クールな義兄の愛が重すぎる ~有能なおにいさまに次期当主の座を譲ったら、求婚されてしまいました~

槿 資紀

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第十一話 新天地

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 ノルムは緑豊かな山岳地で、それでいて放牧に適した草原や、水源にも恵まれた、非常に良い土地でした。

 お母様のおっしゃる通り、土地柄も人柄も穏やかで、王都から突然やってきた僕も、おおらかに受け入れてくださいました。

 大叔父様はご高齢ですが、虚弱体質をそこはかとなく引きずる僕よりもよほど気力豊かで、闊達として、聡明な方でした。

 常に領民の皆さんのことを第一に慮り、いかに彼らの暮らし向きを豊かにして、働きやすい環境を作るかについて、たゆまず考えていらっしゃいます。

 大叔父様ほどの方のもとで、至らぬながらも精一杯お支えしながら、領地経営のいろはを学べるなんて、なんて恵まれたことだろうと思います。

 そして、幸運なことに、僕の魔力とノルムの土地はどうやら相性が良かったようです。

 僕の錬成した魔鉱石は、土壌の魔力を補い、純粋な肥料としても使え、また虫害や獣害の対策に応用することもできました。

 その上、水源地である山岳地にはどうしても避けられない、地滑りの対策にも、僕の魔法は役立ってくれました。

 地属性の魔力は、大地の持つ魔力を感知するのにも長けていたようで、先手を打つ形で地盤の強化を行い、被害を最小限に抑えることができたのです。

 領民の皆さんにも、来てくれてよかったと、数えきれないほどの感謝を頂きました。

 彼らの朗らかな笑顔は、僕の心に根付いた自己嫌悪を和らげる、唯一の鎮痛剤で……末永く、この笑顔を守っていきたいと、そう思いました。

 ノルムに来てから、僕の生活は、悩む暇もないくらいに目まぐるしく、充実したものになりました。

 領民の皆さんから寄せられる困りごとにリアルタイムで駆けつけて、解決のために奔走する毎日です。

 大叔父様も「のびのびおやり、本当に助かっているよ」と事あるごとに労わってくださり、底なしのやりがいが湧いてくるのです。

 日が落ちるころには体力も尽き果て、悪夢も寄り付かないほどの熟睡で朝まで一直線。日に日に気持ちも頭も冴えわたり、まるで自分が別人になったようだと、感動しきりでした。

 そうして、気付けば、僕がノルムに来てから三年の月日が経っていました。

 ノルムに来てから食欲も旺盛になり、乗馬が趣味になりました。

 ちんちくりんだった体ですが、身長もいくらか伸び、筋骨は見違えるほど強くなったと思います。

 とは言え、一般男性の体型と比べたら、細っこいとしか言いようがないのでしょうが。

 それでも、これならもう、お嬢様扱いを受けなくて済むのではないでしょうか。

 空き教室に引きずり込まれ、押し倒されかけたこともありましたが……今ならきっと、そう取り乱すこともなく、淡々と対処できるのではないかと思います。

 少なくとも、あの記憶にいちいち身の竦むような恐怖が伴うことは、もうなくなりました。

 こうして、少しずつ、かつての記憶を乗り越えていくのでしょう。

 おにいさまへの想いは、いつまで経っても消化できないまま、心に残り続けるのでしょうが……その痛みも含めて、受け入れられるようになる日も近いだろうと、いっそ暢気に思い始めていました。

 そのはずだったのですが。

 領民から呼び出しがかかるまで、大叔父様のデスクの書類を整理しておこうと、執務室に何気なく足を踏み入れた、ある昼下がりのことでした。

 デスクの上に散乱した書類に紛れた、三日前の新聞がふと目に入り、手に取りました。

 見出しは、イェント騎士団の若き副団長、堂々凱旋! というもの。他でもない、おにいさまが主役の一面でした。

 なんでも、昨今大陸において猛威を振るう異民族の帝国による侵攻を、イェント騎士団率いる軍勢が見事に撃退。

 特におにいさま率いる中隊が、最小限の消耗で敵の中枢拠点を壊滅させ、降伏に導いたらしいのです。いわゆる、大手柄。

 名実ともに、おにいさまは、我が国の英雄となられた――ジワリと、ぬるい感慨が胸に広がりました。

 やはり、僕がいなくなれば、すべてが丸く収まったのだ、と。安堵というには、どこかほろ苦さの否めない、形容しがたい感情が渦巻きました。

 記事を読む間、いつのまにか止めていたらしい息を、ゆっくりと吸い込みます。

 そして、一気に鼻から息を吐いて、煩悶を振り払うように首をグルグルと回しました。

「んブフッ……」

 しかし、気を取り直して、それとはなしにめくってみた次のページは、一面の大見出し以上に僕の心をかき乱しました。

 飲みこみ損ねた生唾が気道に入り、僕はあえなく床にしゃがんで咳き込みました。

 かき乱すというと、語弊があるかもしれません。どちらかと言えば、混乱というか、拍子抜け、と言い表すのが近いでしょうか。

『麗しの次期公爵に数々の浮名アリ⁉ 氷の心臓を射止める者は誰だ! 徹底解剖スペシャル』……とまあ、いかにもな、下世話な文字の羅列です。

 清廉潔白・質実剛健を尊ぶ風紀の鬼こと、金獅子アウレール・シャイデンの印象から、どうしてこんな発想が飛び出すのだろうとも思いますが、それもひとまず置いておいて。

「ラヴィーナさまとの縁談の話はどこへ……?」

 ラヴィーナさまは、何としてでも僕をイェントから排除せんと、執念深く僕を追いつめてきました。すべては、おにいさまと結ばれるために。

 ラヴィーナさまの執念に、僕はひたすら肩身の狭い思いをさせられました。

 後ろ指をさされ、身に覚えのない風評に心をすり減らされ、ついには屈したというのに。

 結局、婚約しなかったなんて。それでは、僕はいったい何のためにあそこまで苦しんだのでしょう。一生分の苦渋と辛酸を味わいました。

 それも、無意味だったというのでしょうか。

 徒労感、その一言に尽きます。結果的に、僕は自分を必要としてくださる、かけがえのない居場所を見つけましたから、今更何を思っても栓無き事なのでしょうが。

 そうです、全ては他人事。僕にはもう関係のないことです。

 事実、次代のイェント公爵として文句のつけようのない実績を上げ、おにいさまは広く国民の支持を得ていることでしょう。

 あるべきイェントの姿が実現したのですから、僕はささやかながら確かな仕事をしたのだと思えばいいのです。

「でも……そんなこと、あります……? あんまりではないでしょうか、女神様……」

 いいのですけれど、いいのですが。もう、過ぎたことですから。

 正直、おにいさまがラヴィーナさまとご結婚なさるのも、それはそれで目も当てられなかったでしょうし。

 急に、全身の関節に重りを付けられたような心地がしました。

 失望というか、興ざめというか。本当に、なんだったのでしょう。僕を苦しめるだけもがき苦しませておいて、肝心の事を仕損じるなんて。

 苦しんだ甲斐がない、というのもおかしな話ですが。

「はあぁ~~~~~~……」

「リエル? どうしたんだい、そんなところに蹲って……大丈夫かね? もしや体調が」

 ふいに、背後から声をかけられ、僕は飛び上がるようにして立ち上がりました。

 大叔父様は心配性のきらいがありますから、僕が少しでも元気のない素振りを見せると、めくるめく過保護が発動し、大変なことになるのです。

「っ、大叔父様! 申し訳ありません……! 僕は元気です!」

「おお、そうか……それならいいのだが。ところで、リエル。君に相談があるのだが、聞いてくれないかい」

「はい、勿論です」

 大叔父様は、コツ、と杖をつかれ、ゆっくりと執務室に足を踏み入れなさいます。僕は飛びつくようにその傍らに立ち、大叔父様の歩みを支えました。

 大叔父様は、おっとりとしたご様子で、デスクに着席なさいました。僕はそのまま傍らから離れ、デスクを挟んで大叔父様と向き合いました。

「おお、いつもすまないねぇ、ありがとう」

「とんでもございません。ところで、ご相談とは……」

「ふむ……それがだね、さっきまでいつもの通商と話をしていて、教えてもらったのだが。王都から見て北西のあたりにある、レドナード、わかるかい」

「はい、我が国最大の穀倉地帯と認識しております」

「その通り。我が国の食料供給の大部分を担っているだけあり、レドナードは農業技術の先進地でもあってね。最近、そのレドナードで、新たな耕作技術が編み出されて、結果収穫高が去年の三倍にもなったそうなんだ。是非、ノルムでも導入できないものかと思ってねぇ。しかし、私はこんな足なものだから、長旅はちと苦しい……リエル、私の代わりに視察へ行って来てはもらえないかな」

「ええ、はい、そういうことでしたら、是非、僕が行ってまいります」

「おお、助かるよ、ありがとう。いい機会だから、現地で一週間ほどゆっくり過ごしておいでなさい。視察はそのうちの一日を使ってくれたら、後は自由に羽を伸ばして、ねぇ。若いのだから、たまにはたんと遊ばなきゃ、張り合いが無いってものだ」

 そう言って、大叔父様は、どう考えてもその半額で事足りそうな視察経費を下さり、「使い切るまで帰ってきてはいけないよ」と茶目っ気たっぷりにウインクして送り出してくださいました。

 僕は恐縮しつつも、ありがたく受け取り、レドナードへの旅の支度に取り掛かりました。

 すっかり浮かれて、楽しみに舞い上がっていたその時の僕は、想像だにしませんでした。

 まさか、その旅の行く先に、思いがけない再会が待っていることなど。
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