余命三ヶ月、君に一生分の恋をした

望月くらげ

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第二章 感情とはいったい何だったのか

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 修学旅行までの二週間はあっという間に過ぎ去った。その間も毎日部活動をし、杏珠の写真を撮った。撮られた覚えはなかったが、どうやら杏珠の方でも俺の写真を毎日撮り続けているようだ。
 杏珠曰く『そこそこいい』カメラに収められた俺の写真。気にならないかと言われれば嘘になるが、見せて欲しいという程の興味はなかった。どうせ無表情で淡々と何にも興味のなさそうな平凡な容姿の少年が写っているだけだろうから。
 修学旅行の前々日、俺はいつものように大学病院にいた。今日の部活は早々に終わらせて、杏珠とは学校前で別れた。
 杏珠のことだから「私もおばあちゃんのお見舞いに行こうかな」なんて言うかと思っていたが「そっか、じゃあまた明日ね」と手を振ると帰って行った。
 あっさりしている態度に拍子抜けしながらも、一人学校から駅までの道のりを歩く。最近は、修学旅行のカメラ係のせいもあって、杏珠と一緒の時間が増えていた。だからこんな風に、静かな時間というのは久しぶりだった。
 交差点を渡り、城北通りを歩く。人と自転車と車が狭い道を行き交うせいで、少し気を抜くと前から来るタクシーに触れそうになる。それを器用に避けながら歩いて阪急の駅を抜けた。
 もうすぐ病院に着く、そう思ったタイミングで雨が降ってきた。ポツポツと降り始めた雨はやがて本降りへと変わる。俺が病院の入り口にたどり着いた頃には、アスファルトの色は全て塗り変えられていた。
 はあ、と思わずため息を吐いてしまう。診察が終わり帰る頃には雨はやんでいるだろうか。病院内のコンビニで傘を買うのも馬鹿らしく、かと言って駅近くのドラッグストアまで走ればこの雨では制服だけでなく下着まで濡れてしまいそうだ。
「まあ、いいか」
 そんなことは診察が終わって雨がまだ降っていればそれから考えればいい。受付に診察券を出すと、待合の椅子に身体を沈ませた。
 病院特有の静かさに、俺は目を閉じる。雨の病院は嫌だ。初めてここに来た日のことを思い出す。心失病だと聞いて泣き崩れる母親とそれを静かに見下ろす感情のない俺。今ならもう少しだけでも心を痛めることも、母親に寄り添うこともできたかも知れない。けれど、あのときの俺は『この人、なんで他人のことでこんなに泣けるんだろう』と冷ややかに見ていた。そんな俺にしがみついて母親は言ったのだ。
『そうちゃんを返して。あなたなんてそうちゃんじゃない』
 と――。
 ショックで錯乱していたのだと今ならわかる。だが、自分自身を否定された、受け入れてもらえなかったという記憶は残るものだ。
 あの日から、俺の中であの人は母親であるけれど『お母さん』ではなくなった。もしかしたらあの人の中でも、俺は『息子』ではなくなっているのかもしれないけれど。
 目を閉じているうちにうとうとしていたようで、自分の名前が呼ばれる声で目を開けた。どうやら番号で呼ばれていたが、あまりにも反応がないため名前で呼び出されたようだ。
 身体を起こし、いつもと同じ扉を開けて診察室に入る。定期検診のため変わりはないかということを聞かれ、医師は「じゃあ次は」といつものように終えようとした。
「あの」
「ん?」
 だから俺が話を遮るように声を出したことに、少し驚いた様子だった。それもそうだろう。この二年十ヶ月。毎月、この主治医に診てもらってはいたが、俺から何かを聞くことも何かアクションすることもなかったのだから。
「どうかしたのかい?」
 医師は姿勢を正し、椅子を机から俺の方へと向ける。久しぶりにこちらを向いた医師の胸元に付けられたバッチに『村松』と書かれているのが見えてそいういえばそんな名前だったと思い出す。一番最初に診察してもらったときに名前を聞いた気がしていたけれど、興味もなかったので覚えることもしていなかった。
 笑顔を浮かべる村松先生だったが、眼鏡の奥に見える瞳は興味深く俺を観察しているように見えた。いったい今から何を言おうとしているのか、それが気になって仕方がないように見えた。
「や、あのたいしたことじゃないんですけど。明後日から修学旅行なんです」
「修学旅行? 蒼志君が? そっか、高校二年生だもんね」
「はい。えっと、行っても大丈夫、ですか? と、いうか行くんですっていう報告、なんですけど」
 今さら相談しても遅いだろうと俺は思っていた。そもそも、相談であれば行くことを決めたタイミングでしなければ意味がない。それでも、念のため報告しておく必要はあるだろうと思ったのだ。
 万が一、向こうで何かあればそのときは村松先生の方にも連絡が行くことになるだろう。その時に突然『今、北海道にいるんです』ではさすがにまずいだろうと思った。
 俺の考えなんてお見通しとでも言うかのように、村松先生はうんうんと頷いた。
「そっか、それは教えてくれてありがとう。北海道のどこに行くか詳しく聞いておいてもいい? あ、もし予定表とかあるならコピーさせてもらえると助かるんだけど」
 村松先生に言われ、俺は鞄から修学旅行のしおりを取り出すと手渡した。村松先生はそれを近くにいた看護師に渡すと「二部、コピー取っておいてもらえる?」と指示を出す。何故、二部なのだろうかと少し疑問に思ったがどうでもよかった。
 だが、村松はそんな俺の心の機微をきちんとくみ取ってくれる。
「僕が休みの時や他の医師が夜勤の日もあるからね。僕の方で一部と君のカルテに一部挟んでおけば、万が一僕が対応できなくても他の先生が対応できるだろう」
「そう、ですね」
「各地の病院をピックアップしておくから、あとで受付で貰って帰ってくれるかな」
 自分が修学旅行に行くと言ったがために余計な手間を掛けさせてしまった。俺は項垂れるように足下に視線を向けた。
 村松先生もそうだし、きっと学校の方でも俺のために動いてくれることもあるだろう。母親にも心配を掛け不安にして。こんなことなら行くなんて言うべきではなかった。いつものように無関心なまま「じゃあ、行くのやめるよ」と言っておけば誰にも迷惑をかけることはなかったはずだ。
 今からでも遅くないだろうか。キャンセル料がかかったりするかもしれないけど、今からでも行かないと言った方が――。
「ねえ、蒼志君」
「え?」
 俺を呼ぶその声が妙に優しくて、俺は思わず顔を上げた。そこには優しく微笑む村松先生の姿があった。
「今、みんなに迷惑をかけている。こんなことなら修学旅行に行くなんて言わなければ良かったって、そう思ってる?」
「どう、して」
 わかったんですか、と掠れた声で言う俺に、村松先生は手元の紙に何かを書き込みながら笑う。
「僕はね、君が修学旅行に行くって聞いて嬉しかったんだよ。行きたいって少しでも思ったのかな、誰かに行こうって誘われて行く気になったのかなって」
「それ、は」
「きっとたくさん心配する人はいると思う。ご両親とか特にね。でも、君がほんの少しでもしたいってやりたいって思ったなら、その感情を僕は大事にしてほしい。主治医としてだけじゃなく、僕個人としてもそう思うよ」
「……わかんないんです」
 俺は吐き出すように呟いた。わからない。先日から僅かに湧き出る感情を俺は持て余していた。どんどん感情がなくなっていくのを当たり前だと、そして仕方ないと思っていた。唯一残った『嬉』という感情もそのうち消えてしまうだろうと。
 でも、消えるどころか、この一ヶ月、妙に感情が動かされる。たまに、ほんの僅かに揺れ動くことはあっても、それでもその感情の波はすぐに引いて静かになっていっていたはずなのに。
「……この病気はまだ解明されていないことも多い。だが、心失病患者の中には、寿命を迎える前、まるで今まで押さえ込んでいた感情が爆発するように湧き出て、それから静かに息を引き取る人もいる。もちろん感情の爆発なんて起きることもなく静かに感情もそして鼓動も消えていく人も多い。色々な人がいるんだ。それから……」
「先生?」
 何かを言いかけて、村松は手に持ったボールペンを唇に押し当てたまま黙り込んでしまう。やがてカチッという音を立てて、限界まで出されたボールペンのペン先が中へと引っ込んでいった。
「いや、なんでもない。まあそんな感じだからさ、そこまで気にすることないよ。今の蒼志君にできるのは一日一日を大事に生きること。わかった?」
「……はい」
 言いかけた何かが気にはなったが、これで話は終わり、とばかりに村松は再びボールペンをノックすると無言のままカルテに何かを書き込んでいく。覗き見たそこには『残り二ヶ月』と先月の検診よりも一ヶ月減らされた数字が書き込まれていた。

 受付で支払いついでに封筒を受け取ると、俺は自宅への道のりを歩いた。幸い、雨はやんでいてむわっとした空気と雨水に濡らされたアスファルトの匂いが辺りに漂っていた。
 自宅へ帰るとリビングには行かず自分の部屋へと向かう。検診の日は母親の情緒が不安定になる。検診のたび、一ヶ月ずつ息子の死が近づいているのだと思えば仕方のないことだ。
 机の上に鞄を置くと、俺は先程受付で受け取った封筒を取り出した。用意しているボストンバッグに入れておこうと思ったのだ。ついでにそっと封を開けた。見るなと言われてはいないのだから、少しぐらい覗いても大丈夫だろう。
 中には俺の名前や年齢が書かれているカルテの写しがあった。心失病の発症日や今までの経過、薬の服用歴、アレルギーの有無など事細かに書かれていた。
「残り二ヶ月――か」
 少なくとも八月の十五日までに俺は死ぬ。それはもう避けられようのない事実だ。ただ、二ヶ月と書かれた下に小さな文字で『感情が僅かに湧き出ている。急変の可能性あり』と書かれているのが見えた。
 紙を持った手に力が入る。ぐしゃっと丸めてしまいたい衝動に駆られ、必死にそれを押さえると封筒の中に紙を戻した。無造作にボストンバッグに放り込むと俺はベッドに寝転がる。
 天井の染みがまるで俺を笑うピエロの顔のように見える。死ぬことなんてわかっていたことだ。それが少し縮まるぐらいどうってことない。
 そう思うのに、目を閉じると何故か杏珠の顔が浮かび上がる。「蒼志君」と呼ぶ声も聞こえる。
 俺が死んだら、杏珠は泣いてくれるだろうか。そんな考えても仕方のないことを思いながら、俺は眠りに落ちた。
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