クールな義兄の愛が重すぎる ~有能なおにいさまに次期当主の座を譲ったら、求婚されてしまいました~

槿 資紀

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第十六話 出会い(sideアウレール)

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 ふと、我に返った。息も絶え絶えに、ちいさな呻き声を漏らして全身を痙攣させていた彼の反応が、不意になくなってしまったからだ。

 肩まで伸びたやわらかな栗毛が、しっとりと肌にまとわりついていた。かつて、陶器のように透き通る真っ白な肌が眩しかった彼。

 見るも無残な姿とは、このことだった。公爵家を出奔し、隠遁して三年が経ってなお、嫋やかさと高潔さを併せ持つ独特の雰囲気は健在であったが――俺のような人の形をした獣に食い荒らされ、もはや見る影もなく、凄絶なありさまを、あられもなく晒している。

 胸のすく思いがした。たまらない悦楽が込み上げた。しかし、俺の全身を支配するのは、やはり、息の詰まるような重い絶望感だった。

 リエル・シャイデンは、俺にとっての聖域だった。決して侵してはならぬ、誰にも侵させてはならぬ、必ず守らなければならない、ただひとつの幽玄な灯だった。

 俺にとっては、王家などよりもよほど、忠誠を捧げ、守り慈しむべき尊貴の存在。そんなリエルを、俺はこの手で辱め、取り返しのつかないところまで穢してしまったのだ。

 こうすれば、心の穴が埋まるものとばかり思っていた。こうでもしなければ、あの日以来、絶えることなく全身に纏わりつく虚無感を振り切ることは出来ないのだと。

 しかし、どうだろう。手ごたえというものがまるでない。彼を逃がさないようにするのは簡単だ。それなのに、彼を取り戻したものとは、どうしても思えないのだ。

 自分だけのリエルであって欲しい。リエルだけの俺でありたい。きっと俺は、致命的に、やりかたを間違えてしまったのだと、そう悟った。

 俺の両親は不仲で、家庭は冷え切っていた。父は裕福な貿易商の次男で、母は子爵家の一人娘。政略的な意図によって結ばれた婚姻ゆえに愛はなく、貴族と平民の間に横たわる価値観の差は隔絶的だった。

 愛のない夫婦の間で、義務的に交わされた契りによって生まれた息子に、父は無関心で、母はいたく煙たがった。俺はその冷たさを冷たさと知ることもなく、無感動に日々を過ごした。

 十歳の冬、母が不慮の事故でこの世を去った。父は入り婿ゆえに爵位の継承権はなかったが、ゆくゆくは爵位を継ぐ俺の繋ぎとして、暫定的な継承が認められた。

 母の喪が明けるのを待たず、父は外に作った愛人と、その間にもうけた息子を家に迎え入れた。家に俺の居場所はなくなり、使用人に仕事をおしつけられ、物置で寝起きする生活が始まった。

 父と愛人と、腹違いの弟の和気あいあいとした団らんを、冷たい廊下を掃除しながら、毎日目の当たりにした。そこには、俺の知らない、あたたかな光があった。いやに胸をざわめかせる光景だった。

 毎夜毎夜、あの温かい光に焦がれ、悪夢を見た。俺にとって、その光景は、沼底から見上げる極北の星のように、遠く手の届かないものだった。

 そんな生活を三年弱ほど続けたある日、父が屋敷を担保にしてまで投資した貿易船が沈没した。たちまち他の事業にも差しさわりがあり、困り果てた父のもとに現れたのが、のちの俺の義父となる、イェント公爵の使者だった。

 使者は、父の投資の失敗と、莫大な借金の噂を聞きつけ、やってきたようだった。借金を肩代わりすることと引き換えに、跡取りをイェント公爵家で引き取ろうという申し出だった。

 父は少しも迷うことなく、俺をイェントに差し出した。むしろ、俺という負債まで一気に片付いて清々するといった態度だった。

 もとよりそう期待していたわけではないが、曲がりなりにも血のつながった父親だ。実の息子であるというところは、弟と何も変わらないはず。それが、どうして弟は愛されて、俺は捨てられるのだろう。

 殆ど言葉も交わしたことのない弟に、全てを奪われたような気分に苛まれて、俺は生まれ育った家を後にした。

 どうすれば、俺は弟のように愛されたのだろう。どうすれば、俺は光の中で生きられるのだろう。答えの出ない問いに苛まれながら、俺はイェント公爵家に招き入れられた。

 初対面のイェント公爵は、どこかすまなそうに眉を下げ、俺に向かって笑いかけてくださった。そして、ぼさぼさの髪を厭うこと無く、優しく頭を撫でてくださった。

「急に家族と引き離して、こんな場所まで連れてきてしまって、すまなかった」

 俺は、何と返していいかわからなかった。今までに、俺の内心を慮ったような言葉をかけてくれる人など、俺の人生には誰ひとりとしてなかったからだ。

「きみは覚えていないだろうが、一度だけ、きみとは会ったことがあるんだ。母君の葬儀の時になるが……肉親を亡くしたばかりだというのに、冷静に受け答えをする、気丈な少年だと思ったのをよく覚えている」

「……それ、は」

 母が死んだからって、俺の感情は少しも動かなかったから。物心ついてからも、母と言葉を交わしたのは、片手でおさまるほどの機会しかなかった。同居しているだけの他人といっても過言ではなかったのだ。

 口ごもって俯く俺を見て、公爵はクスリと笑った。そして、俺と目線を合わせるように屈んで、思いもよらないことをおっしゃった。

「きみを招いたのは他でもない。私は、きみに、イェントの一員となってもらいたいんだ」

「え……」

「私には息子がひとりいるんだが、どうにも体が弱くてな。国中の医者にあたってはいるのだが、誰も彼も口を揃えて、成人まで生きていられる可能性は低いと。私はそうは思わないのだが、とは言え病状は思わしくない」

 公爵の、太陽の化身のような眼差しが、憂いを帯びて伏せられた。その時の鼓動の高鳴りを、今でも鮮明に思い出せる。俺の人生の何かが変わるという確信が、全身を貫くようだったから。

「息子に先立たれるとは、私も妻も、微塵も思っていない。しかし、だからこそ、心配なんだ。いつ私が戦場で不覚を取り、この屋敷に帰ってこれなくなるかわからない。どうあれ、いつまでも、父親として、あの子を庇護していられるとも限らないんだ。私は、イェント公爵として、父親である前に、国王陛下の第一の剣たらねばならないから」

「……はい」

「きみをひと目見た瞬間、直感したんだ。もし、私の息子を、イェントの名を預けられるとしたら、きみしかいないと。手前勝手な願いを押し付けて本当にすまない。どうか、私に代わって、私たちの最愛の息子を守ってやってはくれないだろうか」

 なんて温かい光だろうと思った。彼の息子を守る人間になれば、俺も光の中で生きていけるのではないだろうかと、期待が止まなかった。

 あまりに抗いがたい大きな手。俺はそう躊躇わず、頷き返した。公爵は俺を抱き寄せて、ありがとうと何度も繰り返した。

 それから、俺は身なりを整えてもらって、公爵夫妻と食事を取りつつ、これからの事を教えてもらった。俺は公爵家の養子になるということ、夫妻の実子は、名をリエルといい、俺のふたつ年下の十一歳で、正式に公爵家に養子に入った後は、義弟になるということ。

 義弟が公爵家を継げる見込みは殆どなく、ゆくゆくは、俺が公爵位を継ぐことになるだろうと言うこと。

 その話をした時の、夫人の表情の翳りが、目の奥にいたくこびりついた。俺をどこまでも気遣って、優しく微笑みかけてくださっただけに、自分が「奪う」立場の人間になってしまったことを痛感し、罪悪感が込み上げた。

 義弟は、俺の事をどう思うだろうと不安になった。間違いなく、誰からも愛され、想われている……光の中に生まれた存在。どうしても、腹違いの弟の存在が脳裏にちらついた。

 俺があの弟に抱いた無念を、義弟にも抱かれるのではないかと。そんな恐怖を抱えて、翌日、俺はリエルと対面することになるのだった。
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