神がおちた世界

兎飼なおと

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第30話

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アンリは口元まで湯に浸かりながら眉間に皺を寄せていた。
周りの軍人の女はみんな飽食環境の成人した大人なので仕方ないと頭では分かっているはずだが、あまりのその差がとても羨ましい。
筋肉で綺麗に均整の取れた健康的な肢体もだが、何より胸部が凄い。
脱衣所でシスティーナを見たときに乳はあそこまで膨らむのかと感動したが、それが全員となると己の貧相な体を見て急に惨めな気持ちになった。

「おっ、ちゃんと肩まで浸かって偉いな」

返事の代わりにブクブクすると、システィーナが隣に腰掛けた。

「やっぱり疲れた体に一日の終わりの風呂は効くわーー」
「隊長お疲れさまでーす、大変だったそうですねー」

振り返ると紫髪と茶髪の女2人が立っていた。
茶髪の女は恐らく無魔だろう。アンリの今までの常識ではあり得ない。
無魔は生まれてすぐに殺される、存在すること事態が許されないとでも言うように。だがここでは当たり前のように無魔がいて、当たり前のように魔力持ちと一緒に生活している。
紫髪のほうは恐らく雷属性の魔力持ちだろうが、やたらテンションが高かった。

「おぉ、そっちの子が例の壁の外から来たっていう子ですか?」
「そうだ。しばらくは3階の私とシェレスカの間の部屋に泊まることになった」
「了解ですー。にしても髪色濃いねー、羨ましいー!」
「なっ、なんだよ」
「魔力が多くて良いねーってことだよ」

そんなことは初めて言われた。村でも特質して多いわけではなかったし、量で言うならハウリルのほうがもっと多い。
どちらかというと、アンリはネーテルやアウレポトラを合わせても平均の範疇かやや下くらいだ。

「えぇ!?嘘でしょ!?それで平均より下!?何食べたらそんな事になんのよー!?」

紫髪が信じられないとグイグイ顔を寄せてきた。同時にアンリよりも大分豊かな胸部も迫ってきて思わず後ろに下がってしまう。たじろいでいるとシスティーナが下がれと手で払った。

「おいっ、一応子供相手に前のめりになるな」
「それはすいませんけどー、やっぱり気になるじゃないですか!こっちがどんだけ魔力維持に苦労してると思ってるんですか!?あのクソマズ飯を食べたくないって思ってる魔力持ちは間違いなく100%ですよ!」
「そんなに不味いのね」
「不味いんだよーー!」

食べなくていいなんて羨ましい!と何故か茶髪の女の両胸を揉み始めたが、すぐさま無言で殴り飛ばされ大きな水柱をあげながら湯船に落水した。システィーナがうるさいと苦言をもらし、周りも迷惑そうにしている。
そんなに深くはないので大丈夫かと思ったが、殴り飛ばされた女はすぐに水面に顔を出した。

「酷い!」
「うるさいわね!揉む必要はなかったでしょ!」
「だってシーちゃん!あれもう本当に不味いんだよ!それを義務で毎食必ず1皿出るとかさ!隊長!これは士気に関わります!!」
「私に言うな。また外での長期任務があるコルトくんと比べたらマシだろ」
「ぐっはーー!隊長がズルいこと言ってるー!」

紫髪の女がわきゃわきゃし始めて、なんかもう滅茶苦茶である。これがいい年した大人の女の態度なのだろうか。白い目で見てしまう。
シーちゃんと呼ばれた女がシスティーナを挟んでアンリの反対側に座った。

「またコルトくん外に行くんですか?」
「あぁ。教会の人間と魔人の協力者がいる今のうちに色々進めておきたいそうだ」
「そうなんですか。それでそちらの子は?」
「最初の集落であった村娘らしい」
「あらっ、じゃあただの一般人なのね」

少し蔑んだような、こちらを見る目が少し冷たかった。
見た目的に無魔だと思われるので、壁の外からきたアンリにいい感情が無いのだろう。
だからって何も知らなかったアンリが色々言われるのは理不尽だと思うが。

「貴女も装置探索をするの?」
「えっ、なっ…なんだよ……」

てっきり今まで事から恨み言をぶつけられるのかと思ったら、全く違うことを聞かれて拍子抜けしてしまった。
しかも聞かれた質問が自分でもモヤモヤしていた事だったので、余計に返答に戸惑った。
その様子に無魔の女は眉間に皺を寄せる。

「……嫌々やるならここで飼い殺されてくれないかしら」
「!?……なんだと!」
「だってやりたくもない奴に私達の命運を託したくないもの。それも壁外の人間でしょ?共鳴者の全員が壁外に恨みを持ってるわ、それでも未来のために貴女達がここにいるのを受け入れてるの。それなのに当の本人にやる気がないなら、目の前でずっと彷徨かれてるほうがまだマシだわ」
「だったらお前がいけばいいだろ!」

アンリは立ち上がって激昂した。

「私にどうしろって言うんだよ!お前らの都合で村を無茶苦茶にして!何も知らないままココも子供も殺して、お前らを恨んで!それで………」

何も知らずに全てを憎んで村でそのまま一生を終えていたら楽だった。
でも何の因果か、ココが無実なことも生きていることも知ってしまった。
コルトの人質として信じていたはずの教会司教に利用されていたことも知ってしまった。
壁の悪魔も魔族も話が通じることを知ってしまった。
今更見て見ぬ振りなんて出来なかった。
ココに会いたいというたった1つの願いも叶わず、無理やり要求を通す力もない。利用されているだけだ。
どうしようもなく無力だった。
自分じゃどうしようもないのに、それなのに、今度は嫌なら行くな飼い殺されろなどと、なんでそんな事を言われなきゃいけないのだ。
なんでよりにもよって私なのか。
敵しかいないここで泣くのは悔しかった。
必死で涙を我慢するアンリに無魔の女は気まずくなったのか、視線を逸らした。

「あんたはこれからどうしたい?」

無魔の女がアンリに話しかけてから無言で前を見続けていたシスティーナが問いかけた。
どうしたいと言われても今のアンリに選択権はない。

「それは知ってるさ。けど出来るならやりたいことはあるんだろ?」

いうだけタダだから言ってごらんという。それなら1つしかない。
今はただココに会いたい。拒否されるならそれでもいい、ただココ本人の口から拒否されたい。

「そんなに大切な子かい?」

無言で頷いた。ずっと一緒に育ってきて、死ぬまであの村で一緒に過ごすものだと思っていた。
さてどうしたものかとシスティーナはこぼす。

「ココはね、今王宮にいる。その王宮でココを管理してるのが昼の会議にもいたシュリアと皇太子妃のイリーゼ様。この2人の許可が無いと会うことは絶対に出来ない。イリーゼ様が軍の基地に来ることは無いから、先にシュリアの攻略が必要だけど……」

システィーナが無魔の女を見た。すると、それに気付いた女が即答する。

「無理ですね。彼女の憎悪は私達よりも強いです」
「とは言っても、これから教会とのやりとりが出てくるなら個人の感情は抑えて欲しいんだけどねえ」
「任務優先で感情を抑える訓練を受けた私だって壁外の人間に対してどうしたって怒りが湧くんです。あれを直に見ていた彼女に抑えろなんてとても言えません」
「……困ったね」

システィーナが天井を見上げた。

「昨日の今日であんたをどうするかについては正直あんまり決まってないんだよ、言い換えれば残酷だけどあんたの重要度はかなり低い。なんせ協力的でもっと重要な事を知ってるやつが別にいるからね。あんたはもっと怒っていい」
「そんな事言って助けようとは思ってないですよねー?隊長ってばひどーい」

いつの間にかアンリの背後に回っていた紫髪の女がアンリを抱きしめるようにもたれながら口を挟んできた。柔らかい胸を背中で感じて焦る。

「当然だ。立ち位置が不明な者への過度な肩入れは立場上出来ない」
「でも現状を放置も出来ないんですよねー」
「……そうだな。不満は溜め込めばいずれ爆発する」
「じゃあこの子がまた外に出るまで私も同じ部屋に泊まりますね!」

突然の同室発言にアンリはおろか浴場の全員が固まった。
何を言ってるんだと振り向こうとしたが、胸の柔らかさとは裏腹にガッチリと鍛えられた腕からにホールドされて振り向くことが出来ない。

「あんた何言い出すのよ!」
「だって可愛そうじゃん、まだ子供なのに大人にいいように振り回されてさ。結局この子も教会の被害者でしょ」

無魔の女に対して紫髪の女は事も無げに言い切った。

「でももう今の状況は変えられないじゃん?だったらこの先どうしたいかを決められるように色々教えてあげれば良いと思うんだよね」
「それがなんであんたとの同室になるのよ」
「こっちの事を色々教えてあげるのに、そのほうが都合がいいじゃん!」

すると今まで我関せずという状態だったシェレスカがそれを聞いて近寄ってきた。

「待て、見張りは私の仕事だし、王宮から文字学習の教官役も任命書付でもらっている」
「あらっ、そうなんです?」

その場の顔がシスティーナを見ると、首を縦に振って肯定される。

「えー、見張りはともかく教官役って私が代わりに出来ませんか?というか、文字も読めないの?」
「王宮からのだぞ!そう簡単に変更出来るわけないだろ」
「そういいますけど、王宮って情報漏洩しなければ結構途中経過は問わなかったりするじゃないですか。それに私らの人事権って、一応総長の権限のほうが強いでしょ?やる気があるので代わります!って言えば大丈夫な気がするんですよ」
「一理ある。結局向こうは効率だけを考えて見張りと教官役を同じにしてるだけだからな」
「ほらー、いけますよ!というか、見張りをつけるなら同じ部屋にしたほうが良くないですか?なんで1人部屋なんです?」
「一応の配慮だ。知らない大人とずっと一緒にいるのはつらいだろうとな」

だがそれは裏を返せば1人にしても問題ない、何も出来ないと思われているということだ。
本当にここの人達にとって今のアンリはどうでもいい存在であることを示している。

「それ完全に扱いに困ってますよね?なら私が引き受けても問題ないですよね!」
「逆になんであんたはそこまでやりたがるのよ」
「興味!好奇心!」

その場の大人たちは一斉にため息を吐いた。

「何かあったら責任は全部お前に行くぞ」
「分かってますよー、当然ですね。君もそれでいいよね!えぇと名前はなんて言うのかな?ちなみに私はラディーレイ!ラディーでいいわ」
「……アンネリッタ」
「アンちゃんね、仲良くしようねー」

イエイイエイ!と騒ぐラディーのテンションに微妙にアンリはついていけなかった。
周りも呆れたようにラディーをみている。

「話は通しておくから明日自分で総長に報告しろよ」
「ありがとうございますー!午前中に済ませるので午後からはアンちゃんの部屋に行くからよろしくね」
「……よっ、よろしく…おねがい……します」

そうと決まれば早く出ないと!とラディーは湯から上がるとさっさと浴場から出ていった。
アンリはまた流れで勝手に決められてしまい、もうどうにでもなれという投げやりな思いがわき始めていた。
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