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番外編(高校時代)
トラブル
しおりを挟むお皿を洗っていると、横から谷先輩が手を伸ばしてきた。
「拭くよー」
「え、あ、ありがとうございます……」
谷先輩は三年生の先輩で、料理部の部長。真面目で勤勉で誠実な男子生徒だった。顔はそんなにイケメンではなかったが、好青年という名前がよく似合う、決してかっこよくはないのだけど、憎めないタイプの、優しい人だった。後輩の面倒もよく見ていて、気配りもできる、きっとこんな人と付き合える人は幸せなんだろうなと思いながら、彼をよく見ていたら——最近、この先輩のことを気になり始めていた。
(声が心地いいな)
(身長、あたしより高いな)
(谷先輩は、周りをよく見ていてすごいな)
(いっつも笑顔で素敵だな)
(彼女いるのかな?)
「谷先輩って彼女いるんですか?」
「彼女じゃなくて、嫁ならいる。ソフィアっていうんだけど」
「誰ですか」
「おとつみのソフィアを知らないのか!?」
「あー、おとつみ……あーそういう……」
「ちょ、やめて!? そんな目で見ないで!?」
ふざけるところはふざけられて、厳しくなるところは厳しくなる。
あたしは少しだけ、谷先輩と結婚したらどうなるか、という妄想を頭の中で描いてみた。きっと、谷先輩と結婚したら、きっと、谷先輩は優しいから、きっと——安定した、とてもいい家族が出来上がるんだろうな。
(あ、やっぱり)
ちょっと気になるかも。
(少しだけ)
なんか、なんとなく、ドキドキしてる、気がする。
「でもあの人浮気性だよ」
「すぐ女の子好きになるし、すぐに手出すし、ろくでもないよ!」
「はい終わり!」
谷先輩が手を叩いた音で、あたしははっとした。
「エプロン片付けて、おしまい」
「……お疲れ様でした」
「はーい。お疲れー」
エプロンと三角巾を片付け、鞄を持って、西川先輩に近づく。
「西川先輩、帰りましょう」
——一瞬、睨まれた気がした。
(え?)
「……あー、……今日さ」
「はい?」
「用事があって」
「……あ、そうなんですか」
「うん。先帰ってて」
「……わかりました」
ちぇ。今日は一人で帰るのか。
(音楽でも聞いて帰ろうかな)
イヤフォンをして、YouTubeの歌を流しながら歩いていく。聞きながら思う。あ、この歌、西川先輩に歌ってほしいな。あ、これもいい。西川先輩の声にあってそう。あ、これも素敵。全部西川先輩の声で聞きたい。
(西川先輩の歌、好きなんだよなぁ)
あたしは歌うのが苦手だから、いつも西川先輩に歌ってもらってる。でも、聴くだけでも楽しい。先輩はすごい。だって、歌詞にある言葉を、感情を乗せて、セリフのように歌うんだもん。歌手みたい。あれが、才能って呼ぶんだろうな。
(顔も良くて、身長も高くて、足も長くて、歌も上手くて、西川先輩にも欠点ってあるのかな?)
いや、あれはない。
(いいなぁー。あたしも美人になりたかったー)
ふと、前方から歩いてきたおばさんが、なぜかあたしを見つめていたことに気がついた。
(ん? なんだろう?)
影が伸びる。
(なんか、おばさんに睨まれてる……)
——背後から、知らない男に抱きしめられた。
『……もしもし。どうしたー?』
「……先輩」
『ツゥ?』
「……あの……」
『ん?』
「えっと……えーーーっと……えっと……」
『ツゥ?』
「あの、男の人に、あの、抱きしめられて」
『は?』
「なんか、あの、おばさんが、助けてくれて」
『え、待って、今どこ?』
「え、ここ……どこなんだろ……」
『どこ?』
「あの……えっと、えーっと……」
おばさんが電話を変わってくれた。
「あ、もしもし、お電話変わりました。すみません。あのー、通りすがりの者なんですけどね? ちょっと、この子がね、トラブルに巻き込まれちゃってね、仲の良い先輩だって聞いてるんだけど、……ちょっと、来られます? ええ、ええ、あのー、ひよこ公園ってわかります? あ、そうそう! そこにいるので、ああ、もちろん! 私も心配なんでね、あなたがきてくれるまでいるから、心配しないで! はい、では失礼します。ごめんください」
「……」
「先輩、きてくれるって! おばちゃん、しばらくここにいるから!」
「……すみません……」
「ううん! 大丈夫よ! ちりかみいる?」
「ぐす……」
「もうね、本当に失礼な奴だったわね! 気にしなくていいからね! お巡りさんも来てくれたし! もう大丈夫だからね!」
(*'ω'*)
大量に汗を流した西川先輩が息を切らして公園に来た。おばさんに背中をさすられるあたしに近づき、おばさんに声をかける。
「あの、先輩、なんですけど……」
「まぁ、走ってきたの? 大丈夫?」
「大丈夫です……あの……」
西川先輩の手が、あたしの肩に触れた。
「なんか、トラブルって……」
「なんかね、変な男の人が背後からこの子に抱きついてきて」
「は……?」
「で、私が、ちょっとね、大きな声でね、「何やってるのよー!」って怒ったらね、もう、すっごい逃げ足早くて! ちゃんとお巡りさんにもね、来てもらって、パトロール強化するって言ってたから」
「……」
「二人で帰れそう?」
「はい。ありがとうございました。あとは私が送っていくので」
「女の子二人だから、気をつけてね」
「ツゥ、立てる?」
あたしは西川先輩の服を握りしめた。
「……帰ろっか。ツゥ、お礼言って」
「……本当にありがとうございました……」
「とんでもない。気をつけてね」
裾をつまんでいた手を西川先輩が掴み、優しく握ってくれた。
「……」
そのまま、何も言わずに歩き出す。歩幅は、あたしに合わせてくれている。
(……本当に……怖かった……)
西川先輩があたしの手を引き、前を見て歩く。
「……」
無言が、怖くなってきた。
「……西川先輩」
あたしから、声をかける。
「あの、あたし、曲聞いてたんですけど」
違う話題、楽しい話題を。
「なんか、先輩が歌ったら絶対合うだろうなって歌が、いっぱいあって……」
思い出して、体が震えてきた。
「あの、良い歌なんです」
聞いてる最中に、背後から、
「結構、いろんな人が歌ってみた投稿してるやつなんですけど」
臭い、男の人の息が、
「えっと……あれ……何が言いたかったんだっけ? えっと、ですね……」
西川先輩が立ち止まった。あたしは、地雷を踏んでしまったのだと思って、ぎょっとした。ああ、また嫌われる! 今度は——西川先輩に嫌われる!
西川先輩が振り返った。あたしの目を見た。あたしはパニックになりかけて、後ずさろうとすると、手を掴まれて、引っ張られて、引き寄せられて——西川先輩のもう片方の手が、あたしの頬に触れた。
「無理しなくて良いって!」
「……」
「怖かったんでしょう?」
「……っ」
「ごめん、ツゥ。今日、一緒に帰ればよかった……」
西川先輩が優しく抱きしめてくれた。——良い匂いがして——ちゃんと西川先輩の匂いで——途端に、さっき止まった涙が再び蘇ったように溢れてきた。
「ごめんね。もう大丈夫だから」
「……~~っ」
「抱きつかれただけ? なんか触られたりした?」
「……わ、わかん、わかんない……!」
「そっかそっか。いいよいいよ。思い出さなくて」
鼻水と涙が、申し訳ないくらい西川先輩の服に染み付いて行く。
「怖かったね。……側にいなくてごめん」
「ぐすん! ぐすっ!」
「明日からちゃんと一緒に帰ろう? イヤフォンも、一人の時はあまりしないようにして」
「……はいっ……」
「……ツゥ、落ち着くまで側にいるから」
温かい手が、あたしの頭を撫でた。
「ゆっくりでいいからね」
「……ぐす……ぐすん……!」
すごいな。西川先輩は。後輩のためなら、汗を流すくらい走って、駆けつけてきてくれるんだから。
(あたしも……もっと強くならないと……)
西川先輩くらい、誰かのために動ける人にならないと。
(でも今は……無理……!)
「……ツゥ、自販機でなんか買う?」
「……」
「買おうよ。……あ、アイスココアがある。美味しそう」
「……」
「一緒に飲まない?」
「……はい……」
「うん。じゃ、これ飲んでさ、ちょっと無駄話して……それから帰ろっか」
西川先輩が、アイスココアの下で光るボタンを二回押した。
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