脅されて仕方なく弟子に取った青年に、殺されるはずが溺愛されている。

槿 資紀

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第十八話

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「……」

 視線。魔術指南の時間が今日もやってきて、私はいつものように支度していたのだが。

 普段なら、既にウォーミングアップの魔力トレーニングを始めているシグマが、今日に限って、私の横で腕を組み仁王立ち、そこから微動だにしない。

 まるで何か見定められているようだ。しかし、彼に咎められるような心当たりは、皆目見当もつかない。私は背中にびっしりと冷や汗をかき、彼の方を見る事すら出来ずにいた。

 今の指導方針に何か不満があるのだろうか。最大限、彼の要望を酌んで、カリキュラムを組んでいるし、私の目から見ても、彼は十分以上に魔術の腕を上げている。

 本来魔術学院で半年はかかる習熟を、その半分以下の期間でこなしてしまったのだから。

 もしや、農畜産園の運営について思うところが……? 従業員の待遇には十分気を遣っているつもりなのだが、彼の目にはそう映らなかったのかもしれない。

 私の認識が甘く、見落としがあったのだとすれば、早急に改善しなければ……勝手に空回る思考回路がヒートアップしていき、キリキリと締め付けられるような痛みが、鼓動を伝って広がっていく。

「ヒッ」

 突如、ガシリと手首をつかまれ、やや強引に引き寄せられた。思考の沼に沈んでいた意識では、咄嗟に反応することが出来ず、手を引かれた方にふらついてしまう。

「……っ、シグマ、なにを」

「爪。光源に翳すと現れる、青灰色の微細な物質変化痕……末端魔力神経が擦り切れ、細胞が許容量以上の魔力に晒されると起きる。これは治癒魔術では治せない、慢性的な魔術酷使による病変だろう」

 倒れこまんとする私の身体を支えつつ、ジロリと私を見降ろすシグマ。淡々とした言葉の羅列に、それまで考えていたことが一掃される。

「空中農園、診療所、その他もろもろ……日中、何体の分身をフル稼働させている? 今日だけで、いったい何本魔力回復ポーションを飲んだ? 人格分裂といった精神異常に、魔力の過剰消費による魔力神経不全……同時複数分裂の危険性について書かれていない魔導書はない。ポーションの乱用は内臓に大きな負担をかける。貴方がそれを知らない筈がないと思うが」

「……ハ、なんだ、そんなこと。大丈夫、魔術の指導に支障は出さないから、君が気にすることはなにも、っ……」

 突如、手首を握る力が強くなり、私は痛みに顔を顰めた。

 冗談など言っていないのに、シグマは奥歯を微かにカチカチ鳴らしながら、強烈な苛立ちをたぎらせていた。

「不用意に死んで、リュプス族に要らぬ悲しみを生むな。いたずらに悔恨を押し付けることは許さない」

「……」

「今日は帰る」

 振り切るように手首を離して、すぐさま踵を返し、シグマは言い捨てた。

 心なしか、乱暴な足取りで部屋から出ていこうとするシグマの背中を、私は呆然と見つめた。

 青天の霹靂と言うべきか、まさか、シグマからそんな指摘を受けるなんて思ってもみなかったのである。

 しかし、そんなことを言われても、滅私は当たり前のことじゃないか。

 私は償いきれない罪を抱えてここにいる。

 リュプス族の人々にこんな境遇を強いている原因の一つを作ってしまった人間が、今もなお山積する課題を目の前に、のうのうと休んでいいと?

 心配はいらない。迷惑なんてかけないと誓う。私は働いていたいんだ。片時も、休みなんていらない。

 情報の濁流に身を任せて、感傷を抱く隙間を作らず、考える必要のあることだけ考えていたい。

 少しでも我に帰ったら、私は、きっと何もかもに耐えられない、弱い人間だから。

 耳ざといシグマに聞こえないよう、コッソリため息を吐く。

 俯いて、両の手の甲をジッと見つめてみる。言われなくても分かっているさ、でも、これしきで死ねるなら、苦労はしない。

 チッ、鋭い舌打ち。びくりと肩が跳ね上がる。反射的にパッと顔を上げると、ドアノブに手をかけながらも、こちらを振り向いていたシグマとばっちり目が合った。

 と思うと、シグマはむすっとした無表情でツカツカとこちらに詰め寄ってきた。

 表情から考えが読みがたいぶん、彼の行動はいつも突飛に思えて、戸惑わずにはいられないのが常だ。

「やっぱり、信用ならない」

 シグマは、目線を右下に逸らしながら、再び私の手首をつかんだ。脳内が一斉に疑問で埋め尽くされる。

 と同時に、改めてそう言葉として突き付けられてみると、随分こたえるものがあった。

 自他共に認める臆病な性格の私が、冷徹でそっけないこの青年に、いつの間にか弟子への愛着を持っていたらしく、驚きを隠せない。

「その……君が、私のことを信用していないのは、知っているが……」

「違う。俺が今帰ったところで、貴方が仕事に手を出さず素直に休みを取るようには思えない」

「は……」

「だから、貴方が寝るまで、監視する。貴方の就寝を確認するまで帰らない。少しでも仕事に手を出そうとしたら取り上げる。俺に早く帰ってほしかったら、さっさと飯を食って風呂に入って寝ることだ」

「え、ぇ……?」

 シグマは私の手を強引に引き、それ以上何も言わずに歩き出した。私は前につんのめりながら、彼に付いていくことしか出来なかったのだった。
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