盗人猛々しいですよ、天上院さん!

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四章 だから勘違いしないでくださいよ、天上院さん!

だから勘違いしないでくださいよ、天上院さん!.3

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 盗人猛々しいとは、このことを言うのだろう。

 天上院華はあれから後も、プールの授業の度に私の私物を盗んだ。制服、シャツ、タイ、スカート…満足すればその場限りで返却してくれはするのだが、自分が身に着けていたものを目の前で嗅がれ、悦に浸る様を見せられる混沌は体験したものにしか理解できないだろう。本当に、どんな顔をしたらいいか分からなくなるのだ。臭いとか言われるわけではないが…気恥ずかしいし…。

 その日は、7月に入ったばかりの頃だった。いつもどおり天上院さんと一悶着あったプールの後、担任の先生が、ホームルームの時間に『自分たちの時代はクーラーなんて教室になかった』と謎の自慢話をしていた。

 そもそもその頃は、今みたいな猛暑日ばかりではなかったと別の先生が言っていた気がするから、いよいよ聞く価値もない話だと辟易しているうちに、睡魔が忍び寄ってきた。

 (あー…プールの後って、なんでこんなに眠くなるのか…)

 頬杖をつきながら、どうすればばれずに眠りに就けるだろうかと考える。無論、その意味のない画策は具体的な形を持つ前に眠りによってさらわれる。

 どれくらいまどろんでいただろうか。私は前の席のクラスメイトが椅子を引いて立ち上がった物音でびくりと目を覚ました。

 気づけばホームルームは終わっていた。短時間なのにやたらと熟睡できたような気がした。

 眠っていたことを誰にも気取られぬよう、なんとなく首を回しながら、視線をさまよわせる。そうすれば、自然とこちらを凝視している彼女と目が合った。

 他のクラスメイトとの雑談に興じているくせに、視線だけは私に向けている天上院華。品のある微笑みを浮かべ、黒い瞳の奥を瞬かせる彼女の座り姿は芸術品のようだと思った。

 ぷいと視線を窓の外に移す。いつから見られているのか、考えるだけで恥ずかしくなる。間抜けな寝顔ではなかっただろうか。

 (いや、どうして私がそんな心配しなくちゃいけないの…)

 別に、天上院さんにどう思われようと構わないではないか。私は彼女のもっと酷い醜態を知っているのだし。

 人の身に着けていたものを嗅ぎ、悦に浸る天上院さんの姿を思い出す。

 上気した頬、恍惚とした微笑み、とろんとした瞳…。

 そこまで考えてから、ふと、本当にあれは醜態と呼べるものだろうかと疑問を持つ。

 あれはあれで、煽情的な美人画として捉えれば十分に美しいだろう。凡人の寝顔よりよっぽど価値があると思えた。

 分かってはいたが、世の中はやはり不平等だ。極端なものでなければ、多くの人間の中にルッキズムは息づいているのだし。

 「気持ちよさそうに眠っていましたね、澄香」

 聞き覚えのある声がすぐそばでしたから、顔を向けた。予想通り天上院さんだった。

 「…いつから見てたの」

 「澄香が眠りに就く少し前からだと思います」

 「そ、そんなに早くから?」

 「はい」

 「いや、な、なん……」

 私は驚きのあまり聞こうとしていた言葉をすんでのところで飲み込んだ。

 理由を尋ねればいい。それだけのことが、どうしてか不思議と勇気のいることだった。

 「ん?」と天上院さんが小首を傾げる。それに対し私は、「別に何もないです」とぶっきらぼうに言うと、荷物を片づけて立ち上がった。

 「お帰りですか?」

 「はい。やることもないので」

 「そうですか…」天上院さんは少し逡巡する様子を見せた後、浅く頷くと、「ではまた、明日学校で」と当たり前のことを言った。

 私は適当な相槌を打つと、足早に教室を出た。何人かのクラスメイトが私たちを観察していることが分かっていたからだ。

 部活に向かう者、私のように部活もせずに帰る者がまばらに行き交う気だるい暑さの廊下を真っすぐ歩く。

 過ぎるクラスメイトたちの喧騒も耳に入らぬまま、私はずっと気になっていたことを考えずにはいられない気分だった。

 ――どう見ても、私は天上院華とは釣り合わない。

 もちろん、友だちとしてである。彼女は生まれも育ちも私とはまるで違うし、ルックスも、性格(外面上の)も、とにかく、与えられたものすべてが私とはまるで違う。

 天上院さんのようなスクールカースト上位、いや、もはやその枠組みの外に君臨しているような人間が、私と仲良くなろうとする理屈が見つからない。

 自分の変態趣味を満たすのに都合が良い存在だった?それとも、偶然?

 天上院さんは、以前私の家を訪れたときにこう言っていた。『私を誘ったのは、澄香のほうだ』と…。

 そんなつもりはない。でも、彼女が言ったように、確かに私は天上院さんを見ていたのだろう。

 私のほうに、特別な感情があった?

 だから天上院さんも、私にだけ見せる姿があった?

 …分からない。尋ねる気にもなれない。

 だってそれは、開ければ私という世界に災厄をもたらすパンドラの匣になるに決まっているから。

 

 「澄香、いる?」

 ノックもせずに私の部屋へ入ってきたのは、妹の瀬里奈だった。

 彼女は寝間着に使っているシャツの裾をめくり上げ、よく絞り上げられた腹筋を覗かせていた。

 同じDNAで出来ているとは思えないほど、引き締まった体つきだ。運動神経に難がある私と違い、瀬里奈はスポーツ万能だ。…代わりに、頭はさほど良くないが。

 「いるよ。ってか、ノックも無しに勝手に入って来ないで」

 一世紀以上昔の冒険小説を読んでいた私は、その文庫本を溜め息交じりに机の上に置くと、椅子を回転させて妹に向きなおる。

 「ごめんごめん」

 「絶対思ってないでしょ」

 「まぁ」

 そう言って口元を曲げた瀬里奈は、珍しい表情をしていた。

 どこか迷いがある、という感じだった。それとも緊張感、だろうか?少なくとも、楽しい話や他愛もない話をしにここを訪れたわけではないらしい。

 私は適当な場所に瀬里奈を座らせた。なんとなく話の内容が想像できていたというのもあるが、それだけではない。

 瀬里奈が真面目な顔をしているときは、いつもそれなりの真剣さをもって接してきた。一度だけそれを疎かにしたことがあって、その後に酷く後悔した経験があるからだ。今でも悔やんでいる。瀬里奈が自らをレズビアンだとカミングアウトしたとき、ちゃんと話を聞いてあげられず、彼女はとても苦しんだのだから。

 「なに。どうしたの、瀬里奈」

 「えーっと…――その、そう、勉強、教えてもらいたくて」

 それが方便だというのはすぐに分かった。なぜなら、彼女はシャープペンシル一本持ってきていなかったからである。

 私がすぐにそれを指摘すれば、彼女は慌てて自分の部屋にテキストと筆記用具を取りに戻った。私は妹のこういう少し抜けたところが大好きだった。

 瀬里奈が戻って来てから、しばし、私たちは学校の宿題や予習を行なった。それは内容自体は単調で、そう難しくないものだったが、久しぶりに妹とこんな時間を過ごしたため、悪くはないものだった。

 残すところ後、数問というとき、不意に瀬里奈が口を開く。

 「この間のってさ…そういうこと、で合ってる?」

 言葉数が足りなかったが、意味するところはすぐに分かった。しかし、私はあえてとぼけて応じてみせる。

 「色々と抜けてるよ。それじゃ何の話か分かんない」

 「いや、だからぁ…」ちらり、とこちらを一瞥する瀬里奈の視線には、もどかしさのようなものが混じっている。「その、天上院さんと澄香って、そういう関係なの?」

 これもまた予想範囲内の質問だった。だからこそ、普段ならパニックになるような質問にもある程度冷静に応じられた。

 「だから、言葉足らずだって。なに、そういう関係って?」

 「…恋人」

 「はっ、馬鹿馬鹿しい」

 視線は手元のペン先に。ただ、意識は耳に向けられていた。上手く誤魔化せたのか、瀬里奈が次に何と言うのか、気になってしょうがなかった。

 「でも、嗅がれたんでしょ?その、天上院さんに」

 「なにそれ、そんなこと言ってないよ」

 「澄香…」

 どこか呆れた声。少しムカッとする。

 「妄想垂れ流してないで、宿題に集中しなよ。せっかく読書の手を止めて付き合ってんだから」

 「澄香こそ、目を背けずに考えなよ」

 今度は瀬里奈がムッとした様子だった。

 「は?変な言いがかりつけないでよ」

 「言いがかりじゃない。天上院さんと何かあったんでしょ。困ってるんじゃないの?」

 困っていないか、と問われて、私の中で燃え上がっていた苛立ちの炎はすっかり収まってしまった。頭によぎった、『カミングアウトしている瀬里奈なら、天上院華の気持ちが少しばかりは分かるかもしれない』という考えのせいだ。

 「…別に…」

 ぶっきらぼうに呟き捨てながら、視線をペン先から瀬里奈に移す。すると、酷く真剣な、でもどこか心配そうな妹と目が合う。それだけで自分が大人気ないことをしていると分からされて恥ずかしくなった。

 「お姉ちゃん」

 いつもと違う呼び方で妹が私を呼ぶ。こういうときはふざけているか――いつになく真剣なときだ。

 「私にできること、なんもない?」

 こうなれば、もはや白旗を揚げるほかなかった。世間と自分とのギャップに苦しめられた彼女にここまで言わせて、はぐらかし続けられるのであれば、それはなんと情けのない姉なのだろうか。

 とはいえ、真っすぐ妹を頼れるほど私は大人ではなかった。

 私は深く長い息を吐き出すと座椅子の背もたれになだれかかり、天井を見上げた。

 シーリングライトの無機質な白い光が目を眩ます。天上院華との向き合い方を見失った私に相応しい視界だった。

 「……例えば、だよ。例えば」

 「うん」

 「誰もが憧れるような人から、よく分かんない…普通じゃない感情を向けられるとしたら…それって、なんでなんだと思う?」

 「普通じゃない感情って?」

 「え?あー…色々だよ、色々。とにかく、ちょっと普通じゃない」

 「同性を好きになるとか、そういう意味?」

 あぁ、そう捉えてしまったか、と私は首を振る。瀬里奈を変に傷つけたくはない。

 「違う。なんかこう、フェチズムをごり押ししてくるような感情」

 「あー…」

 瀬里奈は私の言いたいところを理解したふうに相槌を打つと、しばし逡巡してから、真面目腐った顔でこちらを見つめて言った。

 「何かきっかけがあって、天上院さんがお姉ちゃんに興味を持ったんじゃないの?」

 「きっかけ?興味?」と胡散臭いものを見るような顔をしてから、「ってか、天上院さんの話じゃないから」と無駄と分かりつつ訂正する。

 きっかけなんて、想像もつかなかった。だから私は、「どうせ、私のことを何があっても黙ってる人間だと思ったんじゃない」と投げやりにぼやいた。そうすると瀬里奈は少し目尻を吊り上げた。

 「それ、勝手に決めつけるにはあんまりにも失礼な内容じゃない?」

 これは確かに正論だった。

 「いや、でもさ…」

 「とにかく」瀬里奈が私の言葉を遮って続ける。「知りたいなら、本人に聞かないと。――一人で壁と向き合ってても、何も見えないし分かんないよ」

 正論を重ねられてぐうの音も出なくなった挙句、ただ、妹を不満げに睨むだけの醜態をさらす私を、瀬里奈は真っすぐ指差した。

 「馬鹿な私でも分かるんだから、それくらい、頭の良い澄香ならとっくに分かってるでしょ?お姉ちゃん」

 最後の“お姉ちゃん”には、先ほどまでとは打って変わって嫌味っぽさとか、悪戯っぽさが含まれていたから、私は肩を竦めて窓の向こうに渦巻く夜の闇へと視線を移すのだった。
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