脅されて仕方なく弟子に取った青年に、殺されるはずが溺愛されている。

槿 資紀

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第十九話

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「ま、待って、ちょっと待ってくれ、シグマ。部屋、すごく散らかってるんだ。本当に、洒落にならなくて、とても君に見せられる惨状では」

 シグマは、案内したことのない私の居住スペースまでの道を、迷わず突き進んだ。どうして場所を知っているのかは分からないが、そんなことより、このまま彼を私の住処に招いてしまう事だけは看過しがたい。

 住んでいる人間が言うのもなんだが、あそこは魔境だ。私以外の誰かが足を踏み入れていい場所じゃない。

 ああ、どうすれば彼の歩みを止められる? きっと、シグマは、自分を帰らせるための口実くらいにしか私の言葉を取り合っていない。

 さっきから私も必死で彼の腕を引いて抵抗している。

 しかし、人間基準でもひ弱な私の力が、彼の剛力に敵うはずもなく、シグマは何でもないように私のことを引きずって進み続ける。

「シグマ、頼む、待って、頼むから……」

「……これ以上何か言うなら、リュプス族に仇成す秘密を隠しているのではないかと疑わざるを得ないが」

「な、ちがっ」

「なら、俺が入っても問題ないだろう」

 シグマは立ち止まった。廊下の突き当りの角部屋、私の居住スペースと廊下を隔てるドアは目の前だ。

 ああ、たどり着いてしまった。

 ドアノブに手をかける。ガチャリと音がして、シグマはためらいもなく押した。

「……」

 が、少しの隙間を見せたが最後、ガサ、という音とともに、ドアはそれ以上開かなかった。

 思わず顔を覆い、私はその場に膝をついた。

 もの言いたげな視線が上から突き刺さる。

「……その。私は、いつも転移を使うもので」

「そういう問題か?」

「部屋の片づけよりも優先すべきことがあってだね」

「どうでもいい、いいから早く」

「何が悲しくて弟子相手にわざわざ恥をさらさないといけないんだ……」

「俺は生憎、失望するほどの感情を貴方に対して抱いていない。気にするな」

「グゥ……」

 ああ、容赦が無い。もとより、彼が私への敬意でもって弟子入りを志願したわけでは決して無いことくらい、重々承知の上。

 すべては私の罪が招いた自業自得であるし、仕方のないことだ。

 しかし、分かっていても、こうも面と向かって明言されると、やはりつらい。

 いい年して泣きわめいてしまいたい気分である。

 無言の圧。なお顔を覆って彼の顔を見ようとせず、しゃがみこむ私のことを睥睨する視線。

 その冷たい棘が項に突き刺さるようで、いたたまれない気持ちがむくむくと膨らんでいく。

「どうか今日のところは勘弁してくれないか……? もう、観念した。監視が無くても、今日は仕事には手を出さずに休むから、頼む……」

「目の前に解決すべき問題があるとわかっているのに、見過ごせるとでも?」

「君の手を煩わせるほどの問題じゃないだろう……」

「それは俺の目で確かめてから判断する」

 彼が頑固な青年なのは分かっていたつもりだったが、まさかここまでとは。きっぱりとした彼の揺るがぬ意志が、締め付けるように頭を痛ませる。

 どうしてこの子は、今日に限って、私のプライベートにここまで関わろうとするんだ? 

 いくら弟子でも、そんなことをする義理なんてないのに。寝食を忘れて仕事に没頭するなんて今日に始まったことじゃない。

 不摂生に多少の不養生が加わったところで、今更惜しむ寿命なんてない私がいくら死に急ごうが、それこそどうでもいい話じゃないか。

「この分からずや……いくら私のことが嫌いでも、面目くらいは配慮してくれたっていいじゃないか……」

「嫌われている相手にそこまで体面を気にしたがる貴方の気が知れない」

「それはっ……嫌われていても、私が君のことを嫌う筋合いはない。面倒を見ている弟子のことを嫌う師匠なんていないだろう」

 まあ、彼は面倒なんてめったにかけない、師匠甲斐のない弟子だが。

 それでも、私の指導を貪欲に吸収し、目覚ましい成長を見せてくれる彼を憎からず思うのは、至極当然の話ではないだろうか。

 その上、私の仕事は彼の支えあって成り立っている部分が大きい。

 どんな用事を頼んでも嫌な顔ひとつせず(彼の場合どんな時も表情が変わらないだけだが)、何でも無いような顔で完璧以上に完遂してくる彼に、好感を持ちこそすれ、嫌うほうが難しい話だ。

 まあ、不甲斐ない話、彼への怯えはいつまでも拭い去れないが。

「……」

 無言。しかし、彼からの視線に、先程までのような圧がない。

 気になり、ふと顔を上げると、シグマはあっけにとられたように目を見開き、未確認生物を目の当たりにしたような目でこちらを見下ろしていた。

 何もおかしなことは言っていないのに、そんな目を向けられても困るのだが。

「なにか……」

「……別に。貴方の恥じらいを覚える琴線が甚だ理解できないと思っただけだ」

「ふむ、汚部屋を晒すよりも、事実を述べる方が恥ずかしいことだと君は思うのか。興味深いな」

「ハァ……」

 これ見よがしな嘆息である。何か言いたいことがあるなら濁さずにはっきり言ってくれたらいいのに。

 こちとら、兄と対面すれば、二言目には、魔術への造詣に全振りして情緒の発達しなかった研究馬鹿がと罵られる男だぞ。

 どんなことを思ったのか、その時々ごとはっきり口にしてもらわないと、何も分からない人間なんだ、私は。

「……俺は、別に、このままここで朝まで粘っても構わないが。貴方は、こんな大人気のない駄々に、弟子をいつまで付き合わせるつもりだ? こういう場合、どちらが聞き分けるのが筋か、俺は知らないものでな。是非、師匠としての立場から、この弟子に、ご教示願いたい」

「リュプシーの辞書に容赦という文字はないのかっ」

「そこに無ければ無い」

「探すそぶりすらないとは恐れ入ったな……」

 どう転んでも師匠としての面目は丸つぶれ。

 ならば、絶対に意思を曲げるつもりのない彼の目的を果たしてやり、早く帰らせて休息を取らせるのが、師匠として取るべき判断。

「一つだけ言わせてもらうと、普段はもう少しマシなんだ。今朝は少し時間に余裕がなくて、昨晩散らかしたものが残ってしまっているというだけで……」

「決心がついたのならゴタゴタ言わず早くしてくれないか」

「はい……」

 この、徹底的なまでに私への情けが欠けた感じ、兄からの態度によく似ている。

 何年も会っていない彼を現実逃避気味に懐かしみながら、私は、急かすようにこちらに手を差し出す、絵に描いたようなジト目のシグマの手を取り、目を閉じた。
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