタッフが壁に避け、メンバーを通して行く。
「いってきま~す!」
「頑張ってきま~す!」
「いえ~い!」
その背中を、カメラを持った高橋先輩とあたしが追いかける。白龍がカメラに振り返り、小声で言った。
「歌ってきます!」
暗くなる会場。始まるオープニング。盛り上がる観客たち。
『では、接続準備はいいかな?』
『いつでも』
『はい~』
『任せて!』
『いっくよ~!』
『我々、Re:connect、ドームライブへ、接続開始!』
ライトが消え、暗闇がドームを包みこむが、次の瞬間には、大きくライトが弾け、星が爆発するように輝き、観客が歓声をあげれば、ステージが輝き、五人が一斉に飛び出てくる。スピーカーから大音量のメロディが流れ、五人の歌声がこのドームにいる全員の耳へと入っていく。何度見ても、このオープニングは感動する。
しかし今回は最終日で、かなり盛り上がることが予想されるので、メイキングに使える素材を求めて、裏で撮影を続ける。ライブスケジュールを確認しながら、舞台裏に走るメンバーを確認し、カメラを構えて待機する。
昨日過呼吸になったミツカさんは楽しそうに汗を飛ばして走り、負けじとスイさんが走り、エメが走り、ゆかりさんがカメラに手を振りながら駆けて行く。白龍が駆けてきて、早着替えを行いすぐにステージに上がる様子も撮影できた。それからのドスの効いた歌声は裏から聞いてても鳥肌が立つ。
(普段はひょうひょうとしてるんだけどな)
汗を流して、本気で踊って、歌って、魂が輝くその姿は、
(モニター越しでも……やっぱりかっこいい)
『えー、ありがとうございます。時間はあっという間で……次でラストソングです』
白龍の言葉に、観客が声を上げる。
『Re:connectが活動を始めて5年。最初は規模100人くらいの、小さなライブハウスから始まって、どんどん大きくなっていって、メジャーデビューと同時に、ドームでのライブが決まりました。改めて、応援してくださったファンのみんな、そして一緒に走ってくれたメンバーに、俺は、感謝の気持ちでいっぱいです』
Bluetoothでサイリウムが光り出す。
「最後に、この曲を歌って、終わりましょう。……みんな! 最後まで楽しんでってくれよな!」
メロディが始まったと同時に、大量のサイリウムが振られた。五人が世界に轟くように歌い出し、その歌に感動した人々が涙を溢れ出す。だが、スタッフのあたしたちは、今泣くわけにはいかないのだ。
「カメラ構えてスタンバイ!」
「はい!!」
——曲を終え、幕が閉じる。さっきまで笑顔だった五人が——急いで走ってきて、タオルで汗を拭い、アンコール曲の準備を始める姿を2つのカメラで撮影する。水をがぶ飲みしたメンバーがまたステージに上がっていく——素材が、データとして残った。
(ミッションクリア!)
「よし、あとは曲が終わるまで待機」
「はい!」
他のスタッフ達も汗を拭った。無事にライブが終わって安堵する。さぁ……あとはステージの大道具の片付けのみだ……!
『本日は!』
『ありがとうございました~!』
最終日のライブが今度こそ終わる。しかし、まだ終わりではない。歌のライブは終わった。この後は——握手会だ!
「握手会は昨日と同じテントな」
「了解です」
「くるぞ! カメラスタンバイ!」
「はい!」
メンバーが走ってくる中、佐藤さん含むスタッフが拍手を送った。
「お疲れ様でした~」
「うえーん! 佐藤さ~ん!」
メンバー達が佐藤さんに抱きつき、佐藤さんがよろけた。……おや、白龍がいない。
(ん)
あたしの構えてたカメラに白龍が入ってきた。ぬわっ!
(びっくりした)
しかし、手ブレは許されない。あたしは心を無にしてカメラを構える。白龍が浅く呼吸をしながら、汗を流し、笑顔で手を振った。
(……お疲れ様です)
「うえ~ん! 月子ぉ~!」
ミツカさんが白龍に抱きついた。
「ドーム終わった~!」
「まだ握手会残ってるよ?」
「なんで泣いてないのぉ~!?」
「楽しかったんだから泣く必要ないじゃん!」
「月ちゃ~ん!」
「白龍~!」
「月子ちゃ~ん!」
メンバーが泣きながら白龍に抱きつく素材は画になる。高橋先輩のカメラでも、あたしのカメラでも、しっかりと撮影した。そして、その様子を見て、あたしはカメラを止めようとした。しかし、高橋先輩が首を横に振ったのが見えた。あたしはきょとんとしてそのままカメラを回し続けると——白龍が頭を埋め——肩を震わせた。
(あ)
Re:connectは活動を始めて五年。白龍は、——ネットを始めた時期を加算すれば、七年間、歌い続けた。その継続と努力は、メジャーデビューと、ドームライブという形で実った。
「……」
かっこいい姿も、格好悪い姿も、泣いてる姿も、情けない姿も、映像の素材として非常に重要だ。それも、普段の配信では小悪魔系で売ってる白龍が泣いたとなれば、もう、それは——とんでもなく——貴重な素材だ。
(高橋先輩、ありがとうございます)
目玉を高橋先輩に向けた。
(めちゃくちゃいい素材が、手に入りました)
あたしも高橋先輩も、しばらくカメラを止めることはなかった。
(*'ω'*)
握手会は昨日と同じ。あたしはスイさんとエメさん担当でカメラを回す。
「スイちゃん! ライブよかったよ~!」
「エメち! エメち!」
「今までで1番のライブでした! 大好きです! 大好きです!
「愛してます~!」
「スイちゃん! 会いにきたよ~!」
「エメち! はぁはぁ! 俺のエメち!」
握手しながら熱いメッセージを残すファンに思う。——他人をここまで応援できるこの人たちもすごいよなぁ。
(あたしはタレントを動画編集するための素材としか見てないし、ここまで熱く応援したことのあるアーティストもいない。人が人を応援する姿も、なんかキラキラしてて羨ましいかも……)
昨日のように変な言葉を浴びせるファンはいないようだし。
(最終日の握手会素材は、あまり使えなさそう)
「スイちゃん、青い服の、覚えてる?」
「また来てくれたんだね! ありがと~!」
「エメち! あれやって! ビーム!」
「エメちビーム!」
「うほぁ! 大好きです!」
(ファンサービスすげーな……)
「きゃあ!」
——隣のテントから悲鳴が聞こえ——テント内が一瞬凍りついた。
(ん? また何かあったか?)
「は……白龍!」
「月子!」
「離しなさいよ!!!!!!」
(ん?)
「すみません、みなさん、一度その場でお待ちください」
警備員が走って行く。隣のテントが騒々しく、男性ファンがスイさんに言った。
「スイちゃん、俺が守るからね!」
「あ、ありがとう……」
「白龍! 血が!」
「白龍刺されてる!!」
——女性ファン達の声に、その場にいた全員が凍りついた。隣のテントから叫び声が聞こえ、何人かスタッフが走って行く。警備員がタレントとファンの間に入り、安全確認を行うためその場で待機するが、全員がざわつき始める。またスタッフが走ってくる。隣のテントだ。すぐ隣のテントだ。あたしでさえ、様子を見に行くことはできる。だが——あたしは動かない。カメラを構えた以上、動くわけにはいかない。白龍月子が刺された。
西川リンが刺された。
「月ちゃん刺されたの?」
「すいません、隣ってどうなってますか?」
スイさんとエメさんが不安そうにスタッフに聞く。
「安全確認中です。皆様、その場でお待ちください!」
「やだ」
「怖い」
「せっかくの握手会で何やってんだよ!」
怖がるファンと、怒り狂うファン。
「白龍大丈夫なのかな」
「どうしたの?」
「刺されたっぽい」
情報が伝達されていく様子。
——先輩は、あたしを美化しすぎです。そんな良い人間じゃありません。あたし。
——そうだね。六年も彼女の連絡無視する人だもんね。
そんな程度じゃない。あたし、こういう時に自覚する。あたしは良い人間じゃない。夢を売る側の人間は、時に良い人間であることを捨てなければいけない。今がその時だ。
あたしは混乱する現場をカメラに収める。不安そうな顔のスイとエメ。そんな二人を心配するファンの様子。スタッフが走り、警備員が待機し、緊迫する空気。大丈夫。向こうのテントで起きた面白いことは、きっと高橋先輩が撮影してる。この映像は高値で売れるだろう。YouTubeに流出されたら、TikTokで拡散されたら、このRe:connectはさらに話題の歌い手グループとなるだろう。
あたしは雇われの動画編集者。雇ってくれてる会社が、言ってるのだ。この歌い手グループを人気にしてくれと。だったらあたしは、もしあたしが、今回のライブのメイキング動画を編集する立場だったならば、この素材は絶対に欲しい。この瞬間の出来事は、今撮るしかないのだ。
白龍月子が刺された。
(個人的には、今すぐカメラを捨てて様子を見に行きたい衝動に駆られてる)
編集者としては、絶対にこの場を素材として収めないと気が済まない。
(西川先輩は大丈夫だろうか)
やっぱり面白いな。白龍月子は。
(刺されたってどこを刺されたの?)
上に報告しなきゃ。ネットニュースに情報を売れば金に繋がる。
(死んだりしないよね?)
深い怪我をすればさらに話題になる。
(彼女ネタを持ち込んだせいですよ)
白龍月子なら、もっとファンを煽れる。
(大人しく彼女とは別れましたって言っていれば)
もっと彼女ネタの切り抜き動画を作ろう。AI彼女なんてつまらない!
(西川先輩……)
炎上すれば数字が増える。数字こそ正義。数字こそ答え!
(リンちゃん……)
Re:connectと契約できたうちの会社は、その担当になれた高橋先輩とあたしは、本当に、本当に運がいい! こんなに楽しい刺激的な素材が他にあっただろうか! メジャーデビューライブで、まさか、刺傷事件だなんて! すごいすごい! なんてすごい素材なんだろう! 怖がるメンバーの顔も、ファンの顔も、いい! いい! すごくいい素材!!!!!!
この素材で動画編集、させてくれないかなぁ!!!!
「……………………………………………」
「皆様、お待たせいたしました!」
制作進行チームの代表が、走ってきた。
「ただいま、メンバーの一人がファンの方と、少し、トラブルがあり、安全の確認のためお待ちいただきました。もう解決しましたので、安心して握手会をお楽しみください!」
「近藤さん、月子ちゃんは?」
「大丈夫! 軽い怪我! 安心して握手会続けて!」
「わかりました……」
「申し訳ございませんでした! 握手会続行します! お待たせしましたー!」
気まずい空気から少し解放され、握手会が再び行われた。
朝の6時に戻ってきた高橋先輩がげっそりしながらカメラを構えた。
「今日はオープニングから裏で撮影するからな……」
「高橋先輩、あたし撮影しますよ」
「お前はカメラマンじゃなくて編集者だろ……。いいから俺の後ろについてろ……」
(見栄張っちゃって)
「みんな、円陣組むよ!」
白龍の掛け声に、みんなが輪になる。
「メジャーデビューで決まったドームライブの最終日です。最後まで楽しむ準備はできましたか!」
「おー!」
「っしゃー!」
「やったるわー!」
「はい!」
「ファンと、スタッフさんと、みんなで、最後まで、駆けていきましょう! せーの!」
「「Re:connect、接続開始~!」」
泣いても笑ってもライブ最終日、みんなが廊下を駆けていく。廊下に並ぶスタッフが壁に避け、メンバーを通して行く。
「いってきま~す!」
「頑張ってきま~す!」
「いえ~い!」
その背中を、カメラを持った高橋先輩とあたしが追いかける。白龍がカメラに振り返り、小声で言った。
「歌ってきます!」
暗くなる会場。始まるオープニング。盛り上がる観客たち。
『では、接続準備はいいかな?』
『いつでも』
『はい~』
『任せて!』
『いっくよ~!』
『我々、Re:connect、ドームライブへ、接続開始!』
ライトが消え、暗闇がドームを包みこむが、次の瞬間には、大きくライトが弾け、星が爆発するように輝き、観客が歓声をあげれば、ステージが輝き、五人が一斉に飛び出てくる。スピーカーから大音量のメロディが流れ、五人の歌声がこのドームにいる全員の耳へと入っていく。何度見ても、このオープニングは感動する。
しかし今回は最終日で、かなり盛り上がることが予想されるので、メイキングに使える素材を求めて、裏で撮影を続ける。ライブスケジュールを確認しながら、舞台裏に走るメンバーを確認し、カメラを構えて待機する。
昨日過呼吸になったミツカさんは楽しそうに汗を飛ばして走り、負けじとスイさんが走り、エメが走り、ゆかりさんがカメラに手を振りながら駆けて行く。白龍が駆けてきて、早着替えを行いすぐにステージに上がる様子も撮影できた。それからのドスの効いた歌声は裏から聞いてても鳥肌が立つ。
(普段はひょうひょうとしてるんだけどな)
汗を流して、本気で踊って、歌って、魂が輝くその姿は、
(モニター越しでも……やっぱりかっこいい)
『えー、ありがとうございます。時間はあっという間で……次でラストソングです』
白龍の言葉に、観客が声を上げる。
『Re:connectが活動を始めて5年。最初は規模100人くらいの、小さなライブハウスから始まって、どんどん大きくなっていって、メジャーデビューと同時に、ドームでのライブが決まりました。改めて、応援してくださったファンのみんな、そして一緒に走ってくれたメンバーに、俺は、感謝の気持ちでいっぱいです』
Bluetoothでサイリウムが光り出す。
「最後に、この曲を歌って、終わりましょう。……みんな! 最後まで楽しんでってくれよな!」
メロディが始まったと同時に、大量のサイリウムが振られた。五人が世界に轟くように歌い出し、その歌に感動した人々が涙を溢れ出す。だが、スタッフのあたしたちは、今泣くわけにはいかないのだ。
「カメラ構えてスタンバイ!」
「はい!!」
——曲を終え、幕が閉じる。さっきまで笑顔だった五人が——急いで走ってきて、タオルで汗を拭い、アンコール曲の準備を始める姿を2つのカメラで撮影する。水をがぶ飲みしたメンバーがまたステージに上がっていく——素材が、データとして残った。
(ミッションクリア!)
「よし、あとは曲が終わるまで待機」
「はい!」
他のスタッフ達も汗を拭った。無事にライブが終わって安堵する。さぁ……あとはステージの大道具の片付けのみだ……!
『本日は!』
『ありがとうございました~!』
最終日のライブが今度こそ終わる。しかし、まだ終わりではない。歌のライブは終わった。この後は——握手会だ!
「握手会は昨日と同じテントな」
「了解です」
「くるぞ! カメラスタンバイ!」
「はい!」
メンバーが走ってくる中、佐藤さん含むスタッフが拍手を送った。
「お疲れ様でした~」
「うえーん! 佐藤さ~ん!」
メンバー達が佐藤さんに抱きつき、佐藤さんがよろけた。……おや、白龍がいない。
(ん)
あたしの構えてたカメラに白龍が入ってきた。ぬわっ!
(びっくりした)
しかし、手ブレは許されない。あたしは心を無にしてカメラを構える。白龍が浅く呼吸をしながら、汗を流し、笑顔で手を振った。
(……お疲れ様です)
「うえ~ん! 月子ぉ~!」
ミツカさんが白龍に抱きついた。
「ドーム終わった~!」
「まだ握手会残ってるよ?」
「なんで泣いてないのぉ~!?」
「楽しかったんだから泣く必要ないじゃん!」
「月ちゃ~ん!」
「白龍~!」
「月子ちゃ~ん!」
メンバーが泣きながら白龍に抱きつく素材は画になる。高橋先輩のカメラでも、あたしのカメラでも、しっかりと撮影した。そして、その様子を見て、あたしはカメラを止めようとした。しかし、高橋先輩が首を横に振ったのが見えた。あたしはきょとんとしてそのままカメラを回し続けると——白龍が頭を埋め——肩を震わせた。
(あ)
Re:connectは活動を始めて五年。白龍は、——ネットを始めた時期を加算すれば、七年間、歌い続けた。その継続と努力は、メジャーデビューと、ドームライブという形で実った。
「……」
かっこいい姿も、格好悪い姿も、泣いてる姿も、情けない姿も、映像の素材として非常に重要だ。それも、普段の配信では小悪魔系で売ってる白龍が泣いたとなれば、もう、それは——とんでもなく——貴重な素材だ。
(高橋先輩、ありがとうございます)
目玉を高橋先輩に向けた。
(めちゃくちゃいい素材が、手に入りました)
あたしも高橋先輩も、しばらくカメラを止めることはなかった。
(*'ω'*)
握手会は昨日と同じ。あたしはスイさんとエメさん担当でカメラを回す。
「スイちゃん! ライブよかったよ~!」
「エメち! エメち!」
「今までで1番のライブでした! 大好きです! 大好きです!
「愛してます~!」
「スイちゃん! 会いにきたよ~!」
「エメち! はぁはぁ! 俺のエメち!」
握手しながら熱いメッセージを残すファンに思う。——他人をここまで応援できるこの人たちもすごいよなぁ。
(あたしはタレントを動画編集するための素材としか見てないし、ここまで熱く応援したことのあるアーティストもいない。人が人を応援する姿も、なんかキラキラしてて羨ましいかも……)
昨日のように変な言葉を浴びせるファンはいないようだし。
(最終日の握手会素材は、あまり使えなさそう)
「スイちゃん、青い服の、覚えてる?」
「また来てくれたんだね! ありがと~!」
「エメち! あれやって! ビーム!」
「エメちビーム!」
「うほぁ! 大好きです!」
(ファンサービスすげーな……)
「きゃあ!」
——隣のテントから悲鳴が聞こえ——テント内が一瞬凍りついた。
(ん? また何かあったか?)
「は……白龍!」
「月子!」
「離しなさいよ!!!!!!」
(ん?)
「すみません、みなさん、一度その場でお待ちください」
警備員が走って行く。隣のテントが騒々しく、男性ファンがスイさんに言った。
「スイちゃん、俺が守るからね!」
「あ、ありがとう……」
「白龍! 血が!」
「白龍刺されてる!!」
——女性ファン達の声に、その場にいた全員が凍りついた。隣のテントから叫び声が聞こえ、何人かスタッフが走って行く。警備員がタレントとファンの間に入り、安全確認を行うためその場で待機するが、全員がざわつき始める。またスタッフが走ってくる。隣のテントだ。すぐ隣のテントだ。あたしでさえ、様子を見に行くことはできる。だが——あたしは動かない。カメラを構えた以上、動くわけにはいかない。白龍月子が刺された。
西川リンが刺された。
「月ちゃん刺されたの?」
「すいません、隣ってどうなってますか?」
スイさんとエメさんが不安そうにスタッフに聞く。
「安全確認中です。皆様、その場でお待ちください!」
「やだ」
「怖い」
「せっかくの握手会で何やってんだよ!」
怖がるファンと、怒り狂うファン。
「白龍大丈夫なのかな」
「どうしたの?」
「刺されたっぽい」
情報が伝達されていく様子。
——先輩は、あたしを美化しすぎです。そんな良い人間じゃありません。あたし。
——そうだね。六年も彼女の連絡無視する人だもんね。
そんな程度じゃない。あたし、こういう時に自覚する。あたしは良い人間じゃない。夢を売る側の人間は、時に良い人間であることを捨てなければいけない。今がその時だ。
あたしは混乱する現場をカメラに収める。不安そうな顔のスイとエメ。そんな二人を心配するファンの様子。スタッフが走り、警備員が待機し、緊迫する空気。大丈夫。向こうのテントで起きた面白いことは、きっと高橋先輩が撮影してる。この映像は高値で売れるだろう。YouTubeに流出されたら、TikTokで拡散されたら、このRe:connectはさらに話題の歌い手グループとなるだろう。
あたしは雇われの動画編集者。雇ってくれてる会社が、言ってるのだ。この歌い手グループを人気にしてくれと。だったらあたしは、もしあたしが、今回のライブのメイキング動画を編集する立場だったならば、この素材は絶対に欲しい。この瞬間の出来事は、今撮るしかないのだ。
白龍月子が刺された。
(個人的には、今すぐカメラを捨てて様子を見に行きたい衝動に駆られてる)
編集者としては、絶対にこの場を素材として収めないと気が済まない。
(西川先輩は大丈夫だろうか)
やっぱり面白いな。白龍月子は。
(刺されたってどこを刺されたの?)
上に報告しなきゃ。ネットニュースに情報を売れば金に繋がる。
(死んだりしないよね?)
深い怪我をすればさらに話題になる。
(彼女ネタを持ち込んだせいですよ)
白龍月子なら、もっとファンを煽れる。
(大人しく彼女とは別れましたって言っていれば)
もっと彼女ネタの切り抜き動画を作ろう。AI彼女なんてつまらない!
(西川先輩……)
炎上すれば数字が増える。数字こそ正義。数字こそ答え!
(リンちゃん……)
Re:connectと契約できたうちの会社は、その担当になれた高橋先輩とあたしは、本当に、本当に運がいい! こんなに楽しい刺激的な素材が他にあっただろうか! メジャーデビューライブで、まさか、刺傷事件だなんて! すごいすごい! なんてすごい素材なんだろう! 怖がるメンバーの顔も、ファンの顔も、いい! いい! すごくいい素材!!!!!!
この素材で動画編集、させてくれないかなぁ!!!!
「……………………………………………」
「皆様、お待たせいたしました!」
制作進行チームの代表が、走ってきた。
「ただいま、メンバーの一人がファンの方と、少し、トラブルがあり、安全の確認のためお待ちいただきました。もう解決しましたので、安心して握手会をお楽しみください!」
「近藤さん、月子ちゃんは?」
「大丈夫! 軽い怪我! 安心して握手会続けて!」
「わかりました……」
「申し訳ございませんでした! 握手会続行します! お待たせしましたー!」
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