復讐の黒い百合~流刑となった令嬢は祖国転覆を企てる~

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五章 鴉との約束

鴉との約束.6

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 エルトランドの船三隻のうち二隻は、沖のほうから追撃してきたオリエント海軍のためにその足を止めたが、最後の一隻はみるみるうちに海岸に迫ってきた。

 もう数分もすれば上陸しようとするエルトランド兵とそれを阻止しようとするオリエント軍、ニライカナイの戦士たちで砂浜は埋め尽くされることだろう。

 そして、それよりも先にエルトランドの魔道士らの攻撃が始まる。船上から強烈な魔導をここまで届かせられる人間は数えるほどしかいないが、そうではない人間の魔導でも当たれば怪我をする。注意は必要である。

 私の忠告を採用してくれたワダツミのおかげで、前列の兵士たちは大きな盾を持って隊列を組んでいた。なんでも、対魔導加工を施した盾らしいので、一般的な魔導や呪いなら問題なく防いでくれるとのことだった。

「私たちも前進するわよ、レイブン」

 珍しく、レイブンは返事をしなかった。無論、こちらはちゃんと向いている。

「何をぼうっとしているの。しゃきっとしなさい」

 レイブンは呆気に取られたような顔をしていたが、ややあって我に返ると、申し訳無さそうな声を発して私に言った。

「お嬢様、本気でそれを身に着けて向かわれるのですか…?」

 うっ、と私は言葉を詰まらせる。

 私自身、今さらになって後悔していたのだ。こんなものを着けて戦いに出るなんて、正気の沙汰ではないと思ったのである。

「しょ、しょうがないでしょう。ワダツミがこうしろと言ったのよ」
「お嬢様が、大人しく頷かれたとは思えませんが…」

「ぐっ…」疑念を持ったレイブンの眼差しに押され、目を逸らす。「…す、ストレリチアたちに一杯食わせられる、と言われたものだから…つい…」

「はぁ」

 分かったような、分からないような相槌に、恥ずかしさから私も大きな声を出してしまう。

「レイブン!これ以上、このお面について触れることは許さないわ!」

 お面。そう、お面だ。

 私はワダツミに提案されて、狐を象ったお面を被っていた。

 銀の下地に、目元は赤く塗られている。手の込んだ装飾はワダツミの趣味らしい。彼女自身は着けないらしいが。

 ワダツミ曰く、ここぞというときにお面を外せば、敵軍を動揺させ、隙を突くことができるだろうということだった。

 確かに、私の顔を知らないエルトランド人はいないと思うが…私は一応、エルトランド王国の救世主を暗殺しようとした大罪人だ。憎まれこそすれど、攻撃を躊躇させられるような立場にはないのである。

 とはいえ、とはいえだ。混乱させることは確実にできるだろう。

 幸い、視界は全く遮られていない。ワダツミが言うように実戦想定のデザインのようだったが、実戦でお面を使うことが果たしてどれだけあるのだろうか。

 自軍の兵士たちが驚きや呆れを顔に浮かべ、私たちの横を通り過ぎていく。悪目立ちするのも分かっていが、ワダツミの言葉巧みな誘導にまんまと乗せられてしまっていた。

「行くわよ!」

 納得できていないようなレイブンの手を引き、前進を始める。

 遠くに見える船が近づき、並走する兵士たちの熱気が加速度的に高まったことで、私とレイブンの顔からは余計な感情は消え、緊迫したような、深刻な面持ちだけが残っていた。

 戦闘が始まる。

 復讐の第一歩だ。

 …復讐。

 私が討ちたいのは、ストレリチアだ。

 そのために、そこに至るために同胞を討つ。

(――できるわ。できる)

 短く自分に言い聞かせる。

(彼らは、悪人ではない。だけれど、湿地で戦った賊の頭みたいに、戦いを強要されているわけでもないわ。殺されることに同意している。そうよ、彼らはただ『仕事』をしているだけ。その過程で私に跳ね除けられるのであれば、それは弱い『自分』が悪いのよ)

 私も、弱かった。ストレリチアという輝きの前にはあまりにも。

 だから排斥され、処刑寸前まで追い詰められた。いや、実質処刑されたも同然だ。

(この道を阻む相手に、容赦はいらない…。弱ければ潰される。その自然の摂理に従って、叩き伏せるだけよっ…!)

 繰り返し、言い聞かせる。

 できるだけ合理的に、冷静に。

 自分の感情を事前に上手く殺しておく。

 そうでないと、また湿地のときみたいに感情をかき乱される。それだけは避けたい。今度は、蹲る暇もなく殺される。

 私の死は、レイブンの死に直結する。

 それは駄目だ。

 レイブンは。

 レイブンは…。

「魔導が来るぞっ!」

 誰とも知れない怒号に、ハッと私は我に返る。

 すぐ後ろのレイブンの身を引き寄せ、前列の兵隊たちが掲げている盾の群れの中に身を潜り込ませれば、直後、篠突く雨のような轟音が頭上で鳴り響いた。

 抱きかかえていたレイブンが、ぎゅっと私の手を握る。怖いのだろうと、私もすぐに彼女の華奢な手を握り返し、そのときを待った。

 少し離れた場所からは、人の悲鳴が聞こえてきている。中にはカエルが潰れたときのような声も混じっていた。

「お嬢様」

 か細い声が胸のあたりからする。彼女が生きていることがハッキリと分かって安心する。

「大丈夫よ、すぐに終わるわ」

 実際、数秒後にはもう音は止んでいた。

 傘が閉じるように頭上を覆っていた盾の群れが消える。

 赤光を放つ夕焼けが、私たちの前にあった。

 浜では何人もの人間が死んでいた。もちろん、生きている人間のほうが多い。だが、この光景が地獄の始まりと知っている人間たちはますますシリアスな顔を深めるばかりだ。

 黄昏の光を遮る巨大な影が、私たちの前に現れる。

 同時に、オリエント軍らが大声と共に前進する。それに伴うように、船の前面部が開き、中から無数のエルトランド軍が現れた。

 これが、戦争…。

 私は一歩出遅れていたが、レイブンの冷えた声に背中を押された。

「お嬢様、ご命令を」

 彼女の瞳は、不安や恐怖で揺れてはいなかった。

 きっとレイブンは、ここにいる誰よりも凪の心で立っている。

 どうして、こんなにも落ち着いていられる?

 私のほうが、どうして竦んでいるのだ。

(怖い、というの…私は…。どれだけ言い聞かせても、私は…)

 不安と恐怖の暗雲が頭上に広がる。誰も私にぶつからないのが奇跡に近いほど、オリエント軍らが過ぎ去っていく。

 一瞬。

 一瞬、脳裏をよぎった言葉。

 ――復讐なんてやめて、ここを離れてしまおうか。

 ぞっとするほど甘美な囁きだった。下手をすると、私をそれに従うところだったのだ。

 そうならなかったのは…。

「オリエントの蛮族ども!このエルトランド王の正当なる後継者の首が欲しくはないかっ!?」

 この声が――。

「欲しければかかってこい!」

 私をあっさりと捨てた男の――。

「この俺、ジャン・デューク・エルトランドが相手だっ!」

 あの女を選んだ忌々しい男の声が聞こえたからだ。
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