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第二十話
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ふたたび目を見開けば、そこは見慣れた、私という人間性の掃きだめがあった。
まだ、辛うじて足の踏み場があるベッド付近に着地し、ベッドの上に散乱する資料や、昨日目を通した薬草の苗のカタログなんかを、いったん魔術で蔵書室まで転送する。
「差し支えなければ、ここに座って待っててくれるか。何とか足の踏み場を増やすから。それか、今すぐ見なかったことにして帰ってもらっても構わない」
隣に立ちすくむ彼の顔なんて見ることも出来ず、私は杖を振りながらまくし立てる。
ひとまず、昨晩までに書き散らかした術式演算のはした書きが積み上がった山を、屋外の焼却炉まで転送、これだけでも随分床が見えるようになってくれるのだ。
その後は、部屋中あちこちに散乱する、数えきれないほどのガラス瓶に魔力を注ぎ、急ごしらえでスライム型ゴーレムを複数体錬成、散らばった雑多なゴミや埃などを適当に吸収させる。
まだ直視に耐えうるくらいに整理がついたらば、複数体のゴーレムをひとまとめにし、圧縮。こぶし大の灰色のキューブになった高密度のガラスは、適当に部屋の隅に積み上げる。
今日はシグマとの魔術の指南が中止になったため、残存魔力に余裕があり、大規模な一掃作業に取り掛かることができた。
普段はこうもいかない。魔力量には自信があるが、だからといって無限ではない。
色々と優先順位をつけて日々のタスクをこなしていれば、部屋に帰って休むころには、魔力などすっからかんなのだ。
自分の住環境の整備などのためにわざわざクソマズ魔剤なんて飲みたくないし、また明日でいいか、なんてことを繰り返しているうち、ベッド回りくらいしか足の踏み場が無い汚部屋が出来上がってしまったというわけである。
「……色々言いたいことはあるが、何故部屋の掃除なんかに、超高度魔術を乱発するんだ? こまめに整理整頓をすれば、わざわざ魔術を使わなくても、片づけくらい片手間で出来るだろう」
「出来る側にとっては、そうなんだろうな。本当に、尊敬する。例えそれが自分のことでも、人間の世話が出来る人は、それだけで誇るべきだと思う」
「逆に貴方は今までどうやって生きてきたんだ」
「生家は何十人も住み込みの使用人を雇っていた。魔術学院の寮にも、研究所の寮にも、ハウスキーパーが常駐していた。恥ずかしい話、この年になるまで、常にだれかに家事の面倒をみてもらっていたんだ。魔術師は、魔術の求道以外に思考リソースを割くべからず、なんて観念が蔓延っていた環境で育った結果がこれだ。反面教師にするといい」
面白いほどの沈黙に思わず横を見れば、そこには未確認生物を目の当たりにしたような目でこちらを見つめる年下の青年。
こればっかりは身に覚えがありすぎて、苦笑するしかない。
ハァ、と大きくため息を吐きながら、シグマはドサッと後ろのベッドに腰掛けた。
片手で口元を押さえ、ケンケンと控えめに咳き込む。その眉間にはくっきりと不快感が刻まれていた。
私は、まさかハウスダストだろうか、などと思い、急いで室内の空気を入れ替えた。それか、普段住んでいると気づかない異臭があるのかもしれない。
年頃の青年に「くさい」などと思われたら最後、心の奥底を取り返しのつかないほど抉られて二度と立ち直れないだろう。
「酒、酒か、あのガラスキューブの山から、特に匂う……まさか、さっきまで部屋に散らかってたのは、全部酒瓶か?」
絞り出すような声だった。吐き気を堪えているのだろうか、リュプス族は五感が人間よりも数段優れ、その中でもさらに嗅覚が鋭い。
そのため、私は診療所を開業してから、特に清潔感と体臭に気を遣っている。ただし、この部屋には私以外が入る想定をしていないため、例外である。
「すまない、すぐに消臭の魔術を」
「いい。これ以上魔力を浪費しないでくれ。そんなことより」
「あ、ああ。あれは、君の言う通り、すべて酒瓶だったものだが……」
「あのガラスキューブ1つには何本分が圧縮されている?」
「あー、……3ダースほど、か?」
「半年で、あれだけの量飲んだのか……!?」
「いや……流石に、月に一度はまとめて処分している」
「は……!?!? まだ月半ばだぞ!!」
「え、ああ、そう……だな」
「そうだな、ではない! どんなに弱い酒でもその量は非常識だろう……!」
「これでも、最近は減った方なんだ。部屋に戻るころには魔力は枯渇状態だし、そこまで飲まなくても眠れるようになったから」
絶句。未確認生物への眼差しに拍車がかかる。
いや、これは、どちらかと言えば……救いようのないものへ向ける、万感渦巻くあまり感情の整理がつけられない、大きな混乱か。
確かに、非常識な量と言われたら否定のしようがない。
元々酔えない体質のところを、前後不覚になるまで深酒するには、相当量のアルコールが必要なのである。
深酒をしたうえで、とどめに睡眠導入魔法薬を酒で流し込み、気絶でもしなければ、いつまでも入眠できないのだから、仕方ないだろう。眠れないよりはマシだ。
「まさか、毎晩遠回しに自殺を図っているのか?」
「そんなわけないだろう。死ぬつもりならもっと確実な方法を選ぶ。それに、自分が死ぬことを認められたのなら、とっくにそうしている」
「だとしたら、余程、正気の沙汰とは思えない!」
何を分かり切ったことを、今更。
死んで楽になれるのなら、それで、この罪の意識から逃れられるなら、どんなにいいだろうか……目を閉じれば、瞬く間に去来し、頭を埋め尽くす感情。
救われたい、なんて。自分がどんなに悍ましい欲求を抱いているか、どんなに許されざる感情を抱いているか。
夜の静寂は饒舌に私を苛む。
だから、私は生きるために酒を浴びるのだ。間違っても、楽になんてならないように。
正気など最初に捨てた。取り戻そうとは思わない。
「心配はいらない。大丈夫、これで、大丈夫なんだ、シグマ。むしろ、こうでなければ、私は」
「ふざけるな!!!!」
びりびりと部屋の空気が痺れるほどの罵声。咆哮と言ってもよかった。
雷に打たれたような衝撃に呆然としていれば、シグマはキッと立ち上がり、私の胸倉をつかみあげた。
彼の静謐な蒼穹がキュウと縮こまり、茹るように揺れていた。
「貴方が、そんなに無責任な男だとは思わなかった……っ! この地における、自身の存在について、そこまで無自覚でいるとは思ってもみなかった! どうして、どうして貴方のような救いようのない愚か者が、この地に住まうリュプス族の命綱になってしまったんだ!? 自分の面倒すらまともに見れない人間が、俺たちの面倒を見ていたなんて……ああ、業腹だ、俺たちを馬鹿にしているのか。貴方の存在がないと、俺たちは、生活を営むこともままならないなんて!」
普段、あんなにも寡黙で、感情を容易く表に出さない彼の激昂が、轟雷のように降りかかる。
いっそ、恍惚としてしまいそうなほど清々しい、純然たる怒りだ。
自然、四肢の力が抜けていき、へたり込もうとする私の身体を支えるのは、胸倉をつかんだ彼の腕だけ。
ああ、そうか。真実、私が欲しかったのは、救いなどではない。
こんなに息がしやすいのは、自らの罪を知ったあの日以来、初めてだ。
彼の怒りが、彼の、私を決して許さぬという強い意志が、これ以上ないほどに快い。
誰よりも、私を許さないでいてくれる、彼がいたならば。私は、成すべきを成すまで、生きながらえることが出来るだろう。
「貴方が狂うことを許さない。マトモな頭と、マトモな体で、自分の罪と責任に向き合え。その行いの罪深さ、醜悪の独善の姿から、一瞬たりとも目を逸らそうとするな」
シグマはそう言い放ち、私をベッドめがけて突き飛ばした。フウフウと荒く昂り、上下する彼の肩の動きに、えも言われぬ情動を覚え、込み上げる涙に喉奥が引き攣る。
「私は弱いから、逃げないように、君が、見張っていてくれないか、シグマ」
俯いた私の情けない声に、シグマは苛立たしげな舌打ちをひとつ返すのみで、やがて私の目の前から立ち去ってしまう。
いかないでくれ、なんて、口が裂けても言えなかった。
まだ、辛うじて足の踏み場があるベッド付近に着地し、ベッドの上に散乱する資料や、昨日目を通した薬草の苗のカタログなんかを、いったん魔術で蔵書室まで転送する。
「差し支えなければ、ここに座って待っててくれるか。何とか足の踏み場を増やすから。それか、今すぐ見なかったことにして帰ってもらっても構わない」
隣に立ちすくむ彼の顔なんて見ることも出来ず、私は杖を振りながらまくし立てる。
ひとまず、昨晩までに書き散らかした術式演算のはした書きが積み上がった山を、屋外の焼却炉まで転送、これだけでも随分床が見えるようになってくれるのだ。
その後は、部屋中あちこちに散乱する、数えきれないほどのガラス瓶に魔力を注ぎ、急ごしらえでスライム型ゴーレムを複数体錬成、散らばった雑多なゴミや埃などを適当に吸収させる。
まだ直視に耐えうるくらいに整理がついたらば、複数体のゴーレムをひとまとめにし、圧縮。こぶし大の灰色のキューブになった高密度のガラスは、適当に部屋の隅に積み上げる。
今日はシグマとの魔術の指南が中止になったため、残存魔力に余裕があり、大規模な一掃作業に取り掛かることができた。
普段はこうもいかない。魔力量には自信があるが、だからといって無限ではない。
色々と優先順位をつけて日々のタスクをこなしていれば、部屋に帰って休むころには、魔力などすっからかんなのだ。
自分の住環境の整備などのためにわざわざクソマズ魔剤なんて飲みたくないし、また明日でいいか、なんてことを繰り返しているうち、ベッド回りくらいしか足の踏み場が無い汚部屋が出来上がってしまったというわけである。
「……色々言いたいことはあるが、何故部屋の掃除なんかに、超高度魔術を乱発するんだ? こまめに整理整頓をすれば、わざわざ魔術を使わなくても、片づけくらい片手間で出来るだろう」
「出来る側にとっては、そうなんだろうな。本当に、尊敬する。例えそれが自分のことでも、人間の世話が出来る人は、それだけで誇るべきだと思う」
「逆に貴方は今までどうやって生きてきたんだ」
「生家は何十人も住み込みの使用人を雇っていた。魔術学院の寮にも、研究所の寮にも、ハウスキーパーが常駐していた。恥ずかしい話、この年になるまで、常にだれかに家事の面倒をみてもらっていたんだ。魔術師は、魔術の求道以外に思考リソースを割くべからず、なんて観念が蔓延っていた環境で育った結果がこれだ。反面教師にするといい」
面白いほどの沈黙に思わず横を見れば、そこには未確認生物を目の当たりにしたような目でこちらを見つめる年下の青年。
こればっかりは身に覚えがありすぎて、苦笑するしかない。
ハァ、と大きくため息を吐きながら、シグマはドサッと後ろのベッドに腰掛けた。
片手で口元を押さえ、ケンケンと控えめに咳き込む。その眉間にはくっきりと不快感が刻まれていた。
私は、まさかハウスダストだろうか、などと思い、急いで室内の空気を入れ替えた。それか、普段住んでいると気づかない異臭があるのかもしれない。
年頃の青年に「くさい」などと思われたら最後、心の奥底を取り返しのつかないほど抉られて二度と立ち直れないだろう。
「酒、酒か、あのガラスキューブの山から、特に匂う……まさか、さっきまで部屋に散らかってたのは、全部酒瓶か?」
絞り出すような声だった。吐き気を堪えているのだろうか、リュプス族は五感が人間よりも数段優れ、その中でもさらに嗅覚が鋭い。
そのため、私は診療所を開業してから、特に清潔感と体臭に気を遣っている。ただし、この部屋には私以外が入る想定をしていないため、例外である。
「すまない、すぐに消臭の魔術を」
「いい。これ以上魔力を浪費しないでくれ。そんなことより」
「あ、ああ。あれは、君の言う通り、すべて酒瓶だったものだが……」
「あのガラスキューブ1つには何本分が圧縮されている?」
「あー、……3ダースほど、か?」
「半年で、あれだけの量飲んだのか……!?」
「いや……流石に、月に一度はまとめて処分している」
「は……!?!? まだ月半ばだぞ!!」
「え、ああ、そう……だな」
「そうだな、ではない! どんなに弱い酒でもその量は非常識だろう……!」
「これでも、最近は減った方なんだ。部屋に戻るころには魔力は枯渇状態だし、そこまで飲まなくても眠れるようになったから」
絶句。未確認生物への眼差しに拍車がかかる。
いや、これは、どちらかと言えば……救いようのないものへ向ける、万感渦巻くあまり感情の整理がつけられない、大きな混乱か。
確かに、非常識な量と言われたら否定のしようがない。
元々酔えない体質のところを、前後不覚になるまで深酒するには、相当量のアルコールが必要なのである。
深酒をしたうえで、とどめに睡眠導入魔法薬を酒で流し込み、気絶でもしなければ、いつまでも入眠できないのだから、仕方ないだろう。眠れないよりはマシだ。
「まさか、毎晩遠回しに自殺を図っているのか?」
「そんなわけないだろう。死ぬつもりならもっと確実な方法を選ぶ。それに、自分が死ぬことを認められたのなら、とっくにそうしている」
「だとしたら、余程、正気の沙汰とは思えない!」
何を分かり切ったことを、今更。
死んで楽になれるのなら、それで、この罪の意識から逃れられるなら、どんなにいいだろうか……目を閉じれば、瞬く間に去来し、頭を埋め尽くす感情。
救われたい、なんて。自分がどんなに悍ましい欲求を抱いているか、どんなに許されざる感情を抱いているか。
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だから、私は生きるために酒を浴びるのだ。間違っても、楽になんてならないように。
正気など最初に捨てた。取り戻そうとは思わない。
「心配はいらない。大丈夫、これで、大丈夫なんだ、シグマ。むしろ、こうでなければ、私は」
「ふざけるな!!!!」
びりびりと部屋の空気が痺れるほどの罵声。咆哮と言ってもよかった。
雷に打たれたような衝撃に呆然としていれば、シグマはキッと立ち上がり、私の胸倉をつかみあげた。
彼の静謐な蒼穹がキュウと縮こまり、茹るように揺れていた。
「貴方が、そんなに無責任な男だとは思わなかった……っ! この地における、自身の存在について、そこまで無自覚でいるとは思ってもみなかった! どうして、どうして貴方のような救いようのない愚か者が、この地に住まうリュプス族の命綱になってしまったんだ!? 自分の面倒すらまともに見れない人間が、俺たちの面倒を見ていたなんて……ああ、業腹だ、俺たちを馬鹿にしているのか。貴方の存在がないと、俺たちは、生活を営むこともままならないなんて!」
普段、あんなにも寡黙で、感情を容易く表に出さない彼の激昂が、轟雷のように降りかかる。
いっそ、恍惚としてしまいそうなほど清々しい、純然たる怒りだ。
自然、四肢の力が抜けていき、へたり込もうとする私の身体を支えるのは、胸倉をつかんだ彼の腕だけ。
ああ、そうか。真実、私が欲しかったのは、救いなどではない。
こんなに息がしやすいのは、自らの罪を知ったあの日以来、初めてだ。
彼の怒りが、彼の、私を決して許さぬという強い意志が、これ以上ないほどに快い。
誰よりも、私を許さないでいてくれる、彼がいたならば。私は、成すべきを成すまで、生きながらえることが出来るだろう。
「貴方が狂うことを許さない。マトモな頭と、マトモな体で、自分の罪と責任に向き合え。その行いの罪深さ、醜悪の独善の姿から、一瞬たりとも目を逸らそうとするな」
シグマはそう言い放ち、私をベッドめがけて突き飛ばした。フウフウと荒く昂り、上下する彼の肩の動きに、えも言われぬ情動を覚え、込み上げる涙に喉奥が引き攣る。
「私は弱いから、逃げないように、君が、見張っていてくれないか、シグマ」
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