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「……そんな、信じられないっ。俺を脅すために、わざと危険な目に合わせたわけ?! どうしてそんな……ひどいよ、俺、ハインツのこと信じていたのに!」
「危機感を持ってもらうためだ。自分がいかに危険に晒されているのか、市井で暮らすということがアマネにとっていかに危険なことなのかを知ってもらうには、実際に自分で体験することが最も効果的だった」

 ハインツが言うには、天音には今でもかなりの数の護衛がつけられているらしい。

 確かにここしばらく、天音は幾度となく危険な目に合ってきた。しかし、命の危険に繋がりそうな深刻な危機からは、護衛たちの手によってすべて回避されていたのだそうだ。

 凄腕の暗殺者は事前に捕らえられていた。
 弓矢が放たれた直後に軌道はずらされていて、天音には当たらないことが予測されていた。
 倒れかかる本棚も朽ちたテラスの手すりも落下する植木鉢も、天音に被害がでると判断されたなら護衛がすぐに庇えるように近くで待機していたのだという。

 そもそも、あらゆる物理攻撃と魔法攻撃と状態異常を防ぐ効果が付与されたアクセサリーにより、天音には全身くまなく鉄壁の防御が成されているらしい。

 確かにハインツはよく天音にアクセサリーをプレゼントしてくれた。
 単に人にプレゼントするのが好きだからだと天音は思っていたのだが、実は違ったらしい。

 どうりで毎日必ずアクセサリーをつけているかの全身チェックをトマスからされたわけだ。寝る時さえも外すなと言われていて、それには天音も首を傾げていたのだが、ちゃんと理由があったらしい。

 ちなみに、天音が身に付けているピアスやらネックレスやらブレスレットやらアンクレットやら指輪など、それらすべての合計金額は、どこぞの小国なら数年分の国家予算に匹敵するほどのものであるという。
 この世に一つしか存在しない国宝級のものまで含まれているというから、天音は開いた口が塞がらなくなってしまった。

「そのおかげでアマネは今、五体満足でここにいる」
「でも……でも、だからといってやっていいことじゃないよ! 危険な目にわざと合わせて脅迫するなんて、そんなの絶対ダメに決まってる!」
「そんなことをしてまでも、わたしはおまえを手に入れたかった! 愛しているからだ!!」

 そう叫んだハインツの顔を睨みつけようとした瞬間、天音の顔から怒りの表情が抜け落ちた。

 ハインツの痛ましいほどの悲しい顔に気付いたからだ。

「……なんだよ、その顔……ずるいよ……」
「初めて会った時から、おまえが好きだった。運命の相手に出会えたと思った。絶対に自分のものにしたいと思った。これほどなにかに執着したのは初めてだった」

 そう言うハインツの表情はとても真摯で。

「どんな手を使ってでも俺のものにしたいと思った。それがたとえおまえを脅すという手段だろうとかまわない。おまえが自分の身の安全のために仕方がなくわたしの傍にいるのでもかまわない。どんな理由でもいいから、おまえにそばにいて欲しかった。離したくなかった」

 すまない、と言ったハインツの声があまりにも辛そうで。

 自分を見つめるハインツの瞳が、狂おしいほどに愛を求めていて。

 なんだか天音は泣きたくなってしまったのだった。

 こことは違う世界の日本という国で生活していた頃、天音は自分に自信が持てない消極的な性格をしていた。誰に対しても劣等感を覚えてしまうせいで、人と接することが苦痛だった。いつも人の顔色を窺い、自分の意見なんて絶対に言えるわけもなく、小さく縮こまって毎日を生きていた。

 それは異世界に落ちてからも、しばらくは変わらなかった。

 平凡で地味な天音とは違い、異世界人たちは皆とても綺麗な顔立ちをしていた。
 髪と瞳は多彩で、桃色だとか青だとか水色だとか橙色だとか黄緑だとか、前の世界では考えられないような美しい色で溢れ返っていた。

 それに比べて自分のみすぼらしさといったら……。

 この世界でもやはり自分は劣等種なのだと天音は思った。
 使用人が打ち解けてくれず、よそよそしいのも当然のことだ。
 どこにいても、やっぱり自分は独りぼっち。

 そう思っていたのに、ハインツだけは違った。

 強引に敬語をやめさせて過度なスキンシップを図ることにより、二人の間にあった壁をあっと言う間に取り払ってくれた。

 忙しい身なのに仕事終わりに必ず離宮まで来てくれて、天音が望む限りずっと一緒にいてくれた。たくさん話を聞いてくれたし、色々な話をしてくれた。

 年上で地位も高くて見た目も最高に整っていて、どう考えても雲の上の人だと思っていたハインツと、いつしか天音は対等な付き合いができるようになっていた。

『……そんな、信じられないっ。俺を脅すために、わざと危険な目に合わせたわけ?! どうしてそんな……ひどいよ、俺、ハインツのこと心から信じていたのに!』
『でも……でも、だからといってやっていいことじゃないよ! 危険な目にわざと合わせて脅迫するなんて、そんなの絶対ダメに決まってる!』

 正当性があるとはいえ、あんな風に自分の意見をはっきり言えたのも、きっと相手がハインツだったからだ。

 日本にいた頃は、家族にだってあんなことは言えなかった。
 自分の考えや意見を他人に主張するなんて、絶対にできないことだった。余計なことを言って嫌われるのが怖かったからだ。

 でも、ハインツには躊躇なく思ったままを言えた。

 それはきっと、ハインツが信じさせてくれたからだ。

 怖がらないくていい。
 遠慮なんてしなくていい。
 思ったことをなんでも言っていい。

 絶対に嫌わないからと。
 大丈夫だからと。

 二人で過ごす日々の暮らしの中で、言葉ではなく、態度でハインツがずっと天音に伝え続けてくれたから。

 だから天音は自分の意見を言うことができた。
 そんなハインツだからこそ、天音は性別を超えて好きになれたのだ。
 異性愛者だった天音がすんなりと男性への恋心を認めることができたのは、相手がハインツだったからだ。

 出会った瞬間からハインツは優しかった。溢れんばかりの親愛を天音に示してくれていた。触れる手はいつも温かく、天音を見つめる目はいつだって甘かった。

 いつでもどんな時でも、ハインツは天音に対する想いを態度で表してくれていたのだ。

 それを正しく感じ取っていながらも、無意識に信じまいとしてきたのは天音だ。
 自分に自信が持てないあまり、信じて傷つくことを恐れるあまり、ハインツの想いに気付かないフリをしてきた。

 けれど、日を追うごとに気付かないフリが難しくなっていった。

 ハインツはとても幸せそうな顔をして天音を抱きしめる。好きで好きで堪らないという顔で天音の頬にキスをする。天音の望むことなら、どんなことでも叶えようとしてくれる。

 これで好意に気付かないなんてありえない。

 すると天音はあろうことか、ハインツの元から逃げ出そうとした。

 ハインツの気持ちを信じることが恐かった。信じて両想いになって、それでいつか捨てられるのが恐かった。
 だったら片想いのままの方がよほどましだと、無意識の内に思っていたに違いない。

 自分の行動がハインツをどれだけ傷つけるのか考えもせず、ただただ自分が傷つきたくないがために、ハインツの元から去ろうとしたのだ。

 ハインツだって苦しかったはずだ。
 あんなにも優しいハインツに、脅すという手段を使わせてしまったのは、他ならぬ自分だったのかもしれない。

 だとすると。

(悪いのは俺だ、俺だったんだ。ハインツはいつも、あんなに分かりやすく想いを伝えてくれていたのに、ずっと気付かないフリなんてして)

 そんな自分の行動が、脅迫などという手段をとらせるほどハインツを追い詰めることになるとは、思いもしなかったのだ。

(結局、俺は自分のことしか考えていなかったんだな……)

 俯いていた顔を天音は上げた。

 目の前にはハインツがいて、辛さと切なさの入り混じった表情で、天音を静かに見つめている。
 天音がなんらかの答えを出すのを、待ってくれているのだ。

 天音はぎゅっと強く拳を握った。

「ハインツ……俺、人を脅すのは、やっぱりよくないと思う」
「そうだな」
「でも、そこまでしてでも俺を自分のものにしたいと思うくらい、俺を好きになってくれたってことなんだよね」
「アマネ、おまえを愛している」
「今まで生きてきて、こんなにも人に好きになってもらえたことなんて、俺、なかったよ。こんなにも必死に愛を請われたこと……俺、本当に初めてで……」

 命を狙われ続けた日々は、本当に怖かった。
 それは後でしっかりと抗議しようと思う。
 脅迫なんて二度としないでと厳重に注意しなければ。

 でも今は、それよりも大切な伝えたい言葉が天音にはある。

「本当はこんなの間違っているのかもしれない。けど俺、嬉しいんだ。ハインツから独占欲を持たれるのも、執着されるのも、嬉しくてたまらないよ。ねえ、ハインツ、これから先もずっと俺を好きでいてくれる? 執着し続けてくれる? 死ぬまでずっとだよ? ねえ、約束できる……?」

 ハインツが天音を抱きしめた。

「してやる。だから俺のものになれ」

 命令されても不快にならないのは、言葉に込められた意味を天音が正確に理解しているからだ。

 好きになって欲しい。
 愛して欲しい。
 ずっと傍にいて欲しい。

『俺のものになれ』
 その言葉の裏に隠されているのは、まぎれもない懇願で……。

 だから天音は、ハインツの広い胸に頬をそっと押し付けて、こう言ったのだ。

「うん、ハインツのものになりたい。ハインツのものにしてよ」
「アマネは生涯わたしのものだ。誰にも渡さない」
「うん」

 そのまま二人は互いの体温を感じながら、しばらく抱きしめ合っていた。
 とても幸せだった。


 自分はきっとハインツ会って幸せになるために、この異世界に落ちてきたんだ。

 そんなことを思いながら、天音はハインツの腕の中で幸せを噛み締めたのだった。




 さて。

 二人の想いが無事通じ合ったことに最も歓喜したのは誰かというと。
 それはトマスを筆頭とした離宮の使用人たちだった。

 後から聞いた話によると、天音と親睦を深めてはいけないと、使用人たちはハインツから厳命を受けていたらしい。だから天音にずっとよそよそしい態度を撮り続けていたという。

「使用人たちはわたしよりもアマネと過ごす時間が多いのだ。もしもアマネが使用人の誰かに想いを寄せるようになったらと思うと、どうしても許せなかった。だから命じたのだ。絶対に親しくなるなと」

 ハインツは悪びれることなく、いけしゃあしゃあとそう教えてくれた。

 天音は困った顔をしながらも頬を赤く染めた。
 本当に、初めて会ったすぐから好きでいてくれたんだな、と嬉しくなる。

「でもだったら、これからは使用人の皆と仲良くしてもいいよね? 俺、ハインツのことが一番好きだよ。他の人のことをハインツ以上に好きにならないって約束する。だからお願い! 昼間ずっと独りぼっちなのは寂しいんだよ」
「…………本当は嫌だが、まあ、仕方がない。その代わり、仲良くなりすぎることは許さん。いいな、約束だぞ!」
「分かったよ、ありがとう、ハインツ!」

 皇帝であり離宮の主からの許しが出たことを知った利用人たちは、次々に天音に声をかけてきた。

「ああ、やっとアマネ様とお話ができます」
「これまで冷ややかな態度をとって、本当に申し訳ありません!」
「こうやって誠心誠意お仕えできる日を心待ちにしておりました」
「陛下と無事に想い合えたんですね、おめでとうございます」
「誰がどう見ても両想いなのにすれ違いばかりで、ずっとハラハラしっぱなしでした」
「本当にようございましたね」

 笑顔と温かい言葉をたくさん浴びせられて、天音は嬉しさで感極まってしまう。

「皆さん、ありがとうございます。こんな俺ですが、これからもどうかよろしくお願いします」

 天音がそう言うと、使用人たちは嬉しそうに頭を下げたのだった。

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